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2016年5月20日 (金)

算数のできない人に仕事を任すべからず!

 534回目のブログです。

 

 “いたづらに 過ぐる月日は 思ほえで 花見て暮らす 春ぞ少なき”
              藤原興風
(平安・三十六歌仙・古今集)

 

 なにもしないで、むなしく過ぎてゆく月日は何とも思わないが、花を見て暮らす春の日だけは、少ないことが惜しまれてならない…。

 

 今年は春の到来がやけに早く、桜や躑躅(つつじ)や皐月(さつき)も足早に花を咲かせ、盛りもあっという間のような感じがしました。花は咲いてナンボ、自覚をもって毎年必ず咲き誇り、自らの役目を果たす姿は、それなりに貴重なものがあります。

 

 さて、新入社員も4月に入社し、実社会の洗礼のシャワーを浴び、かなりの戸惑いも感じつつ5月の連休で一休みといったところでしょうか。ところがこの一休みが曲者。今月は新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状である「5月病」になりやすい時ですが、ぜひとも乗り切ってもらいたいと思います。

 

 「ゆとり」決別を宣言=新要領、学習内容削減せず-馳文科相

 

  馳浩文部科学相は10日の閣議後会見で「ゆとり教育との決別宣言を明確にしておきたい」と述べた。改定作業を進めている次期学習指導要領に関し、学習内容を削減しないことなどを強調した「教育の強靱化に向けて」と題する見解を公表した。
2020
年から順次実施される次期要領では、児童生徒が議論などを通じて、自ら課題を見つけて解決を図る「アクティブ・ラーニング」が導入される方向。しかし、学校現場や与党内などで「ゆとり教育に逆戻りするのではないか」といった懸念が出ているため、明確に否定する狙いがある。
           (2016/05/10 jiji.com一部抜粋)

 

 「企業は人なり」と言う言葉があるように、国を含めてあらゆる組織は、人、人材の確保、人材の育成にかなりの力を注ぎます。その要としての文部科学省は、教育は国家百年の礎として、学校教育の充実に成果を出すことが求められてきました。

 

 しかしながら、いわゆる「ゆとり教育」を推進するという安易な方策を採ってきたために、教育の成果が思わしくなく、多くの問題を投げかけ、軌道を修正することになりました。文科大臣が「ゆとり」決別を宣言し、世界に通用する若者を多数輩出するような積極的な教育方策を実行し、ぜひその成果を出してほしいと願うものです。

 

 ゆとり世代とは、明確な定義はありませんが、一定の共通した特性を持つ世代区分として、狭義では、昭和62(1987)~平成7(1995)生まれ、現在2129歳が該当するようです。

 

 若い世代は、仕事においてまだまだ未熟であり、時には落ち度があったり、ヘマを仕出かしたりしますが、それらに対して、ゆとり世代だからなあ…という言葉で揶揄する例も耳に入ります。しかし、それはあまりにも一方的であり、ゆとり世代だからと言って全てが劣るわけでなく、逆に優っていることもあると認識する必要があります。

 

 とはいうものの、ゆとり世代がもつ特徴も指摘されています。それは彼らの責任ではなく、そんな教育をすすめてきた文科省や日教組やメディアや一般社会に大きな責任があることを指摘したいと思います。

 

 ここで、算数・数学のことについて考えてみましょう。

 

 近年、科学技術の進歩はめざましく、インフラ(インフラストラクチャー・社会基盤・道路/下水道/ガス/電気/鉄道など)はもとより、日常生活のあらゆる分野で大きな変貌を遂げています。この科学技術の知識やセンスの涵養に一助となるのが算数や数学の素養です。

 

 また、わたし達日本人に今求められているのは論理的思考力であり、論理的にものごとを推進していく力ではないでしょうか。その基礎となるのが算数や数学です。ところが、有力メディアの朝日新聞などは、中国のプロパガンダ(宣伝・洗脳)や韓国のファンタジー(妄想・幻想・空想)に容易に屈しており、記事や解説や社説に論理性がほとんど認められません。これは、失礼を顧みず申し上げるならば、おそらく算数や数学の素養を欠いているための論理性欠如、情緒過多、イデオロギー過剰の現象と考えられます。

 

 基礎学力として最も重視されるのは「国語」であり「算数」です。その算数で、平成14(2002)から施行された「学習指導要領」によって、小学校6年間の算数授業時間数が1047時間から869時間に減少した経緯があります。(現在は1011時間)

 

 それらの影響かどうかはわかりませんが、現在の数学教育の実態があばかれています。「分数ができない大学生」/2 + 1/2分の1たす3分の1)の答えを「2/5」((5分の2)と答える学生が全体の17%に達しているそうです。…正解は「5/6」(6分の5)

 

 なぜこのような現象が起きるのでしょうか。原因は、大学の偏差値競争。入試科目から数学をなくすと、受験者が増え偏差値が5ポイントも上昇。分数も出来ない学生が経済学部にも入学できる異常な現象となっています。マークシート式テストの弊害。の二つが考えられます。(5/14 gendai.ismediaより)

 

 もうひとつが「分数ができない一部上場企業の若手社員。神戸大や同志社などが平成26(2014) 1部上場の製造業9社に勤める、主に20代の技術者1226人を対象にテストを実施。9―3÷1/3+1(9ひく3わる3分の1たす1)正答率が何と6割未満。(正解は「1」)

 

 西村教授は「大学入試の多様化や大学のカリキュラム変更の影響で、基礎的学力を身につける機会が減っている」「理数系科目では生物や化学しかやっていない技術者も多い。(微積分などを習う)数学3や物理の履修率を大幅に高めることが重要」とコメント。(2015/12/2 日経より)

 

 昔から、まず習得すべきは「読み」「書き」「算盤」と言われてきました。読み、書き、は国語、算盤はいうなれば算数のことです。今、理科離れに警告が鳴らされていますが、理科の基本には算数、数学があります。算数の基礎学力を身に着け、理科に関心をもつ生徒の増加を期待したいものです。(因みに、私の属するシニアのNPO法人テクノメイトコープは、小学生に対し、理科に興味を持ってもらうために、学校への「出前授業(実験)」を行っています)

 

 マスメディアも、少なくとも基礎的学力は身に着けないと、判断に誤りをもたらします。たとえば、大阪はひったくり犯罪でトップだというニュースが流れたことがあります。ところが、この数字は単に都道府県別の絶対数字で比較しているにすぎず、全く意味をなしていません。本来は、同一基準をもとに、人口10万人当たり、あるいは人口1万人当たりの人数で比較するのが正当ではないでしょうか。

 

 誰がどう考えても、人口差が著しい他府県と絶対数で比較するのは間違っています。にもかかわらず、TVも新聞もそれが出来ていません。微分や積分と言った難しい数学ではなく、単に割り算をすればいいだけですから、彼らは論理的な思考ができないという致命的な欠陥を有しているとしか思えないのです。(マスコミには文科系が圧倒的に多く、こんな状況ゆえに、国公立大学の文科系学部廃止論がでてくるのも、ある意味で納得できるところです)

 

 わが国が科学技術立国を目指すことを第一義と考えるならば、学校教育において、算数、数学をきちっと学ぶことが大切ではないでしょうか。今の時代、算数のできない人に仕事を任すことはできないし、また、そうすべきではないと考えます。

 

 多少、勝手な議論となりました。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回も
時事エッセー
です

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コメント

 我が国が保有する最大の資源は日本国民と言う人的資源にあり、その所以は江戸の寺子屋から続く「読み書き算盤」を基本とした教育水準の高さにある。だが平成に入り「創意工夫の人」を育成するとして「読み書き算盤」に代表される基本的教養が軽視されてきた。さらに私立大学や高校では定員不足対策のため、運動などの特技があれば入試免除や科目軽減をし、公立高校は中退者や留年者を出さないために単位不足の学生にあれこれの手立てをとって学力をつけないまま卒業させることを是としてきた。著名大学の学生が分数問題を解けないのも不思議でない。だが読み書き算盤等の小学生レベルの基本的教養をもたない大学卒業生に個人の趣味としての創造性は期待できても、社会に有用な創造力を期待することは難しいのではないか。
 但し「読み書き算盤」教育は大切だが、知識偏重は困る。我が国はシナの四書五経の訓読に代表される文字知識を重視する伝統があり、それが今日の偏差値に代表される知識偏重に繋がっている。だが政治家や学者、マスコミ人などを見れば、専門知識の高さと智恵の高さが比例しないことは明らかであり、また人徳とも一致しないことも明らかである。巷間には「学者バカ」という言葉がある。知識重視が近代日本の建国に役だったことは確かだが、国際的に安定した地位を確立した21世紀は基本的知識を駆使した智恵ある人々が求めらる。

投稿: 齋藤仁 | 2016年5月20日 (金) 08時59分

毎回、ブログを楽しみに拝読しています。今後、小学生に「プログラミング」言語を教える議論にも期待したいと思います。NPO法人テクノメイトコープのようなシニア世代と小学生が、理科やプログラミング言語の学習を通して、世代間の出会いの場としても期待しています。

投稿: 野中志郎 | 2016年5月20日 (金) 08時18分

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