“情緒論”…沖縄米兵犯罪&原発に見る!
537回目のブログです。
“あるがまま 雑草として 芽をふく”
種田山頭火(明治15~昭和15・俳人)
Sprouting
out as it is, like a weed.
私は雑草的存在に過ぎないけれどそれで満ち足りてゐる。雑草は雑草として、生え伸び咲き実り、そして枯れてしまへばそれでよろしいのである。或る時は澄み或る時は濁る。--澄んだり濁つたりする私であるが、澄んでも濁つても、私にあつては一句一句の身心脱落であることに間違ひはない。
此の一年間に於いて私は十年老いたことを感じる。(十年間に一年しか老いなかつたこともあつたように)そして老来ますます惑ひの多いことを感じないではゐられない。かへりみて心の脆弱、句の貧困を恥ぢ入るばかりである。(昭和10年12月20日、遠い旅路をたどりつつ、山頭火)
背伸びもせず、身分相応に、あるがままに生きていくことは、易しそうで難しいことかも知れません。しかし、それは人それぞれの感懐のなかのことであるがゆえに難しいのであって、社会の事象については、すべてのことにおいて、あるがまま、嘘は嘘、事実は事実として捉えていくことが求められます。
そういう観点から、二つの事件・事象を考えてみましょう。
【沖縄米兵犯罪事件】
①「5/19米国籍の軍属で元米兵を死体遺棄容疑で緊急逮捕した。県警は供述に基づき、女性とみられる遺体を沖縄本島の恩納村の雑木林で発見した。容疑者は“動かなくなった女性を雑木林に捨てた”と容疑を認めている」
②「6/5米軍嘉手納基地所属の米海軍兵2等兵曹の女(21)は飲酒運転で国道を逆走し車両2台と衝突、35歳の女性に胸骨骨折の重傷を、30歳の男性に左腕打撲のけがを負わせた」
・上の記事にあるように、沖縄の不祥事・事件は大きく報道され、その痛ましい事件に何ともやるせない思いに駆られます。沖縄の人は、又起きたのかと諦めの気持ちになっているとともに、怒りを感じている人も多いと思います。
・特に、平成7年(1995)、米海兵隊員2名と軍人1名が12歳の女子小学生を集団強姦した事件はあまりにも痛ましく、沖縄県の人々の怒りが尋常ではなかったことを想起させられます。この事件を契機に、反基地感情や反米感情がいっせいに吹き上がり、日米地位協定の見直しにもつながりました。そして米軍の綱紀粛正もはかられ今日に至っています。
・米軍構成員「凶悪犯」の検挙推移を見てみましょう。
昭和52年(1977) 69 (件)
昭和58年(1983) 15
平成05年(1993) 6
平成15年(2003) 7
平成25年(2013) 0
(沖縄県資料)
・この数字を見ると、沖縄米軍の凶悪犯は確実に減少してきていることが分かります。アメリカ人も人間です。犯罪が仕方ないと思っている人はおらず、過去の事件の反省から綱紀の粛正を徹底してきたものと判断できるでしょう。
・①や②の事件は悪質極まりなく許し難い事件です。しかし、いわゆる文化人が言う「米軍基地が無くなればこんな事件は起きない」「沖縄米軍の犯罪率は異常だ」は間違っており、ためにするフレーズではないでしょうか。
・その証拠を示しましょう。刑法犯は、米軍関係者だけに生じていることではなく、一般日本人においても数多く起きています。平成18年度のデータによります。
沖縄米軍 0.14 %
沖縄県(米軍以外) 0.30 %
参考(来日ブラジル人 0.52 %)
(来日中国人 1.57 %)
(来日韓国・朝鮮人 1.94 %)
・上の数字を見れば明らかです。残念としか言う言葉が見つかりませんが、たとえ米軍基地が無くなっても事件は起きることを示しています。もう、イデオロギー的、左翼的、反日的発言で沖縄問題を論ずることをやめ、事実は事実として認め、このような悪質な事件をなくすべく、日米両国が真摯に取り組むことを求めるべきだと考えます。人の生死は、事実を無視した薄汚れたイデオロギーから離れたところに置くべきではないでしょうか。
・その意味で、①の女性死体遺棄事件を受けて、アメリカ人たちが「沖縄と共に悲しんでいます」「沖縄のためにお祈りしています」と書いたプラカードを掲げ、炎天下のなか、国道沿いに立ち走る車に頭を下げている姿には、胸が痛むとともに、素晴らしい情景だと思わざるを得ません。
【福島の原発不安をあおる2次災害】
・福島原発災害は平成23年3月11日、地震と津波により生じたものですが、早いもので、今年で5年を経過しました。もう、完全に落ち着いていい時だと考えられます。
・ところが、福島の放射能問題の根は深く、2次被害が起こっているという不思議な社会現象があります。①避難を続け心身の不調を来たし死亡した人が2000人を超え、地震・津波での死亡者1600人を上回った。②相馬・南相馬で避難経験を持つ人の糖尿病は1.6倍となる。③福島の子供の肥満は一時全国1位となった。
・「6年目の現在、さまざまなデータが出揃ったなか、甲状腺ガンを除き、被爆による健康被害の可能性は極めて低いと勝負がついた。過剰反応を煽り続けることは明らかに有害です」(社会学者・福島大学特別研究員 開沼博氏)
・マスコミの被爆による健康被害への思い込みはすごく、煽りに煽っているために、震災後自主避難して県外に移った人が20~40%いると思っている記者が多いのですが、実際には2%に過ぎないのです。
・マスコミは、被爆による健康被害の可能性は極めて低いと科学的に証明されたのが都合悪く、自主避難から続々と戻ってきていることを報道しようとはしません。
・「不安寄り添いムラ」(命名:開沼博氏)を構成するNPO・法律家・自称ジャーナリスト・自称専門家およびマスコミによって相変わらずの人権侵害や風評被害がばらまかれています。何たること、犯罪行為まがいと言わねばなりません。
・『事態がわからないときは安全サイドに立って判断するのはやむを得ないとしても、状況が分かってきたら“安全だ”という情報を正しく大きく伝えるのがメデイァの役割だ』と開沼氏は強調していますが、それを蔑ろにし国民に不安感を植え付けることに無上の喜びを感ずるのは、まさしくサド、倒錯した精神の持ち主と言わねばなりません。
世界も、日本も、今や混沌とした時代です。事実を冷静に認識・分析し、イデオロギーや感情に溺れることなく、真っ直ぐな方向を目指したいものです。
もっと、事実を直視しようではありませんか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
野宗さんが挙げた沖縄県の事件発生率の比較を大手のマスコミが取り上げるべきだろう。 いずれにしても、どんなに崇高な使命感をもった宗教団体であろうと構成員が人間である限り、背徳的な事件も時には凶悪な事件も起きて不思議はない。己の道徳性に自信を持った高潔な人であっても、時と場合によって人を驚かす不祥事を起こす可能性がある。マスコミ人は、他人の不善を攻撃するときには、先ず己の内なる驕りや邪心の有無を問うてみるべきだろう。 今夏の沖縄の事件に限らず、社会的に深刻な事件や事故が起きると、マスコミを中心に「被害者ゼロに」「放射能ゼロに」といった理想論(イデオロギー)が声高に聞かれるが、「事件ゼロ」の社会とはどんな社会なのか。「独裁者が管理する社会?」「特定の宗教が管理する社会?」、いずれにしても想像するだけでも空恐ろしくならないのだろうか。「ゼロ目標達成」のために全国民が精神的窒息状況に置かれるのは御免である。米軍関係に限らず事件は事件とし、事故は事故として法に応じて処理し、再発防止の手立てを講じて終りである。それでもやがてまた似たような事件事故は起きるだろうが。
投稿: 齋藤仁 | 2016年6月10日 (金) 08時05分