いよいよ「政治の季節」へ…参議院選結果より!
542回目のブログです。
“思ふこと いふべき時に いひてこそ 人のこころも つらぬきにけれ”
明治天皇御製(明治44年<1911>)
思うことを言うべき時に言ってこそ、人の心も貫き通すことができるのである…。
素晴らしい御製です。気弱なわたし自身はなかなかこのような覚悟を持ち合わせず、まことに内心忸怩たるものがありますが、わが国の舵を取る政治家には、ぜひとも、この御製の精神を抱いて欲しいと思います。
さて、7月10日、参議院議員選挙の投票が行われ、自民党が「半数」を、政権与党が「過半数」を優に超え勝利、さらに、いわゆる改憲勢力が「3分の2」を超えることになりました。
【参議院新勢力】
(いわゆる改憲勢力) (いわゆる護憲勢力)
自民党 121(人) 民進党 49(人)
公明党 25 共産党 14
お維新 12 社民・生活 4
こころ 3 その他 3
無所属 4 無所属 7
(計) (165) (計) (77)
参議院総定数 242(人)
半 数 121
3分の2 162
この結果を見れば、70年にわたり、不磨の大典として崇め奉り、一字一句も修正してこなかった「現行憲法」にいよいよメスをいれ、過去の人智に学び、現代と真剣に向かい合い、未来を正しく展望する「本格的な日本国憲法」を索(もと)めていく時が来たように思わざるを得ません。
これまで、わが国は、先人の知恵と国際情勢の幸運なめぐり合わせにより、平和な状況を維持できましたが、その間、世界状勢の変化、社会生活の変革、技術の革新、わが国の置かれている環境の酷薄化など、怒涛の荒波の様相を示しています。
ところが、わたし達は、いままでの幸せな環境についつい思考停止になり、三猿状態…「見ざる」「聞かざる」「言わざる」になったままの奇怪な精神状態にあるのではないでしょうか。
いままでの政治は「政治ゴッコ」「夢見る政治」「幻想の政治」「馴れ合いの政治」「世界(特に東アジア・欧米・中東・ロシア)の動向を無視した観念の政治」であったと思います。
たとえば、今回の選挙で、政権与党が憲法改正の旗を高く掲げずに圧勝したことに対して、サヨクリベラルのマスコミは異をとなえています。しかし、これはおかしな論ではないでしょうか。自民党は政見公約にはっきりと掲げていますし、そもそも、自民党の綱領には明確に憲法改正がうたわれているのですから。もしも、自民党議員で憲法改正に反対ならば党の基本方針に反するわけですから直ちに脱党しなければなりません。とにかく、現実を直視してほしいものです。
投票翌日7/11の朝日新聞“天声人語”には『参院選が与党の圧勝で終わった。与党が衆参両院でこれほど大きくなれば、少数者の声がかき消されてしまわないか。とりわけ多数派の視点だけで押し切ってはならないのが憲法の問題だろう』と書かれています。
当然でしょう。そのために議会があり、議論されるのですから。そのためには、憲法改正反対の議員も改正論議に積極的に取り組まねばなりません。反対だからと言って、議論しないのは議員としての責任の放棄であり、辞職すべきではないでしょうか。
ところが、平成27年(2015)7月12日の“天声人語”は、哲学者・柄谷行人氏の文章を引用し『人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる』と、安保関連法案をめぐっての大規模なデモを支持し、選挙をへた議会の論議を無視、軽視する立場に立ったのですから、口あんぐりと言わねばなりません。
この朝日の主張に対し、当時の大阪市長・橋下徹氏は「朝日新聞の大好きな憲法前文には“日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…”と書いてある。朝日は選挙が嫌いだからいきつく先はデモ(実力行使)で決めなさいとなるわけで、恐ろしい。朝日は北朝鮮と同じだ。」と真っ向から反論しました。
橋下徹氏も言っていますが、意思表示と意思決定は異なるのです。デモをしっかりやり意思表示をすることは何ら問題なく許されていることですが、意思決定はデモ隊が行うものではなく、議会が行うものです。天声人語氏は、こんな初歩的な、政治学のイロハのイさえ知らないのでしょうか。あるいは、知っていて扇動、アジっているのか、どうも腑に落ちません。
それでは、民主政治の3原則とは何か、考えてみましょう。
第1原則…「議論をつくすこと」
第2原則…「少数意見の尊重」
第3原則…「多数決の原理」
この原則に則り、粛々とすすめればいいのは言うまでもありません。聖徳太子の“和を以て貴しとなす”の含意も上の3原則と同じことではないでしょうか。
マスコミでは、政治家に対して、よく「市民の声を聞け」「民意を問え」とか言いますが、選ばれたからには特に確認の必要はありません。政治家は、国民の声としての選挙で選ばれたものであり、その上で自己の政治信条を誠実に貫く…これが議会制(代議制)民主政治というもの。近年のような案件ごと、テーマごとの民意確認は必要ないのです。
いよいよ、本格的な、真の「政治の季節」が到来したと思います。憲法は国の大元を示すものであり、誠実で真摯な論議を期待したいものです。その前提として、単なる知識人は排し、見識ある碩学の志を結集し、私利私欲は排し、公のために心血を注ぐ心意気が大切だと思います。
70年間閉鎖されてしまっている憲法空間に清々しい空気を注入し、現実の国際政治、国内政治に堂々と君臨する新鮮な憲法が誕生することを望みます。
これまでは、小さな庭池のなかでの政治だったと思います。それが今、小さな庭池から荒波の大海へ、待ったなしの変革を迫られているように思えてなりません。
わたしは、戦後初めて「政治の季節」が到来したと考えますが、みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
まさにこのタイミングで、「天皇の生前退位」問題が、各メデイア一斉に報道された。誰の、何のための問題提起なのか、いよいよ奥の手を繰り出そうとしているのか。なにか、絡繰りがありそうで、不気味です。
投稿: kawaski akira | 2016年7月15日 (金) 11時16分