“シャープ”凋落の真因をさぐる!
540回目のブログです。
“善し悪しに 移るならひを 思ふにも 危ふきものは 心なりけり”
伴蒿蹊(ばんこうけい・江戸後期歌人)
善と悪、このふたつに影響を受け、心が移ろうのが世の中の常だとは思うけれども、どうなるのか気がかりなのは人の心だなあ…。
自分では善悪のけじめをしっかりとつけていると思っていても、それが揺らいでしまうのが人間の心であるということを詠ったものです。その揺らぎ、間違いが一個人の範囲であればその人だけに限った影響で済みますが、大きな組織のリーダーがそうなった時は、組織全体が崩れていくことになりかねません。
その例を、わが国の家電業界の一翼を担っていた大企業である「シャープ」に見ることが出来るように思えます。
シャープは実質的には破綻し、台湾の電気・電子メーカーである鴻海(ホンハイ)に買収され、大掛かりなリストラを行い、紆余曲折を経て再建されていくことになりました。経済記事によれば、シャープは鴻海に完全に手玉に取られたと表現されていますが、あれだけの優れた技術を有していたシャープがなぜ転落していったのか、諸説いろいろ言われており、それはそれぞれ部分的には正しいのでしょうが、何か腑に落ちない側面を感じざるを得ません。
鴻海は、当初予定されていた4,890億円から1,000億円減額した3,888億円の増資額を、6月末日までに払込み、シャープを正式に買収することになっています。シャープは、この資金から、今後の市場拡大が見込まれているディスプレイの「有機エレクトロ・ルミネッセンス(有機EL)」に2,000億円の投資を計画。
鴻海は、当初の甘い言葉を放擲し“悪い卵しか産まない鳥はいらない。カットすべき人はカットする”として、7000名のリストラを実施すると報じられました。また、シャープは、8月1日付で東証1部から東証2部に降格、それを嫌気して株価は一時100円を割りました
この惨憺たる現状から回復への道は極めて厳しいものがあると思われます。特に優秀な技術者の多くの人が、経営陣の不甲斐なさに愛想をつかし、有力な日本企業からの心のこもった暖かい勧誘に、退社への道を選択していることではないでしょうか。
なぜ、このような事態を招いたのか、ここで、凋落の真因を探ってみたいと思います。
・シャープが凋落した原因については、一般的には、会社規模からすれば考えられない巨額の投資を亀山工場と堺工場にしたことであり、この投資を敢行した経営陣の判断ミスであると書かれてきました。
しかし、テレビ液晶時代の到来を予測したことは間違いではなく、シャープも、数年間はそれが産み出す利益の恩恵にあずかってきました。
大局の見通しは正しく、シャープが予想した液晶テレビ時代が訪れたにもかかわらず、その市場を制したのは、シャープではなく、また、国内メーカーでもなく、隣国・韓国企業のサムスンだったことです。今や、サムスンは飛ぶ鳥を落とす世界的な巨大企業になっていることは周知の通りです。
・ここで、わたし達は驚くべき事実に目を剥かねばなりません。
・シャープはサムスンに半導体技術・液晶技術を流出させていたのです。普通の精神ではありえないことなのですが、その流出を主導したのが電子学者として著名な佐々木正副社長でした。わたしは、シャープの凋落の真因がここにあると睨んでいます。
佐々木氏の回顧談から…。
“李健熙さん(現会長)が頼りにしてこられるんです”
“与えられるものはどんどん与えて、感謝してくれればいい”
“少なくともシャープの味方にはなるだろう”
“サムスンがシャープを相手に特許訴訟を起こしたんです”
「敵に塩をおくる」という行為が戦国時代の謙信と信玄との間にありましたが、何と、現代の熾烈極まりない国際ビジネス戦争時代に、佐々木副社長は『敵に武器をおくる』ことをしたのです。
半導体とか液晶の技術は、わが国の電子電機業界が莫大な資金を投入し心血を注いで開発した宝物であることはその関係者ならば誰でも認識していたはずです。それを、感謝してくれればいいなんて甘い、甘~い対応をしたあげくが特許侵害訴訟。感謝どころか足蹴。
これは、基本的に日本人の甘さの表われ!
憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とありますが、どこに、公正と信義がありますか。わたし達は、現実の国際社会を厳しい目で捉えることを求められているのではないでしょうか。
善意が通用するのは限られた国であり限られた民族であり限られた社会であることを認識することが大切であり、その判断力を養うには、歴史に素直に触れることです。
さて、近年とみにわが国の安全が周辺国(中国・北朝鮮・韓国など)によって脅かされており、政府が、国家の防衛、安全保障に力を入れていることは報道されている通りです。
同じように、わが国が『技術立国』であるとするならば、企業も国も国民も「技術安全保障」「技術防衛」の意識を強く持ち、技術を守るために万全の態勢を整えるべきではないでしょうか。現状ではあまりにも甘すぎる気がします。
ところで、技術というものは一人(たとえば佐々木正氏)だけのものでしょうか。ソニー創設者の井深大さんは「あるアイデアを考えて商品のイメージを形つくる努力を“1”とすると、それを商品にし量産化するためには“10”の努力、そして、事業化し売り上げを立て、利益を出すには“100”の努力が必要なのだ」と述べています。アイデア→商品化→量産化→利益の過程で得られる貴重な知的財産は、大勢の社員や技術者たちの血と汗の結晶であり、働く人たちの飯の種でもあります。生死を左右するこんな大切な知的財産を、ヨイショヨイショされたからと言って、何故、他国のライバル企業に流出させたのか、その責任は万死以上に値すると言っても過言ではありません。知的財産は一人のものではなく、企業のものであり、国家社会のものでもあることをあらためて認識したいものです。
最近、複数のテレビで、日本の特異で優位性ある製造工場や技術を同業の外国人に見せて、彼らの発する感嘆の声に日本人として溜飲を下げる場面が放映され、人気を博しています。しかし、ここで注意しなければならないのは、彼ら外国人に見せるのは極々一部にして、肝心の所は絶対に秘することが肝要ではないでしょうか。技術者であれば、一目見ればほとんどを把握できるのですから。
さいごですが、やはり、Kの法則は生きているのでしょうか。Kの国とは決して深く関わらないこと、関わるならば、信念と覚悟をもって臨むことが必要でしょう。
それにしても、かえすがえすも残念に思います。もし、K国に、K国のS社にさえ関わっていなかったならば、今頃、シャープは世界的な巨大企業になっていたでしょうに。それもこれも自己責任と言わねばなりませんが……。
国の安全保障は大事です。
同じように、技術の安全保障も大事です。
シャープの轍を踏まないよう、学びましょう。学問しましょう。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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