「家族論」…スウェーデン崩壊に考える!
545回目のブログです。
“夕立の 雲もとまらぬ 夏の日の かたぶく山に ひぐらしの声”
式子内親王(鎌倉・風雅和歌集)
夕立を降らせた雲はもう消えてなくなり、夏の夕日が沈んでいこうとする山に、日暮れを急がせるように鳴く蜩(ひぐらし)の声よ…。
まだまだ蝉しぐれが続く今日この頃です。蝉の種類は、アブラゼミ・クマゼミ・ミンミンゼミ・ツクツクボウシ・ヒグラシなど数多くあり、わが家の近くでは油蝉や熊蝉をみることができますが、蜩は見たことはありません。
上掲の和歌は「夕立」の後の「蜩」の鳴き声を詠った叙景歌。しかし、叙景歌であっても、日本の夏の風物詩として、わたしたち読む人の胸に心豊かな映像を残してくれる名歌ではないでしょうか。
わたし達は、叙景のなかに豊かな情感が横たわっていることに一種の安らぎを覚えます。そして、情感が今最も求められている場所と言えば、最小の人間関係である家族であるように思います。
現代社会は、個人、権利、平等などを主軸に進めてきていますが、そこに、何がしかの潤滑油を欠いてきたために、本来の理想とは際立って異なった道を歩んでいる例を北欧のスウェーデンに見ることが出来ます。わが国も、家族、家庭をどう位置づけるかに苦悩している時でもあり、落ち着いて考えてみることが大切ではないでしょうか。
さて、7月31日、東京都知事選で小池百合子氏が圧勝し知事に選ばれました。小池氏、増田氏、鳥越氏、その他の候補者が覇を競いましたが、そこでの争点に、保育園の待機児童をゼロにする政策のひとつとして、東京都所有の一等地(新宿区)を韓国人学校に貸与するか保育園にするかの問題がありました。舛添前知事は、待機児童解消のための保育園よりも、現在充足している韓国人学校の建設に肩入れするなど、まったく不合理極まりない政策を選んでいたのです。小池氏や増田氏は韓国人学校の白紙撤回を公約。一方、鳥越氏は明白な姿勢は打ち出さず、やはりサヨクなんでしょうか、東京都よりも韓国寄りの姿勢を滲ませました。
子育てに関しては、どの国もいろいろと複雑な問題を抱えています。今まで、スウェーデンなどの北欧国家を福祉天国・理想社会のように教えられてきましたが、果たしてどうなっているのかを考えてみましょう。
「スウェーデンは、税金は高いが、各種社会保障は充実していて医療もタダで教育も大学までタダで、老後も全て国が面倒をみてくれ、街並みは美しく整備され子供達の笑いが溢れて犯罪は皆無の素晴らしい理想国家」(福祉国家の闘い)というのがわたし達に刷り込まれたイメージです。
ところが実態は、イメージと大いに異なるようです。
【犯罪】(人口あたり)
・犯罪数 日本の 10倍 アメリカの4倍
・強姦数 日本の 20倍
・強盗数 日本の100倍
【離婚】
・結婚した半数以上が離婚、3人に1人が私生児
【婚外子】
・婚外子割合 日本2.0% スウェーデン55.4%
驚きの数字。これを見れば、スウェーデンは、世界に冠たる犯罪大国であり、離婚王国であり、複雑な家庭環境に慄いているようにしか思えません。
次に【結婚・離婚・家族・家庭の実態】をごらんください。(多い順)
①母子家庭
②混合家庭(連れ子を伴う再婚夫婦)
③普通家庭(両親揃う)
④父子家庭
※混合家族は、3種類の子供が一緒に暮らすことになります。
・前の結婚相手との間の「マイ・チルドレン」
・再婚相手の連れ子の「ユア・チルドレン」
・再婚相手との間の「アワー・チルドレン」
スウェーデンの家族は、わたし達が思い浮かべていたような理想的なものではなさそうです。実際、そんなに簡単に、理想社会、理想国家、天国、神の国、ユートピア(理想郷)がこの世の中に出現するとも考えられませんので…。
ついでながら、今まで知らなかったのですが、スウェーデンは世界有数の武器輸出国でもあります。
また、PISA(OECD国際学習到達度調査・Programme for International Student Assessment)のデータによると、学力も近年大幅にダウンしてきています。
【読解力】
(2003年) (2012年)
日本 14位 498点 4位 538点
スウェーデン 8位 514点 36位 483点
スウェーデンは、過去、高らかに福祉国家の旗を掲げて邁進したのでしょうが、現実にはとんでもない厳しい事態を迎えていると考えざるを得ません。なぜこうなったのでしょうか。
三大噺めきますが「犯罪」「家族」「学力」はお互いに大いに関連がありそうです。その中心は、いわゆる一般的な家族、家庭の崩壊ではないでしょうか。考えてみれば、大半が離婚を経験し、婚外子も半数を超える社会…これは、わたしには想像外であり、何かそこには暗いおどろおどろしい非人間的な感情が渦巻いているようにしか見えません。
それは、福祉を重視する過程において、国家に福祉を求めることを当然とする社会風潮が蔓延し、国家の福祉機能に「個人」が人工的にぶらさがることになり、国家対個人の関係しか残らなくなります。それが、いわく言い難い「理と情」の小さな集まりである「家族」を崩壊させてきたと考えられます。
そのように、個人主義が徹底されれば、必然的に家族の絆は弱まり、出生率の減少や少年犯罪の激増は、火を見るよりも明らかではないでしょうか。スウェーデンが安定した健全な国家だと言うことはできません。
ところで、わが国には、フェミニズム論や男女共同参画論などを唱える、いわゆる文化人のなかに、かなりの人が、家族は個人を縛り付ける唾棄すべきものとして、家族を崩壊させることに熱心です。その運動が、彼女ら、彼らの個人的な“暗~い怨念”から出てきたものでないことを祈るのみです。
彼女ら、彼らは、決して崩壊への道を歩むスウェーデンの実例に目を開こうとはしません。見てしまえば、自分らの主張が根本から崩壊するからに他ならないからです。
わが国は、出産や育児、子育て、しつけ、人間教育に、高い価値を与えるとともに、喜怒哀楽の情感豊かな「家族」を貴重な存在として認め、今一度暖かい手を伸ばすことが求められているのではないでしょうか。
今、世界は、国家や民族や人種を直視しようとする動きが出ていますが、次には「家族」を真剣に見直ししようとする時代が到来するように思えてなりません。
さいごですが、あらためて、スウェーデンを“他山の石”にしたいものです。基本的に誤った政策は国を危うくしますから。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回も
時事エッセー
です
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コメント
日本人は聖徳太子の昔から大陸文明の果てにある国であるという謙虚な姿勢で異国文明・文化の移入に努めてきた。その積極さと開放性が日本を世界の主流から取り残させることなく、むしろ世界の主流文化と並行する形で独自の高い文明を維持させてきた。だが島国の住人というある種の劣等感は日本国民の潜在意識として連綿として続き、奈良・平安朝の文人は漢字を真名とし、江戸期の官学者林羅山は己がシナに生まれなかったことを嘆いた。そして明治期は西欧文明を翻訳紹介する人が知識人とされ、昭和は戦前戦後を通じて、ロシア革命に端を発する社会主義を唱道することが善良なる知識人の証と見なされる時代が続いた。こうした異国文化を崇めるほどに憧れる姿勢は、自国文化の極端にまで卑下する姿勢と表裏一体のものであった。ここ数年、ネットなどのメディアの発達で世界各国の実情が紹介されるようになって、ようやく知識人があこがれ続けた欧米諸国や社会主義圏の実態も一国民に知られるようになってきた。だがスウェーデンなどの福祉大国の実態や永世中立国スイス等の実態はまだまだイメージが先行しており、「日本も見習うべきだ」論を唱える似非識者がいる。 いかなる国の文化や政策も長い歴史的事情から生まれたものであり、他国にそのまま移植出来る類のものではない。 我が国は異国文化の移入に閉鎖的であってはならないが、同時にそれを理想化し過ぎるのも危険である。 建国以来千年以上憧れ続けてきたシナ文化であっても、我が国は易姓革命思想も科挙や宦官の制度も受け入れなかった。その見識こそ今日の日本を築く礎となっている意味を、政治家は与野党を問わず改めて考えてほしい。
投稿: 齋藤仁 | 2016年8月 6日 (土) 08時29分