素晴らしきかな琵琶湖畔…秋の近江路を散策する!
561回目のブログです
“秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ”
天智天皇(第38代天皇・626~672)
秋の田の、刈り穂を納める仮小屋の、葺いてある屋根の苫の編み目が粗いので、私の衣の袖は、夜露に濡れ続けていることよ…。
小倉百人一首の1番に掲げられている、最も人口に膾炙(じんこうにかいしゃ・人々の話題にのぼり広く知れ渡っていること)している和歌です。百人一首に触れた人であれば、最初に口ずさむものであり、リズミカルで余情を残す歌として特に高い評価をされており、選者の藤原定家は静寂な余情をもっている歌だとして“幽玄体”の例としています。
その天智天皇ゆかりの地でもある、秋の近江路を味わうべく、先日、気の置けない友人10人でゆったりと散策しました。当日は風もなく気温も適度、空は青く澄みわたり、これ以上は望めない絶好の天気であり、琵琶湖、近江路の情緒を満喫しました。
京都駅集合 ⇒ JR唐崎駅下車 ⇒【唐崎神社】⇒【柳ヶ崎湖畔公園】⇒ 昼食 ⇒【大津宮錦織遺跡】⇒【近江神宮】【時計館】⇒
打ちあげ ⇒ JR大津京駅解散
今までに琵琶湖周辺の名所旧跡を訪れたのは、多賀大社、日野祭り、彦根城、安土城跡、近江八幡など、ほんのわずかであり、まだまだ訪れるべき所も数多くあります。今回は、ウォーキングというよりは、ゆったりとした散策という気持ちで旧跡を巡りました。
さて、京都駅から琵琶湖西回りの湖西線で、沿線の景色を眺めながら25分、唐崎駅で下車してから、徒歩10分で唐崎神社に到着。
【唐崎神社・唐崎の松】
琵琶湖畔に鎮座まします唐崎神社は、決して大きな祠ではないにもかかわらず、清らかな湖水のほとりに、ゆったりとした存在感を示しています。それは、境内に、近江八景の一角を占める
“唐崎の松”(現在の松は3代目)が、およそ70m×80mにわたる緑豊かな見事な枝ぶりの威容を静かに誇っているからだと思われます。
近江八景は、江戸の浮世絵師・歌川広重の錦絵にその特徴があります。
・唐崎夜雨
[からさき の やう](唐崎神社/大津市)
・石山秋月[いしやま の
しゅうげつ](石山寺/大津市)
・瀬田夕照[せた の せきしょう](瀬田の唐橋/大津市)
・粟津晴嵐[あわづ の
せいらん](粟津原/大津市)
・矢橋帰帆[やばせ の
きはん](矢橋/草津市)
・三井晩鐘[みい の ばんしょう](三井寺/大津市)
・堅田落雁[かたた の
らくがん](浮御堂/大津市)
・比良暮雪[ひら の ぼせつ](比良山系)
“さざ波の 志賀の唐崎 さきくあれど 大宮人の 船まちかねつ”
柿本人麻呂(万葉集)
“神の誓ひ かはらぬ色を 頼むかな おなじみどりの 唐崎の松”
後鳥羽院(後鳥羽院御集)
“辛崎の 松は花より 朧にて”
松尾芭蕉(野ざらし紀行)
次に【柳ヶ崎湖畔公園】を散策。穏やかな天候のために湖面も鏡のように凪ぎ、公園も静かで、気持ちを安らぐことが出来ました。
軽い昼食をと思っていたのですが、注文してみるとかなりなボリュームの食事を済ませ、次の目的地へ徒歩30分くらいで到着。
【大津宮錦織遺跡】
天智天皇2年(663)の白村江の戦いにおいて日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に敗北。国外の脅威に対抗しうる政治体制を新たに構築するため、天智天皇6年(667)近江大津へ遷都。その翌年(668)中大兄皇子は天智天皇に即位しました。
この天智天皇の宮は昭和49年(1974) 遺構が発掘され、この錦織遺跡が大津宮の遺跡と断定され、国の史跡に指定されています。宮の呼称が次のようにいろいろとあることを知りました。
・近江大津宮(おうみのおおつのみや)
・大津宮 (おおつのみや)
・志賀の都 (しがのみやこ)
・水海大津宮(おうみのおおつのみや)
大津宮遺跡は、現在4ヵ所にわかれ、こじんまりとした公園のような存在となっていますが、これは、遺構が近年発見されたもので、すでにこの地が住宅開発されており、大々的に集約されなかったからに他なりません。
天智天皇崩御の翌年、天武天皇元年((672)には飛鳥へ遷都しましたので、大津宮はわずか5年の短期間で廃都となったわけですが、歴史を色濃く彩った“近江朝”の姿を、ほんの垣間しか窺うことしかできないのは寂しい限りでした。
近江大津宮からしばらく歩いて近江神宮に至ります。
【近江神宮】【時計館】
近江神宮は百人一首の聖地として『小倉百人一首』の第1首目の歌を詠まれた天智天皇にちなみ、毎年、各種の「百人一首・競技かるた大会」が催されています。また、今年公開された、競技かるたに取材した映画『ちはやふる』の舞台ともなりました。
境内には、天智天皇“秋の田の~”・芭蕉“辛崎や~”の他にも、有名な句碑、歌碑があり、わが国の誇る豊かな文藝の香りを感じさせてくれます。
“近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ”
柿本人麻呂(万葉集)
“さざなみの 国の御神の うらさびて あれたる京 見れば悲しも”
高市黒人(万葉集)
“さざなみの しがの山路の 春にまよひ ひとり眺めし 花盛りかな”
保田與重郎(日本浪漫派・文芸評論家)
わが国の時刻制度の始まりは、天智天皇の御代に、都である近江大津京内裏に漏刻(水時計)をお造りになり「鐘鼓を鳴らして時を知ら」(日本書紀)された事績に始まります。(近江神宮パンフレットより)
近江神宮の境内および時計館には、日時計や各種の時計が展示されていますが、圧巻は、何と言っても「漏刻」(水時計)ではないでしょうか。わが国は、これを基として、精細な技術を発展させ、世界に類をみない天文時計や万年時計なども創りだしたのですから、なかなか大したものだと思います。時計館には2300点にものぼる各種の時計が集められているそうで、わが国の時計や精密技術などに関心のある人は是非訪れるべきだと思います。
これで今回の琵琶湖畔・秋の近江路の散策は終わりましたが、さいごは、例によって、大津京駅の近くで冷たいビールをごくり、疲れを癒しました。
それにしても、近江大津京も古都、古都散策の魅力は尽きるところがありません。千年を優に超える古の時代の雰囲気、あるいはその時代精神を、現代のわたし達に連綿として伝えてきている「日本の歴史」の偉大さに、あらためて感銘を覚えました。
素晴しきかな日本の歴史!
みなさんにも歴史散策をお薦めします。
次回は
時事エッセー
です。
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