“教育勅語”vs“反・教育勅語”…どちらが正しいか?
577回目のブログです
“晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿に 変わらざりけり”
山岡鉄舟(江戸無血開城の立役者)
晴れている時の富士山は美しい。曇っている時は富士山の姿は見えないが、それも風情があると言うものだ。富士山は、どんなときであっても素晴らしい存在にかわりないのである…。
つい先日、東京へ出向きました。新幹線の車中から、富士山が、空一面青色に染まっているなかに純白の雪帽子をかぶっている凛々しい姿を眺めていると、何か気分が爽快かつ壮大になり、巷におけるちまちましたことや不快な出来事など、瞬間ではあっても忘却の彼方へと追いやってしまいました。
まさに、富士は不二、ふたつとない純粋な日本そのものを象徴しているのだなあ…、としみじみ実感した次第です。
そんな中で、最近のマスコミを賑わしている大阪府豊中市の「私立小学校」建設が、不透明な国有財産払下げで問題になっている、いわゆる「森友学園」問題について考えてみたいと思います。
今回の問題は、国有財産払下げへの疑義。誰が考えても、常識的に判断して、不透明かつ不公正だと思われます。
国有・公有財産の払下げでは、明治以来たびたび事件となっており、有名な事件としては、開拓使官有物払下げ事件や北海道庁官有物払下げ事件などでは、格安の払下げとして世間から糾弾を浴びています。
一方、本来は国有財産問題であるにもかかわらず、最近、テレビなどのマスコミは森友学園の教育方針について、朝から晩まで、ニュースやワイドショーなどのあらゆる場面で取り上げ、大いなる批判と非難を加えてきています。
その、非難の的が何と“教育勅語”ですから、開いた口がふさがりません。教育勅語は明治23年(1890)、明治天皇が発せられた315文字からなる勅語であり、日本人としてのあるべき精神の根本を簡明に述べられたものです。
“朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ…”で始まる格調の高さは、声に出して読めば、説かれている内容も腹にすっきり納まろうというものであり、また、論語・孟子と同じように素読に適していると言えるのではないでしょうか。
この古典ともいうべき歴史的遺産でもあり現代の社会においても充分に光り輝く教育勅語について、マスメディアは、森友学園が経営する「塚本幼稚園」の園児が教育勅語を暗唱する場面を繰り返し放映し、おちょくったり、冷笑したりして、アナクロニズム(時代錯誤)としての印象操作を行っています。
わたしは、この現象をにがにがしく眺め、マスメディアはこれほど知性を欠いているのかと暗澹たる気持ちになります。批判や避難はあっていい。しかし、マスコミは教育勅語というものを概略説明すべきであるにも関わらず全く触れず、そして、内容さえ読んでいないことが問題なのです。
それでは【教育勅語】の徳目(現代語訳)を記します。
1. 親に孝養をつくしましょう(孝行)
2. 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3. 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4. 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5. 自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6. 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7. 勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8. 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9. 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10. 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11. 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12. 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)
この道徳を身につければ、素晴らしい人間になることはまちがいなく、これを理想とする教育は時代錯誤でもなく、普遍的な真理そのものであると言っても決して間違いではないのではないでしょうか。
その証拠として私流に【反・教育勅語】の徳目?を考えてみました。
1. 親には反抗し家庭では暴力をふるいましょう(不孝)
2. 兄妹・姉妹は互いに反目しあいましょう(敵対)
3. 夫婦は反目し浮気をしあいましょう(夫婦の不和)
4. 友人は信用せず裏切りましょう(友人の疑心)
5. 自分の言動は抑制せず好き放題にしましょう(不遜)
6. 広く愛の手をのべず、わが身を第一にしましょう(偏愛)
7. 勉学に励まず職業も身につける必要はありません(無学不習業)
8. 知識は不要、才能も伸ばす必要はありません(無知蒙昧)
9. 人格は堕落してもかまいません(反人格)
10. 反社会的活動に力を入れましょう(自己中心)
11. 秩序は乱してもかまわず、自由気ままに生きましょう(違法)
12. 勇気などは持たず、公のためになることはやめましょう
(反正義・反勇気・反国家)
いかがでしょうか。こんな「反・教育勅語」のどこを見習えばいいのか。家庭内暴力、家庭不和、友人間いじめ、殺人の多様化、慎みのない発言と暴言、自己中心主義、単なる知識、法律のかいくぐり、公よりも私、どれをとっても正常ではない徳目、いや徳目とは言えない項目です。
森友学園問題には、マスコミが「倫理観のない社会」を理想的な社会にしようとして、煽りに煽っているとしか思えない狂騒が含まれているのが大きな問題です。
マスコミ人は知性と精神が貧しすぎる。もし万が一、マスメディア人が知性と良識と常識を備えているとするならば、国有財産の払下げ問題にのみ限定した厳しい報道をすべきではないでしょうか。それこそが、マスメディア人の使命だと考えます。
教育勅語は、終戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の日本弱体化政策により廃止させられましたが、世界に大きな影響を与え、米国では、レーガン大統領の時これをもとにした本『The Book of Virtue』(道徳読本)が出版され、すでに数千万部、第二の聖書と言われています。まさしく、瞠目(どうもく・驚いたり感心したりして目をみはること)すべきことと言わねばなりません。
教育勅語は素晴らしい勅語。アメリカの凄いのは、敵国・敗戦国日本からでも、良いものは素直に受け入れていることです。わが国のマスコミは今少し世界に目を向け、色々な情報を集め正しい判断を下し、自らを卑下する「反日の感覚」から『脱却』すべきだと考えます。
わたし達日本人は、わが国の素晴らしい歴史に学び、もっと自信を持とうではありませんか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
文字の間違いを訂正します
【教育勅語】の徳目を列記したところの前4行目。
批判や避難 ⇒ 批判や批難
キーボードでの変換ミスです。
今後、気をつけます。
投稿: のんちゃん | 2017年3月17日 (金) 06時01分