山の邊の道…その歌碑を鑑賞する ①!
592回目のブログです
湿っぽい梅雨が続いており、何となく鬱陶しくなるものですが、この梅雨の雨こそが農業にも林業にも、そして、都会の生活用水のためのダム貯水に決して欠かすことのできない大切な神からの授かりものだということを理解しないわけにはいきません。
近年、梅雨による降雨量の局部的なゲリラ的豪雨や、全く雨を降らさない空梅雨など、何とも極端に振幅しますが、これは、わたし達日本人の心がかなり荒んできたことへの天の怒りと嘆きだと考えることもできるのではないでしょうか。
今や、下界においては、国の政治が不実なパフォーマンスに満ち溢れ、喧騒につぐ喧噪のなかにあることを思えば、天の荒れはまつりごと(政治のこと)の乱れにありという古くからの言葉に、肯かざるを得ないものがあります。
こういう時こそ、わが国、日本の古の地を訪ね、古代の人の息吹きを感じられる豊かな歴史と文芸に触れ、乾いたこころを潤すのは極めて有意義なことと思います。
山の辺の道は、今日においても、当時の雰囲気を漂わせていますが、その道の傍にこじんまりとした歌碑が佇んでいることに目を向けたいものです。この歌碑は、各分野の豊かな精神を持つ著名人が自ら素晴らしいと思う「万葉の和歌」一首を筆にとって書いたものであり、なかなか見事なものです。
著名人の揮毫した歌碑は32。その他にもいろいろありますが、そのなかから、私の好きな歌をえらびます。
“大和は
國のまほろば
たたなずく
青かき
山ごめれる
大和し
美し”
(倭建命<やまとたけるのみこと>・川端康成筆)
“しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ”
(柿本人麻呂・平泉潔<歴史家>筆)
“鳴る神の 音のみ聞きし 巻向の 桧原の山を
今日見つるかも”
(作者不詳・千宗室<茶道宗匠>筆)
“紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰”
(作者不詳・ 今東光<小説家>筆)
(海石榴市:つばいち、古代の市、歌垣でもあった)
“香具山は (かぐやまは)
畝火雄男志と (うねびおおしと)
耳梨と (みみなしと)
相あらそひき (あいあらそひき)
神代より (かみよより)
斯くにあるらし (かくにあるらし)
古昔も (いにしえも)
然にあれこそ (しかにあれこそ)
うつせみも (うつせみも)
嬬を (つまを)
あらそふらしき”(あらそふらしき)
(天智天皇・東山魁夷<画家>筆)
(香具山は畝火山を雄々しいと云って、耳成山と争った。
神代からこのようであるらしい。昔もそのようであらばこそ、
今のこの世の人も、つまを争うらしい。)
“足引きの 山かも高き 巻向の 岸の小松に み雪降りけり”
(柿本人麻呂・岡潔<数学者>筆)
“狭井河よ 雲立ち渡り 畝火山 木の葉さやぎぬ
風吹かむとす”
(伊須気余理比売・ 月山貞一<刀工>筆
)
“夕さらば かはず鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を
聞かくし良しも”
(作者不詳・樋口清之<民俗学者>筆)
“痛足川 川波立ちぬ 巻目の 由槻が嶽に
雲居立てるらし”
(柿本人麻呂・棟方志功<版画家>筆)
万葉集のなかで秀歌といえるものばかり。それが静かなものであったり、熱いものであったりしますが、これらの歌碑は、まさに、古代日本人の率直な心の叫びが、現代の傑出した芸術家、歴史家の琴線にふれた結晶と言えるかも知れません。
わが日本人としては、迷ったり、悩んだときは、万葉の世界へ、古代の世界へ訪れるのが最も良き薬です。その世界が、まだまだ生きており、精神の遺産としても、わたし達の近くにあるという幸せを感ずることが大切でもあります。
近ごろのマスメディアを見れば、日本を、日本人を悪しざまに貶すことばかりに血道を上げていますが、それは完全に間違いであり誤った道です。わが国の優れた歴史的事物に触れることにより、日本人の素晴らしさ、日本民族の見事さに、もっと自信をもってもよいのではないでしょうか。
山の辺の道の和歌を鑑賞して感想を述べました。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
| 固定リンク
コメント
“しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ”(柿本人麻呂)の揮毫者のお名前を間違っていました。
間違いーーー平泉潔筆
正しくはーー平泉澄筆
ご指摘いただいた読者に感謝申し上げます。
以後、人名には十分気をつけるようにします。
投稿: のんちゃん | 2017年7月 3日 (月) 09時49分
山辺の道にたたずむ歌碑を紹介ありがとうございました。大和民族の故郷,日本人の原点をたどることができました。『日本』読者にもお知らせしたいですね。よろしくお願いします。
投稿: 安見隆雄 | 2017年6月30日 (金) 10時00分