“緊急事態条項”…憲法改正白熱討論で考える!
594回目のブログです
“奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと 人に知らせん”
後鳥羽院(新古今集・平安末期~鎌倉初期・第82代天皇)
奥山の草木の茂り合っている下も踏み分けて、本来、道のある世であると、天下の人に知らせよう…。
正しい道が行われなくなった世の中を正し“道ある国家”(道義国家)が存することを天下の民にあまねく明らかにしたいものだとの強い御意思の歌、すなわち「ますらをぶり」の素晴らしき述志の御製ではないでしょうか。
時代が乱れてくると、正しい道が何であるか、何が本質的な問題なのかということを遠くに置いたまま、些末で刹那的、パフォーマンス的な議論ばかりが横行しがちです。今日もまた、そのような時代になってきたと思わざるを得ません。
そんなことをつらつら考えながら、つい先日、興味を引く討論会に参加してきました。
兵庫県弁護士会憲法市民集会
日本国憲法施行70周年全国アクションプログラム
憲法改正で白熱討論!「緊急事態条項」
・反対派:永井幸寿氏(弁護士・日弁連災害復興委元委員長)
・賛成派:奥村文男氏(大阪国際大学名誉教授・憲法学者)
いよいよ憲法改正が具体的に検討されようとするタイミングでの反対、賛成の議論を盛り上げることは、それはそれで、大いに価値のあることであり、参加者が300名以上もあったことから、難しいテーマではありながら、関心を呼んだものだと思います。
まず最初に、司会者が会場参加者に対して、注意事項として、会場からの発言・ブーイング・鳴り物・プラカード掲示などを厳禁する旨の発言があり、緊張した雰囲気を醸し出していました。
そのこともあってか、司会者は、反対、賛成の両論者に対して、公平・フェアーな進行を心掛けており、その誠に見事な司会振りに感心しました。
というのも、日本弁護士会は、安全保障関連法案(集団的自衛権など)、テロ等準備罪法案(共謀罪)、憲法改正など、政府与党の重要法案に対しては全て反対の立場を明確に表明しており、公平な司会進行が危ぶまれていたためです。
しかし、その不安は杞憂に終わり、真摯な討論となりました。反対、賛成の両氏は、自らの心情を熱く、また分かりやすく語りかけましたので、わたし達参加者は両論の考え方、思想の違いをそれなりに認識できたように思えます。
「緊急事態条項」とは、有事(戦争・武力衝突・内乱・テロ)や大規模自然災害発生の際、国民の生命・財産を守るために、国家が非常措置を取り得る権限を定めた条項を言います。
それでは、両論の骨子を記しましょう。
「緊急事態条項」反対派(永井弁護士)
①緊急事態条項を憲法に設ける必要はない。緊急事態は、現行の法律(災害対策基本法・原子力災害対策特別措置法など)のもとで、準備を怠りさえしなければよい。
②自然災害については、被害者に近い市町村が対応するのが効果的であり、国が主導権を持てば現場にそぐわず、国は後方支援に徹するだけでよい。
③国や政府は、国家緊急権を必ず濫用するようになるのだ。ナチスはワイマール憲法の国家緊急権を使い独裁権を取得したし、戦前の日本は緊急勅令や戒厳令という国家緊急権を濫用した。現在の日本は議員内閣制であり、国会の多数派が内閣を形成するので、国会ならびに裁判所は政府を抑制することはできない。政府が一旦権力を握れば、それは戻らない。
④災害をダシに憲法を変えてはいけない。憲法は人権を守るためにある。
「緊急事態条項」賛成派(奥村名誉教授)
①国民の生命・財産等を有事、大規模自然災害等から守るという憲法の基本原則に則り、緊急事態条項を憲法に設けるべきである。
②緊急事態に対して個別の法律のみでの対処では不十分、不完全である。憲法に「緊急事態条項」を規定し「緊急事態基本法」で行政への権限付与、立法府による行政のチェック機能を定め「個別法」で具体的に対処するという三層が望ましい。
③緊急事態における人権の制約については、国際人権規約B-第4条や現憲法の公共の福祉により認められているが、緊急事態ではこれを明確にした方がよい。
反対、賛成、どちらも分かりやすく説明していただきましたので、私の理解の範囲で、問題点を指摘したいと思います。
まず、最初に、反対派の永い弁護士は国家、政府に対してものすごい不信感を持っているように感じられました。どんな非常事態であったとしても、政府が大きな権力を持てば、濫用につぐ濫用を重ね、やがてはナチスのような存在になるので、決して付与すべきではないと主張。
政府が日本国民の代表者だという認識を持たず、逆に、政府(権力)は国民・人権の敵であるとの認識を持っているということは、何か、アナーキーなにおいも感じました。
【アナーキズム】
無政府主義。一切の権威、特に国家の権威を否定して個人の
自由を重視し、その自由な個人の合意のみを基礎にする社会を
目指そうとする政治思想
しかし、良く考えれば、わが国は、選挙を基本とした民主主義国家であり、政府権力は「敵」ではなく「代表者」ではないのでしょうか。何と言っても、政府は、わたし達国民が合法的な選挙によって選んだ議員がつくったものですから。
また、反対派の永井弁護士は、日本国民・特に政府権力者に対して基本的に信頼を置いていませんが、日弁連が最も敬意を捧げる「日本国憲法」の「前文」には、
「~日本国民は~平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した」
と書かれており、諸外国に対しては絶大な信頼を寄せています。日本は全く信頼できず、諸外国は全面的に信頼する。これは、まさしく、自虐・反日の思想ではないでしょうか。
賛成派の奥村名誉教授はさすがに憲法学者、綜合的に精緻な理論をすすめ、憲法を正常に戻したいとの熱い心に触れたように思います。
それにしても、討論、対論はお互いを理解することに役立ちます。兵庫県弁護士会の見事な対応と両講師の論述姿勢に真摯な心を感じたところです。
なかなか実り多い討論会でした。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
文字の訂正をします。
中段にある
誤「まず、最初に、反対派の永い弁護士は……」
↓↓
正「まず、最初に、反対派の永井弁護士は……」
講師のお名前を間違いました。最近、ちょくちょくこのような例がありますので、以後気をつけます。
投稿: のんちゃん | 2017年7月14日 (金) 09時56分
現憲法は、成立時点で既に米ソ対立や共産圏拡張などの国際紛争の最中になったものでありながら前文は諸外国の正義を掲げ、日本さえ紛争当事国にならなければ世界は平和になる、といった文言が多く、他にも発足当初から欠陥が多いこと、しかも戦後七十年が過ぎますます現状の内外の社会の原則規範にも合わなくなっていることを法学を学ぶ人なら誰もが知っている。従ってどのように憲法を改正するか、その方向性について議論ができて初めて健全な民主主義社会であり、議論に参加する人がその立派な構成員(国民)といえる。だが憲法改正に反対する人は、憲法改正=軍事国家化、という非論理的信条(情念)で対応している。国民の民主化度を信じるか否かという問題以前に、改正反対論者自身が己の論理と感情の整合性を整理した上で、現憲法の諸条項を客観的に見つめる必要がある。要約すれば一種の病理診断が必要であろう。
投稿: 齋藤仁 | 2017年7月14日 (金) 08時30分