山の邊の道…その歌碑を鑑賞する②!
593回目のブログです
“大和は 國のまほろば
たたなずく 青かき
山ごもれる 大和し
美し”
(倭建命<やまとたけるのみこと>・黛敏郎<音楽家>自筆譜面)
先週は、川端康成筆の倭建命の歌を写真に掲げましたが、今週は、著名な音楽家・黛敏郎氏の同じ歌を写真に載せました。お二人とも独自の風格ある書であり、特に黛氏は音符入りのものであり、同じ飛鳥時代の歌に対しても、音楽家と小説家では感応の仕方に大いに差異があることが理解できます。
それにしても、わが国の碩学と言われる方々は、例外なく、飛鳥、万葉の歴史と風土に心を奪われると言われていますから、山の辺の道には、歴史という経糸と風土という緯糸の絶妙な組み合わせによる美しき綾織の空気がそこはかとなく漂っているのではないかと思います。
“わが衣 色にそめなむ うま酒 三室の山は もみぢしにけり”
(柿本人麻呂・林房雄<小説家/文藝批評家>筆)
“うまさけを 三輪のはふりが やまてらす
あきのもみじば ちらまくをしも”
(長屋王・堂本印象<画家>筆)
“葦原の しけしき小屋に 菅畳 いやさや敷きて わが二人寝”
(神武天皇・北岡寿逸<経済学者>筆)
“古の 人の植ゑけむ 杉か枝に 霞たなひく 春は来ぬらし”
(柿本人麻呂・徳川宗敬<林学者/政治家>筆)
“あしびき野 山川の瀬乃 響るなべに 弓月が嶽に 雲立ち渡る”
(柿本人麻呂・鹿児島寿蔵<人形作家>筆)
“ぬはたまの 夜さり来れば 巻向の 川音高しも 嵐かも疾き”
(柿本人麻呂・武者小路実篤<小説家>筆)
“天雲に 近く光りて 鳴る神の 見れば恐し 見ねば悲しも”
(詠み人知らず・会津八一<歌人>筆)
“(長歌)
うま酒 三輪の山
あをによし 奈良の山の
山の間に いかくるまで
道のくま いさかるまでに
つばらにも 見つつ行かむを
しばしばも みさけむ山を
心なく 雲の
かくさふべしや
(反歌)
三輪山を
しかもかくすか
雲だにも
心あらなむ
かくさふべし也”
(額田王・中河与一<小説家>筆)
“衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし”
(柿本人麻呂・犬養孝<万葉学者>筆)
まだまだいろんな歌がありますが「柿本人麻呂」の歌を選んだ碩学の方が多いことに気づきます。人麻呂は、長歌19首、短歌75首が集録されているのですから、万葉集第一の歌人といわれるのも肯けます。
調べも格調が高く、賛歌、挽歌、恋歌などに加えて、先週のブログで紹介した「敷島の 大和の国は 言霊の 幸はふ国ぞ
まさきくありこそ」という言霊の歌も詠んでいます。
それにしても、万葉の時代の空気を、万葉集によって胸の奥まで吸い込むことの幸せと、山の辺の道を散策することによってさらに濃密な時間を持てることの喜びは、わが国の永くて豊かな歴史と、連綿とした民族の絆感覚があったればこそとの思いをしないわけにはいきません。
そう考えれば、平成の御代を生きるわたし達は、わが国の先人が、その時代、時代において歴史を営み、その豊かな文化・文明の果実を、まさに、生きた歴史遺産として現在に引き継ごうと懸命な努力を重ねてきたことに、あらためて深い感謝の念を持たねばなりません。
その意味で、もう、反日思想や暗黒史観を卒業し、豊かな歴史に素直に感応してもよいのではないでしょうか。
山の辺の道の歌碑に触れて感想を述べました。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
昨日お話しした民放の報道番組を一手に作っているのは、(株)泉放送製作 です。
投稿: 近藤重克 | 2017年7月 9日 (日) 14時28分