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2017年10月20日 (金)

総選挙と杜甫の詩!

 608回目のブログです

    『春望』     杜甫

   国 破 山 河 在 (国破れて山河在り)
   城 春 草 木 深 (城春にして草木深し)
   感 時 花 濺 涙 (時に感じては花にも涙をそそぎ)
   恨 別 鳥 驚 心 (別れを恨んでは鳥にも心を驚かす)
   烽 火 連 三 月 (烽火三月
<サンゲツ>に連なり)
   家 書 抵 万 金 (家書万金にあたる)
   白 頭 掻 更 短 (白頭掻けば更に短く)
   渾 欲 不 勝 簪 (すべて簪
<シン>に勝へざらんと欲す)

 

 戦争によって首都が破壊されても、自然の山や川は昔のままかわらずにあり、荒廃した城内にも春がきて草や木が深々と生い茂っている。この戦乱の時代を思うと美しい花をみても涙が落ち、家族との別れを悲しんでは、鳥の鳴き声を聞いても心が痛む。戦火は何ヶ月も続いており、家族からの手紙は万金と同じぐらい貴重だ。白髪の頭を掻くと髪はますます短くなって、冠をとめるためのかんざしも挿せそうにないほどである…。

 

 「春望」は杜甫のもっとも有名な詩のひとつです。杜甫712-770年、中国盛唐の詩人であり、中国では最高位の詩人として、李白の「詩仙」に対して「詩聖」と呼ばれており、杜甫の漢詩はわが国でも愛唱されています。

 

 「国破山河在」(国破れて山河在り)は、杜甫としても苦渋に満ちた内面を文学的に見事に表現し、永い歴史の風雪に耐えた古典として、わたしたち現代人にも深い感動を覚えさせているのではないでしょうか。

 

 わが国は、国際的な戦いとしては、白村江の戦い、元寇、文禄・慶長の役、大東亜戦争などがありますが、国が破れるということは極めて悲惨でもあり、どのような事態においても、国を守ることは最も大切なことと言わねばなりません。

 

 さて、昨今、わが国を取りまく国際情勢で最も注目しなければならないのが「北朝鮮問題」であることに異議をはさむ人はいないでしょう。数年前から、緊迫の度合いが急速に増してきており、今や、米国に届くICBM、核兵器(原水爆)、細菌兵器、サイバーテロ、などあらゆる軍備が最高レベルに達しようとしていることは間違いありません。

 

 これを成り行きに任せて野放しにするのか、それとも、軍事的手段を講じてでも一定の歯止めを効かせようとするのかが問われているのです。

 

 わが国にとっては、北朝鮮は隣国、同民族の韓国も隣国。第2次朝鮮動乱(朝鮮戦争)がいつ生じてもおかしくない段階に来ているとすれば、それを「危機のクライマックス」(有事)として捉え、いざという時国民がまとまることが必至とならざるを得ないのではないでしょうか。

 

 そのためにあるのが今回の総選挙です。マスコミは、この総選挙を大義なき選挙として罵詈雑言を浴びせていますが、その一例を大前研一氏の論稿から引いてみましょう。(PRESIDENT10/16)

 

 「総選挙に表われた安倍首相の“卑怯な本性”」「これぐらい卑怯な解散は憲政史上初めて」「経済重視の仕事人内閣と嘯いた」「安倍一強体制で蔓延ってきたのが“忖度政治”である」
 

 「“僕難突破”の冒頭解散」「“政治主導”“官邸主導”と言えば聞こえはいいがイエスマンで幹部官僚を固めた。その歪んだ忖度政治が森友・加計の問題だ」「アベクロバズーカで国債を乱発、100兆円規模の予算を組んで赤字を垂れ流し」
 

 「“何とかチルドレン”のお粗末な行状にはうんざり」「憲法9条に第3項を書き足すようなその場しのぎの“加憲”や“改憲”ではなく“創憲”だ」

 

 いやはや、えげつない言葉の連発。卑怯な本性・卑怯・嘯く・蔓延る・国難突破⇒僕難突破・忖度政治・乱発・垂れ流し・行状・その場しのぎ。…まさに、オヤジギャグを含む感情的発言の連発ですから、大前研一氏の品性を問いたいと思います。僕難突破」を初めて目にしたときは全くその意味が解らずプレジデント誌の誤植かと思ったのですが、何とオヤジギャグ。これで時事評論とは、何とも痛々しい現象です。

 

 大前研一氏は上から目線で安倍首相を誹謗中傷していますが、安倍首相の内心の権力的な目論見はどうであれ、国際情勢の緊迫度から言えば、これほど大義ある選挙は戦後初めて言っても言い過ぎではないと考えます。

 

 来月にはトランプ米大統領が来日し、急迫する東アジア情勢で極めて重要な極秘の話し合いがなされるはずです。そして、国民の生命と財産と名誉を守らなければならない安倍首相は、北朝鮮の姿勢如何によっては、年末から来年にかけて生じるかも知れない超厳しい局面を想定して事態に対処しなければなりません。これは戦後70年、カエルの楽園を満喫してきた時代から「歴史的な転換点」を迎えたことを示しています。

 

 そう考えれば、権力ある政治家が解散権を最高度に有効活用しようとするのは当然であり、やって当たり前ではないのでしょうか。イタリアの政治思想家マキャベリは「必要に迫られた際に、大胆で果敢であることは思慮に富むことと同じと言ってよい。国家の指導者たるものは、必要に迫られてやむを得ず行ったことでも、自ら進んで選択した結果であるかのように思わせることが重要である」と述べています。

 

 はっきり言って、今回の総選挙(衆議院議員選挙)政権選択選挙であり、安倍首相の信任選挙でもあります。安倍首相にこの緊迫した国際政治を任すのが是か、あるいはそれ以外の政治家に任すべきかの選択です。

 

 昨今のマスコミ、マスメディアの乱れ方は、恬として恥じない捏造と印象操作が頻繁に行われていることを鑑みれば、やはり異状、異様としか思えません。

 

 わたしは、ニュースにおいては、地上波テレビは9割、新聞は7割、雑誌は6割、ネットも6割、ウソだと思い、真実かどうかの判断にはひと呼吸を置くことにしています。しばらく前のブログでも書きましたが「世はフェイクニュースばかりなり」であり、フェイクニュースには、捏造、情報操作(印象操作)誤報、があることを知っておきたいものです。

 

 今回から18歳以上に選挙権があります。特別な理由がない限り、棄権すべきではなく、自分で考え、自分で行動し、価値ある『1票』を投じようではありませんか。

 

 それにしても、杜甫の漢詩「春望」は身に沁みます。国を破ることのない真に勇気ある選良(真のエリート・代議士)が選ばれなければなりません。

 

 10月22日(日曜日)は投開票日であり、深夜には当落、政党分布が決まります。戦後最も重要な選挙の結果がどう出るか、冷静に見守りたいと思います。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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コメント

この時点での選挙を600億円かけて実施するのは、やはり腑に落ちない。政権選択なんて、ことさら言い出さなくても、安倍一強体制なのだから、国難に正々堂々と対処すればよい。それとも、国会での、自身の対応に忸怩たるものを感じていたから、国難対処に不安が起きてきたのか。  いやいや、そんなヤワなことではない。選挙で一挙に翼賛体制を誘導して、すぐそこの戦争への万全の態勢を取ろうという深慮遠謀なのだ。「この国を守る」ことに身命を賭けている、信介氏のお孫さんこそ、この国の真の国士なのである。~~と、後世の歴史は記すことでしょう。

投稿: kawaski akira | 2017年10月20日 (金) 12時20分

おはようございます。ブログ配信ありがとうございます。
憲法議論を避けるためなのか、「安倍批判」先にありきの日本の既存大手マスメディアの偏向報道ぶりは、今年になってから目に余るものがあります。米国でのトランプ叩きでのフェイクニュースの蔓延ぶりと、日本のそれとは、どこかで繋がっているようにも感じます。

かつて竹下登氏は「言語明瞭」「意味不明瞭」と揶揄されました。大前氏は「言語明瞭」且つ「意味明瞭」ですが、氏の論考には、自分の祖国を大切に思う「志」の欠如が透けて見えます。掲載誌、PRESIDENTの品格にも疑問符がつきます。

本日は靖国神社の秋の例大祭最終日「直会」が催されます。会社を16:00には退社して、社頭参拝に参ります。
清浄な空間に身を置くことにより、日本の歴史と同期を体感できればと願っています。

投稿: 野中志郎 | 2017年10月20日 (金) 09時21分

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