“日本”…真に自立の年になるか!
619回目のブログです
“あらたまの 年たちかへる 朝より 待たるるものは 鶯の声”
素性法師(平安前期~中期・三十六歌仙)
あたらしき年に改まった。この正月の朝から、心待ちに待たれるものと言えば、何と言っても鶯の声であろう…。
大晦日の夜には、慌ただしさも一応納まり、除夜の鐘の音が心を落ち着かせるように響きわたってきましたが、この朝は、まわり一面、静謐にゆったりと明けてきます。青い空と緑の木々を覆う白い雪のなかで、鶯の鳴き声を聞こうものなら、めでたさもひとしおというものではないでしょうか。それにしても、愛でるべき正月を豊かな言葉で優雅に詠った古の歌人の情緒にあらためて感銘します。
みなさま、明けましておめでとうございます、本年も引き続きご愛読くださいますようよろしくお願い致します。
今年の暦を見てみましょう。
平成30年 (年号)
皇紀2678年(神武天皇ご即位を紀元・BC660)
戌 (十二支・いぬ)
戊戌 (十干十二支・つちのえいぬ)
西暦2018年(キリスト生誕を紀元)
そして、今年は、明治維新後150年、大東亜戦争(第2次世界大戦/太平洋戦争)敗戦後73年となります。150年と73年、その間の栄光と悲劇、そして矜持なき卑屈。来年は、今上陛下が譲位される改元(年号を改めること)の年でもあり、あらためてわが国の歴史の長さを考えてみたいと思います。
毎年、年初のブログでは暦を記しますが、その中に皇紀があります。紀元前660年2月11日(皇紀元年)、初代神武天皇が即位され、詔を発せられたことから始まるのが皇紀です。以後、大和朝廷、王朝としての長い歴史を紡ぎ、今年で2678年となりますが、27あると言われる世界の王朝の長さと較べてみましょう。
日本 2678(年)
デンマーク 1100
イギリス 952
スェーデン 495
タイ 236
わが国の歴史は、麗しき神話の時代から引き継いでおり、多少の誤差はあるにしても、万世一系、万葉一統で綴られ、今125代の天皇をいただき、世界で一番長い歴史を持つ王朝国家であることは、上の年数を見れば一目瞭然。
因みに、近隣3ヶ国の建国の年を見ましょう。
中華人民共和国(中国/支那) 1949年(昭和24年)
大韓民国(韓国) 1948年(昭和23年)
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) 1948年(昭和23年)
いずれも第2次世界大戦後に成立した国家。その地域の歴史は長くとも、中国は、支那、チャイナの文明圏として、歴代、易姓革命を繰り返してきたために連続性を欠いており、中華民族の支配さえも僅かな期間となっています。現在は、共産党独裁のもと、軍さえも共産党の配下にあり、まずは周辺国家を睥睨(へいげい/にらみつけて威圧すること)し、硬軟交えた戦略を駆使し、米国を凌駕する世界覇権への道を驀進していると見るべきでしょう。
現在の南北朝鮮も、戦後70年にできた統治国家であり、70年は短いのでしょうか、この年数では安定は得られず、北は個人独裁、南は属国意識の塊となっており、西洋流の近代国民国家とは程遠いものがあります。
一方、我が国を振り返ってみた場合、単純に歴史の長さを誇るだけで良いと言うわけにはいきません。どんな国にも“建国の理想”があり、年の改まる正月や2月11日の建国記念の日などには、それに立ち戻って見ることが肝要ではないでしょうか。
2年先の東京オリンピックの年に「日本書紀」編纂1300年を迎えます。その日本書紀には神武天皇の橿原宮での詔(みことのり)があり、そこには建国の理想が3つ書かれています。それをある方の分かりやすい表現を借りれば…。
・国民を大御宝(おおみたから)と言い大切に扱うこと
・徳に応え道義国家になること
・皆が家族のような国家になること
素晴らしい詔ですが、この詔に記された理想をわたし達が現在、しっかりと認識しているかと問われれば、頭を下げざるを得ません。本来、わたし達は、個人でも、家族でも、グループでも、会社などの大きな組織でも、理念・理想を目指して努力することを求められているはずです。同じことは、国という超巨大組織でもいえることではないでしょうか。
ところが、ここ10年を振りかえって見れば、国の理想が何処にあるのか、曖昧であり、選良と言われる政治家も、メディアも、一般国民も、わが国の歴史の足元を忘れ「今」だけの個人的利害得失だけで蠢いてきた感があるように思います。
あたらしい年も迎えました。来年は改元となります。いわゆる戦後を払拭し、建国の理想に応じた真に自立した国を目指すことが具体的に求められる時代になったと認識します。
わたし達日本人は、2千数百年の輝かしき歴史を大切に、日本の精神を軸として、自信とプライドと矜持をもって、国内はもとより、外国に対しても、その気概を示して行く責任があるのではないでしょうか。
自立の年を期したいと思います。…(冒頭の和歌にある)鶯の声を聞くためにも。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
治にいて乱を忘れず、乱にいて治を忘れず。日清、日露という大国相手の戦争で時の指導者は戦争の落しどころを探りながら戦っていた。だが大東亜戦争では、アメリカ及び英仏豪蘭などの白人至上主義の謀略に嵌って、大戦の後半は自暴自棄的な戦闘に終始していた。そこには乱に在って破滅に至るもやむなしとする指導者にあるまじき精神状態が見える。それが戦後長らく続いた反日思想の日本人を輩出した原因の一つになっている。乱にいて治を忘れず、を当時実践したのは極言すれば昭和天皇のみであり、その深謀遠慮が亡国に似た敗戦にも拘らず「天皇座して日本在り」の国体護持に、そして平成号の今日に繋がっている。当時、元号制定反対を叫んでいたマスコミも安定社会の継続を享受している。そして今、我が国は先の大戦時と逆に、治にいて乱を忘れず、の国際環境を迎えている。幸いに「乱に備えん」とする宰相を抱いているが、その判断や実行を妨げんとする反日マスコミが依然として蠢いている。民主主義国家では善き為政者は善き大衆が支えなければ失脚する。古代ギリシアのソクラテスの死を二千年以上過去の話と笑って済ませることはできない。平成三十年の日本国の現状を直視すべきは為政者でなく、我々国民である。
投稿: 齋藤仁 | 2018年1月 5日 (金) 09時40分
我が祖国の歴史学習の軽薄さが国家経営力貧弱の主要因でないか昨年考え続けた身ですので、今日頂いたご高説に大感動しております。
投稿: 岡村昭 | 2018年1月 5日 (金) 09時37分