習近平皇帝の野望と台湾とバチカンと!
628回目のブログです
“世の中の ことある時に さわがぬは
つねにかためし こころなりけり”
(明治天皇御製・明治39年)
世の中に事件が起こった時に、いたずらに騒がず、冷静にふるまい、確かな判断ができるのは、常日ごろから心を鍛えてきていることによるものだ…。
常日ごろより、覚悟を決め心を鍛えていれば、一朝有事の際にも慌てることなく、沈着冷静に対応できるのだというお諭しを和歌にされたものです。
一朝有事と言えば、昨今のわが国周辺でのキナ臭い出来事から目を逸らすことはできません。
北朝鮮においては、核とICBM(大陸間弾道弾)の開発が着々と進んでおり、その標的はまちがいなく「日本」と「アメリカ」です。南北朝鮮の融和ムードに隠された冷酷な北の勝利への恫喝を忘れることは許されません。半島がどのようになるのか、あるいは、半島をどのようにすべきなのか、刃を突き付けられたわが国としては深刻な問題として取り組まなければならない難問です。
それにしても、いよいよ半島全体が核保有国。平和ボケに浸る余裕など1ミリたりともないにもかかわらず、わが国会は相変わらずのモリ・カケ問題という「政争」にかかりっきりとは、一体どうなっているのでしょうか。
一方、大陸においては、中国(中華人民共和国)が憲法改正を行い、国内統制を一層強化し、世界戦略を強力に推進するべく決意を新たにしました。
中国では、全人代(全国人民代表大会/2970人)が3月5日から20日まで開かれ、重要な政策が決まります。共産党1党独裁の国ですから事前の案通りになりますので、その内の主な項目を挙げ、それについて考えてみたいと思います。
①憲法改正によって、国家主席の「2期10年」の任期上限が撤廃され、習近平氏は終身にわたって主席であり続けることができることとなります。
毛沢東時代、過度の権力集中によって文化大革命が引き起こされた教訓から定年制を設けてきましたが、これを今回破棄し、習近平氏の権力を最高度にあげようとの目論見であり、実質的に『習近平皇帝』の誕生です。
近年は集団指導による共産党独裁体制でしたが、これからは習近平の個人独裁となることは避けられません。
習近平氏の狙いは、毛沢東と同等、あるいはそれ以上の権力者になることであり「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」により個人崇拝が強化、強要されるのは必至と見込まれます。
毛沢東は中国のお札に描かれているほどですから、中国では英雄でしょうが、文化大革命などでの非人間的な所業は決して評価できるものではなく、歴史上最大の悪しき独裁者であり、苛烈極まる殺人者だと言っても言い過ぎではありません。
その毛沢東を崇拝、尊敬しているのが習近平主席。中国では、シナでは、どうして「自由」や「民主主義」や「人権」などを尊重する風土はないのでしょうか。古には、論語の世界が一部ではあっても存在していたのですから、その理想を追求すべきだと思えるのですが、それが個人独裁への道を国家として歩むとは、何とも理解に苦しみます。
②習近平主席のスローガンのひとつに「強軍の道」があります。軍事力を国防予算から見てみましょう。
【2018年中国の国防予算】
18.5兆円(1.11兆元) 前年比8%増
10年前の2.8倍
※(日本の防衛予算は5.2兆円・中国の28%!)
中国は、最初は外交的に、最後は軍事力により、周辺国を否応なくひれ伏させる戦略を取り、南シナ海や東シナ海の覇権確立を期しているのはまちがいありません。
世界の軍事力ランキングでは、現在、アメリカ、ロシア、中国、インド、フランス、イギリス、日本、トルコ、ドイツ、イタリアがベスト10であり、日本は7位。中国は3位ですが、国防予算を毎年大幅に増加させ、虎視眈々とアメリカを凌駕する日を狙っています。
油断は大敵。わが国も防衛力を強化するために防衛予算の増加とともに、共同開発、国産化、輸出、大学での軍事研究などによる効率化をはかることが肝要ではないでしょうか。
③もう一つのスローガンが「一帯一路」の推進。習近平主席が唱えた新経済圏構想であり、陸のシルクロードと海のシルクロードからなります。この狙いは、表向きは、単なる広域経済圏構想であり、純粋な経済援助を標榜しています。
しかし、実態は、それらに参画する国々を中華文明圏の盟主である中国の経済的、政治的影響下に置こうとする壮大なプロジェクトであることは明白です。たとえば、スリランカの港が中国の援助で建設されましたが、借金の返済ができず、この港を99年間中国に譲渡することになり、今「中国の国旗」が翻っているとのこと。何たること!
④習近平主席の大いなる悲願が台湾統一。台湾統一ができれば、香港返還を成し遂げた鄧小平を超えることになります。そのための方策として、(1)大陸中国と台湾との間での経済的な関係を強化し、がんじがらめの間柄をつくること、(2)台湾を国家として承認している国々をなくすこと、この二つがあります。
最も重要なことは、台湾を承認している筆頭国であるバチカン市国(ローマ法王庁)を覆し、中華人民共和国(中国)と国交を結んでもらうことなのです。そうなれば、後は雪崩を打って台湾から中国へとなる見通し。
昨年、パナマが台湾と断交。現在台湾と国交を結んでいるのは20ヶ国。そのトップは何と言ってもバチカン市国です。バチカンは中国とは1951年に断交していますが、現在のフランシスコ教皇(法王)はアジアでの布教拡大をねらい、中国と前向きに話し合っていると報じられています。危うきかなバチカン! 今後バチカンがどう判断するかはわかりませんが、カソリック宗教者としての矜恃(自負・プライド)を持ち続けてもらいたいと願っています。
よくよく考えてみれば、歴代のアメリカの大統領は、中国のトップに下記のような畏敬の念を表わす言葉を用いました。(英エコノミスト誌2017/10/14より)。
リチャード・ニクソン ⇒ 毛沢東
「毛沢東氏の論文や文章が“世界を変えた”」
ジミー・カーター ⇒ 鄧小平
「聡明で、粘り強く、知的で、気さくで、勇敢で、人柄も良く、
自信に満ちており、愛想もいい」
ビル・クリントン ⇒ 江沢民
「先見の明がある」
「並外れた知性の持ち主」
ドナルド・トランプ ⇒ 習近平
「過去1世紀における中国の指導者の中で
おそらく最も強い権力を持っている」
これを見れば、まさしく[中国=アメリカ]、心情においては中国とアメリカは近い存在。アメリカの歴代大統領は、おそらく独裁的権力(皇帝権力)に憧れていると理解できます。そう考えれば、バチカンと言えども本当にどうなるかわかりません。
いやはや、もう【中国への幻想】は持つべきではありません。人権問題ひとつ取って見てもわかるでしょう。ウイグルやチベットなどへの苛烈極まりない弾圧の国を持ち上げることはやめるべきではないでしょうか。リアリズムで対処すべきだと考えます。
『リアリズム』⇔ リベラル・理想主義・きれいごと・性善説
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
歴史の浅いアメリカは古い歴史をもった国に憧れをもっている。最近のアメリカの世論調査で、共産主義や全体主義をあれほど毛嫌いするアメリカ人の民主党支持派が60%近く、共和党支持派でも40%を超えて、中国を信頼している、と回答している(日本は85%)のはその一つの顕れである。カリフォルニアのゴールドラッシュに沸いた19世紀半ばにアメリカは太平天国の乱などで混乱状態にあった中国からたくさんの中国人を鉱山労働などの目的で移住させ奴隷に近い扱いを続けてきた。ところがアメリカが大国になると、日露戦争の勝者となったアジア人国家の日本に敵愾心を燃やすとともに、中国人に対する過去の贖罪意識もあって、日中間の外交問題では法理論そっちのけで、親中国の姿勢を取り続けてきた。アメリカ建国と同様に専制政治を倒した革命政府であること、その政府周辺や国民にキリスト教徒が多い事ということに親近感をもつとともに、「新興の小さな日本が、古い歴史を持ち世界に知られたシナを苛めている」という見方をすることで自らの贖罪意識を浄化をしたのである。力の外交を基本とするキッシンジャーが共産中国との外交を拓いたときアメリカ国民が支持した一つの理由はそこにある。また、アメリカは建国以来一貫して「力=正義」の国であり、アメリカ外交は「力のある国」としか対等の話し合いはしない。即ち「力のある国」しか認めない。それもキッシンジャー外交が支持される理由である。こうしたアメリカ国民の心情は今も息づいており、アメリカが中国と世界覇権を共有する可能性は十分にある。その覚悟のもとに我が国は外交を進めなければならない。
投稿: 齋藤仁 | 2018年3月 9日 (金) 10時24分
おはようございます。毎週金曜日は、毎回、示唆に富む内容に目が覚める想いです。毎週の配信、ありがとうございます。
昭和53年(1978年)11月、駒場祭で、衛藤瀋吉先生の「国際関係論」の講演を拝聴しました。穏やかな人柄と語り口。「中国」に対する深い理解とご自身の中国に対する敬愛の念とともに、同時に、日本の国益を守るための毅然たる態度と覚悟を示されました。
大学生(当時2年生)だった私には、表層的な理解に留まりましたが、中国駐在(天津:1997~1999年)を含め、中国の政権と国民の二重構造を見てきましたので、私には「中国幻想」は既にありません。
むしろ、「習近平」という人物の、暗殺を恐れ、疑心暗鬼に迫られる寒々しい姿、「貧しい精神構造」が感得できる年齢になりました。
「習近平皇帝」の野望は、インターネット時代には、既に中国国民に見透かされています。道義心の無い「習近平」幻想は、最初から存在し得ない中国社会なのでは、と。
衛藤瀋吉先生の講演から既に、「40年」が流れました。国民の不満を、外に向けるという歴史の事実を直視し、現実的な対応を実行しなければならない日本国民。40年の時間を経ても尚、普遍的なテーマであります。
投稿: 野中志郎 | 2018年3月 9日 (金) 09時59分