素晴らしきかな南河内…金剛・葛城山麓の史跡を訪ねる②!
635回目のブログです
先週に引き続き南河内の史跡めぐりを記します。
【観心寺】
天武天皇の大宝元年(701)役小角(えんのおづぬ)によって開かれ、空海により真言密教の修行寺院として発展。
観心寺は、楠木氏の菩提寺であり、幼少期の学問所で修業した楠木正成および南朝ゆかりの寺としても知られています。境内には楠木正成公の首塚があり、次の文字が刻まれた石碑が建っていました。
『 非 理
法 権 天 』(ひ・り・ほう・けん・てん)
《非は理に勝たず、理は法に勝たず、
法は権に勝たず、権は天に勝たず》
人間は、天道・天命にしたがって行動すべきであるということであり、楠木正成が旗印としていました。なかなか力強い言葉でありこれをもってわが軟弱な精神を焼き直したいと願ったところです。
【建水分神社】(たけみくまりじんじゃ)
創建は第10代崇神天皇5年(紀元前92)。御祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を含む5神。霊峰金剛山の総鎮守で、皇室の崇敬極めて篤く、後醍醐天皇ゆかりでもあり、楠木氏の氏神でもあります。神紋は「菊水」の紋であり、楠木氏と同じ。
(菊水の紋)
摂社に【南木神社】(なぎじんじゃ)があり、楠木正成公(大楠公)が祀られています。忠臣大楠公が御祭神の神社でもありますから、こころを込めて参拝しました。
天智天皇4年(665)役行者(えんのぎょうじゃ)によって開創。歌聖・西行法師は、晩年弘川寺に隠棲し、和歌と求道生活に没頭しました。
“願はくは 花の下にて
春死なむ そのきさらぎの 望月のころ”
(歌聖・西行)
人口に膾炙(かいしゃ)したもっとも有名な西行の和歌ですが、この和歌を詠ってから1年後、西行の願い通り、旧暦・如月(きさらぎ・2月)の望月(満月)に入寂しました。境内には歌聖・西行法師の墳墓があります。
【推古天皇陵】
東西59m、南北55m、高さ11m、三段築成の整然とした方墳。第33代推古天皇は、聖徳太子を摂政にし、大陸の隋との対等な交渉によって先進的な政治制度や文化を積極的に吸収し、政治の改革や飛鳥文化を花開かせました。女帝に相応しい美しい御陵です。
【聖徳太子御陵】
聖徳太子御陵は叡福寺の北方尾根にあり、東西52m、南北42m、高さ10m、の楕円状の円墳。墳墓の周囲は2重の結界石で保護。わたしは聖徳太子の御陵が存在していることを知らず全く不明を恥じた次第です。
聖徳太子(敏達天皇3年<574>~推古天皇30年<622>)は飛鳥時代の皇族であり政治家であり、その偉大さはわが国の歴史においても燦然と輝いています。
・十七条憲法の制定(世界ではじめて“国家の憲法”を創る)
・冠位十二階制の制定(世界初の能力による官僚組織を創る)
・遣隋使派遣(隋との対等外交の実現)
・日本神道と仏教の共存(両者の興隆と融和をはかる)
「日本の心意気」と言えば、何といっても聖徳太子。遣隋使として小野妹子が隋の煬帝に渡した国書の最初の言葉を、ここで再度確認しましょう。
“ 日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す
恙(つつが)無きや
”
聖徳太子の凛とした姿勢が貫かれているこの言葉は何度読んでも感動を覚える素晴らしい言葉です。わたしは崇敬の念をもって参拝しました。
【叡福寺】
聖徳太子の墓を守護するために、推古天皇によって建立され、奈良時代に聖武天皇が大伽藍を整備し、聖徳太子信仰の霊場として発展。親鸞、日蓮、一遍上人などの高僧も参籠しています。静寂な立派な寺院です。
河内源氏発祥の地にある史跡3ヶ所(壷井八幡宮・通法寺/三代の墓)を巡りました。河内源氏は清和天皇の流れをくむ源頼信を始祖とし、頼朝、足利氏、新田氏につながる武家の名門。河内源氏の系略図は、①頼信―②頼義―③義家―④義親―⑤為義―⑥義朝―⑦頼朝―。河内源氏が頼朝の祖であることを初めて知りました。
武略に富んだ源頼信が壺井に館を構えたのが寛仁4年(1020)、河内源氏の祖となりました。長子頼義も有名をはせ、氏寺通法寺と氏神壷井八幡宮を建立。壷井八幡宮の境内には樹齢1000年にもなる天然記念物の楠木が聳え立っています。由緒ある風格を示している神社でした。
【通法寺跡】【三代の墓】
(②頼義の墓・通法寺跡)
(①頼信の墓・南の丘)
(③義家の墓・南の丘)
今、通法寺跡には②頼義のお墓、①頼信・③義家のお墓は別の南の丘にあり、少し寂しい感じがしてなりません。特に義家は八幡太郎義家として武名高き人物ですから、なおさらと言う気がしました。
2日間で数多くの史跡を巡りましたが、まだまだ知らないことの多いことに気づかされるとともに、史跡めぐりは、単に歴史を偲ぶだけではなく、その精神を現代に生かすことが大切ではないかと思った次第です。
みなさまにも、歴史散策をお薦めします。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
メールが不得手で遅まきながら拝見いたしました。
豊かな学識で吟行会の印象をまとめていただき有難うございます。古市古墳群はおそらく来年の今頃世界文化遺産に決定し地元は大騒ぎしていると思います。先日ご案内した古寺、旧跡のほかまだまだご案内したい所が沢山あります。いつでも言っていただければご案内致します。いま私の詩吟グループで「詩歌で巡る南河内史跡散歩」と題した構成吟を大阪芸大と一緒にやろうと計画しております。秋の河南町の文化祭で発表できるものと思っております。
投稿: 福本 猛 | 2018年4月30日 (月) 18時49分