素晴らしきかな南河内…金剛・葛城山麓の史跡を訪ねる①!
634回目のブログです
“心あらむ 人に見せばや 津の国の 難波あたりの
春の景色を”
能因法師(平安中期の僧侶・歌人)
情趣を解する人に見せたいものだ。この摂津の国の難波あたりの素晴らしい春の景色を…。
摂津の難波のゆったりとした春景色を見に来ませんかという誘いを詠ったものでしょうか。三十六歌仙の一人の、優れた言葉に溢れた和歌でお誘いを受けたら、ぜひとも訪れてみたいという気になります。
春もそろそろ終わりを見せ、しばらくすると初夏の様相を示してくるでしょう。わが国の自然の四季の移り変わりは、単に景色が変わるのではなく、そこに日本人の永い歴史が積み重なり、趣を重層的にしているように思います。
特に、由緒ある史跡は、自然の中でどっしりとした存在を示し、現代を生きるわたし達の心に何か訴えてくるものがあります。そんな意味もあり、先日、1泊2日、学生時代のクラブ仲間20数人で近間の史跡を巡りました。
大阪は、おおまかに言えば、摂津・河内・和泉の三ヶ国からなります。そのうちの豊かな歴史の宝庫である大阪東南部の『南河内』を巡ったのですが、そこに住んでいるメンバーが史跡に詳しく、数十頁に及ぶ分かりやすい解説文を作ってくれましたので、大助かりでした。
(1日目)JR茨木駅
⇒ JR天王寺駅・近鉄阿倍野橋駅 ⇒ 近鉄古市駅集合 ⇒【応神天皇陵】⇒【誉田八幡宮】⇒【富田林寺内町】【旧杉山家住宅】⇒ かんぽの宿<天空の宿>
(2日目)⇒【観心寺】⇒【建水分神社】⇒【弘川寺】⇒(昼食)⇒【推古天皇陵】⇒【聖徳太子御陵】【叡福寺】⇒【壷井八幡宮】【通法寺跡】【河内源氏三代の墓】⇒
近鉄古市駅解散 ⇒近鉄阿倍野橋駅・JR天王寺駅 ⇒JR茨木駅
TVの天気予報では1日目の夕方6時から2日目の朝9時までが雨となっており、かなり心配しましたが1日目は宿に到着するまでギリギリ晴れていました。2日目の午前中はずっと雨。それでも移動がマイクロバスですからあまり贅沢は言えません。バスからの風景は、桜は全く葉桜となっていましたが、花水木が可憐な花を咲かせており、サツキがつぼみを開かせようとしているところでした。
【応神天皇陵】
第15代応神天皇の御陵。古市古墳群で最大の前方後円墳であり、5世紀初めに築造。全長425m、幅330mの大きさは仁徳天皇陵に次ぐ規模です。周辺には陪塚(陪墳)として、前方後円墳1基、円墳1基、方墳4基が囲っています。これだけの雄大な古くからの御陵が残されていることに一種の感動を覚えるとともに、これらの御陵が、わが民族の宝であり、単なる遺産ではなく生きた墳墓であることをあらためて認識したところです。
今、応神天皇陵を中心とした「古市古墳群」と仁徳天皇陵を中心とした「百舌鳥古墳群」を一緒に、世界文化遺産に登録しようという運動が積極化しているようです。
【誉田八幡宮】(こんだ はちまんぐう)
最古の八幡宮。主祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神宮皇后。応神天皇の諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)です。誉田八幡宮は応神天皇陵の隣にあり、かつては、八幡宮から陵へ参拝する会談道があり、陵の真上で参拝していたとのこと。
八幡宮と言えば源氏の氏神であり、誉田八幡宮には源頼朝が寄進した神輿(国宝)が鎮座。その他重要文化財など多数あり、全て見事なものでした。
【富田林寺内町】
16世紀中頃、一向宗の京都興正寺・証秀上人が荒芝地を購入し「興正寺別院」を建立。近くの有力庄屋8人が町づくりを行い、合議制の宗教的自治組織として栄えたことに注目したいと思います。
ここは街道の交わる交通の要所として、また米、綿、菜種などの農作物と良質の水に恵まれたことから、商業が発展。酒造・米屋・布屋・鍛冶屋・樽屋・桶屋・大工など多くの商人・職人がいました。
現在15件の旧家(町家)が残っており、町も整備され、300年前にタイムスリップできる見事な街並みであり、ほとんどの旧家には現在も子孫が住んでおられることに驚きを隠せません。一度訪ねられることをお薦めします。
【旧杉山家住宅】
富田林の筆頭格の町家が、約1000坪の豪邸を誇る旧杉山家住宅。整然とした屋根、とてつもなく太い梁、二間もある大きな床の間、美を誇る狩野派の障壁画、数寄屋造りの洗練された座敷、煙の遮断を工夫した釜屋、など見事な建造物であり、重要文化財に指定されたのも肯けます。
明星派の代表的歌人与謝野晶子とならび讃えられた石上露子(いそのかみつゆこ)は杉山家の生まれ。三国一の美人と言われた露子は悲恋の生涯を送りますがその文学的才能は高く評価されています。
これで1日目が終了。雨にも降られず快適な史跡めぐりでした。
宿泊は、かんぽの宿。【天空の宿】と言われ、地上280mの展望室から、パノラマの夜景を360°遠くの大阪市街まで見ることができます。夜は懇親会で談論風発、有意義な会話に終始しました。
次週のブログでは引き続いて2日目の南河内の史跡巡りです。
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コメント
文字間違いを訂正します。
誉田八幡宮のところ
八幡宮から陵へ参拝する会談道があり、
↓
八幡宮から陵へ参拝する階段道があり、
お恥ずかしいことで、以後気をつけます。
投稿: のんちゃん | 2018年4月21日 (土) 13時20分