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2018年6月15日 (金)

素晴しきかな湖東…近江八幡市を散策する!

 642回目のブログです


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“時ありて 花ももみぢも ひとさかり あはれに月の いつもかはらぬ”
 
                               藤原為子(鎌倉後期の歌人)

 花も紅葉も、それぞれの季節があって、盛りを見せるのに、あわれ深いことに、月はいつも変わらぬ姿で空にあることだ…。

 たしかに、月はいつも変わらずに存在し、不変のあわれの情趣がしみじみと心に沁みますが、さはさりながら、春の花、秋の紅葉、それぞれの一時の美しい姿には、心浮き浮きとする情緒が自然に沸き起こってきます。

 

 梅雨のしっとりとした空間には、数多くの種類で多彩な色づかいを誇っている花菖蒲(はなしょうぶ)紫陽花(あじさい)が似合います。花あればこそ、ジメジメした鬱陶しさを払い除けてくれ、梅雨はつゆとしての情趣を味わうことができるのではないでしょうか。

 

(今回のブログは、先日の米朝首脳会談を取り上げるべきかも知れませんが、少しく時間を置いてから論じてみたいと思います)

 

 さて、日本の国土は、春、夏、秋、冬、のいずれの季節であってもそれなりの魅力を有しています。そのなかで、四季のなかで最も情趣豊かな春と秋に、古都である京都や奈良、およびその周辺の歴史と文化と自然に触れるべく、気の置けない10名前後の友人と、散策をはじめてから今回の散策で21回目、11年目に入りました。

 

 それにしても、どこを訪ねても、書物から得た多少の知識があるだけですから、実際に訪れると新鮮な驚きの連続です。わが国の歴史の奥行きの深さにあらためて感動するとともに、日本の四季のきめ細やかな変化と色彩の豊かさに感動を覚えます。

 

 610日、日曜日、わたし達は歴史に名を残す滋賀県の湖東にある近江八幡(おうみはちまん)市を訪れることにしました。天気予報では、当日は台風の影響により雨から大雨となっていましたが、晴れ男・晴れ女が居たからでしょうか、ほんの小雨が時折ぱらつく程度であり、曇り空のなか快適な散策となり、丸一日を満喫しました。

 

 京都駅集合 ⇒(JR35)⇒ JR近江八幡駅 ⇒(徒歩50)⇒ 八幡山ロープウェー  ⇒【八幡山城跡】⇒ 八幡山ロープウェー ⇒ 【日牟禮八幡宮】⇒(昼食)⇒【かわらミュージアム】⇒ 【八幡堀】⇒【近江商人の街並み】⇒ JR近江八幡駅打ち上げ解散 ⇒ 京都駅

 

 近江八幡市は、わが国最大の湖である琵琶湖の東にあり、人口81,000人。豊臣秀吉の甥から養子になった豊臣秀次が築いた城下町を基礎とし、近世は商業都市として発展しました。いわゆる近江商人の発祥の地として有名です。

 

 近江八幡駅から八幡山ロープウェー登り口まで歩きましたが、道路は、車道も歩道も幅広く、ゆったりとした街の印象を持ちました。

 

【八幡山城跡(はちまんやまじょうせき)


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(西の丸跡からの眺め)
 

 天正13(1585)、豊臣秀次により築城。標高272m、急峻な山に築城されましたが、今は石垣を残すのみです。西の丸跡からは、琵琶湖、比良山系の眺望が素晴らしく、何か往時を懐かしく偲ばせるものがあります。

 

 山頂は、徒歩で1周30分の適度な散策コースとなっており、本丸跡には秀次の母日秀尼が開基した村雲門跡瑞龍寺が移転されています。なかなかの散策コースです。

 

【日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)

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 日牟禮八幡宮の祭神は、誉田別尊(ほんたわけのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比賣神(ひめかみ)の三柱。創建は131()と驚くばかり古く、その雰囲気は境内全体にうかがうことができます。

 

 古くから近江商人の信仰を集め、毎年1000年以上の歴史を誇る「八幡まつり」(松明祭)が斎行されます。10mの大きな松明など30本が仕掛け花火とともに勇壮な火柱を上げるそうですから、一度は見てみたいものです。

 

 ここで昼食。近江牛の老舗が経営する八幡堀のレストランで牛丼を食しました。喉を潤すべく生ビールも合わせましたので、身体もシャンとしたところです。

 

【八幡堀(はちまんぼり)

 

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 八幡堀は、豊臣秀次が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を連結するために造られた堀であり、軍事的な役割と商業的役割を兼ねたもの。八幡堀により船や人の往来が増えたことで商業が発達し、江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たしました。堀沿いには裕福な豪商たちの白壁の土蔵や旧家が建ち並び、江戸時代を偲ばせます。堀沿いの花菖蒲が咲く小道を歩きましたが、水と花と石畳、いかにも風情のある道であり、まことに心の落ち着く見事な堀です。
 

【かわらミュージアム】

 

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 近江八幡は城下町として、また商業都市として繁栄し、歴史的な景観にも恵まれたまちです。その一端を支えたのが、八幡瓦の魅力を随所に生かした建築であるといえるでしょう。

 

 信長と秀吉は金(きん)を惜しげもなく使い権力と美を追求したといわれます。近江八幡市には信長型と秀吉型の2種類の「金箔瓦」が出土。金箔を瓦の凹面に貼る信長型は安土城跡から、金箔を瓦の凸面に貼る秀吉型は八幡山城跡と秀次館跡から。瓦にもいろいろな歴史があることを知らされました。残念なことに、近江八幡には瓦を製造する工場はもう一軒も存在していないとのことでした。

 

【近江商人の街並み】

 

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 近江商人発祥の地である近江八幡。その街並みは重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。かなり広範囲の街並みは往時の隆盛を示しており、ゆっくり散策しても飽きはこず、これだけ整備された古き街並みは記憶にはありません。景観の保存に尽力された努力に頭が下がります。

 

 この地は、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが住み、多くの近代建築作品を遺しています。

 

 近江商人と言えば、伊藤忠、丸紅、ワコール、西川、など多くの実業家を輩出しており、その商売の精神は「三方良し」(売り手よし、買い手よし、世間よし)として高く評価されています。日本型資本主義の極意というべきでしょうか、大したものだと思います。

 

 これで、湖東・近江八幡市の散策は終わり、近江八幡駅の近くで打ち上げのビールで乾杯のあと、帰路へと向かいました。

 

 みなさんにも、近郊の歴史散策をお薦めします。

 

次回は
時事エッセー
です。

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