“掃除文化”を誇ろう!
648回目のブログです
“朝な朝な 咲くか苔地の 花よりも さかりはみゆる
庭のあさがほ”
慶運(南北朝時代・天台宗の僧/歌人)
庭の朝顔は朝ごとに咲くせいか、はかないとされながらも、苔地に咲く花よりも生き生きとして見える…。
暑い日がつづきます。猛暑、熱暑、酷暑、炎暑、大暑、厳暑、いろんな言葉がありますが、これらが全て当てはまる異常な気候です。
気象庁では、夏の暑さを次のように分類しています。
夏 日:最高気温が25度以上
真夏日: ∥ 30度以上
猛暑日: ∥ 35度以上
この基準から判断すれば、猛暑日の連続というべきでしょう。早く落ち着いて欲しいものですが、なかなかそうはならないのではないでしょうか。そんな時は、清らかな朝顔の花に目をやり、夏の一時、こころを落ち着かせるようにしたいと思います。これが、ある意味で風流と言うものかも知れません。
こころが落ち着くと言えば、先日行われたW杯サッカー(日本はグループリーグ選を通過しましたが、残念ながら決勝トーナメント初戦で敗退)でのエピソードではないでしょうか。
■ W杯ベルギー戦敗退後もごみ拾い
海外メディア称賛
サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会から日本の敗退が決まった2日のベルギー戦後も、日本サポーターは会場でごみ拾いをし、英米メディアが好意的に伝えた。
英BBC放送のサッカー番組「マッチ・オブ・ザ・デー」はツイッターで、日の丸に身を包んだサポーターらが会場のごみを集める写真を掲載し「日本のファンは試合終了のホイッスル後もスタジアムに残って掃除した」と紹介した。
米紙USAトゥデーのスポーツサイトも「敗戦の失望をこらえて、日本のファンは再びごみを集めた」と称賛した。
(2018/7/3 47NEWS共同)
今回に限らず、海外では、日本人サポーターの「ゴミ拾い」に共感と賞賛の声をあげています。こういうことの反響が大きくあり、日本の学校をモデルとして、シンガポールでは2016年から、小中高の学校で放課後「掃除(SOJI)」の時間が導入されています。
シンガポールと言えば、街は全て清潔そのものと思い勝ちですが、年間2万数千人のポイ捨て罰金が科されていますから、完全に清潔なのは一部だそうです。SOJIの時間を導入するに当たっては賛否両論ありましたが、政府が実施に押し切りました。
ところで、わが国の小中学校では、原則的に掃除を実施していますが、掃除に反対する保護者がかなり存在していることに注目したいと思います。彼らの主張は…。(PRESIDENT Onlineより)
・毎日掃除にかける時間は“無駄”である。
・疲れて勉強がおろそかになる。なぜ子供に“労働”をさせるのか。
・掃除は“不潔”だ。
これに対して、小学校の松尾英明先生は、17年の教育経験から掃除の趣旨と効用について次のように述べています。
①気づき付きの場・褒められる場としての掃除
自分自身を汚すことで他をきれいにする…それが「雑巾」。
頑張りを認めてあげられる。子供の有用感が高まり「きれい
にするって気持ちがいいね」という価値観を共有できる
②思いやりの心を育てる場としての掃除
掃除は心の荒みを取り除いてくれる。
掃除を工夫し始めると、使う人のことを考えるようになる。
思いやりの心を自然と育む場として、掃除の価値は高い。
③学力を高める場としての掃除
掃除にしっかり取り組む子は、概ね家庭教育も充実している。
自分で考え、やらせてみる、責任をもたせる…学力向上
④掃除が大谷翔平選手のような人間を育てる
花巻東高校1年生時に立てた目標達成票のひとつに「運」が
あり、道具を大切に扱う、審判さんへの礼儀正しい態度
部屋掃除、ゴミ拾いなどで運を引き寄せるとしている。
松尾先生は、掃除には4つの効能があり、掃除教育、掃除文化の大切さを強調しています。これを読めば、掃除反対論の薄っぺらさとは比較にならない教育の深みを感ずるのは、私だけではないと思います。
企業では、特に工場においては、5S活動が実施されています。5Sとは、整理・整頓・清掃・清潔・躾(しつけ)のことであり、その内、もっとも基礎的なこととして3Sがあります。
【3S】= 整理・整頓・清掃
わたしは、色々な会社に伺いますが、整理、整頓、清掃が不十分な会社がまだまだあります。業績の向上を確保するためには効率のアップが必要であり、そのためには徹底した無駄の排除が不可欠です。
その基本に位置付けられるのが、5Sであり、なかんずく3Sです。そのうちの一つに清掃があります。企業の場合、単に掃除してキレイにすれば良いというものではなく、例えば、ゴミひとつ落ちていたら、それを拾うのはもちろんのこと、ゴミが出ないようにする工夫もしなければならないのです。
実際に清掃することにより、意識も変えて行かねばなりませんし、誠実に行っておれば自ずとそのようになるのではないでしょうか。
さて、海外で、W杯サッカー戦での日本人サポーターのゴミ拾いが明るい話題になっていた時、同じように、池袋でもごみ拾いが行われていました。戦いの翌朝からボランティアがごみ拾いを行ったのです。
本来は、全員が、ごみを持ち帰ればいいのですが、一部のサポーターはポイ捨てして痛痒を感じないのでしょう。残念としか言いようがありません。
海外での日本人サッカーサポーターのごみ拾いに、あらためて称賛しようではありませんか。
掃除文化を高く評価したいと思います。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
自分で使った場所、自分たちが汚した場所を掃除するのは、人間として当然の所為であり、放置したまま無関係な他人が掃除するのを傍観して心の痛まない人間は、本来いないのではないだろうか。ただ生まれた国によって、幼少期には痛めた心も、やがて掃除などの汚い仕事やキツイ仕事をやるべき人がいる、といったその国の大人の考え(精神文化の土壌)に染まって、やがて自分で汚したトイレも部屋も誰かが片づけるべき、という傲慢な意識に変容してしまうのではなかろうか。特に人種民族の入り混じった大陸諸国では古来から差別意識が強く、社会の下層を為す人々に掃除を任せて当然という文化が確立しており、それが現代に至るもなお残っている。一方、日本では時代ごとの身分制度はあったが、同じ日本人という意識が根底にあったためか、高貴な立場の人であっても掃除を穢れた業だと考えない精神文化が息づいてきた。文明の進歩と共に衣食住の中の汚れが人間の手を経ずに浄化される時代になっているが、人間が他の生物同様に生の営みを続ける限り、体内から生ずる汚れとも外的活動から生ずる汚れとも縁を切ることはできない。存在することから生ずるそれらの汚れを自ら浄める精神力・体力を備えて初めて社会に屹立できる自己が確立する、と私は思います。いずれにしても清掃を蔑視軽視する人は社会的地位が如何であろうと敬するに値しません。
投稿: 齋藤仁 | 2018年7月27日 (金) 15時29分