政治家の言葉と言論封殺!
659回目のブログです
“滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて
なほ聞こえけれ”
藤原公任(平安中期・千載和歌集・百人一首)
ここ大覚寺にあった滝の水の音が聞こえなくなってずいぶん長い年月が経てしまったが、その名声だけは世の中に流れ伝わり、今日でも人々の口から聞こえていることだよ…。
平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声 盛者必衰の理を表す」とありますが、栄枯盛衰は人の世の常。しかしながら、世の中には不滅のものがあります。名作、名品、優れたものは、作者の死後も生き続けるものではないかというのが、藤原公任の上掲の和歌の含意ではないでしょうか。
“名こそ流れて なほ聞こえけれ”というような人生を送りたいものですが、なかなかどうして、それだけ価値あるものに仕上がっていなくては、とうてい適いそうもありません。
言葉、言論もそうではないでしょうか。近年、総じて、言葉が汚くなってきているように思えてなりません。特に政治家の使う言葉に於いて。これは、野党、与党のすべてにおいて問題があると思います。
このたび、安倍首相が自民党総裁に選ばれ、10月2日、第4次安倍内閣が組閣されました。これに対しての評価は、野党側の批判は当然のことですが、その言葉に重みとか品位が欠けていることに注意を払いたいと思います。
・福山哲郎(立憲民主党幹事長)
①『女性が1人しかいないかく(内閣)』
②『全くわくわくしないかく(内閣)』
・小池 晃(日本共産党中央委員会書記局長)
①『見飽きた顔と見慣れない顔をかき集めたインパクトのない
布陣というのが第1印象』
②『閉店セール内閣』『在庫一掃内閣』
・宮本岳志(日本共産党衆議院議員)
『在庫期間が長すぎて埃の被った商品や、すでに欠陥が
明らかになった商品ばかりの品揃え』
・玉木雄一郎(国民民主党代表)
『内閣はかわったが、さまざまな問題点がすべてリセット
されるわけではない』
第4次安倍改造内閣は、大臣20人の内、女性は1人、男性19人ですから、安倍首相の掲げる“女性活躍”のキャッチフレーズは色あせたものに映ります。しかしながら、福山幹事長の、1人しかいない+ないかく、の「ない」を掛けた「いないかく」という駄洒落、親父ギャグは、何とも軽く、不真面目さを感じざるを得ません。
また、小池書記局長の言葉には、見飽きた顔と見慣れない顔という言葉がありますが、内閣改造とはそういうものであり、残留の大臣は見飽きた顔であり、新入閣の大臣は見慣れない顔であるのは当たり前のことではないでしょうか。また、評論家ではないのですから、閉店セールや在庫一掃という言葉は、非礼だと思います。
宮本議員の言葉はあまりにも品がありません。人間を埃の被った商品や欠陥商品に例えるなど、これで国会議員とは、残念ながら、人間としてのレベルを感じてしまいます。
玉木代表には、もう少し意味のある言葉を発してほしいものです。
■ 新潮45 休刊発表 LGBT差別謝罪
月刊誌「新潮45」が性的少数者(LGBTなど)を「生産性がない」などと否定する自民党・杉田水脈衆院議員の寄稿を掲載し、最新10月号で擁護する特集も組んで批判が集まっていた問題で、発行元の新潮社は同誌を休刊にすると発表した。老舗出版社が「顔」ともいえる月刊誌の休刊を決めたことは、言論・出版界に大きな波紋を広げそうだ。
(2018/9/26毎日新聞一部抜粋)
杉田水脈衆院議員の言葉が大きな波紋を呼んでいますので、これについて考えて見たいと思います。
【杉田水脈議員の言葉】(新潮45から)
『例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。』
杉田女史の「LGBTには“生産性”がない」と発言したことが野党及び支援者から大バッシングを受けました。
・L(レズビアン・身体と心は女性、性的指向も女性である人)
・G(ゲイ・身体と心は男性、性的指向も男性である人
・B(バイセクシャル・性的指向が両性である人)
・T(トランスジェンダー・身体の性別と心の性別が一致しない人)
たしかに「生産性」という言葉には疑問があります。この言葉は、機械的生産のニュアンスがあり、子供を産む、こどもを授かるという人間的なニュアンスから離れていると言わねばなりません。
それゆえに、杉田女史は、言葉のチョイスを誤ったことを素直にあやまればよいと思います。言葉の選択についてはもっと慎重になるべきではないでしょうか。過去、柳沢伯夫厚労相が女性を「産む機械」と発言して激しい批判を呼んだことがありますから。
もっとも、あの菅元総理大臣が『子どもを産むという“生産性”が最も低い』との発言にはマスコミはだんまり、批判の欠片も発しなかったのです。要するに、このような問題には政治的イデオロギーが絡んでいることも認識しておかねばなりません。
ところで、用語を別にすれば、杉田議員の「少子化対策の予算(お金)を120%子供ができない同性婚者、同性愛者に配布すべきではない」というのは間違ってはいない議論だと思います。ただし、T(トランスジェンダー)は別に考えるべき対象でしょう。
老舗の著名な出版社である新潮社は、この発言について、全体の真意をくみ取らず断章取義で「生産性」という言葉のみに焦点を当てた政治的イデオロギーに屈し、雑誌「新潮45」を廃刊としました。
何はともあれ、言論は封殺すべきではありません。新潮45は、翌月号にでも、非難する側に言論の場、反論の場を十分に提供し、大きな議論を巻き起こして行くことが社会の発展に役立つ最良策とし、言論封殺に屈した廃刊にすべきではないと考えます。
真の意味での言論の自由がある社会が望ましいのではないでしょうか。…言論の自由のないお隣の大陸や半島の弾圧政治ことを考えてみてください。
わが国は言霊の国。言葉については正しい使い方とともに豊かな感性が求められているのではないでしょうか。政治家には、鋭さのなかに人間味あふれる言葉を発してほしいと思います。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
野宗先生
いつも拝読させていただいてます。
ありがとうございます。
投稿: 古江 常太郎 | 2018年10月12日 (金) 11時20分