素晴しきかな古都…安倍文殊院を訪ねる!
664回目のブログです
“山深み 落ちてつもれる もみぢ葉の かはけるうへに 時雨ふるなり”
大江嘉言(平安中期・詞花和歌集)
山が深いので、散り落ちて積もった紅葉の、その乾いた葉の上に、時雨の降る音が聞こえるようだ…。
いよいよ紅葉の盛りを迎えようとしていますが、黄色から紅色までの微妙なグラデーションを静かに演じている木々を、あるいは、山々を観賞するのも素晴らしい事ではありますが、それらの木々の落ち葉が色なす綾も、これはこれで、なかなか情趣があるのではないでしょうか。
そう考えれば、今の季節、どこにおいても自然の妙手に感嘆の声を上げることができるように思えます。特に、古都である京都や奈良、およびその周辺には、歴史と文化と自然が豊富に存在しており、散策の先を選ぶことに悩みはありません。今回は、気の置けない友人9名と、奈良県桜井市にある安倍文殊院を訪れることにしました。
つい先日の11月11日の日曜日、いい月の、いい日、ですから、天も味方してくれたのでしょう。素敵な晴れの天候、快適な散策兼ウォーキングとして、丸1日を満喫することができました。
近鉄京都駅集合 ⇒(大和八木駅乗り換え)⇒ 大和桜井駅下車 ⇒
【桜井食堂】 ⇒ 【安倍文殊院】(本堂・金閣浮御堂・文殊院西古墳・干支ジャンボ花絵) ⇒ 【安倍寺跡】(史跡公園) ⇒ 大和桜井駅付近で打ち上げ ⇒ 大和桜井駅にて解散
桜井市は、奈良県中部に位置し人口57,000人。縄文、弥生の土器などが畑から出土する地であり、箸墓古墳など弥生時代の古墳も多く残っています。また、大神神社・談山神社・長谷寺、そして今回訪れた安倍文殊院などの由緒ある神社仏閣も多く、歴史の豊かさを誇っています。
さて、桜井駅を降りてから、目的地の安倍文殊院まではわずかに1.5kmですが、大回りして、まず昼食の腹ごしらえをすることにしました。
【桜井食堂】
近辺にはなかなか格好のレストランなどがないので“食堂”と称する処のお店の方が良かろうとのことで、ここを選びました。和食を中心として、おかずを自由に選べるので、散策時にはなかなか好都合。わたしは、焼きさんまと豚汁をおかずにましたが、素朴でまずまずの味でした。
【安倍文殊院】
大化元年(645)、安倍一族発祥の地である当地に、いわゆる大化の改新時の左大臣・安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)により創建。本尊は文殊菩薩。文殊菩薩は大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊であり、智慧を司る仏とされています。「三人寄れば文殊の智恵」ということわざもあり、良い結果をもとめてお互いに知恵を寄せ集めたいものです。
“日本三大文殊”は次の通りです。
・安倍文殊院(大和安倍・奈良県桜井市)
・知恩寺 (丹後切戸・京都府宮津市天橋立小字切戸)
・大聖寺 (奥州亀岡・山形県置賜郡高畠町亀岡)
お坊さんから、本堂で、安倍文殊院のことを分かりやすく説明していただきました。その中で興味を引いたことを2点。
・この文殊院の生計が“ご祈祷”だけで成り立っているとのことを聞き、驚くと共に感心し ました。近年、神社でも、寺院でもその経営、生計に苦心しているところが多いと聞きますので、ご祈祷だけでやっていけていることに敬意を払いたいと思います。前向きな進取の気性に富んでおられるのでしょう。安倍文殊院は平成19年(2007)から神社仏閣では初めて「電子マネー」を導入しているとのこと、たいしたものと感心します。
・安倍文殊院は安倍一族の発祥の地であり、奈良時代の遣唐留学生・安倍仲麻呂、平安時代の大陰陽師・安倍清明、と歴史に名だたる人物もこの地で出生されたとのことです。
“天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出し月かも”
(安倍仲麻呂)
【本尊:騎獅文殊菩薩像】
木彫の騎獅像。獅子の上に座した文殊菩薩像であり、高さは日本最大の7メートル。鎌倉時代の「快慶作」もちろんのこと国宝です。文殊菩薩の脇を固める善財童子像・優填王像・須菩提像・維摩居士像、そして台座の獅子など、渡海文殊菩薩群像のすべてが国宝ですから、これを圧巻と言わずしてどう表現すれば良いのかわかりません。見事の一言です。
何となく知恵を授かったような気になりましたが、本尊の拝観を終え、和菓子と玉露を一服、心を落ち着かせたところです。
【金閣浮御堂】
文殊池の中に建つ金色の六角堂であり、安倍仲麻呂、安倍清明などを祀ってあります。この浮御堂を7回まわり祈願しましたが、なかなか雰囲気のある六角堂です。
【干支ジャンボ花絵】
【文殊院西古墳】
切石積みの横穴式石室。羨道(えんどう/墓の地下道):長さ8m・幅2.3m・高さ1.8m、玄室(げんしつ/古墳内の棺を納める室):長さ5.1m・幅3m・高さ2.6m、というかなり大きな石室であり、天井の石が1枚石であることに驚きました。これだけの大きさゆえ、当時の高位高官だろうと思いましたが、案の定、文殊院の創建者である左大臣・安倍倉梯麻呂の墓と推定されているようです。石室の中に入った時は、やはりお墓ですから厳粛な気持ちにならざるを得ませんでした。
【安倍寺跡】
安倍文殊院の西南約300メートルにある飛鳥時代の寺院跡。安倍倉梯麻呂の氏寺として創建されましたが、後に安倍文殊院に移されたとのこと。今は、史跡公園として塔跡、金堂跡、回廊跡の一部の基壇が復原整備されています。往時茫々の印象はありますが、安倍文殊院の隆盛があれば安倍一族も大満足でしょう。
素晴らしい古都の散策、万歩計で13,800歩。最近はどこに行っても、人、人、人と慌ただしいのですが、安倍文殊院の静かな佇まいには、心なしかほっとした気分にさせられました。
あとは打ち上げ、冷たいビ-ルで乾杯のあと帰路へと向かいました。
いつもながら、近郊の歴史散策をお薦めします。
次回は
時事エッセー
です。
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