「統計」の信頼性を確立せよ!
676回目のブログです
“大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立”
小式部内侍(和泉式部の娘/百人一首)
大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙も見てはいません…。
当時、世間では、小式部内侍の歌が優れているのは、母・和泉式部が代作しているのではないかという噂がありました。それをからかった藤原公任の息子である藤原定頼に対して、丹後に居る母に頼っていない自分の歌才を示すために、間髪を入れず詠みあげたのが上の和歌です。
それにしても、平安時代上流階級の文藝における感性の鋭敏さには圧倒されます。
そのような鋭い感性の真逆にあるのが、先週のブログの後半で触れた政府統計の不適切調査であり、この考えられない犯罪とも言える行為について、詳しく考えて見たいと思います。
昨秋「厚生労働省」の『毎月勤労統計調査』で賃金上昇率が高めに出ている問題がエコノミストあたりから指摘されていました。この疑問を解明すべく総務省が独自に数値を精査したところ、東京都の500人以上の事業所では全数調査すべきところを一部抽出調査していたとの告白があり、不適切な調査が浮上したのです。
問題点を詳しく見ていきましょう。(第1生命経済研究所・Economic
Trends1/16を参考)
①500人以上の事業所については全数調査とされていたにもかかわらず、そのルールが無視される形で東京都では抽出調査となっていたこと。
これは手続きの不正。東京都で本来調査されるべき500人以上規模の事業所は1464ですが、実際は491事業所(約3分の1)しか調査しなかったのです。もしも、このような抽出調査に変更したい場合は、総務省に申請し、適切かどうか検討されなければならないにもかかわらず、厚労省の判断で変更したようです。
厚労省という有力省庁が、国家の重要な「基幹統計」調査で、安易にルール無視を行うのは犯罪的と言わねばなりません。
②適正な手続きを行わずに一部で抽出調査に変更していたにもかかわらず、抽出調査を行う際に必要となる処理(復元/補正)が行われていなかったこと。
これは数値処理の誤り。東京都における抽出調査は平成16年(2004)から始まっていたにもかかわらず、厚労省は復元処理をしなかったのです。東京都以外の500人以上規模の事業所は全数調査であり、それに合わせるようにするには、東京都は抽出調査(抽出率・約3分の1)の数値に3を乗ずれば良いだけです。3を掛ければ良いのですから、実に単純なことと言わねばなりません。…信じられません。
東京都は大規模事業所が多く、平均給与は他府県よりも大幅に高いため、このウェイト低下に伴い、全体の平均給与が実態よりも低く算出されたことになります。何ともはや、統計の数値が実態を表わしていないという摩訶不思議かつ無意味な存在に成り果てたと言わざるを得ません。
③平成30年(2018)1月以降のみ復元処理を行うことにした結果、数値の連続性が失われてしまったこと。またそのことについてアナウンスがなかったこと。
これは不適切な数値処理ならびに不適切な情報提供。平成30年(2018)以降のみを復元処理したとなれば、平成30年(2018)1月から12月までの前年度比は実態と較べて高くなります。
本来ならば、平成16年(2004)から復元しなければならないのですが、復元に必要なデータが存在するのは平成24年(2012)以降のみとのことです。しかし、果たしてこれも事実かどうか、過去「裁量労働制における労働時間の不適正調査データ」や「消えた年金記録問題」のこともありますので、厚労省は全く信用できません。また、昨年の給与アップの数値が連続性のない浮いた数値となっていることも知らず、アベノミクスの成果を強調した首相・官邸はある種の気の毒なピエロと言えるかも知れません。それとも官邸による捏造の指示だったのかは、まさか……。
この不適切調査の影響ははかり知れず、多岐にわたるでしょう。
・平成16年(2004)以降の不適切調査数値の早急なる復元
・雇用保険、労災保険への遡っての差額給付……795億円
・GDP統計の改定
・日本国の経済統計への国際的信用の毀損
特にわが国の国際的信用の低下は避けられないと思います。日本国・日本人の名誉回復には時間が掛ることを覚悟しなければなりません。しかし、なぜこのような重大な過失が起きたのか、思うことを述べてみます。
統計法の第60条には「基幹統計の作成に従事する者で基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為をした者は、6ヶ月以下の懲役又は50万円以下の罰金に処す」となっています。この条文に照らせば、今回の厚生労働省の基幹統計不適切調査は、犯罪に当たるほど重大な過失ではないでしょうか。
今回の事態を見るに、何か責任感の欠如の様なものを感じます。そして、国家公務員としての自覚が薄く、緊張感に欠けているように思えてなりません。
統計は国家の重要な基盤を成すものとして位置づけたのは吉田茂でした。吉田茂は、統計というエビデンスに基づいた意思決定や原理原則に沿った意思決定を重んじており、戦後復興のためには政府統計の充実が極めて肝要であると考えていたのです。その意味を踏まえ、政府統計に携わる人は国家の基礎に存するのだという気概を持ち、業務に励んでほしいものです。縁の下の存在かも知れませんが、誇りある崇高な仕事と言えるのではないでしょうか。
時代は大きく変貌しつつあります。経済も、製造業からサービス業へとシフトし複雑な様相を見せている時であるにもかかわらず、おそらく、政府統計に携わる人員が従来のままに置かれており、人員が少なすぎるために目が届かないこともマイナスに作用しているように思えてなりません。
今回の事態を奇禍として、政府としては、あらためて統計処理の充実を期すべきであり、滋賀大や同志社大にはデータサイエンスを中核とした学部はありますが、分かりやすい「統計学部」の新設なども検討すべきではないでしょうか。
何はともあれ、統計の信頼性を確立することが肝要です。
みなさんはどのようにお考えでしょうか
次回は
時事エッセー
です。
| 固定リンク
コメント
この件の報道に接して以来、あいた口がふさがらず、食事もままなりません。今回の野宗氏の御指摘、解説によって、一層、事の重大さが如実に感じられました。このところいろいろ見聞きする、日常の活動を侵食している綻び。政・官・財・民・メデイアはもとより一般人も含めて、社会の足元をしっかり立て直す機会にしなくては、と痛感します。
投稿: kawaski akira | 2019年2月 8日 (金) 09時57分