一億総悲観論を切る!
675回目のブログです
“木の葉なき 空しき枝に 年暮れて また芽ぐむべき 春ぞ近づく”
京極為兼(鎌倉後期・玉葉和歌集編者)
木の葉が落ち尽くし何もない枝に一年が暮れ、また新しく芽ぶきの春が近づいてくるのだなあ…。
一見すると既に枯れたかのような冬の木々ですが、再び春が巡ってくれば、また新しい清々とした生命が萌え立ちます。日本の四季は春から始まり、夏、秋、冬と廻っていくのであれば、その春の力強い立ち上がりを、感動をもって受け止めるとともに四季の一巡に大いなる期待を込めたいものです。
さて、世界が緊迫化し明日の予測さえも立てられないほど複雑な情勢にある時、わが国では最近「日本は終わっているのではないか」という話をよく聞きます。あるいは、インターネットスラングで「日本オワコン」という言葉も出てきます。オワコンとは「おわったコンテンツ」のことであり、一時は栄えていたが現在では見捨てられてしまったことを意味します。
要するに、一億総悲観論というところでしょうか。昭和32年(1957)社会評論家の大宅壮一は「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、白痴番組のオンパレード、テレビばかり見ていれば想像力や思考力が低下し“一億総白痴化”を来たす」と言いましたが、その一億総……にならえば、確かに一億総悲観論に陥っているかも知れません。
日本は終わっている論の理由を一部あげてみます。
・少子化が進み80年後には人口が5,000万人以下になる
・2040年までに約900の地方自治体が消滅する
・財政は近いうちに破綻する
・年金制度は崩壊する
・日本は技術力で中国や韓国に抜かれつつある
・次世代ではノーベル賞をとれない
・キャッシュレス社会が進まず世界から取り残される
果たして、日本は終わっているのでしょうか。上掲の項目について考えて見ましょう。
・(人口5000万人)将来の人口減が確定したかのような議論が横行していますが、確定数値ではなく予測の数値です。今、議論すべきことは、人口減の防止、人口の維持、人口の増加についての対策を根本的に講じることであり、それが十分なされていないことに問題があるのではないでしょうか。
・(900自治体消滅)10,000人以下の自治体が存続できないとした場合の数値ですが、地方が消滅することとは異なります。これも、地方再生の道を、単なる経済的観点からだけではなく、国土保全、安全保障などの国家的観点を加えた“地方再生基本プラン”(田中角栄元首相の土建流ではない)を作成し、対処する以外に道はないと思います。
・(財政破綻)財務省、マスコミから、財政は破綻するすると何年も前から高説が述べられてきましたが、今、どうなっていますか。破綻していないではないですか。国家の財政について、資産を除外して負債のみを強調し“破綻する・破綻する”の合唱は国民を惑わすばかりです。企業の再生時には、経理の実態を明確にしてから対応策を講ずるのが普通であり、国家財政の再生も、財政の真実を明らかにしてから諸策を講ずべきではないでしょうか。
・(年金崩壊)真実のデータを冷静に議論してから、崩壊論を唱えて欲しいと思います。年金の崩壊はないと断言する学者もいることですから。
・(技術力)中国や韓国が素晴しい技術を発揮していることは疑いもありませんが、日本の技術もそれなりに発展、進歩してきていることも事実ではないでしょうか。オワコン論は間違っています。
・(ノーベル賞)わが国が、国家をあげて基礎研究に注力しなければ、次の世代ではオワコンになるかも知れませんが、技術立国“日本”を支えるためにも基礎研究にも力を入れることは大切です。そして、忘れてはならないのは、その成果を日本の技術力向上に振り向けることではないでしょうか。
・(キャッシュレス社会)現金主義かキャッシュレスかは、時代の流れで決まってくるものであり、これ一つで、日本は終わった、韓国は素晴らしいと言うのは、大きな間違いだと考えます。韓国は確かに、サムソン・LG・SKなどの優れた財閥がありますが、国全体として他国からは全く尊敬されていません。そんな国をキャッシュレス化が進んでいるからというだけで褒め称える日本の政治家(ex.有田芳生参議院議員/立憲民主党・1/27 Twitter)の感覚にはあきれてモノも言えません。
わが国に“悲観論”が蔓延する原因は二つあると考えます。
①日本人はどちらかと言えば悲観論が好きです。従って、悲観論での予測であれば、間違っていたとしても文句を言われなくて済みます。明るい見通しを語って間違っておれば、それ見た事かと叩かれてしまいますから、悲観論がはびこりやすいのではないでしょうか。
②マスコミ、政治家、文化人、社会的リーダーの中に、日本を貶める見方に喜びを感ずる人たちがそれなりに存在することです。彼らは、学校教育や社会の雰囲気で知らず知らずのうちに「自虐史観」「反日姿勢」「サヨクリベラル思想」「媚中・屈韓・親朝」を身に着けたものと思います。
ところで、わが国は先のない国なのでしょうか。外国人が日本を極めて高く評価する項目に「国際貢献」「世界で一番住みたい国」「社会の安定・安心安全」がありますから、そう悲観的になることはありません。
もっとも、国際貢献については、ODAとして、日本から中国へ過去3兆3,000億円供与しましたが、中国は恩義も感じず、感謝も一切ないのですから、日本の国際貢献は評価さえしていないことになります。また、昭和40年(1965)韓国に対しても日韓基本条約で韓国国家予算の2倍(現在に直せば86兆円という厖大な金額)供与していますが、恩義も感じず、感謝も一切ありません。
その他、日本を悪しざまに悲観しなくても、長所を覗いてみることも時には必要かも知れません。・治安が良い・時間に正確・清潔な環境・礼儀正しい・責任感がある・協調性がある・常識を重んじる・商品の品質が良い・生水が飲める・健康で豊かな日本食・多様なサブカルチャー・伝統ある神社仏閣・自然との調和……などいくらでもあるようです。あまり悲観しなくてもよいのではないでしょうか。
しかし、そう楽観視することはできない事象が発生しました。厚生労働省の「毎月勤労統計」で不正調査問題が発覚。他の基幹統計でも続々見つかっており、霞が関全体を揺るがす事態に発展しています。国家の根幹に関わる基幹統計で14年もの間不正が行われていたことは、極めてゆゆしき事態であり早急に原因究明し、改善しなければなりません。
企業でも、どんな組織でも、政策は「正しい統計」に基づいて立案されなければなりません。統計を正しく取り扱うことができるかどうかが国家の成熟度のバロメーターと言われているのです。
その意味では、今回の厚労省不正調査事件は極めて深刻であり、これこそが「日本は終わった」と言われかねない点を含んでいるように思えてならず、この問題は決して政局にしてはなりません。
嗚呼、公に尽すべき官もここまで落ちたのか…、単なるミスであることを祈るばかりです。
(それとも、19世紀英国の首相・ディズレーリの名言“世の中には3つの嘘がある。ひとつは嘘、次に大嘘、そして統計である”の方が真実なのでしょうか)
本当に大変な事象です。みなさんはどのようにお考えでしょうか
次回は
時事エッセー
です。
| 固定リンク
コメント
野宗氏のご説こそ、憂国者の卓説だと感じました。 統計とは、「集団における個々の要素の分布を調べ、その集団の傾向・性質などを数量的に統一的に明らかにすること」でありまた、「その結果として得られた数値」(広辞苑)であるとすれば、正しき統計的アプローチを蔑にしては、建設的な議論も、政策も成り立ちません。行政府における今回の不正は、政策も、議論も、その足元から崩れていくような、とても怖いことが起きているのだと思います。「おわスタ(STATISTICS)は、怖い」
投稿: kawaski akira | 2019年2月 1日 (金) 11時25分