待たれる新元号…元号について考える!
680回目のブログです
“天てらす 神の御光
ありてこそ わが日の本は くもらざりけれ”
明治天皇御製(明治43年)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御神光が六合(くに)のうちに照り徹(とほ)りてあればこそ、わが日本の国は曇ることなく晴れ渡るのである…。
日の神の子孫の治める国、だから日の本「日本」なのです。国生みの神話と建国の神話と皇統は一続きのものであり、この神話を無視しては日本の国柄は解らないのではないでしょうか。
いよいよ改元の時が迫ってまいりました。5月1日、践祚・改元の儀式が厳粛にとりおこなわれ、新しい御代を迎えることになります。今上陛下で125代ですから、次は126代、永い、永い、誇るべき歴史の新たな積み重ねを目前にしているのが今だと言えるでしょう。
改元に先立ち、4月1日には新元号が発表される予定になっていますので、ここで「元号」について考えて見たいと思います。
わが国では日常使用するにあたって、元号と西暦の二つがあり、近年では、徐々に西暦の使用が増えているようです。全国紙の日付欄の表記は以下の通りです。
・朝日新聞 西暦(元号) 昭和51年(1976)元号(西暦)より変更
・毎日新聞 ∥ 昭和53年(1978) ∥
・読売新聞 ∥ 昭和63年(1988) ∥
・日本経済新聞 ∥ 昭和63年(1988) ∥
・産経新聞 元号(西暦) 変更せず
これを見れば、わが国の歴史の中心に対する姿勢、考え方がよく分かります。わたしは、例えば今であれば、平成31年(2019) と表記し、いままでずっとこのスタイルで来ましたが、特に問題はなかったと思います。
現在、元号を使用している国は「日本」以外にはありません。古き時代に、中国、ベトナム、朝鮮で元号が取り入れられたことはありますが、現在は使用されていません。
日本の元号(年号)の始まりは大化の改新の「大化」(西暦645年)です。爾来、現在の「平成」まで247の元号を数えます。元号の漢字は、天平の時に四文字が数回使われただけで、他はすべて二文字となっています。そして、明治以後は「一世一元」であり、改元は御代替わりの時しか行われません。
さて、この元号に対して、その存在価値に疑問を投げかけた論稿が、東洋経済オンラインに載っています。(H30/7/26)
『世界で日本だけが「元号」に固執し続ける理由』
このガラパコスな慣習はいつまで続くのか?
元号は今もなお天皇の権威を示す記号なのでしょうか?
鈴木洋仁(事業構想大学院大学准教授)
中身を読まなくても、この見出しを眺めるだけで、理解できそうです。わたし流に反論、批判をしてみましょう。
①“「元号」に固執”とありますが、固執とは、自分の意見を主張してまげぬこと(新潮国語辞典)とあるように、むりやり自分の主張を通すことであり、良い意味には使われません。裏から陰険に非難する用語を使うべきではないと考えます。
学者として客観的に分析しようとするのであれば、陰険な用語は使わず『世界で日本だけが「元号」を継続しようとする理由』とのタイトルにすべきです。
②“ガラパコスな慣習”と言いますが、元号は、単なる慣習ではなく「大化」以来1300年以上続く日本国の伝統なのですよ。あだや疎かにすべきものではありません。慣習は意識するしないにかかわらず続いていくものを言います。元号は一般的な慣習とは異なり、時代を拓こうとする強い意識でもって決められてきたものです。たとえガラパコスであっても、聖なるもの、美なるもの、徳なるもの、真なるものであるならば、それを保持することは正しい認識に基づくものと言えるのではないでしょうか。
③“元号は今もなお天皇の権威を示す記号なのでしょうか?”とあります。このフレーズから解釈すると、准教授は、今までの元号は単なる記号であり、新元号は内閣総理大臣が選定するものであるかぎり、天皇の権威を示す記号でさえないとの主張に聞こえます。
わたしは、元号は日本の歴史を体現したものと考えます。単なる記号ではないはずです。わが国の歴史を翻って見ても、大きな事象は元号で表すのが最もしっくりと行くように思えます。
また、たしかに、天皇陛下が元号を選定され、御示しされる方が永い歴史の精髄に沿っていると思います。
全般的に見て、鈴木准教授の見立ては、余りにもシニカルすぎます。もう少し、柔軟に、歴史を大切にするという普通の感覚で論をすすめて貰いたいと思います。歴史というものは、単純に捨てるものではなく、暖かく育み、後世に引き継ぐものではないでしょうか。
日本の近代化である明治維新は、ヨーロッパや中国の革命の血なまぐささとは異なり、最小限の紛争で決着し、穏健な政治姿勢が終始貫かれ、いろいろな難関を見事切り開き成功へと進むことができました。これも偏に、幕府が政治権力を大政奉還により天皇にお返しし恭順の意を示したこと、そして、明治以後、立憲君主制としての天皇を戴き、国の安全と国富の強化、四民平等、国民の安寧と教育の深化につとめたことによるものです。
わたし達の父祖は、常に天皇と共に歴史を歩んできたのです。
歴代の天皇は神武天皇から今上陛下まで125代、皇紀2679年の輝かしい歴史を有しています。そして、元号、年号は「大化」から「平成」まで、これまた1374年の輝かしい歴史でもあります。
永い歴史を持つことは誇りです。わたし達現代日本人は、今、熱い目が注がれている「縄文」から数えると1万5000年の悠々とした歴史の上を歩んでいることを認識しようではありませんか。
もう、自虐・反日の思想は放り投げてしまいましょう。そして、永い歴史に包まれた豊かな文明を誇りに思う普通の感性をとり戻そうではありませんか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
元号も記号論で見れば一つの文化的符牒のようなものと言えるし、記号であれば同じ概念を別の記号で代用することも可能だと言える。日本の元号を西暦で代用することも可能だし、その逆も可能である。同じことなら欧米の文化に倣って西暦を用いた方がいいと考える日本人がいても不思議ではない。明治維新時や昭和の終戦時に英語の国語化を主張した知識人などもいる。欧米の合理主義は普遍的なもの即ち世界の基準となるという彼らなりの確信があったのであろう。政府の総力をあげて取り組んできた十進法に代表されるメートル法もその一例である。広さの尺度(町・反・畝・坪)、度量衡の尺度(尺・寸や貫・匁)で、多くの国民はこれらの言葉も知らないが職人は現在も用いている。但し問題は、彼らの理想としてきた西洋でもフランスはメートル法(十進法)だが英米は21世紀の現在もヤードポンド法という非合理的な単位を用いている。またキリスト教も偶像崇拝を禁止だが、現実にはマリアや聖徒など多くの偶像が崇拝されている。福沢諭吉は「お札信仰」を旧時代の迷妄の象徴と揶揄したが現在も盛んである。生活文化の多様性の中に個人や集団、民族の存在価値がある。人間の価値尊厳と文化の多様化は切り離せない。ちなみに欧米流の合理化を主張した我が国の知識人も私生活は合理主義にほど遠かった。
投稿: 齋藤仁 | 2019年3月 9日 (土) 09時27分
「中国では、漢の武帝が、紀元前140年に「建元」と号したことから始まった」とのこと。(皇帝が時をも支配するという思想によるもの。)日本では、天皇が制定権をもっていたわけですが、即位・瑞祥・災異などもろもろの理由によって改元されたことは、まさに「日本の歴史を体現」したものなのでしょう。(こう考えることは、とりもなおさず、ソシュール記号論の「記号」として元号をとらえていることになるのではありませんか。)しかし、明治以降の運用の変化を考えると、野宗氏が力説されるほど、元号の意義と霊力が続いているのか、あるいは今後も続くのかは、おおいに疑問です。ちなみに小生は、昭和以前の時代は元号表示が先で西暦に変換し、平成に入って以降は西暦表示のみが馴染みやすいです。さて、新元号に「安」の漢字が入っているでしょうか。
投稿: kawaski akira | 2019年3月 8日 (金) 11時45分
新元号について国民の関心が高まっています。元号にはどのような理想が掲げられ,いかなる願いが籠められているものとなるのであろうか。
長い歴史を顧みると,国内に天災,飢饉,疫病などが発生すると,天皇はご自分の不徳のいたすところであるとして,譲位,改元を行われたこともありました。
江戸時代,徳川幕府は天下の全権を掌握し,法制を制定して朝廷の権限を抑制しましたが,官位の授与,暦の制定,改元の制定については天皇の大権として認めていました。その大権が現憲法では認められていないことは,歴史に逆行したものであることを示しています。
元号とは単に時間の経過を示す記号ではなく,天皇と国民の願いが籠められたものであることを示しています。
それゆえに元号の制定には,慎重な審議が必要なのであり,また元号の意義を再認識する好機ともなりましょう。
投稿: 安見隆雄 | 2019年3月 8日 (金) 09時34分