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2019年4月 5日 (金)

“平成”から“令和”へ … 新元号に思う!

 684回目のブログです

2019451 (万葉集)

“春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ”
             山上憶良(奈良時代初期・万葉歌人)

 春になると真っ先に咲く庭前の梅の花、この花を、わたし一人見ながら長い春の日を過ごすなどどうして出来ようか…

 大宰帥(大宰府長官・九州総督/外務大臣兼務)の重職にあるとともに万葉歌人でもあった大伴旅人は、天平2年正月、文化人30余名を招き観梅の宴を催しました。その折詠まれた32首が万葉集に載せられました。そのうちの一首が上掲の山上憶良の歌です。

 4月1日、新しい元号が発表。新元号は“令和”(れいわ)。「令和」の文字の出典は、万葉集巻五に収録された梅花の歌(32首)の「序」からです。

 “初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、
   梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす”

  (初春のよき月にして、空気はよく風は爽やかに、
   梅は鏡の前の美女が装う白粉のように白く開き、
   蘭は身を飾った香のように薫っている)

 万葉集は、奈良時代およびそれ以前に詠われた4536首を収めた日本最大の古典のひとつであり、天皇、貴族、官僚から、農民、防人に至るまでの歌を集めた「国民歌集」と言われます。

 新元号は万葉集からの出典ですが、中国の古典である文選にも「仲春令月、時和気清」という言葉があるようですから、和漢折衷と言えるかも知れません。

 新元号は4月1日午前11時40分、菅義偉・内閣官房長官が、墨痕鮮やかな文字『令和』の額を掲げ、発表しました。この映像は北海道から沖縄まで、全国いたるところに流れ、一瞬にして全国民の瞼に焼き付いたものと思います。

 新元号への感想について、ロバート・キャンベルさん(東京大学名誉教授/国文学研究資料館館長/TVコメンテーター)は次のようにツイートしています。

 “「令和」ぱっと見で「和せしむ」と読み世の中が平和になるよう
   仕向けること、平和に「させる」心で感心もしたが、万葉集
  「梅花歌」序の季節感あふれる取り合わせだと分かり再度合点。
  文選「仲春令月、時和気清」(張衡「帰田賦」)へのオマージュを
  含めてナイスチョイス。と言って、和せしむもいいなと”

 さて、この新元号について、あるいは元号について、わたしの感想を述べたいと思います。

 「令和」の発表映像をみての直感は次のとおりです。

    ・文字面がしっかりしている。
    ・新鮮な響き。発音が明るく軽快である。
    ・穏やかな中に凛としたイメージがある。

 新元号が日本の国書、それも、文化の香り高い万葉集に典拠していることに大変な喜びを覚えます。万葉集は国民歌集であり、素朴、伸びやか、雄々しさ、豊穣な美、豊かな人間性を率直に表現しており、古典のなかの古典と言っても言い過ぎではありません。

  わたしも万葉集は好きですが、全てを読んでいませんので、この新元号、新時代に絡めて、あらためて読破しようと思っています。

 新元号「令和」の決定まで、選定の経緯を秘密にしたままに進めるには大変な苦労があったかと思いますが、政府が、菅官房長官を中心に立派にやりとげたことに敬意を表します。

 しかし、発表の翌日、4月2日には、本来、マル秘にすべき新元号の原案が漏れてしまいました。関係者に“精神の弛緩”があるからでしょう。わたしは、これには政府基幹統計の不適切な処置に通底するものを感じますが、いかがでしょうか。

     <新元号案>
       「 英 弘 」(えいこう)
       「 久 化 」(きゅうか)
       「 広 至 」(こうし)
       「 万 和 」(ばんな)
       「 万 保 」(ばんぽう)
       「 令 和 」(れいわ)

 「平成」のイメージは、国際的には、ベルリンの壁破壊、ソ連社会主義体制崩壊、イラク戦争、NYテロ、イスラムテロ、リーマンショック、トランプ大統領登場、などプラスマイナスいろいろ。国内的には、バブル経済の崩壊、非自民党政権誕生、オウム地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、東日本大震災・福島原発事故、などマイナス面ばかりが目立ちます。

  国内経済を振りかえれば、安倍首相、一強体制はできたものの、アベノミクス政策3本の矢の金融緩和1本が辛うじて成果を得るも、2本目の財政投資、3本目の成長戦略には全く注力せず、財務省の財政規律最優先に従うことにより成果はなし。アベノミクスは実らず33点。日本経済は縮小均衡へ、国際社会における地位の低下はいよいよ明白になってきました。

  今のままですと、安倍首相にはいわゆる「レガシー」(遺産・業績)はありません。憲法改正、北方領土返還、北朝鮮拉致被害者帰国、国民所得の大幅増加、中韓の反日的歴史攻勢、靖国参拝、などどれもスローガン倒れの様相を呈しています。

 そうだとすれば、新元号による新時代において、積極的な平和主義、積極的な経済成長、積極的な国益確保、積極的な安全保障体制の確立を目指す以外に、わが国の道は拓かれないのではないでしょうか。

 新元号については、本来は、政府が新元号を内定の形で発表し、改元の政令には、これからの時代を担われる新しい天皇が御名御璽の署名・押印されるべきでしょう。そして、天皇が詔書で公布されることが望ましいと思います。

 新元号の選定が、内閣、総理大臣で決められるのにはかなり違和感があります。今回の総理談話を聞いても、自己の政治への利用ととられる表現が見受けられますから。そうだとすれば、新元号の選定は天皇大権事項とすべきではないでしょうか。それが、歴史に則った自然な流れだと思います…。

 以上、思いつくままに書きました。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

次回は
時事エッセー
です。

 

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