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2019年6月14日 (金)

「五個荘」…近江商人の街並みを訪ねる! 

 694回目のブログです

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 “すくすくと 生ひ立つ麦に 腹すりて 燕飛びくる 春の山畑”
                  橘曙覧(幕末・国学者/歌人)

 勢いよく伸びている麦の穂に腹をするくらいに低く燕が飛んでくる、春の山一面の麦畑よ…。

 勢いよく伸びている麦の穂、溌剌と飛ぶ燕、目の前を広がる春の山。自然と鳥とが生き生きと融合した姿を見事に詠んだ素晴らしい和歌です。

 先日、気の置けない友人10名と近江商人のふる里「五個荘」(ごかしょう)を訪ねました。五個荘一帯はめずらしく麦畑が多かったのですが、上記の和歌にあるような燕には出くわせず、替わりに、それこそきわめて珍しく「雲雀」が、垂直に、ぴーちくぱーちく鳴き揚って行くところを見ることができました。麦畑に雲雀、なかなか長閑な素晴しい景色でした。

 JR京都駅集合 ⇒(琵琶湖線)⇒ JR能登川駅 ⇒(近江鉄道バス)⇒ 五個荘「ぷらざ三方よし前」停留所 ⇒ 金堂町/伝統的建造物群保存地区散策 ⇒ 昼食 ⇒ 外村繁邸 ⇒ 外村宇兵衛邸 ⇒ 中江準五郎邸 ⇒ 観光センター ⇒ バス停「ぷらざ三方よし前」⇒(近江鉄道バス)⇒ JR能登川駅付近で打ち上げ ⇒ JR能登川駅 ⇒(琵琶湖線)⇒JR京都駅解散

 当日は曇り空、雨も霧雨が1~2分降っただけで、暑い太陽の光もなく、疲れもほとんど感じない快適な一日でした。

 五個荘は琵琶湖中部の東側にある東近江市に位置、近江商人のふる里として有名。近江(現在の滋賀県)に本宅・本店を置き、他国で商いをした商人を総称して「近江商人」と言います。出身地域によって、高島商人(高島)・湖東商人(五個荘/豊郷)・八幡商人(近江八幡)・日野商人(日野)とよばれています。

 わたしは既に日野と近江八幡を訪れましたので、今回の五個荘で近江商人のふる里のほとんどを訪れたことになります。もっとも、伊藤忠、丸紅の出身地である豊郷には又の機会に訪れたいと思っています。

【五個荘金堂町】(重要伝統的建造物群保存地区)

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 五個荘は湖東平野のほぼ中央に位置し、街並みは条里制地割を基礎に、集落中心に陣屋、神社仏閣、周辺に農家が集まる農村集落として出来上がっていました。これに加えて、近江商人発祥の地としての商人本宅の見事な構え(板塀・入母屋造りの主家・数寄屋風の離れ・土蔵・納屋・池や築山を配した大きく壮麗な日本庭園・「かわと」や「あらいと」で水路の水を引き込み生活用水に)が数多く建ち並んでいる景観は、さすがに重要伝統的建造物群保存地区として肯けます。

 街並みを散策しましたが、静かななかに凛とした雰囲気があり、何となく近江商人の心意気が感じられ、これぞ歴史散策の醍醐味と納得した次第です。

【外村繁邸】(外村繁文学館)

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 外村宇兵衛の分家が小説家・外村繁の生家。江戸末期の建造、総面積726坪、建物面積150坪、門を入ると川の水を取り入れた川戸と呼ばれる水屋があり、の広さは目を瞠らされます。典型的な日本家屋であり、の太さとの際立った大きさは圧巻。窓ガラスもいわゆる「レトロガラス」が使われており、少しく揺らいで見えるところは何とも言えない風情を感じさせてくれます。女中部屋、小説を書いていた小座敷も一見の価値があります。

【外村宇兵衛邸】(てんびんの里伝統家屋博物館)

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 外村宇兵衛家は、五個荘商人として活躍していた外村与左衛門の分家。文化10年(1813)独立して商いを始め、東京・横浜・京都・福井などに支店を有し呉服類の販売を中心に商圏を広げ、明治時代には全国の長者番付にも名を連ねました。

 四代目宇兵衛元亨は、これからは洋服の時代と考え、大正7年(1918)御幸毛織を株式会社化し、高級紳士服メーカーの礎をつくりました。

 外村繁邸の本家筋に当たりますからそれに相応しい建屋です。見上げるばかりの天井、破格の大きさの梁、作庭当時神崎郡一番と評された庭、まさにこれぞ近江商人の簡素な中にも豪華な設えの本宅を実感した次第です。

【中江準五郎邸】

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 この中江準五郎邸は、戦前に朝鮮半島・中国大陸を中心に20数店の百貨店を経営した「百貨店王」三中井一族の五男である中江準五郎の本宅。
 屋敷は、2階建ての切妻瓦葺で庭は池泉回遊式となっており、2階からは、まるで当時にタイムスリップしたかのような眺望を楽しめます。
 蔵の中には、郷土玩具・小幡人形と土人形が多数展示されていました。

 近江商人の三つの邸宅をじっくりと見学しましたが、簡素にして豪華な造りのなかにある種の美的センスを窺わせてくれます。これだけの財をなすには近江商人としての不断の努力があったればこそ、…それは「天秤棒一本で財を成す」「近江の千両天秤」という言い回しを見ればあきらかです。

 『近江の千両天秤』には“天秤棒一本あれば行商をして千両を稼ぎ財を成す”という、近江商人の商魂の逞しさと同時に、千両を稼いでも行商をやめず、初心を忘れることなく商売に励むという教訓が籠められており、今も昔も近江商人にとってそれが歴史的・精神的な原点となっているのではないでしょうか。

 近江商人はどんな人だったのでしょうか。それは、江戸~明治時代に活躍、「質素倹約」「しまつしてきばる」、「三方よし」の精神、この三つです。

 忘れてならないのは近江商人の理念『三方よし』の精神でしょう。

   売り手によし
   買い手によし
   世 間によし

 これは、近江国五個荘の中村治兵衛家の2代目宗岸の書置きにその趣旨が述べられているものを分かりやすく表現したものです。もしも、現代の企業経営者が歴史に学び、この「三方よし」の精神を実践すれば、続発する企業不祥事はなくなるのではないでしょうか。

 例によって、駅近くで打ち上げ、帰路に向かいました。歴史の散策、尽きることはありません。

 みなさまにも近間の歴史散策をお薦めします。

次回は
時事エッセー
です。

 

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