「報道機関を信頼している人」は幸福度があまり高くない!
700回目のブログです
700回の大台に乗りました。スタートは、平成18年(2006)3月3日ですから、13年と4ヶ月を数えます。これからは時々休むかも知れませんが、ご愛読たまわりますようお願い申し上げます。
“いつはりの なき世なりせば いかばかり 人の言の葉 うれしからまし”
詠み人知らず(古今和歌集)
この世に、もしも、いつわり(虚偽・嘘)というものが無かったならば、人がささやく優しい言葉がどんなに嬉しく感じられるものだろうか…。
恋人のささやく嬉しい言葉も、そのままには信じられないのが悲しい、という気持ちを詠んだものです。
さて、現代のマスメディアにおける「いつわり」はどんな状態でしょうか。先週、先々週の2度にわたりわが国メディアの問題点をあげました。一つは、マスコミは対韓半導体材料の輸出管理を厳格化することを正確に報道せよと主張、ふたつは、朝日新聞のハンセン病にかかわる大誤報についてでした。(再度、先週・先々週のブログをお読みくだされば幸いです)
そこには、半導体については間違った用語を使用するという「言葉の貧困」、ハンセン病の裁判についてはイデオロギー・憎悪という「精神の貧困」、がそれぞれ横たわっていることを指摘しました。これらは、いわゆるジャーナリズムにとってはあってはならない事象であり、極めて大きな問題点を含んでいると思います。
ここで、マスメディアの報道姿勢について考えて見ます。
近年、マスコミは「暮らしは厳しい」「生活が苦しい」という言葉を一年中報じていますが、果たしてそれは根拠あることなのでしょうか。厚労省の「国民生活基礎調査」や内閣府の「国民生活に関する世論調査」などを見れば、民主党政権期から第2次安倍政権期になっても景気は「低下している」は減り「向上している」「同じようなもの」が増えてきています。生活満足度の動向も同じです。他の日銀や民間の調査結果も同じ傾向を示しています。
要するに、アベノミクスで生活が苦しくなったとは言えないのです。アベノミクス期の失業率や就職率の雇用改善は明らかであり、トータルとしては、実質賃金の減少を補っていると言えるでしょう。
しかし、マスコミの記事やインタビューや映像が「暮らしは厳しい」「生活が苦しい」と連日報道すれば、何となく「そうだな」と思ってしまいます。欧米とは異なり、わたし達日本人は、今でもマスコミの言うことを真に受ける傾向があります。
マスコミは、常にマイナス面の指摘に偏る傾向があり、社会に対する暗い見方を必要以上に増幅していることに注視する必要がありそうです。
そのような国内のメディア風潮を受けて、今回の参議院議員選挙においては、野党はもとより、与党でも、厳しい暮らし、苦しい生活の打破、改善を連呼していました。
また、あれだけ重大な国益を毀損する、誤報・虚報・捏造記事を載せ続けた朝日新聞でも、いまだに数百万部(実売は400万部前後か)を確保しているのですから、日本人のマスコミへの信頼感は堅固と言わねばなりません。もっとも、今や、ネットメディアの登場で、その信頼感は徐々に低下していると思います。
さて、内閣府経済社会総合研究所(ESRI)の興味ある調査データ(平成25年<2013>)をご覧ください。
『報道機関』に関しては、面白い結果となっています。
・信頼している人の幸福度は組織信頼Gのなかではあまり高くない。
・信頼していない人の幸福度は組織不信頼Gでは比較的高い。
このデータを解釈すると、報道機関を信頼している人ほど、社会を暗く考えてしまって、幸福度も低くなることを示唆しています。社会を改善しようとする意欲は極めて貴重なものですが、事実に立脚した姿勢が求められるのではないでしょうか。
報道にいつわり(虚偽・嘘)というものが溢れかえっていることは、残念ながら事実と言わねばなりません。報道する姿勢と内容には一定の距離を置いて眺める方が精神衛生上良いのではないかと思われます。
幸福度と言えば「国連世界幸福度ランキング」(2019)で日本は何と58位。だとしても、ガクッと失望する必要はありません。英国のフューチャーブランド社の「ブランド力ランキング」(2019)では堂々たる世界第1位となっているのです。それは22項目で採点されています。
・政治的自由
・環境へのやさしさ
・寛容さ
・健康と教育
・生活水準
・安全
・そこに住みたい、勉強したい?
・ビジネス環境
・技術力
・インフラ
・歴史(興味深いか)
・芸術、文化遺産
・自然の美しさ
・お金の価値
・娯楽
・リゾート、宿泊
・休暇中に訪れたい?
・食事
・他
現代は変化の極めて激しい時代。社会を、暗い面やマイナス面ばかりに焦点を当てず、事実を注視し、明るい面にも目を向けながら、将来の展望を語ることが必要ではないでしょうか。わたし達日本人はもっと自信を持たねばなりません。
メディアとは少し距離を置きたいものです。
みなさんは、どのようにお考えですか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
「つぶやき」なら誰でも生きている日数だけ「つぶやき続け」られるでしょうが、社会問題のテーマを絞って「問題点をまとめて論評する」ブログを700回も続けるとなると相当な脳作業です、敬服あるのみです。今回テーマとなっているマスコミですが、日米欧のような自由と民主主義の文化を持つ社会では公的権力に対してメディアが批判的に監視することは重要なことです。ただし自由社会で重視すべきは意見の多様性です。朝日・毎日の論説と読売・産経の論説が対立するような状況が大切です。(ただし朝日新聞のように反自民の提案なら賛成する政策でも、安倍政権が採る政策なら反対という知性抜きのメディアは論外ですが。) ところで新聞の購読者数減と信頼度減により特定の新聞社の影響力が低減したのは喜ばしいいことですが、憲法・原発・安保・沖縄等の国政を左右する重要な問題について、地上波テレビの政治外交に関する報道はワイドショーも含めて硬派・正論的な報道は常に避けられており、結果的に常に現状改革を目指す政治に対して問題点を批判するばかりで、現状改革を主張する報道がほとんど見られません。一部の視聴者の批判を恐れているのか視聴率をとれない怖さがあるのか、いずれにしても国益問題であってもすべてのテレビ局が当たり障りのない政府批判だけの報道でお茶を濁しているのを見ると、テレビ業界には視聴者への幇間・局上司への幇間しかいないのか、と感じます。共産党独裁国家の中国や北朝鮮ならともかく、なぜこれほど自由な日本で骨のある報道番組が作れないのでしょうか。山本七平的に言うなら「日本人は集団から隔絶した主張をすることを嫌う。そのため自由な社会に生きていても、所属する社会集団の中で目立たず暮らすことを是としているため、個人主義の強い欧米人から見れば全体主義的な国民だと見られてしまう」となるでしょうか。産業も防衛もボーダーレスの21世紀、日本が生き残るためには、テレビ界からも「朝日・岩波・組合」の作り上げた戦後の言論抑圧の空気を打破するメディア局メディア人の登場が必須では。
投稿: 齋藤仁 | 2019年7月26日 (金) 16時10分