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2019年11月22日 (金)

素晴しきかな湖北…歴史ある「長浜」を訪ねる!

 717回目のブログです

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“露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢”
                        豊臣秀吉(辞世の歌)

 名もなき出自から織田信長の配下になり、優れた才能を発揮し、織田家の重臣として出世、数々の功績により、湖北の地、今浜に築城、併せて今浜を“長浜”に改称。秀吉の天下人への足掛かりとなった城が長浜城です。ここから、本能寺の変、天王山・山崎の戦い、などを経て天下に鳴り響く大坂城を建立するも、幼い秀頼の身を案じつつ京都の伏見城で63歳の生涯を終え、上のような辞世の歌を残しました。

 先日、気の置けない友人7名と、秀吉ゆかりの地「長浜」を訪ねました。さすがに湖北のせいでしょうか、わたしの住む大阪府とは2~3℃低い気温で、少し寒いくらいでした。しかし、澄み渡った晴れの天候、快適なウォーキングとして、充実した一日を満喫することができました。

 JR京都駅集合 ⇒ 長浜駅 ⇒ 旧長浜駅舎 ⇒ 昼食(名物) ⇒ 長浜城 ⇒ 北国街道・黒壁スクエア ⇒ 長浜駅 ⇒ JR京都駅解散

 長浜市は、滋賀県の湖北に位置し、人口は115,000人、中心街は羽柴秀吉が築城した長浜城の城下町として、また北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展。史跡も姉川古戦場、賤ヶ岳、小谷城、鉄砲の国友、など戦国時代のものが多くあり、東を望めば美しい伊吹山、西には穏やかな水色の琵琶湖、という具合に風光明媚な地でもあります。

【旧長浜駅舎】

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 長浜駅のすぐ近くにある明治15年(1882)に建設された現存する最古の駅舎。イギリス人のホルサムが設計、神戸の稲葉弥助が工事を請け負う鹿鳴館調の建築様式であり、文明開化の香り高い見事な建築です。

 前庭には、明治の有名人の石額(トンネルの入り口に掲げる額)が置いてあります。雄渾な筆使い、明治の傑物の器の大きさをまざまざと目にすることができます。

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 伊藤博文(初代内閣総理大臣)
    『萬世永頼』(万世永く頼む)
    (この鉄道が世のために働いてくれることを永く頼りにする)

 黒田清隆(第二代内閣総理大臣)
    『徳垂後裔』(徳は後裔に垂れる)
    (この鉄路を完成させた徳は子々孫々まで残ることになる)

 後藤新平鉄道院総裁)
    『大享貞』(だいきょうてい)
    「大いに亨(とお)り貞(ただ)しきに利(よ)ろし」(易経)
    (鉄路事業を治めて大いに通ずる)

 日本の鉄道の夜明け。日本海と太平洋を結ぶ、その要衝の地が長浜でした。長浜~敦賀間は先に着工するも、予算に縛られ長浜~大津間は“汽船連絡”、明治22年(1889)東海道線新橋~神戸が全通となりました。これらのことも分かりやすく展示されています。

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  D51形蒸気機関車

 長浜鉄道スクエアには、旧長浜駅舎・長浜鉄道文化会館・北陸線電化記念館が同一敷地にあり、蒸気機関車や交流電気機関車など楽しい展示で一杯です。

【焼き鯖そうめん】(昼食)

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 お昼ご飯は、長浜名物の“焼き鯖そうめん”“焼き鯖”にしました。初めて食しましたが、少々味の濃いそうめんと焼き鯖のマッチングはなかなかのもので、湖北の寒さを背景にした食べ物ではないかと思った次第です。

【長浜城】

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 長浜城は、天正5年(1577)羽柴秀吉により築かれました、元和元年(1615)湖北の支配は彦根城に譲り廃城、石垣や櫓材は彦根城に運ばれました。現在の長浜城は、昭和58年(1983)に天正期の城郭を想定し、コンクリートなどで建築されたものです。

 5階は回縁状の望楼となっており、360度、東西南北遥かに見渡すことができ、遥か東には伊吹山の緑、西の真下には琵琶湖の青い水、同じく遠くに竹生島、と絶景を見回すことができます。

【北国街道・黒壁スクエア】

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    北国街道

 北国街道は、米原から長浜を経由し、余呉湖の北の柳ヶ瀬をへて北の庄へ、そして高岡までを言います。北陸と京阪神を結ぶ重要な街道であり、長浜はその宿駅(長浜宿)として栄え、紅殻格子や虫篭窓、白や黒の土蔵、老舗の商家が今も残っており、昔の面影を色濃くとどめています。

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  北国街道・安藤家

 安藤家は商家として建設された近代和風建築物。虫籠窓や紅殻格子など近代商家の特徴を備えており、北国街道でも目立つ存在です。今回は、内部を見学しなかったのですが、離れの書院「小蘭亭」は北大路魯山人が描いた襖絵や天井画などで彩られていることで有名だそうですので、機会あらば鑑賞したいものです。

 長浜にはまだまだ魅力的なものがあります。例えば、毎年4月に行われる有名な「長浜曳山祭」(13基)は、京都の祇園祭、高山市の高山祭と並ぶ日本三大山車祭の一つであり、『重要無形民俗文化財』、曳山の舞台で「子ども歌舞伎」が上演、奉納されます。これも機会あらば鑑賞したいものです。

 長浜市の中心街は黒壁スクエアとして、江戸、明治、大正、昭和の歴史を感じさせる街並みであり、ぶらぶら歩いても興味は尽きません。観光客もかなりの人を数えますが、ほとんどが日本人ですので、そんなに騒がしいことはありません。

 お土産に「さつま芋きんつば」を買い求めました。優しく素朴な味のお菓子です。

 今回は、打ち上げはやらず、列車に乗ってから缶ビールで軽くのどを潤し、家路へと向かいました。

 歴史ある街の散策は素晴らしいと思います。みなさんにもお薦めします。

次回は
時事エッセー
です。

 

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