何かおかしい…国歌、教科書をめぐって!
736回目のブログです
“み吉野の 高嶺の桜 散りにけり 嵐も白き 春のあけぼの”
後鳥羽院(新古今和歌集)
吉野山の高峰のあたりの桜はすっかり散ってしまったのか。ほのかに高峰が浮かび上がる春のこの夜明けを前に、吹き降ろす山風が真っ白に染まって見えるほどだから…。
京都の最勝四天王院の襖に描かれた吉野の絵を題にして詠まれたものですが、この和歌は、一幅の美しい絵画から詠まれたとは思えない、生き生きとした言葉の調子と満ち溢れた品格の高さを感じさせてくれる名歌だと思います。
桜は、咲き始めから散ってしまうまで期間も短いとはいうものの、開花から三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開(八分咲き)、散り始め、葉桜まで、それなりに愛でることができますので、その時々を求めて桜狩りを楽しみたいものです。
ところが、今年はチャイナウイルスの世界的流行で、わが国でも都市封鎖、首都封鎖が俎上に挙がるなどしていますので、浮き浮きした桜狩りなどとても叶いそうにありません。
こんな陰鬱な時、よりによって、とんでもないことが表面化してきました。すでにご存じのこととは思いますが、その問題点を考えてみたいと思います。
■ 君が代で起立せず停職 元教職員の処分取り消す判決 東京高裁
卒業式の君が代斉唱で起立せず、東京都教育委員会から停職6か月の懲戒処分を受けた元教職員の女性が、処分の取り消しを求めた裁判で、2審の東京高等裁判所は「処分は裁量権を逸脱して違法だ」として処分を取り消す判決を言い渡しました。
(3/25 NHK)
この判決で、教育界ではまだまだ、国歌「君が代」、国旗「日の丸」が正当に取り扱われていないことを知りました。皆が起立して斉唱するとき、この女性教員が一人着席のまま無口でいる光景を想像すれば、記念すべき厳かな式典も台無しの感がしますがいかがでしょうか。
この女性教員は、国歌斉唱に一人抵抗するとき、イデオロギーの上で内心猛烈な優越感に浸ったと思われます。過去に8回も懲戒処分を受けていたのですから、イデオロギー的優越感が忘れられないのでしょう、まさに徹底した「確信犯」と言わねばなりません。
それに加えて、司法界にはこのような教員に同情と同意を与える裁判官、それも高等裁判所の裁判官が存在しているということですから、驚くというよりも、ある種の危機感を覚えざるを得ません。
そもそも、公教育は国民教育です。今や、国際間での競争が日常茶飯となってきている時、日本人としての自覚がなければそれに打ち勝つことは出来ません。栄光ある永い歴史、豊かな文化、価値ある共同体、創造力に富む人材力、山紫水明の麗しき自然、穏やかで伸びやかな民心などを、自らの意識に収めるとともに、幅広い国際感覚を持ってはじめて「国際派の日本人」となり得るのではないでしょうか。
そのためには、諸外国がそうであるように、少なくとも「国歌」に敬意と愛情を持たないようでは外国人に尊敬されません。軽蔑されるが落ちでしょう。(小ブログ 715回目 ラグビー「日本代表チーム」賛歌! に記したリーチ・マイケルCPT、 ジェイミー・ジョセフHCの言葉を参照ください)
もう、反日サヨクの時代ではありません。司法界も教育界も “反日サヨク” を卒業すべきではないでしょうか。女性アイドルグループのAKB48や乃木坂46でも卒業という時期があるのですから、旧態依然の司法界と教育界もそれを習っては如何?
■「従軍慰安婦」の呼称復活 中学校教科書検定 自虐色強まる傾向も
文部科学省は24日、令和3年度から中学校で使われる教科書の検定結果を公表した。合格した社会科の歴史教科書では、平成16年度検定以降は使われなくなっていた「従軍慰安婦」の呼称が復活。一部で自虐色が強まる傾向がみられた。
(3/24 産経ニュース)
亡霊が蘇ってきたことに驚きを隠せません。
そもそも「従軍慰安婦」という呼称は作家(元毎日新聞記者)千田夏光氏の造語であり、慰安婦強制連行説はそれを扇動した朝日新聞が誤報として認めたものです。その造語が再び中学教科書に載るなんてことはありえないはずなのです。教科書は、本来、事実に基づくべきであり、ありもしないことを取り上げることは許せません。
従軍慰安婦問題は、朝日新聞の誤報・虚報・捏造にもとづくプロパガンダによって近隣諸国の「反日」の材料にされてしまいました。そして、これに共感を示す残念な日本人が特定の分野に数多く存在するのも疑えません。野党はもとより、与党の政治家にも、NHKを含めたTVや新聞マスコミ、弁護士・裁判官、いわゆる文化人、歴史学者・憲法学者など…。
忘れていました。国を護るべき立場の高級官僚にもそんな反日サヨクに共感を示す人たちが存在することを。
教科書検定をリードするのは文部科学省のはずです。今回の教科書検定で事実でない “虚偽” の用語を教科書に載せることを積極的に許可したのは文科省が選定した教科書調査官でしょうが、それも広く考えれば文科省の意向に沿ったものともいえるでしょう。(同じ方向でしょうか「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した自由社の中学歴史教科書が不合格となりました。)
近年、文科省にはいわゆる変な人たちが目立ちすぎます。「ゆとり教育」の旗を積極的に振り回し学力低下をもたらすも、責任を一切感じていない寺脇研氏(元審議官)、そして極めつけは、天下りあっせん、加計学園獣医学部新設に反対、夜な夜な出会い系バー巡りで悪名高い前川喜平氏(何と元事務次官!)。とにかくひど過ぎるお二人ではないでしょうか。
文部科学省はしっかりしていただきたい。わたしたち下々の国民としては、こんな激励しかしようがありません。
「君が代斉唱不起立…問題なし」の司法界、「 “従軍慰安婦” 呼称…教科書に復活」の教育界、何かおかしい!
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
己を鍛錬しようという精神の強さは何処に発するのだろうか。恵まれた資質と環境に生まれ社会の指導者層に名を連ねながら己を処する覚悟もなければ透徹した人間観国家観ももたない人もいれば、悲惨ともいうべき境遇に育ち無名のまま巷間にありながら強靭な精神・覚悟した人生を生きる人もいる。戦前までの日本は前者のような知性があっても怯懦な人を笑い、地位に拘らず後者の人を尊敬してきた。だが戦後は己の思想・精神を確立できない空虚な(中身のない)エリート意識をもったマスコミ人や中央官僚が、無国籍・無文化のコスモポリタンのような言動や政策を進めてきた。NHKの報道番組や文科省の教科書はその悪しき成果である。己の生を背景とした覚悟の確立していない人間は、他国人からは無害な存在とみられても信頼はされない。戦後のGHQ・社会主義・国連の実体のない無脊椎文化が産んだ仇花であり、あと三十年もすれば国際社会の熾烈な闘争の中に消えるだろう。
投稿: 齋藤仁 | 2020年4月 3日 (金) 21時08分