憲法改正に舵を切れ!…緊急事態宣言延長に思う
740回目のブログです
“振りさけ見れば つつじ花 にほへ娘子 桜花 栄え娘子”
柿本人麻呂(歌聖・万葉集)
山を振り仰いで見ると、つつじの花が咲いているように美しく輝く乙女よ、咲き誇る桜の花のように美しい盛りの乙女よ…。
家々の垣根や神社の境内、そして子どもらが遊ぶ公園には、季節の代表的な花であるつつじが満開。赤や白の豊かな色合いを、青空のもとで誇っているように思えます。
これだけを見れば心が浮き浮きするはずですが、今は、世の中が、武漢ウイルスの蔓延による何となく陰鬱で気怠い奇妙な静けさの中にありますので、なかなかその心境に浸ることはできません。
現状は、上に掲げた万葉集の柿本人麻呂の和歌に詠われているような伸びやかで明るい雰囲気を期待することは難しく、武漢コロナウイルスのできるだけ早い終息を期待したいと願っています。
政府は、国難ともいわれる新型コロナウイルス対策に全力を挙げて対処しようとしていますが、なかなか思うにまかせません。紆余曲折の苦戦を強いられているなかで、その理由が明瞭になってきました。それは『憲法』に根本的な欠陥が存在しており、これこそが日本の「弱点」となっていることです。
わたしたち国民も、コロナウイルス対策に懸命の政府の言動や対策に“かったるさ”を感じていると思われます。国の危機であれば政権支持率は大幅に上昇するのが世界共通ですが、現安倍政権の支持率は下降しているのです。国民は、何となく、ものたりなさと不安と不満とを感じているのではないでしょうか。
しかし、よくよく考えてみれば、わたし達は政府に「ないものねだり」していると思います。政府は、やろうとしても、やれない、法的根拠がないことにまでは踏み込めません。わが国は法治国家であることを前提に、この点について考えてみましょう。
・新型コロナウイルスの防衛策、終息への道として、安倍政権は4月7日「新型インフルエンザ等特別措置法に基づく緊急事態宣言」を発しそれなりの成果を上げましたが、5月4日それでもまだ時間が不足と判断し、5月31日までの延長を表明しました。これまで、政府や都道府県自治体は国民に対して、3密(密閉空間・密集場所・密接場面)防止のための対策として、
↓ 外出自粛要請
↓ 休業要請
↓ 休業指示
↓ 店名公表
の順序で事を進めてきました。大半は政府の意向に従いましたが、ご存じのように一部の店はこれに従おうともせず開業し、ワンサの人が他府県からも押し寄せたと報道されています。
・なぜ続けたのでしょうか。それは、この策が“要請”であり、聞くも聞かぬも当事者の判断に任すということであり違法でもなんでもなく、そして、何の罰則規定もないユルユルの要請に過ぎないからでもあります。
・武漢コロナウイルスの脅威はまさに「国難」というべきです。にもかかわらず、わが「日本国憲法」には『緊急事態条項』がありません。しかしながら、誠実にして我慢強く他を顧みる優しい日本国民は、一部の非協力者はあっても、全体として結束し武漢ウイルスを抑制できるでしょう。
・それでも、本来ならば、憲法に非常事態・緊急事態に対する条項が綜合的に整備された形で規定されているべきです。そうであれば、平時の時から緊急事態を考えるようになり、いざという時には、刻々の情勢の変化に応じて機敏な対応ができるのではないでしょうか。
・仮に、今の危機管理の有様で、南西諸島(尖閣諸島・琉球諸島/薩南諸島)が大陸の某覇権国家から侵略(電光石火の上陸?)された時のことを想像してみてください。オタオタ、モタモタ、その時からの国会立法審議……落ち着く先はアメリカさんよろしくでしょうか。これでは恥ずかしくて一人前の国家とは言えません。
・危機管理は、まず最悪の事態に備えるのが鉄則であり、そして権限をトップに集約します。…これは世界の常識と言わねばなりません。
・日本国憲法は、第1章1条~第11章103条から成り、昭和22年(1947)5月3日の施行ですから今年で73年、この間一言半句の改正もないまま現在に至っています。73年と言えば日本人の丸々一生、その間の世の中の変化はすべての面で激変と言っても過言ではないにもかかわらず、改正を行わずそのまま通用させている日本国民の著しい偽善、不可解としか言いようがありません。わたし達は、社会の様々な齟齬が、成熟から腐敗への過程にある憲法から生じていることを認識し、それを正すことさえできない自らの不誠実を恥じるべきではないでしょうか。
・憲法改正と言えば、憲法学者の奇妙なアンケート結果を見逃すわけにはいきません。(『朝日新聞・憲法学者アンケート』2015年6月30日から)
【質問】現在の自衛隊の存在は憲法違反にあたると考えますか。
① 憲法違反にあたる 50人
② 憲法違反の可能性がある 27人
③ 憲法違反にあたらない可能性がある 13人
④ 憲法違反にあたらない 28人
⑤ 無回答 (4人)
・違憲:77人(65%)
・合憲:41人(35%)
【質問】憲法9条の改正についてどう考えますか。
① 憲法9条を改正する必要がある 6人
② 憲法9条を改正する必要はない 99人
③ 無回答 (17人)
・改憲: 6人( 6%)
・護憲:99人(94%)
聞きしにまさる異様さに愕然とします。94%の憲法学者が護憲派とは。護憲派の学者は、過去70数年の社会の変化、国際情勢の緊迫化、学問の深化をどのように捉えているのか、精神面で大丈夫なのでしょうか、…心配になります。彼らの心情は、護憲というよりはGHQ関与の現行憲法にしがみつく姿勢であり、まさに“我執”という見苦しさを露呈していると言わねばなりません。澄明な精神で「日本国憲法」そのものを見つめ直していただきたいものです。
・最後に、佐伯啓思・京都大学名誉教授「国家の存立縛る憲法学への疑問」をお読みいただければと思います。素晴らしい指摘です。(産経ニュース【正論】2015.9.17 より)
『私は憲法学についてまったくの門外漢であるが、以前からよくわからないことがあった。それはどうして大方の憲法学者が護憲を唱える のか、という疑問である。憲法学の一つの仕事は条文解釈である。それは現行憲法を前提として、条文間の整合性や現実への適合性を保つというものであろう。
しかしもう一つの仕事は憲法とは何かという法哲学的考察、憲法成立に関わる歴史的考察、さらには他国との比較憲法的視野から日本国憲法の意義や特殊性、問題点を炙りだすことである。つまり無条件で現憲法を前提とするのではなく、その問題を提示することも憲法学の仕事ではないかと思う。』
武漢ウイルス事件は、真の危機管理が憲法に欠如しているという国家の不幸、国民の不幸を指摘してくれました。わたし達国民が早急に改憲に乗り出し、正常な道を歩まなければ、とんでもない事態を招くように思えてなりません。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
蘇我氏の専横から天智・天武の天皇による律令国家確立までは国を挙げて緊張感が漲っていた。だが平安には朝廷も庶民も惰眠を貪るようになり、都に盗賊が跋扈するようになっても令外官(検非違使)などで対応した。それが朝廷政治の終焉を招いた。大陸国家からの侵攻といった眼前に迫った国難がない限り、小手先の対応で済ませて是としたのは公家も庶民も同じである。そして江戸期の武士も庶民も戦国期の緊張感を忘れて安寧の日々を満喫した。幕府はオランダを通じて英仏ロなどがアジアを侵略していることを知りながら無策のまま幕末を迎えた。さらに近代日本も官民一体となって日清・日露の二つの戦争を勝ち抜いたが、そこで国家の安全を過信したのか、平安中期や江戸中期に似た、学者は「大正デモクラシーの時代」というが、小生に言わせれば「衆愚政治の大正時代」であり、それが欧米ソの第二次世界大戦の渦へと巻き込まれることになった一因である。平和の時代に戦争の備えをし、戦争の渦中に平和への道を探るのが、知恵ある指導者であり国民である。ちなみに平和な時代に、「平和を平和を」と唱えて「非常時の備え」をしないのは「信仰」であって「政策」ではない。
投稿: 齋藤仁 | 2020年5月 8日 (金) 09時53分