安倍政治の評価…首相辞意表明!
754回目のブログです
“まつりごと ただしき國と いはれなむ もものつかさよ ちから盡して”
明治天皇御製(明治37年)
政治が正しく行われている国であると、国民からも諸外国からも言われるように、百官諸々の司たちよ、共に力を尽くしていこうではないか…。
「政治」とは、英語では「Politics」漢字では「政」純粋の日本語では「マツリゴト」。日本のマツリゴトは神を祭ること、すなわち「祭祀」のことを意味します。そう考えれば、政治(マツリゴト)は、単なる争いごとではなく、極めて厳粛なものであると言えるのではないでしょうか。
まだまだ暑い盛りの8月28日、安倍首相は持病・潰瘍性大腸炎の悪化を理由に内閣総理大臣の辞任を表明しました。平成24年(2012)の第2次内閣の発足から7年8ヶ月という歴代最長政権がまもなく終焉することになります。
ジンクスって生きていたのですね。「日本で五輪が開催される年には必ず首相交代が起きる」というジンクスが。
・昭和39年(1964)東京五輪、池田勇人首相⇒佐藤栄作首相
・昭和47年(1972)札幌五輪、佐藤栄作首相⇒田中角栄首相
・平成10年(1998)長野五輪、橋本龍太郎首相⇒小渕恵三首相
・令和02年(2020)東京五輪、安倍晋三首相⇒ (?)
(東京五輪はコロナのため急遽延期となりましたが…)
ここで、安倍政治の評価とそれを論ずるマスメディアや政治家の姿勢について、わたしなりに感じたところを記したいと思います。
【安倍政治のプラス評価】
・安倍(第1次)・福田・麻生・鳩山・菅・野田各氏の内閣の寿命はいずれも1年前後の短命であり、世界を相手にする外交の中で、日本の存在感を示すことができませんでした。その後を引き継いだ第2次以後の安倍内閣は7年8ヶ月の長期政権として、世界で一目置かれる存在になったことは高く評価されなければなりません。権謀術数渦巻く政界でこれだけの力を保ちえたことは賞賛に値するでしょう。
・安倍首相は、地球儀を俯瞰する外交を心掛け、地球を39.5周、80ヶ国・地域、のべ176ヶ国・地域、を訪問する積極さでした。世界に安倍首相の顔を強烈に印象付け、日本国にとり大いにプラスになったのではないでしょうか。“顔のない国”から“顔のある国”に劇的に変化させた功績は見事なものと言わねばなりません。
・また、米国のトランプ大統領とは特別に親交を暖め、平成27年(2015)4月にはアメリカ両院合同議会において演説を行いました。この「希望の同盟へ」という堂々たる演説は“14回”ものスタンディングオベーションを浴び、アメリカ議会の強い信頼を勝ち取るに至りました。
・安倍首相の大きな遺産としては、①安保法制制定を通じて集団的自衛権の確立を図ったことや、イージスアショア撤廃により敵基地攻撃を可能にしたこと、②普遍的価値(自由・民主主義・基本的人権・法の支配・市場経済)に基づく「自由と繁栄の弧」構想の提唱です。すなわち「自主防衛」と「自主外交」へ一歩前進したことではないでしょうか。
・特筆すべきは、失業率が2%台、すなわち完全雇用状態で推移したことにより、若者が就職に困らなかったこと。そのおかげで若者は安倍首相を強く支持しています。
【安倍政治のマイナス評価】
・安倍首相の悲願は3つ。「憲法改正」「北方領土問題の解決」「北朝鮮拉致被害者の奪還」。大言壮語、テーマだけは大きく掲げながら、長期政権でありながら、衆参で3分の2前後の議席を有しながら、3つとも成果はゼロですから、国民の期待に応えられなかったと言わざるを得ません。この3つとも大きな課題であり、そのうち一つでも成し遂げれば大政治家として歴史に残るはず。有言ならば実行あるのみ、実行しないのであれば大言壮語すべきはなかったと言えるでしょう、…精神衛生上悪いですから。
・経済政策としては、アベノミクスは“3本の矢”の「大胆な金融政策」のみが結果を出し「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」は全くの不発で終わりました。
・デフレ脱却は一応目指したのでしょうが、2度の消費税増税により、自ら経済拡大を自滅させました。返す返すも残念。また、近年、安倍首相は、主たる政策とはなりえない観光立国・インバウンド政策のみを強調していました。いずれも、経済思想が明確でなかったことを表しています。
・新型コロナウイルスについて。わが国の10万人当たり死亡率が極めて低位にあるのは、医療従事者の賢明な対処によるものであることははっきりしています。返す返すも残念なのは、初期において、安倍首相が、中国からの入国を排除しなかったことです。習近平主席や親中派重鎮政治家に配慮し過ぎたためでしょう。これも、政治思想が明確でなかったことを表しています。
・安倍首相の国会答弁における「ご飯論法」。ご飯論法とは、「朝ご飯は食べたか」という質問を受けた際「ご飯」を故意に狭い意味にとらえ、(パンを食べたにもかかわらず)「ご飯(白米)は食べていない」と答えるように、質問側の意図をあえて曲解し、論点をずらし回答をはぐらかす手法を言います。安倍首相がたびたび使う「ご飯論法」は、まさしく不誠実の極み。安倍首相が嫌いな人たちは、この体質に嫌気がさしているのだと思います。どうして誠実に答弁しないのでしょうか、
【政治家やマスメディアの姿勢】
・安倍首相の辞職表明にはいろんな思惑があるかもしれませんが、少なくとも難病に認定されている潰瘍性大腸炎の悪化が理由の大きなものであろうと思います。この辞職に対して、立憲民主党の石垣のりこ参議院議員が、ツイッターに「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」などと投稿したことに批判が相次ぎ、石垣議員ならびに枝野立憲民主党代表は謝罪しました。ひどい人間がいるものです。彼女の言は、難病と闘っている人への侮辱でもあり、過去病気をした人は仕事をすべきではないということと同じ意味ですから、何ともはや虚しい気持ちになります。人間性を欠く国会議員は即刻辞職すべきではないでしょうか。
・安倍首相の辞意表明記者会見で、質問に際して「お疲れ様でした」と労った記者は1人だけでした。これにネットでは「ジャーナリストである前に、人としてどうなのか」「冷酷無比な記者ばかり」「マナーがない」「ねぎらいの言葉もない」との声が飛び交っています。…辞意表明の時でもあり、わたしは、労いの言葉があるのが極々自然だと思います。
これに対して、ある新聞は“政権の最高責任者に対して『権力の監視』をする記者が、会見という「公式の場」で「お疲れさまでした」「ご苦労さまでした」とねぎらいの言葉を発するのは、立ち位置が損なわれるし違和感がある”と真っ向から反論しているのです。果たしてどちらが正しいのでしょうか。
安倍政治については、毀誉褒貶、いろいろとあるはずです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
ロシア革命を牽引したのは貴族や資産家出身の大学インテリ層であり、彼らが生活苦に喘いでいた大衆の怒りに火を点けたことによって、流血暴動で社会が混乱し、革命政府が誕生した。富裕なインテリ層の正義感・理想が現実となって革命がなった。しかし、彼ら理想主義者の多くは革命すなわち旧社会が壊れれば、それでよし、と思考力しかもっていない。まさに「動物農園」に描かれた世界である。革命後の新秩序を誰がどのように建設するか、さらに新たに建設された新社会は生活苦に喘いでいた大衆を救うことはできるのか。革命前より良き社会・良き時代を創出できるのか。果たしてそのプランはあらかじめ持っていたのか。それとも最初から大衆を騙して、実際には政府・体制の転覆を謀っただけなのか。
日本の主要メディアは、戦後昭和の「空想平和主義」似取り憑かれたまま頭脳が進化していないように見える。昭和の名言「日本の常識は、世界の非常識」という言葉が令和になっても通用するのは何とも恥ずかしい限りである。「権力の監視」と語ったある新聞社の言は詭弁でしかないことを、知恵ある大衆は読み取っている。
投稿: 齋藤仁 | 2020年9月 4日 (金) 08時46分