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2020年12月25日 (金)

マイブログ注目ベスト3…令和2年を振り返る!

 770回目のブログです

202012251

 “木の葉なき むなしき枝に 年暮れて また芽ぐむべき 春ぞ近づく”
              京極為兼(鎌倉後期・玉葉和歌集)

 一見枯れたかのような冬の木だが、年も変わって、そのような枝にも再び春は巡ってくる…。

 藤原定家の曽孫である京極為兼の上掲の和歌は「冬枯れの寒々とした風景のように、今は落ち込んでいようとも、年が変わると希望に満ちた春がきっと来る」という寓意でもあるのではないでしょうか。

 振り返れば、確かに、この一年、大方の人にとっては大変な年だったと思われます。中国武漢市を発症地とする新型コロナウイルスの世界的蔓延、混迷極まりないアメリカ大統領選、激突する米中覇権戦争、中国の飽くなき覇権追求、旧態依然の日本、など難題が山積したこの一年でしたが、年が変わったならば、上の和歌にあるように、希望に満ちた春の光を肌に感じたいものです。

 それにしても、1年365日の過ぎ去る速さは年々増し、今年は公私ともに色々なことがあり過ぎたために、余計にその感を強くします。

 何はともあれ、あと1週間で令和2年(皇紀2680年・西暦2020年・子年)が過ぎてゆきますので一年を振り返りたいと思います。今年は、小ブログを毎週金曜日52回発信する予定でいましたが事情により4回休み、計48回の発信となりました。1年の締め括りとして、恒例のごとく反響の大きかったものを3点選びました。

緊急事態宣言…冷静に対処しよう!(4月10日)

 新型コロナウイルスの蔓延により、会合や催しが自粛に次ぐ自粛となりつつあった折り、いよいよ「緊急事態宣言」が発令。わたしは、ここで3つのポイントを指摘しました。

 (ⅰ)今回の「緊急事態宣言」は、もしも憲法が改正されればできるであろう「私権を制限する“非常事態宣言”」とは全く異なり、非常に緩やかなものであり、国民の協力がなければうまく機能しない。

 (ⅱ)マスメディアは感染者数にのみ焦点を当て煽りに煽っているが「死亡者数」に目を向けるべきである。
   「人口10万人あたりの死亡者数」4月8日現在
     アメリカ  3.90(人)
     イタリア 28.30
     ドイツ   2.40
     イギリス  9.30
     日本    0.06

 (ⅲ)コロナ対策で日本が学ぶべき国は、素晴らしい成果を上げている「台湾」だ。政治家、マスメディア、文化人の発言に、中国、韓国、ヨーロッパなどのコロナ対策を絶賛し、日本の医療体制の遅れを糾弾するものが見受けられるが、これは、なんでも日本が悪い、遅れているという“自虐史観”そのもの。愚かな考えだ。

 今、見ても正しかったと思います。“非常事態宣言”の法律がないのは日本だけであり、大規模な危機に対して対応できません。ここに及んでも、憲法改正の議論が沸き上がってこないのは、いわゆる『平和ボケ』以外のなにものでもありません。与野党政治家やマスコミの鈍感さには目も当てられません。

 なぜ台湾に学びに行かなかったのでしょうか。台湾(人口2357万人)は、4月8日の死者は5人、12月20日でさえも7人という極めて少ない数であり、新型コロナ対策の模範国であるにもかかわらず…。おそらく中国共産党政府に恐れ慄いたのでしょう。

“いよいよ尖閣が危うい”… 平和ボケ日本に喝!(7月24日)

 尖閣諸島周辺の動きがきなくさくなってきましたので、国民の防衛意識を一層喚起すべく問題点を指摘しました。

 (ⅰ)尖閣諸島への中国軍船の入域、侵入の推移を見ると、令和元年(2019)1月から激増していることが分かる。驚くなかれ年間1000隻を超える。

 (ⅱ)中国公船を監督する海警局が組織改編になり、中国共産党・中央軍事委員会(主席:習近平)の管轄となった。これは、従来の警察組織から軍事組織に衣替えしたことを示すものだ。

 (ⅲ)尖閣諸島の実効支配を早急に具体化しなければならない。例えば…
    ・石垣市と政府合同の海洋自然調査団を派遣し上陸調査も行う
    ・魚釣島に「海洋自然観測所」を設置する
    ・海上保安庁の小型船や漁船が停泊できる「船溜まり」をつくる
    ・魚釣島に気象観測、海上監視のための「通信施設」を設置する
    ・尖閣諸島および周辺海空域で米軍と合同演習を実施する。

 軍船の侵入が年間1000隻を超え、公船の軍船化を見れば、中国は尖閣奪取に本気だと思わねばなりません。実効支配の方策を議論する国会審議は令和3年度の予定、本当にゆっくりしたものですが、とにかく、ぜひ成立させてほしいと思います。

大阪“都”構想 … 挫折の真因を探る!(11月6日)

 いわゆる「大阪“都”構想」の第2回目大阪市住民投票は、第1回目と同様に、いずれも僅差で「反対多数」という結果となり、否決されました。挫折の真因を分析しました。

 (ⅰ)大阪都構想が通れば「大阪市」は永遠に戻ってこないとの主張が選挙戦後半に強く出され共感度のアップにつながった。

 (ⅱ)公明党(≒創価学会)は都構想の賛成に寝返ったが、上意下達が不徹底。常勝関西の実績も過去のもの。公明党・創価学会の弱体化の前兆を示した。

 (ⅲ)選挙戦最終段階で毎日新聞の「都構想が実現すれば、218億円/年コストが増加する」というフェイクニュースで、賛成・中立から反対 へとの空気が広く醸成されていった。「大阪市役所・毎日新聞・共産党」の腐臭極まりない悪のトライアングルにより、「中之島一家」(市役所の所在地:中之島)の亡霊(行政・市議会・組合の三位一体利権体制)手を振って復活しそうな予感がする。

 (ⅳ)大阪維新の会は「大阪“都”」を強調しすぎた。大阪は都ではない。大大阪府あるいは大阪副都とすべきだった。

 本来、大阪都構想は間違いであり、大阪府市合併構想でなければなりません。今一度じっくりと構想を練り直し、大阪市民および大阪府民全体の共感を得るように、正しい手順に則って進めていくべきであると考えます。

 令和2年を振り返り、注目された3点を取り上げました。みなさまには今年1年お付き合いいただき有難うございました。小ブログは来年3月3日で丸15年、できるだけ続けていきたいと思いますので、ご支援をよろしくお願い申し上げます。

 それでは、佳いお年をお迎えください。

次回は
時事エッセー
です。

 

 

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コメント

 農業経済に頼ってきた明治日本は少ない国富を殖産興業に投資するために中央集権による社会組織の効率化を進めてきた。教育機関もそれに対応することで、植民地経営によって莫大な富も武器も有する欧米列国に一目を置かしめた。明治の成功は良い意味での封建文化の遺産による。全国に二百に余る独立した藩それぞれが競い合って藩内の富を開拓し人材を育成してきた。五万石にも満たない藩が、数十万石の大藩に負けない俊才を輩出した。薩長との戦いに窮した幕府から救済策を問われた勝海舟が、幕府には西郷・大久保がいないと答えた逸話があるが、薩摩の十倍の領地をもつ徳川幕府にして人材なし。振り返って平成・令和の日本を見れば、明らかに維新以来の効率重視の中央集権主義は大戦とその後の経済復興でその役割を十分果たした。ソ連や中国などが中央集権の効率化によって後進国からの脱皮を図ったのと同じで、中央集権の利点を使い果たしたところでソ連は崩壊し、中国は曲がり角に差し掛かっている。令和の我が国は、グローバル化をさらに進めるより、東京に準じた機能を持つ大都市圏を全国に数カ所つくり、その圏内で教育・経済・文化がある程度完結するように、政府が首都圏に倍する投資を行う。例えば東大並みがそれ以上の予算をそれらの都市圏内の大学に投じる。いずれにしても財務省や経産省・文科省等によるインテリ行政は崩壊前の幕閣の浅智恵にしか見えない。官界から政治家に転出した人たちが政治屋に牛耳られるのも・・・。大阪都構想は現状打破の起爆剤になる可能性があったが、インパクトのある言葉が影響力を高めたが、それが府民に実体のない不安をもたらしたのかも。日本の政治を多元化する一つの機会ではあったが。

投稿: 齋藤仁 | 2020年12月26日 (土) 13時15分

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