「会食・接待・飲食」…ちょっと考えて見よう!
784目のブログです
“梓弓 春の山べを 越えくれば 道もさりあへず 花ぞ散りける”
紀貫之(古今和歌集)
(詞書…志賀峠越えの途中、大勢の女性たちに逢った時に詠んで贈った歌)
のどかな春の山路を越えて来たら、道をよけて通ることも出来ないほど、花が散っています…。
梓弓は春の枕詞。山中の狭い道で行き合った美しい衣装を着た女性の一群を、その時散りかかっていた桜の花にたとえて、即興で詠んで贈った歌です。晴れやかで機知にとんだ素晴らしい和歌と言えましょう。
春は春、もっとも長閑で穏やかな雰囲気に包まれた季節であり、心の浮き立つものがありますが、政治の世界においては、政・官・民をめぐる会食とか接待とか飲食とか、みみっちい現象ばかりが話題の中心となっており、何とも釈然としないものを感じます。
ここで、タイトルに掲げた「会食・接待・飲食」などについて考えてみたいと思います。
■ 首相長男らと会食 職員11人 倫理規程違反の接待と発表 総務省
総務省の幹部と衛星放送関連会社に勤める菅総理大臣の長男らとの会食をめぐり、総務省は合わせて11人の職員が、倫理規程に違反する接待などを受けていたとする調査結果を発表。これとは別に、内閣広報官の山田真貴子氏も、総務省の総務審議官時代に1回で1人当たり7万円を超える飲食の接待を受けていたことを公表した。
(2021/2/22 NHK)
11人は事務次官級から課長補佐級まで、総額526,000円、延べ37回、1回あたり平均14,216円。山田氏は74,000円。これだけの金額で、国会予算委員会においては、会食々々、7万円々々々、総理長男々々々々、の言葉が乱舞し混迷を極めました。
総務省は、衛星放送の許認可権を有しており、利害関係会社の総理長男と会食するのはいかにも間が悪く、公務員倫理規定に抵触し、行政がゆがめられていく可能性もなきにしもあらずと言わねばなりません。李下に冠を正さずという格言もあります。
それにしても、総額526,000円÷11人=1人あたり47,818円、こんな金額で、己の人生を棒に振るようなことをするでしょうか。鈍感さのゆえに、もっと軽い気持ちで付き合ったのではないかと思えてなりません。
「会食」:人が集まって食事をすること
目的は、飲食を共にして、親睦を深め、信頼関係を築くこと
「接待」:顧客や得意先などのビジネス上の関係者を招待して食事などを
もてなすこと
国家公務員への接待は過去にも問題となっています。
・大蔵省接待汚職事件(平成10年<1998>)
大蔵省の官僚が大手銀行のMOF担当から過剰ないかがわしい接待を
受け、112人が処分。
・総務省局長懲戒処分(平成17年<2005>)
郵政行政局長が大手通信会社社長から接待を受ける。
・文科省汚職事件(平成30年<2018>)
局長級幹部2人が逮捕起訴。事務次官など幹部3人が接待を受け懲戒。
・元農水相汚職事件(令和3年<2021>)
元農水相と収賄起訴された業者代表の接待/会食に幹部職員が参加。
他に総務省関係では、野田聖子大臣、坂井学副大臣、高市早苗大臣(いずれも当時)は、NTT幹部からの接待/会食を受けていることが分かっています。
何はともあれ、政も官も民も、貴重な情報収集に会食の場を持つことは、それなりに大切でしょう。しかし、それには、自らの「立場」を顧みると共に、「時節」を考慮し、あわせて「国民の目と感情」に思いを馳せ、それらのバランスの中で懇談、会食すべきだと思います。
わが国の昨今の姿を見れば、コロナ対策のために、自衛隊の看護師らが迷彩服姿で他の病院に応援出勤しているなど、今はまさしく戦争だと認識しなければなりません。そうであるならば、最高指揮官の総理大臣や総務省の幹部官僚は高級レストランに赴き、高額な料理に舌鼓を打つことは、しばらくは避けなければならないのではないでしょうか。
過去の歴史においては「清廉潔白」「謹厳実直」「井戸塀政治家」と言われる人がいました。明治の元勲・西郷隆盛、自由民権運動の闘士・板垣退助、昭和初期の宰相・浜口雄幸、元日本社会党委員長・浅沼稲次郎、憲政の神様・尾崎行雄、5・15事件で暗殺された犬養毅、「首相の座を蹴った男」元官房長官・伊藤正義に学ぶことも大切かも知れません。(樫山元産経論説委員長・WEDGE infinity3/22)
1回あたり14,000円の飲食、これを、年間1億を超す経費を使っている国会議員が長期にわたって問題にする、それをマスコミがワイドショーやニュースで繰り返し報道。それに影響されて国民も正義の怒りの声を。…本来は正義の声なのでしょうが、心のうちは妬みや嫉みも大いにあるような感じがします。
ここで、3年前放映されたドラマ『ラストチャンス再生請負人』(主演・仲村トオル)を思い出しました。
江上剛著の経済小説で、大手都市銀行に勤めていた主人公樫村は、財閥系銀行との合併を機に飲食フランチャイズ企業のCFO(最高財務責任者)へ転身、企業再建に奮闘。数々のピンチに見舞われながらもラストはお決まりのハッピーエンド「終わり良ければ総て良し」のドラマです。
辞めてゆく同僚の送別会の帰り、ひょんなことから樫村は占い師に手相を見てもらうのですが、占い師は樫村に「人生、七味とうがらし」と一言、続けて「これからは七味とうがらしをたっぷりきかせた、味に深みのある人生になる」とのご託宣。
【人生、七味とうがらし】
● うらみ(恨・怨・憾)
● つらみ(辛)
● ねたみ(妬)
● そねみ(嫉)
● いやみ(嫌・厭)
● ひがみ(僻)
● やっかみ(嫉妬)
程度の差こそあれ、上に行けば行くほど、恨みや、妬みや、嫉みを、世の中から受けてしまいます。どう受け流せばよいのか、あるいは、占い師が言うように「七味とうがらしをたっぷりきかせた、味に深みのある人生」にしてゆくのか、それが問題です。また、自分自身も、僻みや嫉妬の心を自然に発出しており、これをどれほど押さえることができるか、それも問題です。
何はともあれ、味に深みのある人生を送りたいものですが、所詮は人間の社会…。人生って難しいものですね。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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