ウクライナ降伏論は日本降伏論に通ず!
838回目ブログです
“ぬるるさへ うれしかりけり 春雨に いろます藤の しずくとおもへば”
藤原顕仲(平安後期・歌人)
春雨が降り注ぎ、藤の花は色を濃くしてゆく。その雫だと思えば、春雨に濡れるのも嬉しく思えるものだ…。
藤の花が色鮮やかに連なり、春から初夏へ向けての何とも言えない風情を見出し、そして、そこに春雨が柔らかく降りそそぐならば、より一層の風情を感じられるものです。移り変わる日本の四季、…そこには静かな自然と穏やかな人情が重なり合っており、見事なハーモニーを映しているのではないでしょうか。
それに引き換え、国際情勢は激動の渦を巻いており、予断を許さない状況になっています。ウクライナの目を背ける惨状、国家の悲劇、民族の悲しみ。…いくら同情しても同情し切れない悲しい現実、その実情を冷酷に見るわが国のコメンテーター等の情け容赦のない酷薄さに、わたしは大いなる違和感を覚えるものです。人間として、歴史の悲劇に対しては同情をもって臨むのが正しいのではないでしょうか。
その観点からわが国の代表的なTVコンメンテーター(橋下徹氏・玉川徹氏のW徹)の発言を分析してみたいと思います。
『どこかでウクライナが退く以外に市民の死者が増えていくのは止められない』(玉川徹・テレ朝系「モーニングショー」3/4)“撤退を!”
『戦術核の利用もあり得るという前提で、もう政治的妥協の局面だと思います』(橋下徹・フジ系「めざまし8」3/21)“妥協を!”
『今、ウクライナは18歳から60歳まで男性を国外退避させないっていうのは、これは違うと思いますよ、アンドリーさん、日本で生活してていいでしょう。未来が見えるじゃないですか。あと10年、20年、頑張りましょうよ。もう一回、そこからウクライナを立て直してもいいじゃないですか。プーチン大統領だっていつか死ぬんですから』(橋下徹・フジ系「めざまし8」3/3)“ウクライナ出身の政治学者G.アンドリー氏への人間性を欠く嫌味。国土をロシアに明け渡せ!”
『中国を取り込まないと対露制裁の効きが弱い。中国に頭を下げてでもこっちに付いてもらう必要があるのでは』(橋下徹・フジ系「日曜報道 THE PRIME」3/6)“自民党高市早苗政調会長への中国叩頭外交のすすめ!”
ひどい発言です。玉川氏も橋下氏もロシアには一切口をつぐみ、弱者のウクライナには上から目線の高圧的態度とは。二人ともウクライナに「退け」「妥協せよ」と賢しらに“降伏論”を唱えるのは、歴史に学ばない人間性にあると言わざるを得ません。簡単な話、ウクライナが降伏しても平和が得られるわけではありません。歴史に学びましょう。
【ホロドモール】
ホロドモールとは、1930年代にかけてウクライナで起きた人為的な大飢饉を言います。ホロドモールはソ連の最高指導者スターリンによって計画されたウクライナ人へのジェノサイド(大虐殺)だという見方がされています。飢饉を意味する「ホロド」と、疫病や苦死を表す「モール」を合わせて「ホロドモール」と呼び、別名は、スターリン飢饉、ウクライナ飢饉とも。
スターリンは、工業の重工業化を推進、そのための政策のひとつが農業集団化、その集団化政策の強行は思惑通りいかず減産を招きました。しかし、ソ連は、穀倉地帯のウクライナから、穀物、食料、種子にいたるまで強制徴収、そのために大規模な飢饉が発生。400万人~1450万人以上が死亡。
オスマン帝国のアルメニア人虐殺や、ナチス・ドイツが行ったユダヤ人に対するホロコーストなどと並んで、20世紀最大の悲劇のひとつとされています。
これを振り返ってみても、橋下氏、玉川氏、独裁・専制のロシア・ソ連の圧政に目をつむり、降伏せよとはよく言いますね。ウクライナ人が抵抗を続けるのは、彼らにとって、祖国の喪失は自らの命を奪われるに等しいことを自覚しているからではないでしょうか。それだからこそ、ゼレンスキー大統領は、現在でも90%の支持率を得ているのです。もう、TVの画面でわめき散らすのは止め、冷静に物事を語りませんか。
さて、昭和53年(1978)、国の防衛について、降伏論と軍備論が、高名な二人の学者の間で、激論となったことを想起してみましょう。政治学者で東京都立大学名誉教授の関嘉彦氏 vs 経済学者でロンドン大学教授の森嶋通夫氏の「関・森嶋論争」をご覧ください。
関『私が心配するのは「善意」であるが、歴史の教訓に「無知」な平和主義者の平和論である。政府は有事のための法改正を行うべき。論拠に、第二次世界大戦でスイスがヒトラーに侵略を断念させたのは、スイス国民があくまで戦う決意を示し、民兵組織を整えたことである』
森嶋『軍備は果たして国を守るだろうか。われわれの皇軍も、国土を焼け野が原にしてしまったことを忘れてはならない』
関『一国の安全は軍事力のみでは守れないが、しかし軍事力なしには同じく守れない、その意味で国を守る最小限の自衛力をもつべきである』
森嶋『核兵器が発達した現在、不幸にして最悪の事態が起これば白旗と赤旗をもって冷静にソ連軍を迎えるほかない。ソ連に従属した新生活も、また核戦争をするよりはずっとよいに決まっている』
森嶋『万一にでもソ連が攻めてきたときには、第二次大戦敗戦時、日本人が後世に誇るに足る、品位ある見事な降伏をしたのと同様に、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代わりに政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える』
関『ソ連に占領されて自治権をもち得ている国があるだろうか』
「関・森嶋論争」は、もう40年前のことですが、この論争は古びた議論ではなく、誠に残念ながら今日でも通用するのが不思議でなりません。今、行われているロシアのえげつないウクライナ侵略を見れば、どちらが正しいかは一目瞭然、関教授の歴史観および現実認識の方が、森嶋教授の甘い期待感を遥かに凌駕していると思います。それにしても、右手に白旗、左手に赤旗(今は、白/青/赤のロシア国旗?)を掲げた降伏は絶対にしたくはありません。
降伏は決して幸福にはつながらず、独裁や専制には不断の警戒を要することを肝に銘じたいものです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
| 固定リンク
コメント
かつて戦後日本の平和論を揶揄して「世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識」という名言を残した人がいたが、森嶋教授の主張はまさに「戦後日本」だけで通じる平和論であって、彼は住んでいたイギリス社会では通用しなかったろう。実際、二人の論争と同時期に南半球のアルゼンチンが沖合のイギリス領フォークランド諸島を占拠したとき、イギリスは一万キロ離れた小さな島を守るのに命を懸けたが、この件に関する森嶋教授の発言は聞いていない。「戦後日本」という社会はアメリカが復讐心と偏見と妄想で創ったものであり、それを長い歴史を生き抜いてきた日本国民が知恵を絞って、現実の社会生活に何とか適合させながら今日まで堪えてきたものである。二人の徹は自分の親や妻子が襲われる事態に至った時、己は家族を守るために戦わず、成人の息子がいたらお前も一緒に戦って、お母さんや弟・妹たちが逃げられるようにしろ、と叫ぶことはないのか。法知識と平和主義というGHQの申し子が今もメディアで騒いでいるのは滑稽でしかない。命さえあれば他国に放浪しても生きていけるという二人の徹は余りにも歴史に疎すぎる。現在のウィグルジェノサイドを見るまでもなく、いつか祖国に帰れると信じながらやがて民族そのものが歴史上から消えた例は数えきれない。ジンギスカンの軍隊に襲われてヒトは殺されモノは奪われ、イエは焼かれた結果、跡形もなく消えた町や村は数えきれないし、新世界に移住してきた白人によって絶滅した南北アメリカの原住民の歴史は数えきれない。実体なき空論の輩を知識人として扱うメディア界そのものが「空」の世界にあるのだろう。それ故テレビも新聞が衰退しているのは、世界の常識が日本の常識化へと近づいている証かもしれない。喜ぶべきか悲しむべきか。
投稿: 齋藤仁 | 2022年4月29日 (金) 09時03分