日本の言論界・激変へ…戦後の終わりの始まり!
835回目ブログです
“散るという 飛翔の形 花びらは ふと微笑んで 枝を離れる”
俵万智「サラダ記念日」
花の盛りを過ぎて、桜は、ほろりほろりと花を散らし始める。一枚一枚の花びらは、枝を離れて散る瞬間にさえ、ほとばしる命の美しさを証し立てて見せている。散ることは、桜の花がやむなく迎えた悲愴な結末ではない。美の完結であり、飛翔であったのだ…。
桜も満開から散り始めの所など、いろいろあるのでしょうが、桜が散る姿さえまさに美しさの完結を示しているものだと知れば、桜がこれほど私たち日本人の心を虜にするのも肯けます。
さて、ロシアのウクライナへの侵略が依然として熾烈を極めており、「戦争」というものの実態を、メディアを通じて連日のように目にします。そして、その映像などを見るにつけ、これが現実なんだ、不条理であってもこれが事実なんだ、ということを、私たちは戦後はじめて肌に感じたのではないでしょうか。
戦後日本の言論空間においては、70数年に亘って、現実離れした議論が行われ、それに異を唱えることが出来ない雰囲気にありました。議論と言っても、密閉した空間の中での観念的なやりとりであり、まさに、ガラパゴス化したものであり、世界の常識は日本の非常識、それが今日まで続いてきました。
ところがどうでしょうか、ロシア(旧ソ連)の暴虐、非戦闘員への攻撃、国際法無視の戦闘行為、侵略、主権侵害、残虐行為、ジェノサイド(民族抹殺)、数百万人の難民発生、生物兵器・化学兵器・核兵器使用の恫喝、そして「独裁」「専制」…、これらを見てわたし達国民も何かを感じたのではないでしょうか。
それは、わが国で行われている議論がいかに異状であり、薄っぺらで、浮ついたものであるかを改めて認識したことだと思います。
① お花畑(妄想・夢・幻想などを盲信している人)
② 現実無視
③ 観念論
④ ガラパゴス化
⑤ 民主主義国家と独裁専制国家との差異
・ロシアによるウクライナ侵略を受け、ガラパゴス化していた言論空間に突如として「現実」が現れました。それを受け、リベラルや左翼は言うに及ばず、多少右寄りだと言われていた人でもオタオタ。例えば、橋下徹氏をはじめとする一部の論客は「国を守るより命が大事。ウクライナは早く降伏すべきだ」との発言をテレビで繰り返しており、今も主張を変えていません。彼らは九条派と同じ雰囲気になってきました。
それに対して、国際政治や軍事の専門家は「この戦争は侵略戦争であり、一方的侵略に屈した後の国家の悲惨な姿に思いを致すべきである」と厳しく批判しています。加えて、一般国民も“降伏論”に組みしておらず、ロシアの暴虐に怒りを覚えるとともに、ウクライナの国を守る精神に気高さを感じているのではないでしょうか。
さらに、先日、ウクライナのゼレンスキー大統領がわが国会でオンライン演説を行い、国民もそれなりの感銘を受けました。しかし、それを巡って、立憲民主党の泉代表が、何と「演説内容の事前調整」の必要性を訴えたのです。泉代表は、立憲民主党の主張する、九条護憲、非核5原則(3原則+2原則)堅持、専守防衛、防衛力強化反対、安保現状維持などの弱点を持つ諸問題に目を向けられないように事前調整を主張したかったものと思います。侵略を受けている大統領の言葉に素直に耳を傾けようとの誠意が全く見られず、各方面から、政治家としての資質が問われました。本当にひどいものです。
・ウクライナが祖国防衛に失敗した要因の一つが核兵器(1200発)を完全放棄したことにあります。それを考えれば、わが国も、核兵器を保有するか、持ち込むか、などについて真剣な議論を進めなければなりません。ウクライナの苦い経験を教訓として活かさなければならないのではないでしょうか。現実に立脚すれば、非核5原則は、まさしく今、見直すべき時に来たと思います。
【非核5原則】(3原則+2原則)
① 核は保有しない
② 核は製造もしない
③ 核を持ち込まない
④ 考えさせない
⑤ 議論させない
・ウクライナの祖国防衛の失敗の要因のふたつ目が防衛力の弱体化(100万人⇒20万人)を露・英・米におだてられて認めてしまったことです。わが国がこれを教訓にすれば、①防衛力の強化、②憲法改正に正面から取り組むことではないでしょうか。
・まず防衛力の強化について。わが国のリベラルと称する人が好きな「ドイツ」の緊急対応を参考にしましょう。ドイツのショルツ首相は、2月27日、ロシアのウクライナ侵略を奇貨として、即座に国防費を1.5% ⇒ 2.0%以上(GDP比)に大幅アップすることを決定。ショルツ首相はその理由として「自由と民主主義を守るために安全保障にもっと投資をしなければならない」との考えを示しました。
わが国も、防衛費を1.2% ⇒ 2.0%に大幅アップするくらいの勇気を示すべきではないでしょうか。それにしても、ドイツのショルツ首相の、国家の危機に対して機敏な政策変更を実行する勇気に頭が下がります。日本国の首相も、わが国の周辺は危うい国ばかりであると認識するならば、チンタラ、チンタラではなく、全国民に対して声を大にした大演説を行い、国民の意識を覚醒させてほしいものです。
・次に憲法改正。70年間一言半句変えなかった憲法とは一体何でしょうか。そんなものって考えられるでしょうか。誰が考えても非常識、異様。わが国と諸外国における戦後の憲法改正の回数をごらんください。
【諸外国における戦後の憲法改正:回数】
・アメリカ 6回
・カナダ 19回
・フランス 27回
・ドイツ 65回
・イタリア 16回
・オーストラリア 5回
・中国 10回
・韓国 9回
(・日本 0回)
※ 国立国会図書館:2021・2・2現在
愕然とするデータ! 現実社会に対応しようと思えば少なくとも5年に一度は見直し、現実をカバーしなければなりません。
更に、書くのも嫌になりますが、憲法前文を今一度お読みください。
『日本国民は(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。』
白々しい文言ですね、どこに、平和を愛する諸国民がありますか。わが国周辺国をごらんください。侵略戦争真最中のロシア、拉致・核・ミサイルの北朝鮮、竹島・反日の韓国、尖閣・反日の中国。…油断も隙もない国ばかりです。ロシアのウクライナ侵略を教訓とし、凛とした国を目指し、堂々と憲法を改正し「日本の再生」へと大きな舵を切ろうではありませんか。
「戦後の終わりの始まり」が到来したのではないでしょうか。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
終戦から30年余り過ぎた昭和53年、統合幕僚長だった来栖弘臣氏は週刊誌のインタビューで、「日本は奇襲攻撃を受けても首相の防衛出動命令がなければ反撃できない。命令が遅れれば日本は大打撃を受ける。敵軍を眼前にした自衛隊員は自国防衛のために超法規的措置と見なされても反撃せざるをえない」という「自衛」隊として当然な話をした。ところがそれを朝日新聞やNHKなどのメディアが騒ぎ、防衛庁長官だった金丸信也が来栖氏を罷免するという事件があった。世界いずれの国家、民族も自らの生命・財産を守るために闘うのは当然であり、それは一国の法律を越えた「自然法」であり、それゆえに国際法もそれを当然の権利として認めている。要するに日本国憲法がどのように規定しようと、他国から侵略を受けた時に戦うのは当然であってそれを裁く権利は誰にもどの国にもないということだ。来栖議長は当然のことを言ったまでだが、それを反日メディアが騒ぎ、自民党のカネマル長官が罷免した。それから四十年、昭和から平成そして令和と時間が流れたが、核大国に侵略される弱小国の惨状を眼前に見ても「支援を語っても自国の防衛」を語らない・語ることもできない首相のままである。北方領土も竹島の違法占拠も北朝鮮による拉致事件も「言葉の抗議だけ」。このままだと尖閣だけでなく他の自国領を取られても「また言葉による抗議だけ」。外交を「国家間の戦争の延長」でなく「言葉の飛び交わせる晴れ舞台」と勘違いしているのではないか。ちなみに来栖弘臣氏は東大文1から首席で内務官僚に入省していたにも拘らず志願して海軍に入隊した人である。しかも敗戦後は弁護士になっていたが、警察予備隊ができるとすぐに入隊して自衛官として後に統合幕僚議会議長になられたという将に戦後日本の「防人」たらんとされた憂国の情の厚い方であった。
投稿: 齋藤仁 | 2022年4月 9日 (土) 08時53分