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2022年7月 8日 (金)

「底辺の職業ランキング」…これはひどい!

 848回目ブログです

2022781

“藤が咲き つつじは開き 牡丹かがやく。季節ともなれば、もう 止めどもなく”
                八代東村(明治~昭和「東村遺歌集」)

 藤、つつじ、牡丹、季節ともなれば、それに応じた花が、止めどもなくいっぱい咲き、楽しませてくれる…。

 草木の花は、それを植えた人がおり、水をやり、手入れをする人がいて美しい花を咲かせる。社会の進歩、発展を願い、苦しみの先の明るい夢を見ている作者の感懐を詠った素晴らしい現代短歌です。

 今年の梅雨はあっという間に過ぎ、もう酷暑を迎えた季節感がします。自然の営みもそうなら、国際情勢も激変、国内のニュースも人間性の乾いた側面が浮き彫りにされる事象が露出してきました。そのうちのひとつを取り上げてみたいと思います。

 時折ネットを渉猟するのですが、先日、大学生のための就職情報サイト『就活の教科書』底辺の職業ランキング として12の職業を紹介し、大炎上している記事に行き当たりました。

 この記事に対して、「職業差別だ!」「仕事をバカにしている!」などの批判が殺到し、記事は削除に追い込まれました。

 【12の職業をピップアップ】

   ① 「土木・建設作業員」
   ② 「警備スタッフ」
   ③ 「工場作業員」
   ④ 「倉庫作業員」
   ⑤ 「コンビニ店員
   ⑥ 「清掃スタッフ」
   ⑦ 「トラック運転手」
   ⑧ 「ゴミ収集スタッフ」
   ⑨ 「飲食店スタッフ」
   ⑩ 「介護士」
   ⑪ 「保育士」
   ⑫ 「コールセンタースタッフ」

 これらの特徴として、・「肉体労働」・「誰にでもできる仕事」・「同じことの繰り返しであることが多い」を挙げており、また、これらのデメリットとして、・「年収が低い」・「結婚のときに苦労する」・「体力を消耗する」を挙げています

 この記事は「就活の指針」として書かれたものであり、就職活動に勤しむ学生に対して適切な指針でなければならないことは言を俟ちません。しかしながら、この記事はそれを完全に裏切ったものであり、犯罪的と言えるものではないでしょうか。以下、具体的に述べたいと思います。

 この12種類の職業は、果たして「誰にでもできる」職業でしょうか。どの職業も、熟練と経験を積まなければ一人前になれません。この職業を上から目線で差別的に見た立場であり、事実誤認と言える完全に誤った判断ではないでしょうか。

 職業をあえて底辺とそれ以外とに区分するならば、公平な立場、冷静な視点で判断しなければならないにも関わらず、片落ちとなっています。それは、12種類の職業を「マイナスの特徴」と「デメリット」だけを取り上げており、「メリット」を見ていないことです。この判断をした人の人格を疑います。

 考えてもみてください。「感謝の言葉を貰いやすい」「日々の生活を支えるというやりがい」など、メリットもあるのではありませんか。公平に見なければならないと思います。

 12の職業に従事する人や家族にとっては、「誰にでもできる」「同じことの繰り返し」「年収が低い」「結婚のときに苦労する」などと誹謗中傷に近いレッテルを貼られたわけですから、怒りの感情を抱いて当然と言えるのではないでしょうか。なぜ、運営サイドは、それを慮る想像力を持ち合わせていなかったのでしょうか。

 12種類の職業は、よくよく見れば、いずれも「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる生活に必要不可欠な職種ばかりです。「必要不可欠な(essential)」「労働者(worker)」を意味する英語であり、近年コロナニュースでよく聞かれるようになった言葉です。

 ・看護師・医師・薬剤師・保健師、介護・福祉、ドライバー・電車/バスの公共交通業務、電気・ガス・水道の社会インフラ、消防・警察・自衛隊・役所、など、私たちの社会生活で欠くことのできない職種としてコロナ禍のような国難時において、あらためて注目されました。

 ・テレビやネット上での意見は、この記事に対して辛辣です。当然と言えば当然の言葉だと言えるのではないでしょうか。

 「底辺職業というのはすごく残念。人が生活する上でないと成り立たない」
  (ごみ収集スタッフ)
 「誰にでもできる仕事っていうのはないんじゃないか」(土木作業員)
 「大変大変っていうところだけをクローズアップしないで、楽しいとか、
  やりがいがあるって感じでやっている」(介護士)
 「悲しいというか、悔しい。私たちも国家資格という資格を持った上で
  働いておりますので、理解度が上がるとうれしい」(保育士)

 (“底辺”という言葉について)
 「わざわざ煽(あお)るようなことしないで」
 「当事者に、すごく残念、悲しい、悔しいと言わせるなど鬼畜の所業」
 「せめて“エッセンシャルワーカーの劣悪な労働環境と待遇は改善が必要”
  くらいは報道してほしかった」
 「わざわざ他人を傷付けに行くのはデリカシーがない」

 さて職業に貴賤なしと述べたのは、石門心学の石田梅岩という有名な江戸時代の思想家です。梅岩は「武士が治め、農民が生産し、職人が道具を作り、商人が流通させる。士農工商の階層は、社会的職務の相違であり、人間価値の上下・貴賤に基因しない」として、それが「職業に貴賤なし」という言葉の由来となりました。

 わたしは子供のころ親から職業に貴賤はないと教えられましたが、いま改めて、エッセンシャルワーカーの人たちの仕事に思いを馳せ感謝の気持ちを表したいと思います。

 ところで、近年、乱暴な言葉穢い言葉が横行し、目に余るものがあります。これは、政治を始め、社会の上層部が日ごろより言葉遣いに配慮を欠いていることが要因になっているからではないでしょうか。“底辺の職業” という言葉が大手を振って歩いていることをお互いに反省したいものです。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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コメント

メディア等の公の場で「底辺の職業」とか「底辺の生活」という発想をする人はすでに特定の固定観念・価値観に染め上げられている。戦争や天災などで、己の職も家も失ったら、すべてを国や社会の責任にして残りの人生は不平不満をたらし続ける。東京帝大を出て流浪の俳人となった尾崎放哉のような生き方を嘲笑する、精神や魂の軽薄な人ほどマウンティングを好む。「人間」という生き物、「己」という人間を凝視し、先人の生き方を学ばない、現世享楽型の人が戦後日本には溢れている。歴史に学ばない、先人に学ばない、ゆえに多様な人間の生き方を見たことがない、宗教も哲学も、それどころか教養そのものも、金稼ぎに無縁。ステレオタイプのイデオロギーに染められやすく、「われ思う、ゆえにわれ在り」の言葉を考えたこともない。そんな輩がメディアに溢れているが、彼らに国の大事、家の大事、他人の大事、己の大事が語れるのか。

投稿: 齋藤仁 | 2022年7月 8日 (金) 08時59分

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