広島平和記念式典…静寂か喧噪か!
853回目のブログです
“蝉の声 何も替わって ないような 八月六日の 広島の空”
内海暢子(うちうみのぶこ)
(01年当時15歳、福山暁の星女子中学)
今日は八月六日。広島の空はあの日から半世紀以上が過ぎた。蝉は、昔から何も変わっていないように鳴き続けている…。
昭和20年(1945)8月6日、広島に原子爆弾が投下され、その原爆による死亡者は、31万人を超える数字となっており、犠牲者の惨状と被曝による後遺症の苦衷は今も続いています。
さて、広島市は8月6日、77回目の原爆の日を迎えました。今年も「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式典)が行われましたが、例によって、誠に騒々しいものに終始したことは大きな問題として捉えられなければならないと思います。
そもそも、この式典は慰霊式と祈念式であり、厳粛の中で行われるべきものでなければならず、このことは市の基本条例にも定められています。
しかしながら、「第九条の会ヒロシマ」など市民団体のメンバーが参加する「8・6ヒロシマ平和へのつどい2020」は、会場となった平和公園での反戦・反核・脱原発を訴える行動を呼びかけました
・のぼり、プラカードの掲示
・シュプレヒコール
“憲法改悪反対!”
“核反対!”
“岸田帰れ!”
“安倍国葬反対!”
市民団体の主張は、左翼、リベラル、反日思想丸出しの野卑な言動そのものであり、原爆の犠牲者に対する慰霊の真心を失った、悲しむべきイデオロギー人間であると言わねばなりません。
本来ならば、原爆を不当に投下された静謐な環境の被爆地において、原爆犠牲者を心静かに悼むべきものであり、決してシュプレヒコールなどの雄たけびを挙げる場ではありません。厳粛なる平和の誓いというよりも、暗澹たる雰囲気に包まれた式典の印象を強く持ちました。(因みに、私の叔父も原爆の犠牲者であり、静寂な環境で式典が行われることを望む次第です。)
同じことは、靖国神社の例大祭などについても言えるのではないでしょうか。靖国神社は、春季例大祭、秋季例大祭、全国戦没者追悼式などが毎年斎行されていますが、これも本来は静謐な雰囲気で執り行われるべきものです。ところがサヨクマスメディアの扇動により、半島や大陸を巻き込んだ喧噪のなかで執り行われているのが実情であり、これでは英霊も浮かばれないのではないでしょうか。
わたし達は、なぜこんなにがさつな人間になってしまったのでしょうか。日本人にとって宗教は、①基本的には「祈り」、②先祖、英霊への鎮魂と精神的対話、③山川草木、生きとし生けるものへの感謝、と言われています。そうだとすれば、原爆死没者慰霊式の異様な雰囲気から判断すると、わたし達日本人は、宗教的心性を著しく欠いており、あるいは、下記のごとく、文明の衰退の兆候を見せているのかも知れません。
【文明の衰退の兆候】(6視点)
① 精神性、宗教性を失い、精神的価値を冷笑する。
② 断片的で実際的なものに関心、無機質、マニュアル的な知性を
もてはやす。
③ 自らの属する土地、本来の居場所から切り離して激しく移動。
④ 特に農業が嫌われ、生産的なものよりも非生産的な生き方が好まれる。
⑤ 大都市・巨大都市へ1極集中的に人が群がる。
⑥ 既に衰退した異文明の遺産をわけもなく有難がり、遺品や遺産を
見て廻ったり、手に入れたがる。
この6視点に身震いします。全ての項目がわが国の現状に合致していると思われませんか。そうだとすれば、わたし達は、現在の風潮を懐疑的に見直し、日本文明の危機として考える必要があるのではないでしょうか。
さて、平和記念式典で岸田首相は「77年前の惨禍を決して繰り返してはならない。唯一の戦争被爆国であるわが国の責務であり、被爆地広島出身の首相としての私の誓いだ」と強調しましたが、核禁条約には触れませんでした。
そして、広島の被爆者団体の代表らは首相との面会で、核禁条約の批准を求めましたが、首相は「条約は核兵器のない世界への出口に当たる。同盟国の米国を変えるところから始めなければならない」と、すぐに批准できる国際情勢ではないとしました。
世界には、1970年3月に発効した「核不拡散防止条約」(NPT)があります。この条約は、露・米・中・仏・英を「核兵器国」として認め、それ以外の国は「非核兵器国」として核兵器保有を許さないというデタラメな条約です。
現状の核保有国は下記の通りです。また、ロシアが核兵器使用をちらつかせ、非核兵器国のウクライナを脅している始末です。何をかいわんやではないでしょうか。
【核弾頭数】(2021年)
露 6255(発)
米 5550
中 350
仏 300
英 200
パキスタン 160
インド 140
イスラエル 90
北朝鮮 39
わが国を取り巻く国で、中国・ロシア・北朝鮮が核を含む軍事力でわが国を脅しています。それに対抗するには、日米安保、米の核の傘に頼る以外に方策はありません。同盟と傘。一時の情緒的感情に走ったり、現実を見ず理想郷を夢見ては大変なことになります。岸田首相もそのことは十分に理解していただき、夢見る広島市民、日本国お花畑の人々の誘惑に引き込まれないことを願いたいものです。
最後に、アメリカの原爆投下は「無辜の民」(何の罪もないのに被害を受けた人々)へのジェノサイドであることを忘れてはなりません。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
米中露英仏の常任理事国は核兵器保有に安堵せず、戦後も化学兵器、生物兵器などの研究を競っている。というより競わざるを得ない立場にある。なぜなら核さえ保有すれば潜在敵国の戦争意欲をそぐ力を保障するわけではないからである。イスラエルは世界が騒ぐ前に核を保有し、イランや北朝鮮は世界を騒がせながら核保有を進めたが、核大国かつ常任理事国のロシアや中国が核使用をほのめかせている実情を見れば、核保有が正しい選択であることは間違いない。生物兵器や化学兵器、サイバー空間の見えざる武器など攻撃兵器は無限大だろうが、防衛用として、すなわち敵から核または核使用に匹敵する攻撃を受けた時の反撃力として、核ミサイルを装着した原子力潜水艦を数隻、日本の周辺の海に常時周遊させておくことで、敵国の攻撃を局地戦に終わらせることができると考える。オホーツク海、日本海、東シナ海、太平洋の最低四隻は必要だろう。これが日本の平和を維持する現実的な方法である。
投稿: 齋藤仁 | 2022年8月12日 (金) 08時55分