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2022年8月 5日 (金)

新宗教の衰退をどう見るか!

 852回目のブログです

2022851

 “白雲の 映るところに 小波の 動き初めたる 朝のみづうみ”
            与謝野晶子(明治~昭和・歌人)

 夏空の白い雲が、湖の水面に映って、ゆっくりと動いていく。その水面に風がでて、さざなみの立ち始めた朝の湖よ…。

 それにしても、暑い日が続きます。それに加えて、暴漢による元首相の暗殺をめぐるメディアの本質を離れた不毛な騒ぎもあり、暑さが2倍、3倍になりうんざりする今日この頃です。

 国際情勢は、風雲急を告げ、8月3日米国下院議長ペロシ女史が台湾を訪問、チャイナの怒りは沸騰寸前となってきました。台湾海峡がどのように展開するのかかたずをもってみなければならず、また、それはわが国の安全保障に大きく関係するからでもあります。そのような状況では、不毛な議論からはなれて物事を冷静に判断することが肝要ではないでしょうか。

 そう考えて、今回の小ブログでは、宗教、なかんずく新宗教の衰退が明らかに顕著になってきていることに目を向けてみたいと思います。

まずは、信者数の実態把握から。文化庁発行の宗教年鑑から拾いたいと思います。この数字は各教団の自主申告であり、大まかな数字しか把握できませんが、とりあえずその変化の激しさを確認してみてください。

 【新宗教の信者数の推移】

         平成2年(1990) 令和3年 (2021)
  天理教    180 (万人)  120 (万人)
  生長の家    82       37
  立正佼成会  634      222
  霊友会    317      118
  世界救世教   84       45
  PL教団   181       98
  真如苑     67       93
              『宗教年鑑』から抜粋

 自己申告ですから、少な目に申告することは考えられません。この増減率を見ますと、天理教▲33%、生長の家▲55%、立正佼成会▲65%、霊友会▲63%、世界救世教▲46%、PL教団▲46%、惨憺たる数字、何と驚くばかりの大幅な減少率。一方、信者が増加しているのは、真如苑のみがプラス△39%という具合。

 ここで注目するのは、真如苑の伸びです。真如苑は「接心」という悩める人のカウンセリングが中心であり、他の新宗教とは毛色が違っていると考えられています。

 今、マスメディアの注目を浴びているのが、世界平和統一家庭連合(旧名称:世界基督教統一神霊協会)。信者数の明確な数字は不明ですが、週刊ダイヤモンド(2018/10)によれば、信者数はおよそ10万人と推定しています。

 わが国で政治と宗教との関わりで頭に浮かぶのは、公明党と創価学会であることに異を唱える人はいないと思います。両者は「異体同心」、メディアは公明党の支持母体は創価学会と明言しています。

 しかしながら、宗教年鑑を見ても、創価学会は「世帯数」で届けていますから、信者数は良くわかりません。宗教内での用語は一般社会の用語とは全く異なりますから、他の数値で把握することが望ましいと考えます。

 そこで、国政選挙における公明党の比例得票数が創価学会の信者数にほぼ近いと推定しました。その格好の数字から創価学会の推移を見てみましょう。

 【公明党の比例得票数の推移】(≒創価学会信者数と推定)

    (選挙年)    衆・参  比例得票数
  平成17年(2005)  衆   898(万票)
  平成19年(2007)  参   776
  平成21年(2009)  衆   805
  平成22年(2010)  参   763
  平成24年(2012)  衆   711
  平成25年(2013)  参   756
  平成26年(2014)  衆   731
  平成28年(2016)  参   757
  平成29年(2017)  衆   679
  令和 元年(2019)  参   653
  令和 3年(2021)  衆   711
  令和 4年(2022)  参   618

 12年前が898万票、それが今年は618万票、減少率▲31%、そして、昨年が711万票、今年が618万票、わずか1年の減少幅が約100万票何とも厳しい数字であり、他の新宗教と同じく、創価学会としても安閑とはしておれない状況のように見えます。

 しかし、創価学会は永年、与党政治に密着し利権を確保するとともに、学会内経済活動で利益を蓄積し、宗教を超えた日常を基盤とする組織を確立しており、とりあえずは安定感を持っていると言えそうです。

 ところで、なぜ、新宗教が衰退しつつあるのでしょうか。新宗教の多くは先祖供養と病気治しを主な活動として発展してきましたが、核家族化、都市化により先祖供養の意識が薄らぎ、医学の発達で宗教に頼るひとが少なくなってきたことがひとつの要因と考えられます。

 そして、ふたつ目には、労働者のコミュニティとして、インターネットなどで簡単に人と人が繋がる時代になり、入信しなくなったことが挙げられます。

 3つ目には、信者の高齢化が進むとともに、「創始者」の世代交代によって “絶対的カリスマ” が不在となり、信者の減少が避けられなくなってきたことではないでしょうか。

 このようなことは、先進国としても共通の現象であり “宗教消滅の危機” が叫ばれています。特に、1990年代以降インターネットの普及に伴い、人が悩みを抱えても宗教の門、教会の門を叩くことよりもネットで救済を求める時代になってきたことを認識しなければなりません。

 今や、人間関係はスマホやSNSで築きあげる時代となったことだけは確かかも知れません。家族でのコミュニケーションが希薄化し、会社でのコミュニケーションも弱まり、世の中との接点も全体的に揺らいでいるとすれば、旧来の「新宗教」でその心の叫びを受け止めることができるのか、それともSNSが包括するのか、今後を見守りたいと思います。

 さいごに。宗教界が揺らいできているということは、私たちの心も揺らいでいることを意味しており、今一度、心静かにわが身を振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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