“朝日新聞の落日”…400万部の大台割り込む!
866回目のブログです
“さざ浪や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな”
平忠度(平安末期・千載和歌集)
さざ波寄せる琵琶湖畔の志賀の旧都――都の跡はすっかり荒れ果ててしまったけれども、長等(ながら)山の桜は、昔のままに美しく咲いていることよ…。
平家の没落は、「平家物語」の中に悲しい物語として語り継がれてきております。平家の滅亡は、その過程にあって “滅びの美学” を遺憾なく発揮しており、わたし達日本人の心に“雅”というものの静かな一面を訴えるものがあるのではないでしょうか。
翻って、現代の組織や権力者に、たとえ時勢に合わずして落日の時を迎えようとする時、これまでの経緯において、果たして “滅びの美学” を持ち合わして来ているのかどうか、いままで新聞メディアという第4の権力を欲しいままにしてきた「朝日新聞」について考察してみたいと思います。
■ 読者の “朝日新聞離れ” が深刻化。今年9月度の日本ABC協会のレポートによれば、朝日新聞の発行部数は400万部大台を割り込み、399万部となり、前年同月比マイナス63万部の大幅減です。
新聞業界は苦境の中、全国紙各社の発行部数をご覧ください。
【2022年上半期(1-6月)月間平均部数】(▲=減)
2022年上半期 前年同期比
・朝日新聞 4,298,513 ▲452,946
・毎日新聞 1,933,714 ▲ 78,170
・読売新聞 6,860,222 ▲306,370
・産経新聞 1,026,293 ▲179,623
・日経新聞 1,753,877 ▲133,193
時代の趨勢というものでしょうか、新聞の総発行部数は大幅に減少。
2000年:7190万部(うち、朝刊5189万部・夕刊2001万部)
2021年:3951万部(うち、朝刊3240万部・夕刊 711万部)
さて、新聞業界全体、及び全国紙ともども、押しなべて減少していますが、その中で、朝日新聞の減少率は業界平均値を大きく上回っています。「減少率」で見ると、2006年から2021年までの期間では、新聞全体が朝刊で36.27%、夕刊で61.05%、全体では42.82%であるのに対し、朝日新聞はそれぞれ43.96%、64.04%、50.28%となっています。
「朝日離れ」のターニングポイントは、平成26年(2014)の「従軍慰安婦 誤報・捏造」問題に行きつきます。朝日は2014年8月、戦時中の朝鮮(済州島)で女性を強制連行したとする吉田清治氏の証言を「虚偽」として記事を取り消すなど、1990年代から膨大な量で報じてきた「慰安婦問題」に関する誤報を認めたのです。韓国などでは、一連の朝日報道を証拠のひとつとして日本政府に謝罪や賠償を求めてきた経緯もあり、誤報・捏造は多方面に大きな影響を与えました。
特に、従来から朝日に全幅の信頼を寄せていた愛読者のショックは大きく、朝日のリベラルサヨク的反日姿勢に嫌悪感を懐いた人も大きかったと思われます。(また、未だに英文での「従軍慰安婦誤報」記事に対する謝罪は行っておらず、本当にとことん面の皮が厚く、往生際が悪い印象は拭えません)
さらに、朝日の二枚舌・言行不一致の姿勢が抜け切らないことの例を。一つは、朝日は民主党政権時代、消費増税の必要性を訴え続けてきました。にもかかわらず、2019年の消費税率引き上げ時は政治に働きかけ、「新聞は公共財」だとの論陣を張り、「軽減税率適用」を勝ち取りました。購読料はこれまで通りと断言するも、2年後には値上げ。二枚舌、三枚舌もいいところ。
二つには、2021年のコロナ禍での東京五輪中止を「社説」で訴えながら、その後も大会「スポンサー」に名を連ね続け、朝日新聞社の矛盾した姿勢が批判の的になったことは記憶に新しいところです。これも二枚舌の典型。
朝日新聞の誠実さを欠くところは、戦後の朝日の「主張」を振り返って見れば一目瞭然ではないでしょうか。(Japan On the Globe伊勢氏の論稿から)
(1)自衛隊の発足(当初警察予備隊、1950年)
(2)単独講和か全面講和か(1951年。これは実に巧みなネーミングで、
ソ連を入れるか否かで、決して単独講和ではない)
(3)警職法(警察官職務執行法改正案、1958年)
(警察官の職務質問などの権限を拡大するもので、この時、
反対派のキャッチフレーズは「デートもできない警職法」だった)
(4)安保改正賛成か反対か(1960年)
そして安倍内閣になってからの
(5)特定秘密保護法(2013年)
(6)集団的自衛権の憲法解釈変更(2014年)
(7)平和安全法制(安全保障関連法、2015年)
(1)から(7)、その時、その時に、朝日は政府方針に反対の大キャンペーンを張って来ました。しかし、現在となってみれば、誤報だけではなく、政治的主張についてもすべてが誤りだったことは明白ではないでしょうか。
わが国は、朝日の主張の真逆の道を進んだことが幸いしました。(1)から(4)までで、朝日の主張通りに進んでいれば、自衛隊も日米安保もなく、日本は中国の自治区・属国となっていたに違いありません。
朝日新聞社は、新聞事業では大苦戦していますが、経営面では “Ⅴ字回復” を果たしています。その基本は不動産事業による収益。都心の一等地に有楽町マリオンなどの複合施設や高級ホテル、大阪中之島にある大阪本社を建て替えて2棟建ての超高層ビルなどなど。羨ましいばかりの一等の不動産を保有しているのです。
したがって、経営面から言えば安泰と言えるでしょう。そして、近い将来、「不動産運用会社」に衣替えすれば、それは、もはや「新聞社」ではなく「不動産会社」と言わざるを得ません。そのような会社に「記者クラブ」に出入りする特権を与えて良いのか、優先的にさまざまな情報を与えて良いのか、といった問題提起も必要となるのではないでしょうか。
さいごに。新聞事業が苦境にある朝日新聞社に対して暖かなエールを送るべきか、新聞事業を諦め不動産の運用に邁進するよう激励すべきか、このどちらが国益・国民のためになるのか静かに考えて見たいものです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
早くて正確な情報が私たちの生死・生活に直結しているのは刀と槍の戦国時代でも科学技術の現代でも変わらない。戦国大名も21世紀の指導者も己の家族や領民・国民の生命・財産を守るために周囲に目を配り潜在的な敵対者の思惑や動向に関する迅速かつ正確な情報を求めている。一歩読み違えたために「あの一手が、チキショー」という将棋の世界の嘆きは企業の世界でも縷々目にする光景である。国家の生存競争も同じであり、一歩の読み違いと悔いても遅い、敗戦は敗戦である。ただ指導者が読み違えたのは、手にしていた情報が最新のものでなかった、あるいは誤った情報だったのだとしたら、それは情報をもたらした者の責任でなく、情報活動を疎んじていた指導者の責任である。まして日本は民主主義国であり、指導者は選挙に勝たねばならず、選挙に勝つには世論を考慮しなければならない。だが民主主義国の大手メディアは右手に報道の自由を掲げ、左手で「入手した情報は真偽の確認よりも針小棒大に報道せよ。騒げば売れる」を社是(?)にしている。騒げば売れた江戸の「瓦版」がいつのまにか「日本の良識」と気取った東京の「新聞」と名称を変えたが、その本質は変わっていない。ただ江戸時代は「従軍慰安婦」などという捏造記事を出したら出版元は営業停止以上の厳しい処置を受けたはずだし、今でも隣の大国はそうしている。左に変更しているわが国のメディアは少なくないが、朝日新聞のようにフェイク、捏造を承知で報道を続けてきた全国新聞はほかにない。戦後70年以上わが国の存亡に関わるような一大事のたびに大衆扇動という共産国家の手法で国政を誤らせてきた唯一の新聞社といっていい。学歴があろうとなかろうと倫理観も廉恥心もない人間集団は戦前までの日本社会だったら「払下げ」でゴミ箱行きだろう。
投稿: 齋藤 仁 | 2022年11月11日 (金) 08時30分