韓国国民「7割が核保有に賛成」…さあ、日本はどうする!
879目のブログです
“東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ”
菅原道真(平安前期)
春の風が吹いたなら、私のいる大宰府まで香りを届けておくれ。梅の花たちよ、主人がいないからと言って、春を忘れずに咲くのだよ…。
東風吹かば…、学問の神様、菅原道真の人口に膾炙した、読みやすく気持ちの良い和歌です。
梅には鶯、メジロとも言われますが、なかなか和やかな光景ではないでしょうか。一年に亘ってこのような世の中であれば良いのですが、世界はそんな甘いことを許してはくれません。ウクライナ・ロシア戦争はまだまだ決着は尽きそうもなく、東アジアも風雲急を告げてきました。
先日、隣国の韓国国民の7割が核保有に賛成との調査が報告されましたが、わが国ではほんの少し報じられただけで、政界も、マスコミものんびりとしており厳しい反応は全く見せておりません。平和ボケの最たるものでしょうか。とりあえず、報告内容について見ていきましょう。
・1/19、米国の有力シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」が、韓国に「米国の核兵器を再配備する可能性を検討すべきだ」という提言をまとめました。タイトルは「北朝鮮政策と拡大抑止」と題され全30ページ。共同議長は、著名な ジョン・ヘイムリ所長と、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授。
・ロシアによるウクライナの侵攻は、韓国に大きな衝撃を与え、核実験とミサイル発射を繰り返す北朝鮮の脅威と「自国の脆弱性に対する懸念を深めた」と指摘し、韓国は、米国に新政権が誕生すれば「米軍撤退話が再燃しかねない」とも心配しているとしています。
・「“現在の情勢下では”、米国は韓国に戦術核を再配備すべきではなく、核共有も認めるべきではない」と指摘しています。
・しかし「近い将来、米国核の再配備を検討すべし」と訴えており、具体的に「戦術核の保管場所の選択」や「安全対策」「米韓両軍の合同訓練」「数年後の完成を目指した保管施設の建設」にも踏み込んでいます。
・さらに、「日本も拡大抑止の信頼性に対する懸念を共有している」ので、「日米韓の3カ国によるNATO(北大西洋条約機構)のような「核使用立案グループ」(核シェアリング)を検討すべきだ」としています。
・さらに、さらに…。
・将来は日米韓に英国とフランスを加えた、『多国間の核の傘』創設も提言しています。もしも、それが実現すれば、事実上
日・米・韓・英・仏 =『NATOの太平洋への拡大版』
とも言うべきものです。極めて大胆な構想であり、わが国も“真剣に検討”!しなければならないのではないでしょうか。
さて、韓国の世論は、別の米シンクタンクによれば、71%が独自核開発すべきだという意見だということがはっきりしました。そこで、米国は、韓・米の「核シェアリング」を検討しようと先手を打ったと思われます。果たして韓国はどのような対応をしようとするのでしょうか。
去年の暮れのように、金正恩がほぼ毎日のようにミサイルやドローンを飛ばすような状況が今年もまた継続するならば、韓国の対応も深刻、且つ真剣にならざるを得ないのではないでしょうか。そして、韓米軍事演習を拡大する方向で進んで行きつつ、核シェアリングにまで踏み込む可能性が高いと思われます。韓国としても、座して死を待つ姿勢をとることはないでしょう。
日本の岸田首相は施政方針演説で「“核兵器のない世界”に向け、国際的な取り組みを主導する」と訴えましたが、一方、韓国では「核武装」を求める議論が高まっています。韓国のそれは、北朝鮮の核・ミサイルの脅威による安全保障の根本的な見直しです。
アメリカの本気度はどうでしょうか。国務次官補を務めたハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は「北朝鮮が韓国米国人を殺さずに韓国を攻撃できる方法はない。韓・米は『運命の共同体』だ。北朝鮮の攻撃により、在韓米軍2万8,500人と韓国に住む多くの米国民間人も影響を受ける」と強調しています。3万人を見捨てるアメリカではありません。米軍は、第1に米国人を、第2に韓国人を、第3に他の友好国を護ります。
さて、岸田首相は日米首脳会談で核抑止問題に触れずじまい。韓国の尹錫悦大統領は1/11、政府内の会議で「核武装を検討する」と述べましたが、日本のマスコミはなぜか、この尹発言を報道せず。日本のマスコミは平和ボケ、岸田文雄首相は広島ボケと言えばよいのでしょうか。
岸田首相が広島出身だからと言って非核的思考に限るというのもおかしなことです。本来ならば広島出身だからこそ核保有を訴えることも可能であり、反対する人達は核の被害にあった人達の気持ちを逆に理解してないとも言えるのです。もっと柔軟な思考が俟たれるのではないでしょうか。(因みに、少子は広島県出身、叔父は被曝死しています)
ところで、核保有については “議論する” だけでも抑止力になり、現実的な選択肢として、最も安価な選択ではないでしょうか。岸田首相は核の議論を封殺していますが、時間をかけてでも議論しては如何でしょうか。わが国の周辺国家、中国・ロシア・北朝鮮、は押しも押されもしない核兵器保有国です。
こんな物騒な国家に囲まれている「日本」は平時より安全保障に力を注がねばならないと考えます。
わが国のリーダーにおかれては日本を護ることに力を尽くしていただきたいと心から念願する次第です。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
尚、平成18年(2006)3月3日、第1回目のブログ発信を始めてから、本年3月3日で丸17年となります。もう17年です。つらつら考えましたが、最近、文章から漲る力が弱まってきている印象もあり、この際一旦筆を置くことにしました。3月3日の第882回目を最後にブログ発信17年間を振りかえるとともに、今後についても触れたいと思います。今しばらくお付き合いいただければ幸いです。
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幕末時の国民の総意だった「植民地にされない日本」を成し遂げた明治の政治家には本物のリアリストが多かった。明確な国家目標に向けて些末な情緒に浸ったり個人的な理想などを排除した。その意味では明治日本そのものがリアリスト国家だった。明治初めの日朝外交はその典型で、長年の付き合いから両国の友好や情緒中心の外交が進められたが、李氏朝鮮の執拗な中華思想すなわち観念・イデア外交、欧米世界の現実に目を瞑ったままの旧弊国家に呆れ、西郷隆盛らの征韓論から終には福沢諭吉の脱亜論にまで至った。そして戦後の歴代の指導者を概観すると、その多くは李朝か清朝の指導者の焼き直しかと思うほど観念主義者が多い。経済一辺倒や平和主義、多元的平和外交など、自身の理念観念に溺れて国家指導者としてのリアリズムが全くない。そういう意味では安倍元首相は戦後七十年にして最善のリアリストだった。それが見えない愚かなメディアや学者連はトランプに、プーチンに、などと揶揄していた。だが本物のリアリスト安倍氏は世界の大国の指導者は好き嫌いや善悪で判断せず、誰とも接見し、できれば会談をこなすことで自らのリアリズムを磨いた。それが安倍氏亡き後も日本国民に本物の平和の礎を残してくれた。戦後の政治家でこれほどのリアリズムを持っていた人は岸・佐藤・安倍一族以外ではいない、石原慎太郎氏も傑出したリアリストだったが、息子はその欠片も受け継いでいない。岸田首相の信条のように語るヒロシマ平和論の情緒的甘さが彼の息子にそのまま感染していると見るのは私だけだろうか。己の情緒に甘えるボンボンに日本国を託すのは賭けに等しい危険なことなのだが、平和ボケの安保世代の老齢日本人はそれにも気づいていない。無惨やな甲の下のキリギリス。
投稿: 齋藤 仁 | 2023年2月10日 (金) 10時22分