「子ども食堂」全国7331軒…欠食児童急増の衝撃!
880回目のブログです
“明日よりか 春菜摘まむと 標めし野に 昨日も今日も 雪は降りつつ”
山部赤人(万葉集)
明日から若菜を摘もうと腹づもりしていた野に、昨日も今日も雪が降り続けている…。
万葉の昔から、春の野に出でて若菜を摘み、その瑞々しさを味わうことは自然の恵みを堪能することでもあったと言えましょう。
翻って今日、子ども等がそれなりに満ち足りた食生活をおくっているのでしょうか。一つのデータから問題点を考えて見たいと思います。
今、「失われた30年」が厳しく指摘されていますが、その30年の間に、日本国民は想像以上の貧困を加速させていることに注目しなければなりません。それは、「欠食児童」が激増していることです。
【欠食児童】
・家庭の貧困や食糧不足などのために、昼の弁当を持ってこられない児童や3度の食事を満足に取れない子どものこと。
・1930年(昭和5年)に発生した昭和恐慌、1934年に発生した東北凶作、第2次世界大戦後の食糧難を経て、1954年(昭和29年)には学校給食法ができ、高度経済成長へ、以後欠食児童という言葉は死語となっていました。
・ところが、小泉内閣(2001年 - 2006年)以降、格差社会と貧困が再び広がり、家庭で満足な食事が摂れない児童が増えています。
この現今の欠食児童に対応して、子ども食堂が運営されるようになりました。
【子ども食堂】
・子どもやその保護者および地域住民に対し、無料または安価で栄養のある食事や温かな団欒を提供するための日本の社会活動。
・2010年代頃より活発化し、「孤食」の解決、子供と大人たちの繋がりや地域のコミュニティの連携の有効な手段として、日本各地で運動が急増しています。
【全国のこども食堂の箇所数推移】(箇所)
2012年(平成24) 発足
2016年(平成28) 319
2018年(平成30) 2,286
2019年(平成01) 3,718
2020年(平成02) 4,960
2021年(平成03) 6,014
2022年(平成04) 7,331
(2018年以降はNPO全国こども食堂支援センター・2016年は朝日)
上記の数字は、全国に広がってきたこども食堂をサポートする「特定非営利活動法人全国こども食堂支援センター・むすびえ」の調べによるものです。
数字を見れば、コロナウイルスの感染拡大が始まってから子ども食堂の数は一気に増えたように見えますが、日本国民の貧困は我々が想像している以上に激烈に加速化しており、今を生きる子どもたちがもっともその影響に直面している現実を直視しなければなりません。
子ども食堂の利用者は、未就学から高校生まで、あるいは一部大学生までも含めて、正式な数字は不明ですが、子ども食堂1か所で月間に(個別人数の総計として)訪れるこどもの数がおよそ平均100人であるとすれば、
7,300箇所×100人=730,000人
となります。驚くべき人数だと言わねばなりません。また、日本の小中学生の総数は630万人であり、その10%(63万人)は欠食児童と言われています。
これらの子どもたちは、終戦後の都市部にあふれ出た身寄りのない孤児が浮浪児になって徘徊しているのではなく、しっかり家庭があっても食べられないのが実態です。
であるとすれば、政治の責任において、補助金を出して子ども食堂を支援するという一過性の対処ではなく、社会構造的な問題として対応しなければなりません。
『失われた30年』…これは、永らく政権を担ってきた主力与党である“自由民主党”の責任でもあります。とっくの昔に先進国から滑り落ちたことを認識せず、裕福な先進国づらをしては新興国にカネをバラ撒いている場合ではありません。
これだけの欠食児童が存在するということを厳しく認識し、果断なる対処をしなければならないのではないでしょう。
1979年、ノーベル平和賞を受賞したカトリック教会の聖人
“マザー・テレサ”の言葉を。
『日本人はインドのことよりも、
日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。
愛はまず手近なところから始まります』
そうですね。
愛はまず手近なところから…欠食児童に暖かい愛の手を!
岸田総理には、国民のための「真の政治」「足元を照らす政治」をお願いしたいものです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセー
です。
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コメント
動乱の時代になると、時運に恵まれた国家には創造力のある政治家が現れて新たな国家の枠組みを築く。それによって社会が安定すると集まった国庫を小才をもった官僚役人が運用する。極論すれば本物の政治家は勇気ある武将であって乱にあって真価を発揮するが、官僚は部屋に閉じこもって乱の治まるのを待つ。古くは天智天武天皇のとき、近代では西郷・大久保の維新のときがそれである。吉田茂や池田勇人などは戦後の混乱期を切り抜ける智恵を見せたが、客観的にふりかえればアメリカの政治力下で官僚として最大限の智恵を発揮したに過ぎない。官僚の小才とは長くて数年の効力しか持たない、その場しのぎのカネの使い方が顕著である。アメリカ主導の経済弱肉強食にのった小泉首相の民営化改革に合わせて問題化したのが社会の経済格差だが、この解決を官僚に任せたことが今日の福祉バラまきにつながっている。厚労省の肥大化は平成・令和の政治指導力の欠如を意味する。「国民を自立させる。納税者に育てる」という為政者の基本も忘れ、福祉費は無限大に引き出せるかのように意味不明な法人にバラまいてきた。その果てに労働力不足・少子化対策として外国人に住居から生活費まで保障するなどという事態に至っている。国家の命運をアメリカに託し国内の生活だけを考えればよいという戦後日本の政治状況が政治家や官僚を国の命運などどうでもいい、国家という家の生活費の使い道だけを考えればよいという「主婦型官僚」にしてしまったのだろう。エリート官僚に憧れをもつ岸田首相は「主婦型官僚」の典型かもしれない。いずれにしても官僚政権に国力発揚や国家再生の智恵が出てくることは期待できない。
投稿: 齋藤 仁 | 2023年2月17日 (金) 08時29分