『多文化共生』…これに異議あり!
893回目のブログです。
“あしびきの 山の黄葉 今夜もか 浮かび行くらむ 山川の瀬に”
大伴書持(家持の弟・万葉集)
山のもみじは、今夜もまたはらはらと散っては、山川の深い谷間の川に浮かんで流れて行くことであろう…。
ついこの前まで、秋というよりも夏の気温が見られた日も続いていましたが、11月の中旬にはいると、さすがに秋も深まり、涼しいというよりも寒い日々が続いてきました。いよいよ真紅の紅葉も鑑賞できる日が近づき、本当の秋を楽しむことができそうです。
さて、このような自然環境の中にあるにも関わらず、政界はいよいよ混沌、岸田首相の打つ手、打つ手が国民からその私益、私欲を見透かされ、世論調査における岸田内閣支持率は釣瓶落としの暴落。それを受け、政界では、年内あるいは年初の総選挙が見送りになったと観測されています。
自民党、岸田政権の問題点は、増税・減税のことだけに限らず、もっと本質的な問題として「多文化共生」のゴリ押しという重要な観点を忘れるわけには行きません。小ブログでは2~3回取り上げましたが、今一度考えて見たいと思います。
“ 多文化共生 ”、何となく優雅で響きの良いプラスイメージがありますが、果たしてそうでしょうか。…まず、多文化共生とはどんな意味か、辞書から引いてみましょう。
『多文化共生』
国籍や民族などの異なる人々が、文化的な違いを認め合い、
対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと。
綺麗な言葉には棘があるという格言がありますが、国籍や民族などの異なる人々⇒文化的な違いを認め合い⇒対等な関係を築くこと、ができるのでしょうか。
早い話、中東でのハマス対イスラエル戦争の実態をご覧ください。また、中華人民共和国でのウイグル人、チベット人弾圧を見ても、ことはそう簡単には行きません。
国内のことについても見ていきましょう。多文化共生は、普通の日本人労働者にダメージを与えました。多文化共生が急速に進むことにより、日本人労働者は低賃金・悪条件でも働く外国人と同レベルで働くことになったからです。その政策を粛々とすすめてきたのは、政治家・経団連・経済同友会・官僚・メディアたちなどのいわゆる上級国民であり、自らには関りが無いと考えたからに他なりません。
当初、日本人は多文化共生という名の「グローバル化」が何をもたらすのか分からず、企業やマスメディアがそれを推進しても、日本人は自分たちには関係ないと思っただけでした。
しかし、関係は大有りと判明。一般日本人もそれによって低賃金・悪条件競争に巻き込まれ、なかなか賃金を上げるまでに至らず、不名誉な日本経済失われた30年の一翼を担ったと言わざるを得ません。
今、日本国内では街を歩くだけで、外国人がどんどん増えていることを実感します。また、旅行者だけでなく、普通に暮らしているような感じの外国人も増えていることに気づくのではないでしょうか。
ここで、在留外国人の数を見てみましょう。在留外国人数は、平成25年(2013)くらいまでは200万人を少し超えるレベルでしたが、令和5年(2023)6月末現在では、何と、322万人超となっています。
【在留外国人数】(令和5年6月末現在)
(1) 中国 788,495人 (24.4%)
(2) ベトナム 520,154人 (16.1%)
(3) 韓国 411,748人 (12.7%)
(4) フィリピン 309,943人 ( 9.6%)
(5) ブラジル 210,563人 ( 6.5%)
(上位5ヶ国 出入国在留管理庁)
これを見ると、上位3ヶ国は、中国、ベトナム、韓国であり、中国(中共)が在留外国人の4分の1を占めています。早い話、今押し進められているわが国の「多文化共生」政策は、日本の「中国(中共)化」であると言わねばなりません。
分かりやすく言えば。企業は「利益」を上げるために、高い賃金の自国の労働者を切り捨てて、「安い賃金」でも働く途上国からの外国人労働者を使い始めました。そして、日本人が「低賃金」に悩まされるようになったのは、企業が自分たちの利益拡大のために労働者を外国人に入れ替えたからであり、それを押し進めるのが「グローバル化」であり、それを美化したのが「多文化共生」という言葉だったのでした。そして、それは「中国(中共)化」に繋がります。
岸田首相、自民党は経団連や経済同友会の言いなりです。「もう人手不足のためにやっていけないので外国人労働者を入れないといけない」との経済界の要求に易々と呼応して、岸田首相は外国人労働者呼び込みを積極化しました。
今、多文化共生に対して突き進む日本社会に対して激しいストレスが噴出しています。ご覧になってください。インターネット、SNS内での罵詈雑言、中傷の嵐が吹き荒れつつあります。いずれ、ほんの近い将来、多文化共生を称揚する日本政府、経団連、官僚、マスコミなどに対して物理的な暴力が生み出される可能性が極めて大きいと見ています。
さらに、多文化共生によって自国に入り込んできた自分たちとは価値感の違う宗教、文化、哲学を持った外国人との激しく実りのない対立も生まれていることは深刻に考えねばならないのではないでしょうか。
大きく表現すれば、文明の「共生」ではなく「衝突」なのです。
あるいは、多文化共生が進む限り、生まれるのは相互不信と社会の果てしない荒廃であると言わねばなりません。ヨーロッパやアメリカにおける、移民と白人が路上で、罵り合い、殴り合い、殺し合いする記事がひっきりなしに報道されています。(日本人は大人しいので、対立よりも自殺を選ぶのかも知れませんが、それもまた不幸な社会現象だと識者は述べています)
この問題に関連して、アメリカで大変な政策転換がなされました。
■『メキシコ国境の壁、バイデン氏が新区間の建設を承認』
ジョー・バイデン米大統領は5日、メキシコと接するテキサス州南部の国境で、不法移民の流入を阻止するための壁の建設を再開する方針を明らかにした。予算はトランプ前大統領の任期中にすでに計上されており、建設を「止めることはできない」とした。
壁はテキサス州スター郡の国境沿いに約32キロにわたり建設される。同地域は、越境者が多いことが公式データで示されている。
(2023/10/6 BBC News)
アメリカでは、不法移民者が推定で年間600万人。何と、年間600万人! とうとう、バイデン大統領もトランプ前大統領の政策に同意せざるを得なくなりました。それほど、移民問題には断固として対処しなければ国家が危うくなることを示唆しています。
皆さんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセ-
です。
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コメント
「多文化共生」を受け入れ側で唱える人たちには二つのグループがある。一つは良質の人間性を持った人たちで「人間すべからく善なる存在」と考える人たち。もう一つは「多文化共生社会」を推進することで「何らかの個人的利益を得ることができる」と考える人たち。善なる精神を持った人たちと我欲に満ちた精神の人たちという正反対の人たちだが、共通するのはどちらも時間の経過に任せた自然な社会変化をまつのでなく、意図的に異なる宗教や人種、文化をもった人々を共生させようとしていることである。つまり善意から多文化共生の促進を唱える集団と、非善意からそれを説く集団がいる。そして両者に共通しているのは、文化共生社会が急激に進んでも当人たちは困らない立場にいるということである。一定の平和を保っている国はすでにそれなりに「暮らしやすい社会」「心地良い社会」を築き上げた社会を持っている。それを急激に変革することによる物理的精神的混乱と困惑を考えない、そうした思いやりのない「特権階層にいる人々」だからヒマに任せた「ツマラナイ改革」を考えて社会をぶち壊す。それを一挙にやろうという人々を革命家と呼ぶ。国民の多くが安住できている社会に革命を起こそうという愚者が保守政党の中にいることが不思議だが、やっていることを社会の革命行為だと微塵も思っていない首相がいるのは日本国の一大悲劇でしかない。
投稿: 齋藤 仁 | 2023年11月17日 (金) 10時07分