政界の混迷は“大再編”への道!
938回目のブログです。
“いつはりの なき世なりせば いかばかり 人の言の葉 うれしからまし”
詠み人知らず(古今和歌集)
この世にもし虚偽というものがなかったならば、人がささやく優しい言葉がどんなに嬉しく感じられるだろうか…。
連日、茹だるような暑さが続いており、早く、朝晩だけでも涼しい夏に戻ってほしいと願っていますが、天が天なら、地も地、特にわが国の政界の混迷ぶりは尋常ではなく、特段の異常さを見せつけています。
前回のブログ「首相続投表明…総理にしがみつく“石破”!」において醜態を晒す石破首相を素描しましたが、引き続いて石破氏の言動に触れるとともに政界の大再編について考えて見たいと思います。
8/4の報道によりますと、石破首相は、戦後80年の節目にあたり、先の大戦に関する己個人の「見解」の発出について「形式はともかく、風化を避け、戦争を二度と起こさないために必要。旧日本軍に対する文民統制の実態を検証することを主眼に置く」との認識を示し、15日の終戦の日には出さず、後日の発出を探っているとしています。
過去、村山富市首相の戦後50年談話や小泉純一郎首相の60年談話、安倍晋三首相の70年談話がありますが、安倍首相の70年談話を振り返りましょう。
「~あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
「~私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。」
有識者による熟議に熟議を重ねた上での安倍首相の談話。これ以上のものがあるのでしょうか。石破氏個人によるおそらく薄っぺらな戦後談話<歴史の検証>は有害であり、中国、ロシア、北朝鮮、韓国などに軋轢をもたらすだけではないでしょうか。「個人」が勝手に出す談話であっても、国際的には「日本国首相」の発言と見られ、部分的な切り取りをされるのが落ちです。そんなこともわからないのが石破という人間であり、その本質を深堀りしてみましょう。
・政治家には、本来『人間性』と『志』が備わっていなければなりません。石破首相は、①衆議院選、②都議会選、③参議院選、の3つにことごとく敗北、それも、衆議院選では与党過半数割れ、そして参議院選でも与党過半数割れという大敗北。そこで、普通の人間性を有しているならば、党の「トップ」として責任を重く感じ、自民党総裁、内閣総理大臣を即時辞任しなければなりません。
・にもかかわらず、それが続投とは!。石破氏には、蛙の面にションベンとやら、どんなにひどいことを言われても平気の平左、超鈍感の姿勢を崩していません。彼の脳内では、責任の所在はあの憎っくき安倍派の裏金議員や自民党全体にあり、寝る間も惜しんで政治に努力している石破個人にはまったくないとの認識なんです。
・石破氏の過去の発言を繙けば、歴代の総理総裁が国政選挙に敗北した時、それが、安倍首相であれ、麻生首相であれ、当人に舌鋒鋭く総理総裁の辞任を迫っています。それが、今回のわが身のことになれば、知らぬ存ぜぬを通す、誠に見苦しい所業と言わなければなりません。石破氏には「一片の人間性」も「ほんの少しの志」も有しておらず、基本的に政治家失格と言えるでしょう。
・総理に執着し過ぎ! まことに往生際が悪すぎるのではないでしょうか。昔から言われているじゃないですか「敗軍の将は兵を語らず」と。将棋に例えれば、もう詰んでおり、詰む前に投了するのがプロいうもの。それにならい、潔く辞任すべきです。
・石破氏がなぜ辞任を躊躇、頑なに拒んでいるのかを考えて見ましょう。石破氏は、明日起こるかもしれない南海トラフやそのような自然災害への対応を出来るには自分しかいないとの使命感、壮大な自負心をもっています。
・大敗北の責任を取らず、なぜこのような使命感に取り憑かれているのでしょうか。それは、石破氏がプロテスタントの堅信礼(プロテスタントの教会で、幼児洗礼を受けた者が、自己の信仰告白をして教会の正会員となる儀式)を受けた長老派の敬虔な信者であり、わが国の八百万の神々を信ずるのではなく、ゴッド(一神教の神)から全幅の使命を授かっているという強烈な「王権神授説」を信じ切っているとしか思えません。
・王権神授説とは、王(石破)の権力は神から与えられたものであり、王(石破)は神に対してのみ“責任”を負い、他の権威による拘束を受けないとする考え方です。この思想は、中世ヨーロッパで広まり、王制や専制君主制の正当化に利用されたものです。
・と考えれば、石破首相が敗北の責任を負わない理由がお分かりいただけるでしょう。“ 石破 ”は、自分が神に対して責任を感じた時にのみそれを負えばよいのであって、下衆な下々(国会議員や国民)に責任を負う必要は全くないと認識しているのです。
・さもありなん。石破という国会議員は40年間の国会議員生活のなかで、一度も靖国神社参拝をしてこなかった人間です。40年の間には中国などが靖国参拝を問題視していない時期もありました。また、防衛大臣の時もありました。それでも、日本のために命懸けで戦った我々の先祖に対して悼む心はなかったのでしょう。
・彼が冷血極まりない精神の持ち主であることは明々白々。ご存じのように、彼は、能登半島地震にも、たった2回しか訪問していません。…しかも数か月も経ってからです。
(能登半島地震2024/1/1発生、石破氏訪問2024/10/5、2025/1/1追悼式)
8/8には自民党両院議員総会か開催されます。総会は正規の議決機関であり、議題は「参議院総括と党運営」。選挙に負けても辞めない姿勢は日本人の美学に反し、士(さむらい)の精神という日本の精神に悖っており、自民党は重大な岐路にあります。石破総裁が正式に辞任を表明するかどうかが最大の関心事。もしも、例によってのガス抜きに終わるとすれば、自民党は、早急に解党への道を歩むと思われます。もう自民党への国民の信は釣瓶落としの状態ですから。
とすれば、政界は大再編へ、
① 「保守合同」へ
自民右派・参政党・保守党
② 「リベラル合同」へ
立憲左派・公明党・社民・共産・れいわ
③ 「中道連合」へ
国民・自民左派・維新・立憲中道
自民党の分裂をきっかけとして、「理念や政策」で再編への道が模索されるのであるとすれば、政界自体がすっきりしたものになる可能性も多少はあるのではないでしょうか。
皆さんはどのようにお考えでしょうか。
次回は
時事エッセ-
です。
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コメント
貴族文化の余香が残っている社会での民主主義は品性あり、使命感あり、国家観あり、でそれなりの政治が期待できる。しかし、嫉妬と欲望、自己顕示欲だけの大衆社会での民主主義は建前と本音の使い分けの激しい醜悪な政治になって当然。平成以降のわが国の政治がその見本になっている。政党の乱立と政党の組み換え、党員の激しい入れ替わりなど、政党組織も政治家個人も右往左往しているのは、党にも人にも本来保持すべき使命感も正義もないからである。だが令和の日本民主主義には更なる問題がある。それは先の大戦における祖国日本に対する罪悪感・贖罪感を有した政治家が少なくないことである。明治以降の日本の歴史を戦勝国史観に基づいた受験知識だけ身に着けた政治家が、嫉妬心や功名心、出世欲、自己顕示欲といった個人的な生存本能だけで国政の場に立った、と言うより、国民大衆が彼らを祭り上げた結果の令和の日本である。その誇りなき衆愚政治のトップに立ったのが石破茂である。これほどまでに精神的人間的に醜悪な人を国際舞台に送り出したことは日本国民の大失態である。MLBで大谷選手が日本人、日本文化のすばらしさを賞賛されているなかで、国民が選んだ宰相が自国民からも世界から嘲笑されている。その差は、大谷選手は彼の能力を素直に評価するスポーツ社会の客観的な評価方法が機能しているからであり、一方、日本民主主義における選挙制度は特定の人たちの利権に絡んで醜悪な利己主義者を宰相に選出する仕組みになっているからである。間違っているのだろうか、私のこの見方は。
投稿: 齋藤 仁 | 2025年8月 8日 (金) 13時54分