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2025年9月 5日 (金)

リーダーに求める「危機感」と「責任感」!

 940回目のブログです。

2025951

 野辺見れば なでしこの花 咲きにけり 我が待つ秋は 近づくらしも
                    詠人知らず(万葉集)

 野辺を見やると、なでしこの花がもう一面に咲いている。私が首を長くして待っている秋は、もうそこまで来ているようだ…。

 ナデシコの花言葉は「純愛」「貞節」「無邪気」「可憐」。

 連日の暑さで、野辺を見る余裕もなく、この和歌のように、秋がもうそこまで来ているとはとうてい思えず、それだけに、古の万葉時代の長閑さが羨ましく思えてなりません。そうは言っても、しばらくすると、万物は流転し秋は近くにきているのではないかとも想像されます。今しばらくの辛抱と言えるのではないでしょうか。

 さて、外政、内政ともに、多事多端であることは、万人の認めるところでしょう。こういう時勢にあってこそ、国のリーダー、なかんずく首相においては、果断な出処進退を掛けた大胆な政策実現が望まれていましたが、自公与党は、衆議院選には大敗、参議院選にも惨敗という悲惨な結果となり大胆に政治を動かす力を失ってしまいました。

 本来であるならば、石破首相は大敗北の責任をとり、即時辞任をすべきです。ところが、石破首相の脳内の感覚では、責任は自民党にあり自分にはないという奇妙なものであり、何と総理を続行することを宣言し、自民党内は混乱の嵐の中にあります。

 何か、腑に落ちませんので、リーダーに求められる「責任感」「危機感」について考えて見たいと思います。

 国家とか企業とかの組織のトップは、責任感と危機感が不可欠であり、それが無ければ、組織を維持、発展させることも不可能です。国であれば、国民を、企業であれば、従業員を守る「責任感」。そして、国家存亡、企業存亡に対する「危機感」。この二つはリーダーや藩屏の有していなければならない基本的な感覚であり、あるいは、覚悟と言えるのではないでしょうか。

 石破首相には責任感も危機感もほとんどなかったと言わねばなりません。ごらんなさい、庶民が苦しんでいる生活に対して、2万円の給付もガソリン課税一部中止も実施しなかった。このことに対して、国民にお詫びすることもなくスルーで終わり、とは、これを無責任と言わずして何と言えばよいのか。さらに、国の存亡について明確な指針もなし。

 わが国は久しく言霊の国、言霊の幸映える国と言われてきました。言霊の国、言霊の幸映える国と称されるまでに、わたし達の祖先は上下こもごも言葉を大切にしてきたのです。

 特に上流階級やリーダー層は言葉を自在に、豊かに、また丁重に使えないようでは失格とみなされました。さらには、言葉の使い方、使う姿勢に問題があった時は、自らの立場で責任をとらされてきたのです。

 その意味で、言葉に躍らされ過ぎるという局面もあるにはありますが、言葉のもつ重みはいくら強調してもし過ぎることはないように思います。

 「綸言汗のごとし」という重い格言を思い起こしてください。天子の言葉は、体から流れた汗が、再び体内に戻らないのと同じように、一度口からでた言葉は取り消すことはできないという意味です。

 重い立場の人の言葉、たとえば総理大臣などの言葉は、重大なる決意と言えば、内閣総辞職、衆議院解散を意味し、一度口から漏れてしまえば、もう止めることはできません。それが総理大臣の意図したことか、そうでないかは別にして、一度口から発せられたならば、一瀉千里に事態が展開してゆくことは、たびたび経験したことであり、これは厳然たる歴史の事実と言えましょう。

 最近は、大臣、大企業の社長、ジャーナリストなどはもとより、総理大臣といえども、大層口が軽く、その発言に重みがなく世間を徒に掻き乱している傾向があります。連日の新聞、テレビ、SNSで報道される事件を見ればよくわかるでしょう。国のリーダーとしての言葉、藩屏らしい志ある言葉を、真摯に、丁重に、豊かな語彙で語る場面を見聞きしたことがありません。少々情けないと思うのはわたしだけでしょうか。

 石破氏は、言葉の軽さは悪い意味で定評があり、また、氏は二枚舌ダブルスタンダードの天才です。

 2007年の参議院選で惨敗した安倍首相に、石破氏が退陣を求め質問。

 『こういう時だから守っていこうと言ったら、自民党は終わる。総理は替わるべきだと、言うことは言いますよ。そうでなければ、ここで落選した人たちは浮かばれない』

 と強い口調で公然と首相退陣を迫っています。

 ところが、今回、同じように参議院選で惨敗した石破首相自身は「続投」を高らかに歌い上げる、まさに、二枚舌、ダブルスタンダードの天才。あきれてものも言えません。

 マスコミにも申し上げたいことがあります。今、自民党総裁選の前倒しが行われるのかどうかについていろんな情報が飛びかわっています。その中で、いわゆる世論調査が恣意的に歪曲されていることを指摘したいと思います。

 最近、マスコミは、石破揚げに懸命で、石破首相の続投を支援する論調を下支えするために世論調査の作為(石破首相の続投を過半が支持)がなされていることに留意が必要です。

 ① 基本調査の人数が少なく世論調査とは言えない。
 ② 調査対象の内高年令層が多く、若年齢層が少ない。
   故に、年齢補正を行いバランスを正すことが必須。
   これを行なえば、石破交替>石破続投となる。

 もはや、マスコミは信頼するに当たらない存在になり下がりました。

 考えても見てほしい。衆議院選、都知事選、参議院選ともに大惨敗を喫したのであり、自由民主党においては、組織の長である石破総裁(総理)が責任を取るのは常識であり、それが良識というものではないか!

 選挙は民主主義の基本であり、その結果を無視してはなりません選挙結果よりも世論調査を重視することは間違いであり、民主主義の否定につながることを認識しなければならないのです。

 皆さんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセ-
です。

 

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コメント

精神の有り様も立ち居振る舞いも、「かくまでも醜い所作・心根の首相」は明治以降の宰相制度の歴史の中で存在しない。ただこの無能な男を宰相に上らせたのは彼の隠れた才能によってではない。良識をもった一般国民は自民党政権に一定の信頼は置けるが、利権組織との密着が見え見えになった平成以降は自公政権への不満も溜まっていた。だが単細胞単眼思考の野党の空論にはついてけない。このギャップを埋めるたのが与党にありながら与党を批判する、この姿勢は責任感の強い政治家であれば取れないパフォーマンスだが、この二律背反のような矛盾した政治姿勢をとってきたイシバを大手メディアが利用してきた。そしてこの「無責任男」に国民もある種の快感を覚えた。ということであろう。イシバ自身もこの「無責任な言動」が国民に受けると確信した。技「言葉に責任をとらないお笑い芸人の技」を政治家が身に着けてしまった。そのため大臣の職にあっても配下の役人や部下より、国民からの受けを重視するようになった。「人の言に信あり」という小学一年生でも知る言葉の意味も知らない宰相の誕生である。亡き安倍元首相はそれを見抜いていた。だから「彼だけは宰相にしてはいけない」と語った。だがイシバの一大欠陥を承知のうえで菅・岸田の首相経験者やメディアは彼を祭り上げた。そしてそれをリアリストが多かったはずの自民党員も支持した。入り組んだ利権組織のなせるわざか。いずれにしても戦後民主主義がかくまでも無能無責任の宰相を生んだ。

投稿: 齋藤 仁 | 2025年9月 5日 (金) 10時22分

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