2022年3月18日 (金)

ロシアの侵略を考える…ウクライナの苦い教訓!

 832回目ブログです

20223181

  わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今宵の月夜 あきらけくこそ
                   天智天皇(万葉集)

 眼の前に広がる大海原の上に、帯状の旗のような雲がたなびき、その雲に夕日がさして茜色に輝いている。きっと今宵の月は神聖にして清浄な光で辺り一面を清く澄み渡らせることだろう…。

 月が清く明るく輝いてほしいのと同時に、国の明るく輝かしい未来への祈りも込められています。…万葉集における天智天皇の秀歌として有名な和歌です。

 今、世界の注目を集めているのは何と言ってもロシアとウクライナの厳しい戦争ですが、ロシアに、あるいは、ウクライナに、国としての明るく輝かしい未来があるのか予断を許さない状況に陥っているように思えます。

 先週の小ブログで、ウクライナがなぜ祖国防衛に失敗し、ロシアの侵略を許したのかについて、核兵器を放棄した。(代わりに「ブダペスト覚書」を、露・米・英と締結)、100万人の軍隊を5分の1の20万人に縮小した。大国の対立に巻き込まれないよう軍事同盟にも一切加盟せず。の3点を上げました。

 そこで、そのうちの重要な①の核兵器の放棄について、詳しく見ていきたいと思います。(ウクライナ人国際政治学者のグレンコ・アンドリー氏の論稿を一部参考)

 1994年、核兵器の放棄(非核化)と引き換えに、ウクライナの独立や領土の保全、安全の保証を約束した「ブダペスト覚書」を、露・米・英・ウクライナ間の4か国で締結。1993~96年に核兵器の処分作業が行われ、96年2月に最後の核弾頭がロシアへ輸送された時点でウクライナは「核保有国」から正式に「非核国」なりました。

 そして、ウクライナは無条件で核兵器を放棄したかわりにどのような安全保障を得たのでしょうか。交渉の結果が、露・米・英・ウクライナ間で締結されたブダペスト覚書(英語名Budapest Memorandum・正式名称は「核不拡散条約の加盟に際し、ウクライナの安全保障に関する覚書」)です。それを見ると、外交の駆け引きは、表は誠実を装いながら裏は詐欺まがいの嘘にまみれた不実があからさまになっています。具体的に見ていきましょう。

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「ウクライナ、ロシア連邦、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、アメリカ合衆国は、ウクライナが非核国として核不拡散条約に加盟することを歓迎し、決まった期限内に国内にあるすべての核兵器を処分するというウクライナの約束を考慮し、冷戦終結を含め、大幅な核戦力の軍縮を可能にした、全世界における安全保障状況の変化を強調し、以下のことを確認する。

露英米は、ウクライナの独立、主権、現在の国境を尊重する義務を確認する。
露英米は、ウクライナの領土統一と独立に対し、武力威嚇及び行使を控える義務を確認する。また、自衛及び国連憲章に定まった場合以外に3カ国の兵器がウクライナに対して使用されることはない。
露英米はウクライナの主権内の権利を侵し、自国の利益に従わせることを目的とする経済圧力をかけることを控える義務を確認する。
露英米は、ウクライナが侵略被害者となった場合、もしくは侵略の威嚇を受けた場合、国連安全保障理事会に対し、至急、ウクライナを支援する行動を起こすことを要求する義務を確認する。
露英米は、自国及び同盟国が攻撃を受けた場合を除き、核不拡散条約に加盟している非核国に対し、核兵器を使用しない義務を確認する。
ウクライナと露英米は、以上の義務遂行について、疑問が生じた場合は、話し合いを行う。
 この覚書は署名された瞬間から有効になる」
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 覚書はあくまでも覚書であり条約ではありません。それにしても、この覚書は「甘い文言」の羅列であり、すべて、義務を確認するという言葉で〆られています。したがって、今回のロシアの侵略に対する「国連ロシア非難決議」にしても非難はしましたよとのアリバイであり覚書には違反していないのです。

 と同時に、ロシアの不実にはたまげます。核兵器使用の恫喝を含め、すべての項目に違反する形となっているではありませんか。これは、ロシア人、ロシア、ソ連、独裁権力志向の本質的DNAを内包していると考えた方が良いのかもしれません。

 ロシア研究の第一人者である筑波大・中村逸郎教授は著書『ロシアを決して信じるな』のなかで “嘘に嘘を重ねるのがロシア流” だと次のように述べています。

 「相手を信じやすく、だまされやすい人は、すぐにロシア人の恰好の的となり、だまされてしまう。このタイプの人間には、嘘の約束をするのが一番だ。逆に、頑なに相手の要求を拒否する人よりもずっと扱いやすい。だって嘘だとわかっても、相手は『そんなはずはない。なにかの誤解でしょう』と勝手に信じ込んでくれるからね。だから、ロシア人はどんどん嘘の約束を重ねていけばいいだけのこと。実際には何も実行しなくてすむし、失うものはないので、こんな楽な相手はいない」(知人のモスクワ市元ソ連共産党地区委員会の幹部の話から)

 「ロシア人は嘘がばれてしまっても“悪いのは嘘をついた自分たちではない。気付いた相手に非がある”と開き直る。ロシアの流儀は、交渉のはじめに嘘をついておく、つまり、嘘から交渉をスタートさせるというものだ。」

 さすがにロシア研究の第一人者の慧眼に目を見張らされます。とすれば、日露交渉においては、安倍元首相森元首相、鈴木宗男議員もプーチン氏の嘘に踊らされてきたのでしょうか。

 今、デレビマスコミの寵児になっている元大阪府知事/大阪市長の橋下徹氏のウクライナ対ロシアの戦争についての発言があまりにもレベルの低さにおいて指弾を浴びています。

 「人命より大切なものはないんだから」
 「逃げることは恥ずかしいことでもなんでもない。国を捨てることでも何でもない」
 「ロシアが瓦解するまで国外で退避したっていいじゃないですか。全ウクライナ国民を10年から20年ほど国外に退避させて、その後に国へ帰ってからウクライナを再建したらいい」

 どうしようもなく軽く、机上の空論、能天気、思いつき、支離滅裂、お花畑。橋下氏の脳内には浮かんでこないのでしょうが、世界には人命よりも国家の名誉ある存続を望む人々も多数存在していることを知らなければなりません。橋下氏には、国内地方政治家の方がお似合いだと思います。

 ウクライナとロシアの行く末に注目するとともに、わが国の本格的な安全保障の確立に向けての大胆な施策を求めたいものです。

 ロシアの侵略におけるウクライナの苦い教訓に学ぼうではありませんか。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回は
時事エッセー
です。

 

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2017年12月15日 (金)

教科書から消える…「吉田松陰」「坂本龍馬」!      

 616回目のブログです

 

“親思ふ こころにまさる 親ごころ けふの音づれ 何ときくらむ”
 
             吉田松陰(勤皇の志士・松下村塾)

 親を思う子供の心よりも遥かに深い、子を思う親のお心は、この便りをどんなお気持ちでお聞きになるでしょうか…。

 

 吉田松陰が安政の大獄で処刑される1週間前に、父、兄、叔父に宛てて永別、辞世の手紙にある和歌です。

 

 吉田松陰は幕末長州藩の生んだ英邁なる勤皇の志士であり、思想家、求道者であり、松下村塾を通じた教育者であり明治維新の根元となる英傑と言わなければなりません。吉田松陰なかりせば、維新の大業も覚束なかったでしょう。門人には、高杉晋作・久坂玄瑞・前原一誠・伊藤博文・山形有朋・山田顕義・木戸孝允(桂小五郎)など維新の傑物が綺羅星のごとくいることを見ても、その存在の偉大さが分かります。

 

 ところが、…。

 

 高校教科書から消える? 脱暗記へ「用語半減を」執筆者ら提言

 

  大学入試で歴史の細かい用語が出題され、高校の授業が暗記中心になっているのは問題だとして「高大連携歴史教育研究会」が用語の精選案を発表した。教科書の本文に載せ、知識を入試で問う用語を現在の3500語程度から約半分にすべきだとしている。…「クレオパトラ」「ガリレオ・ガリレイ」「武田信玄」「上杉謙信」「吉田松陰」「坂本龍馬」などは「実際の歴史上の役割や意味が大きくない」として削った。
       (1114日 朝日新聞デジタル一部抜粋)

 

 現在の世界史や日本史の大学入試においては、些末な歴史知識を問う入試問題が多く、受験生は歴史用語や人名を暗記しなければなりませんが、その用語や人名が1950年代に較べて3倍になっており、それを半分に減らそうとするもの。

 

 歴史教育で大切なことは、些末な用語や人名を暗記することではなく、歴史の流れや歴史の因果関係を理解し、歴史の中心にあるものを認識することにあります。現状の暗記主義を克服し、若者の歴史嫌いをなくし、近現代史も学ぶ余裕を持つためにも、用語や人名の削減は避けて通れないことだと考えられます。

 

 しかしながら、高校や大学の先生方が作成した、歴史用語の精選案には、極めて大きな問題点を含んでいることを指摘したいと思います。『日本史』を例に具体的に見ていきましょう。

 

 【教科書から削るべき歴史用語】(一部)
     楠木正成
 
     武田信玄・上杉謙信
 
     吉田松陰
 
     高杉晋作
 
     坂本龍馬
 
     中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道

 

 歴史に関心を示し愛着を持つ要素の大きな部分を占めるのは、壮大な“ロマン”を感ずるところであり、その主軸を成すものは歴史に光彩を放つ偉大な人物ではないのでしょうか。

 

 ところが、先生方は、教科書には「裏方」や「地方」の人物は取り上げなくてよいとの判断をしているのです。しかし、歴史は表だけではなく、裏方も重要であり、ましてや江戸時代などにおいては偉大な人材は地方を加えた国中に散在していました。吉田松陰については、明治維新の根元の偉人として冒頭で取り上げましたし、坂本龍馬についても、薩長同盟、大政奉還、5箇条の御誓文などで果たした影響は極めて大きく、決して削るべき人名ではないと考えます。

 

 龍馬が結成した名前から取った、フォークグループ「海援隊」の武田鉄矢さんは、龍馬の名前を教科書から削れという報道に「なんだよ~お前ら」と激怒。「歴史は人間が作っていくものであって、歴史が人間を語っていくというのは逆さですよ、手順として。人間を語るところから歴史が始まるんです」とまくし立てました。

 

 また、歴史学者で東大史料編纂所の本郷和人教授『先生の大半は「歴史は学問だからロマンはいらない」と言うわけだけど、僕はそうではないと思っている。クイズのような試験を出す学校に合わせて“単語を覚えさせるだけの授業が行われてしまっている現状”が悪いのであって坂本龍馬という単語が悪いわけではない。子どもたちの歴史離れが進んでいるのは、はっきり言って今の歴史教科書がつまらないからだと思う。』と述べています。

 

 【教科書に載せるべき歴史用語】(近現代史・一部)

     天皇制      ベトナム反戦運動
 
     ファシズム    排外主義的ナショナリズム
 
     軍国主義     歴史認識
 
     皇国史観     教科書問題
 
     日中15年戦争  戦時性暴力
 
     南京大虐殺    平和運動
 
     従軍慰安婦    ジェンダー主流化
 
     逆コース     家父長制
 
     基地反対闘争   格差社会

 

 吃驚、唖然! これを一瞥しただけで、先生方の偏向したイデオロギーが見て取れます。そして、すべてサヨクリベラルが常日頃よく使い、朝日新聞の好きそうな用語であることは一目瞭然。

 

 これらは、歴史用語というよりも、中共・中国と韓国・朝鮮の政治的プロパガンダ用語そのものであり、じゅうぶんに注意して使うべきものです。ましてや、これらをわが日本国の教科書に安易に載せるのは大問題と言わねばなりません。

 

 つい先日の1213日、中華人民共和国・南京市の「南京大虐殺記念館」での追悼式典が行われ、習近平国家主席も出席しました。そして韓国の文在寅大統領も参列。式典の演説では30万人が殺戮され無数の女性や子供が野蛮に虐殺された」とありましたが、これは史実ではなく、真っ赤な嘘と言うべきです。

 

 今、中国はわが日本に対して「歴史戦」を仕掛けてきており、この南京大虐殺もその重要な一環です。中国では、古来【歴史=プロパガンダ・宣伝・洗脳の道具】と位置づけられており、わたし達普通の日本人の考える【歴史=ヒストリー・学問・史学】とは全く別物であることは知っておかねばなりません。

 

 『プロパガンダ(propaganda)』
特定の思想によって個人や集団に影響を与え、その行動を意図した方向へ仕向けようとする宣伝活動の総称。特に、政治的意図をもつ宣伝活動をさすことが多い。

 

 歴史戦の材料として「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」をでっちあげ、中韓が共同し、世界に向けて“反日喧伝”につとめていることを、わたし達は認識すべきではないでしょうか。

 

 にもかかわらず、わが教科書において、中韓のプロパガンダに呼応して、これらの用語を何の検証もなく載せるのは大きな誤りであり、先生方には猛省を促したいと思います。あわせて文科省や政治家には強く反省してもらいたいものです。

 

 わたし達日本人は、矜持をもって「歴史戦」を戦い抜く覚悟が必要ではないでしょうか。

 

 そうしなければ、諸外国からの歴史戦に敗北し、日本が日本でなくなる日が近々に到来するような気がしてなりません…。

 

 教科書が危ない!

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2013年2月15日 (金)

「尖閣防衛」…小野寺防衛大臣にエールを!

 364回目のブログです。

“勅なれば 思ひな捨てそ敷島の 道にものうき 心ありとも”
二条良基(新続古今和歌集)
    (14世紀南北朝・関白・歌人)

 勅命(天皇のおおせ)であるので、敷島の道(和歌の道)を思い捨ててはいけないことだ、たとえ和歌の道につらいことがあったとしても…。

 この和歌は、公(おおやけ)の立場の人であれば、身の引き締まる思いがするのではないでしょうか。たとえ平成の御代とはなっていても、高位高官、国のリーダーが“勅なれば…”と考えるならば、単なる私心(わたくしごころ)は払い除け、公のために、誠心誠意身を賭すことが己のつとめであると自覚するに違いありません。

 今、わが国周辺、なかんずく尖閣諸島・琉球・沖縄県をめぐる中華人民共和国(一党独裁国)わが日本国(民主主義国)との間に、きな臭さが急速に立ち昇っています。わが国の領土が中国に略奪されるかどうかの瀬戸際であり、こういう時であればこそ、小野寺防衛大臣には、非常に厳しい局面だと認識し、相応の対処をされているとは思いますが、国土防衛は歴史的な「勅命」でもあると考え、不退転の覚悟を示されるべく、頑張れとのエールをおくりたいと思います。

  中国海軍艦が海自護衛艦にレーダー照射

小野寺五典防衛相は5日夜、中国海軍のフリゲート艦が130日に東シナ海で海上自衛隊の護衛艦に射撃用の火器管制レーダーを照射したと発表した。
小野寺防衛相は「大変、特異な事例」で「一歩間違えれば大変危険な状態に発展していた」と述べ、中国にこのような行為の自制を求める意向を表明した。
                 (2013/02/06 AFP

 小野寺防衛相は中国側の軍事挑発に対して、極めて冷静沈着、内外のマスメディアに向けてわが国の見解を堂々と述べています。安倍首相/小野寺防衛相ラインの明確な意思、シグナル発信は最近の内閣では見られない見事な対応であり、われらが国民もやや安心できるところではないでしょうか。

 しかしながら、一触即発、まさしく戦闘状態に入る様相をも呈しており、日本列島全体が震撼させられている状態です。小野寺防衛大臣の表明以来、中国は次のような対応を示していますが、新聞記事のタイトルをならべてみましょう。

中国国防省
「日本が仕掛けた世論戦」
 わが国の説明を全面否定 世論戦で対抗の構え

習近平・中央軍事委員会主席(党総書記)
全軍に「軍事闘争への備えの拡充と深化」を支持

中国外務省
「日本が危機あおる」

中国共産党系機関紙<環球時報>
「日本が仕掛けた世論戦」
「『1発目』覚悟できている」

国家海洋局
尖閣周辺航行を発表、愛国心を鼓舞

中国軍
挑発を再開 戦闘機領空接近 尖閣には監視船も

 とにかく、中国の挑発に対して冷静に毅然と対処しているようにうかがえる防衛大臣や総理大臣で本当に良かったと思います。考えても見て欲しい。もしも、民主党内閣で、あの田中直樹氏が防衛大臣であったり、かの菅氏や鳩山氏が総理大臣であったとすれば、どのようになってしまうかと考えれば、背筋がゾッと寒くなり、身体が凍りつくに違いないでしょう。

 国の存立を担う人物は、一般的な教養は当然のこと、少なくとも国家観をきちっと持っており、オーソドックスな正当な歴史観の持ち主でなければなりません。そうでなければ、中国などの巧妙かつ狡猾な外交軍事戦略に対抗できないことは、火を見るよりも明らかです。

 その意味で、こういう外的危機にみまわれている時、国家観・歴史観を欠くあのような民主党政権でなくてよかったと思います。もちろん、民主党のなかにも優れた政治家が少しく存在しているのも事実ですし、自民党のなかにも国家意識がなく歴史観の無いいわゆる左翼リベラルがかなり存在していることも事実です。

したがって、民主党だから悪く、自民党だから良いのではなく、たまたま、今の安倍/小野寺ラインが素晴らしいから、何とか対応できているということではないでしょうか。

 特に小野寺防衛相は、あの悪名高い松下政経塾(もちろん一部には立派な人もいますが…)のなかでは、高潔な人格、深い学識、高い見識、豊かな人間性において別格の存在を誇り、最高峰に位置していると言われています。

 わが国の歴史に学べば、平成25年2月15日、拙いブログを書いている今は、文永・弘安の役(13世紀・元寇・蒙古襲来)や明治維新の「前夜」に匹敵するかもしれない国難ではないでしょうか。こういう国難の時には、わたし達国民は、国土防衛に全力を挙げているに違いない安倍首相や小野寺防衛相らにエールをおくらなければなりません。

 そんななか、2月10日に読売新聞が全国世論調査を行いました。安倍内閣の支持率は71%と極めて高い数値になっていますので、安倍内閣は自信を持って安全保障に力を入れるものと考えられ、ひとまず安心できます。

 ところが、ネットでは、4月4日から、NHKが反安倍キャンペーンを行うようだとのうわさがニュースとして流されており、もしもこれが事実であるとすれば、まことに異なことと言わざるをえません。

 “日本”のメディアは、時代認識として「今は国難の時である」として、中国をはじめとする周辺国家に侮られないよう、ひたすら国益に資する報道に徹するべきではないでしょうか。

 マスコミは新政権に対して、100日間のハネムーン休戦、以後自由なるバッシング邁進、という慣習があるようですが、時が時、国家の危機にはそれなりの動き方を求めたいと考えます。

 みなさん、今一度、小野寺防衛相に、心からのエールをおくろうではありませんか。
 小野寺防衛大臣頑張れ!

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

次回も
時事エッセー
です

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2009年1月 9日 (金)

18歳は成人だ…若者よ自己主張をしよう!

 150回目のブログです。
 おかげさまで150回目という節目を迎えることが出来ましたが、今後ともご愛読を
お願いします。

 さて、今年はほとんどの会社や役所が、1月5日の月曜日を仕事始めとしていまし
たが、話題はもっぱら不景気、金融不安、株価、デフレ、アメリカ経済、雇用不安など
であり、一年の展望を誰か明言してほしいという雰囲気です。

 しかし、そんな展望をできる人は極めてまれであり、各自がそれなりに、ない知恵、
ある知識をしぼって、考えなければならないのではないでしょうか。考えなければ、
時は刻一刻、無情にも過ぎていってしまいます。

 今年は、平成21年、皇紀2669年、十干十二支は己丑(つちのとうし)、 西暦では
2009年。
元日はすでに過ぎ、はや来週の月曜日、1月12日は成人式を迎えます
が、今回は、「成人」について考えてみます。

 人生の節目をどう見るかは、人それぞれでしょう。3年前にも書いたのですが、
興味ある年割りを再度ご紹介します。人間の成長過程を7年ごとに区切り、それ
に漢字一文字を与えた『7年成人説』。誰の説かは知りませんが、かなり以前に
教えてもらったものです。人間生まれてから、7年毎にかくあるべしということで
しょうか。

         《7年成人説》         
             1 ~  7  生
             8 ~ 14  整
            15 ~ 21  青
            22 ~ 28  性
            29 ~ 35  盛
            36 ~ 42  精
            43 ~ 49  政
            50 ~ 56  成
            57 ~ 63  征
            64 ~ 70  清
            71 ~ 77  聖(正)
            (数字は年齢)


 これを見ますと、78歳以上がありませんが、現代はそれだけ長寿の人々が
増えたことを示しています。現状では、71~77は正、78~84で聖、が妥当かな
と思います…。

 わが国では、高齢者は65歳以上を指しますが、パワーは強烈で、先般の後期
高齢者問題でも、その力を遺憾なく発揮したことは記憶に新しいものがあります。
まさに、清、正、あるいは聖とはほど遠い雰囲気であり、彼等は選挙の投票率でも
高い数字を示し、己が生きることへの自己主張は止まる所を知りません。

 わたしは、彼等は、出来るだけ子どもや孫の世代に負担を掛けないような方策を、
穏やかに、静かに主張すべきだと考えます。ヒステリックな主張は、社会、世間の
騒乱の要因であり、まさしく、清、聖の真逆でもあります。特に、理想的には清・正・
聖であるべき年代の人は、“美しく生きる”ことと同等に、個人的には“清らかな死
に方”
、社会的には“迷惑を掛けない死に方”を模索し、それを明確に認識すべき
ではないでしょうか。≪死≫というものについての厳粛且つ真剣な議論を抜きに
して、国家・社会の安定はあり得ないと考えます。

 それに引き替え、20代、30代の若者の主張はあまりにも大人しすぎます。若者
がもっと強く主張
しなければ、このままでは、わが国は、高齢者の意向に沿った政策
ばかりとなり、健全な国家、安定した社会、継続した歴史を築くことはできません。

 若い世代はその主張を、自分の所属する組織で行うだけでなく、マスメディアに
おいても積極的に行うべきです。さらに最も大切なことは、選挙、特に衆議院・参議
院選挙では必ず投票し、若者の意見を政策に反映するように努めなければならない
のではないでしょうか。現在の投票率ではあまりにも低すぎます。

 無関心は敗北に繋がります。若者よ、中高年、高齢者、後期高齢者を圧倒せよ!

 現代は少子化時代。このままでは大変なことになりそうですが、わたしは、ここで
成人年齢を、現行の20歳から18歳に引き下げ、選挙権も18歳以上に与える法律
改正を即時実施することを提案します。

 昔の元服は12~16歳でしたから、18歳が大人・成人・元服の年齢であっても、
全く問題はありません。そうすることによって、成人の自覚を促すとともに、若い世代
の選挙権者を増やすことで、その意見・考えをも配慮した政治が行われることを期待
したいと思います。

 若者よ自己主張をしよう! そのためには、選挙の投票に行こう!

 18歳は成人だ。18歳に選挙権を与える法律改正を!

 わたしは、若い世代に暖かい声援をおくります。

 みなさんはどのようにお考えでしょうか

次回も
時事エッセー
です
 

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