2017年4月21日 (金)

「自然環境の重視」…素晴らしき日本人の価値観!

 582回目のブログです

 

 “見るままに 花も霞も なかりけり 春をおくるは 峰の松風”
 
      藤原良経
(平安末期~鎌倉初期・新古今集仮名序作者)

 

 みるみるうちに櫻の花も霞もなくなってしまい、峰を吹く松風のみが春を送っている…。

 

 ついこの間の満開を楽しんだばかりなのに既に散ってしまうとは、これは毎年のことではありますが、何と淡くて儚い盛りだなあと自然のあわれを感じざるを得ません。

 

 桜と言えば、韓国にもあり、今、その起源や原産地が韓国だと言う主張が喧しくなされています。世界の事物の始まりは韓国だという韓国起源説(ウリナラ伝説)が韓国内に広く流布していればこそ、桜も当然韓国の原産ということになるのでしょう。しかし、韓国では、桜をモチーフにした文学や料理、芸術は全く痕跡がなく軽んじられてきたことは疑いもありません。

 

 昭和20(1945)以前は、桜は日本の代表的な花と考えられ、朝鮮半島の各地に植えられ、それなりに観られていましたが、日韓合邦から解放されるや、逆に、日本の代表的な花であるがゆえに、韓国人の手により、伐採されてしまいました。戦後は在日の人々が韓国に桜の木を贈り、今や美しい花を咲かせ、韓国民の目を楽しませています。

 

 しかし、これが日本原産の花であるならば心から楽しむことが出来ず、韓国原産であれば大手を振って楽しめるという心情のようであり、その意味で、昨今、桜は韓国が原産だとの主張を強め、何としても桜を愛でることを正当化したいと考えているのではないでしょうか。

 

 いやはや、こんなひねくれた心情は理解に苦しみますが、韓国の中にもこのことに苦言を呈している人がいます。たとえばジャーナリストの崔碩栄氏などは、民族が違ったとしても、美しいものを見ては美しいと思い、それを愛でればいいではないか、「原産地」や「起源」よりも、その対象を認め、評価し、愛してきたのかということの方が、よほど重要な問題に思えてならない、と述べています。(4/13 WEDGE REPORTより)

 

 これは、歴史的な国民性、民族性によるものではないかと考えます。わたし達日本人は、世界中の花々の中で、原産地が自国であろうが他国であろうが、美しいものは美しいと評価し、純粋に愛でているのではないでしょうか。日本人は、古より自然を愛し、その中に奥ゆかしい「美」を感じ、それを和歌、俳句、絵画、小説、随筆、陶芸、その他のあらゆる芸術において崇高に表現してきました。

 

 ここで、わたし達日本人が、それほど意識していないことかもしれませんが、最も重視している価値観が「自然環境の価値」であるという世界的な調査結果がありますので見てみましょう。世界の異なる国の人々の社会文化的、道徳的、宗教的、政治的価値観を調査するための「世界価値観調査(World Values Survey)のデータです。

 

 【自然環境の価値の相対的重視度世界ランキング(60ヶ国中)

 

    1位 日本       1.71
 
   2位 オランダ     1.46
 
   3位 スウェーデン   1.39
 
   4位 ニュージーランド 1.36
 
   5位 スロベニア    1.35
 
   6位 台湾       1.34
 
   7位 ルーマニア    1.33
 
   8位 オーストラリア  1.31
 
   9位 スペイン     1.31
 
  10位 エストニア    1.30
 

   22位 中国       1.22
 
  25位 アメリカ     1.20
 
  26位 ドイツ      1.19
 
  34位 韓国       1.14
 
  39位 ロシア      1.12
 
  46位 インド      1.07
 
  60位 チュニジア    0.86
 
 
4/12 DIAMOND online 本川裕氏論稿より)

 

 これを見れば、日本人は、自然環境の価値を最も重視しており、2位のオランダを圧倒し、ダントツの1位にあることが分かるとともに、日本文明の特徴のひとつがこのことであるとすれば素晴らしいの一言につきます。

 

 さらに「自然は支配すべきものか、共存すべきものか」との設問に対して、日本は96.1%の人が「自然とは共存すべきだ」と答えており、これも世界でトップですから、自然環境に対する思いのほどが理解できるでしょう。

 

 このわたし達日本人の感性は、一朝一夕に持ち得たものではなく、縄文以来、日本列島での度重なる自然の災厄を、共に手を携えながら克服してきた経験の積み重ねを知恵として、永い歴史の中で育まれてきたものではないでしょうか。

 

 しかし、わたし達はそこまでの意識を明確にしているのかどうか、多発する自然環境の破壊などを耳にするにつけ、疑問なしとはしません。

 

 そうとすれば、現代に生きるわたし達は、今いちど、この問題を真剣に考え、先人が培ってきた麗しい歴史のバトンを次世代に引き継ぐ努力が必要ではないかと思います。

 

 大正11(1922)、天才物理学者のアインシュタイン博士が来日、わが日本の印象を次のように記しています。(伊勢雅臣氏論稿「来日したアインシュタインを感動させた神秘の国ニッポン」より)

 

 “日本では、自然と人間は、一体化しているように見えます。…

 

 この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じてあたえられたものと密接に結びついています。

 

 かわいらしいのは、小さな緑の島々や、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、そして人びとが使用しているあらゆる家具等々。

 

 …どの小さな個々の物にも、そこには意味と役割とがあります。そのうえ、礼儀正しい人びとの絵のように美しい笑顔、お辞儀、座っている姿にはただただ驚くばかりです。しかし、真似することはきません。”

 

 わが国の基本は「和をもって貴し」としてきました。自然と人間が一体化している姿こそがわが国に相応しいものであり、そのためには、日本の自然環境は、単なる物質ではなく、偉大なる生命そのものである考えるべきではないでしょうか。

 

 

 みなさんは自然環境についてどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年4月14日 (金)

「安全」か「安心」か…再び問う!

 581回目のブログです

 

    人間の意見なるものが
 
    いかに偽りに満ち
 
    いかに誤った判断でゆがめられているかは
 
    あきれ返るほどである
 
     (マキャベリ・
ルネッサンス期の政治思想家

 

 49日の日曜日は、桜も最後の観ごろと思い、近くの万博記念公園に赴き、満開をほんの少し過ぎた光景と、ひらひらと花びらの舞い散る落花の風情を楽しむことが出来、何となく心の落ち着きを覚えたところです。

 

 わが国では、花と言えば(正字では。淡い色の花びらが慎ましやかに誇っているのもごく短く、それであればこそ、儚くて繊細なもののあわれを感じてしまいます。まさに春は春、今年こそは穏やかな春が続いて欲しいと願うのみです。

 

 そうは言っても、国際社会は、そんな穏やかな風景とは大きく異なり、周辺のアジアだけではなく、世界のいたるところで、一触即発の危機にみまわれていることは連日のニュースで周知のことだと思います。

 

 ところが、わが国内では、相変わらずの森友学園問題を引きずるとともに、東京豊洲の問題がぐちゃぐちゃになったままに時は過ぎていき、空疎な議論があてどもなく流れている感があります。もう、いい加減決着をつけ、次のステップに進むべきでしょうし、もっと重要なことに目を向けることが肝要ではないでしょうか。

 

 ここで、再度、豊洲の問題を考えてみましょう。膠着状態にあるのは、何と言っても「科学的な考え方」を欠いた対応に尽きると考えています。そして、一言で言って「安全」と「安心」の言葉を神棚に祀りあげてしまい、論理と議論を封鎖してしまっていることにあります。

 

 「安全」・「安心」というキーワードは、同じ意味を持つものではなく、全く異なるものだとの認識が必要です。

 

 「安全」: 客観的事実(ロジック)   物理的 評価可能
 「安心」: 主観的感情(エモーション) 心理的 評価不可能

 

 どのような場面であっても、わたし達の生活のなかでは、安全かつ安心であればそれに越したことはありません。しかし、たとえ安全だという客観的なデータがあったとしても、自らの思い込み、メディアや政治家の扇動、あるいは風評や噂などによって、わたし達国民は不安な気持ちにさせられ、心理的に安心することができないこともあります。

 

 科学で決着でき得るものが「安全」であり、でき得ないものが「安心」です。本来ならば、安全であれば安心すればいいのですが、わたし達は、社会や政治への甘えと不信から不安を持ち続けることで自らを曖昧にしようとしているのかも知れません。

 

 1月の豊洲新市場の地下水モニタリング調査で、最大で環境基準値の79倍のベンゼンやシアンが検出。これまでも、盛り土問題や地下空間(地下ピット)問題もあり、メディアは大騒ぎし、都民は不安にかられていましたから、79倍という数字に一層驚いたものと思います。

 

 しかし、考えても見てください。豊洲市場の飲料水・清掃水は、この地下水を使用するのではなく、水道水を使用するのですから、盛り土も地下ピットも地下水も何ら関係なく、安全そのもの。また、わが国の水道水は、大気汚染の改善、化学物質汚染の防止、残留性有機汚染物質の製造使用抑制、水質の著しい改善などにより、今や最も安全な水と言われていることも認識しておかなければなりません。

 

 さらに、ここで問題とされた地下水の環境基準値は、大人が70年間、毎日2リットル飲み続けて健康を害する人が出るか出ないかという値であり、人間にも、生鮮食品にも全く問題はなく、何らの影響もありません。

 

 ここまで「安全」なデータが出た以上は、東京都の行政責任者である都知事は、得意の発信力、派手なパフォーマンスを駆使して、次のことを行うべきではないでしょうか。

 

 「客観的な安全性」をもとに“安全宣言”を発し、
  都民
(消費者・利用者)に「安心感」を与え、
  事業に関する情報を開示・説明する。

 

 ところが、324日、小池都知事は都庁内に「市場のあり方戦略本部」を立ち上げ、いまさらながら、市場の将来的なあり方などを協議し、築地への回帰か、豊洲への移転か、を決めたいとしていました。

 

 そして、つい先日「市場問題プロジェクトチーム」が築地再整備案(豊洲は解体し土地を売却)をぶち上げ「市場のあり方戦略本部」は都知事の意向をふまえ、その案も前向きに検討していくとしました。そして、築地市場の地下の汚染状態はこれから検査するようです。

 

 どうなっているのでしょうか。組織は屋上屋を重ね、今から、築地再整備を検討! そして、何と今から、築地の地下汚染度を測定!とは。

 

 この実態を見れば、豊洲・築地の問題は純粋な政治問題では決してなく、政略マターであり、政争そのものであり、次の都議会議員選挙がらみ、そして新たな利権争奪の次元に陥ったと見るべきかも知れません。

 

 小池都知事は、豊洲の客観的な事実(データ・論理)は理解できていると信じます。それでも、決断ができないのは主観的な感情(エモーション)が自らに湧き出てこないからとしか考えられません。

 

 脳科学の視点から見れば、脳に障害があり、ロジカル(論理的)な判断はできても、エモーション(感情)を感じられない患者は、決断そのものができないそうです。

 

 まさか。小池都知事ともあろう大物政治家が決断できないのは、おそらくできないのではなく、しないのであり、それは政略上からのやり口だと思いたいものです。政治家のほとんどは、もっぱら権力の増大を追及し、公よりも私、ですから。

 

 それにしても、客観的事実として「安全」ならば、都民のため、都のため、国のため、速やかに決断を下すべきではないでしょうか。それが「安心」にも繋がると考えます。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年4月 7日 (金)

“ギスギスした世相”…心に潤いを!

 580回目のブログです

 

 “謙虚な人は誰からも好かれる。
 
   それなのにどうして、謙虚な人になろうとしないのだろうか”
 
               トルストイ(ロシアの文豪)

 

 やっと穏やかな春となってきました。関西では今週末頃には桜も見ごろとなり、桜の名所には多くの人が“花見”と称して訪れ、目の保養を兼ね、飲んだり食べたりして、終日、和やかに、わいわいと語らうものと思われます。

 

 わが国の二大自然風物と言えば、間違いなく「富士山」「桜」ではないでしょうか。この二つを嫌いな人、好きでない人を聞いたことも見たこともありませんから。

 

 しかしながら、最近の世相には、穏やかな春の季節の雰囲気とは大きく違い、何か異質なものが見えて仕方ありません。西条八十の有名な詩「帽子」をもじってみます。

 

  母さん、あの“慎ましさ”は、どうしたんでせうね?
 
  ええ、これまでは電車の中でもよく見られたあのやりとりですよ。
 

  母さん、僕は、あの“謙虚さ”は好きでしたよ。
 
  そう、若者が老いた人に席を譲り、老人はそれに感謝する姿を。
 

  母さん、ほんとにあの“誠実さ”はどうなったでせう?
 
  その傍らに咲いていた百合の花はもう枯れたでせうね。そして、
    今夜あたりは、つやつや光った美しい言葉に、
 
  冷たい雪がつもっているでせう。
 
  その三文字を埋めるように、静かに、悲しく、寂しく。

慎み深さ、謙虚さ、誠実さは、今まではここかしこに、いたる所に見られた麗しい現象ですが、最近は心の潤いがすくなくなってきたのでしょうか、電車の中での乾いた心のやり取りを目にすることもあります。

 

 その最も適切な例として、先日、ネットに投稿されたエピソードを紹介しましょう。あまりにも出来過ぎているので、あるいは創作かなとの疑いもほんの少しありましたが、一応きちっとした欄ですので、真実のこととして引用します…。

 

 老人「席を譲るって習わなかった?」
 
       ⇒ 幼児の切り返しに凍りつく

 

  都営バスの車内で起きた出来事を、Twitterユーザーさんが報告。

 

  お年寄りが幼児に「お年寄りには席を譲ろうって習わなかった?」
と言ったという。
それを聞いた幼児は「習わなかった」と答えたようだ。
見かねたOLがお婆さんに席を譲ったのであった。

 

  これを見ていた幼児は・・・。
お婆さんに「人から親切にされたらありがとって言うって
 
習わなかった?」と言ったのである。
幼児の鋭すぎる指摘だ。

 

  これには、何も言えなくなってしまったお婆さん。
親切にされたら「ありがとう」と言う心を持ちたい。
          (2017.03.31 MAG2NEWSより)

 

 強烈なエピソード。幼児も幼児なら、お婆さんもお婆さんですが、幼児はまだおさなくこれから学んでいくことでしょうが、お婆さんは完全に一本取られてしまいました。

 

 しかし、これは一本取られたという話ではなく、このお婆さんが、日ごろ、感謝の言葉、ありがとうという言葉を、家族や近隣の方や世の中の人に掛けていないことを示しています。

 

 子供は親の背中を見て育つと言います。この幼児がお年寄りに席を譲らなかったのは、そのような大人の姿を見たことがなかったからではないでしょうか。

 

 今日では、政治家を見ても、マスコミを見ても、自らを謙虚な姿勢で発信するよりも、自分がいかに優れているかを、くりかえし繰り返し、つよく強く発信しようとする人ばかりのように思えてなりません。

 

 また、日本の歴史的な宝ともいうべき皇室のことを論ずる時でも、ガサツで無遠慮で慎み深さ、謙虚さ、誠実さを欠いた声高な人がマスコミをにぎわしていることが見受けられますが、これは極めて遺憾と言わざるを得ません。

 

 そして、他人の失敗には極めて厳しく、弱者には惻隠の情さえ示さない、酷薄の心と荒んだ精神の持ち主が増大しているように思います。

 

 これらの世相は、国家社会のリーダーが持つであろう「理想」「志」を喪失している社会を、鏡のように反映しているのではないかと考えています。マスコミや政治家がいまだに森友学園問題をわが国の最大のテーマとして劇場型パフォーマンスを演じているのは、その理想が低く、志が弱まっていることを証明しています。はたして、このままでいいのでしょうか。

 

 今、中国という覇権型共産党独裁国家、北朝鮮という核・ミサイル保有の個人独裁国家、韓国という基軸なき反日混迷国家、この3ヶ国が、わが国周辺で猛威を奮っており、まさしく未曽有の“危機”が立ちはだかっていることを認識しなければなりません。

 

 旧制大阪高等学校の全寮歌に“城南高し三層楼 籠もれる理想を誰か知る 美酒玉杯に耽りたる 偸安(とうあん)の世を低く見て 文を学び武をば練る 五百の健児君見ずや”という一節があります。

 

 このなかで使われている言葉に「偸安」という日ごろ目にしない漢字があり、この言葉の意味は…。

 

  【偸安とうあん)
目先の安楽をむさぼり、将来のことを考えないこと

 

 わが国、日本のリーダーには、ぜひとも、偸安(とうあん)の世に流されず、国家、国民のために力を尽くしていただきたいと願うばかりです。

 

 そうなれば、おのずから、上掲のような幼児やお婆さんはいなくなり、心の潤った穏やかで謙虚な世の中になるのではないでしょうか。

 

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年3月31日 (金)

“狂騒のマスコミ”…森友学園騒動に見る!

 579回目のブログです

 

     「松島」   釈 南山
 
   天下有山水(天下山水有り)
 
   各擅一方美(おのおの一方の美をほしいままにす)
 
   衆美帰松洲(衆美<
しゅうび>松洲<しょうしゅう>に帰す)
 
   天下無山水(天下山水無し)

 

 山水と言うに値する景勝地は至るところにあり、それぞれ、その地で美しい景観を誇っているであろう。しかし、それらのすべてをまとめたような素晴らしい景観を呈しているのがここ松島であり、松島の他に山水無し、と言っても決して過言ではないだろう…。

 

 松島は、東日本大震災のあとでも、その景観を美しく誇っているように思えます。しかし、それから6年も経っているにもかかわらず、被災地の復興は道半ば、避難されている方も、いまだに123千人(平成292月現在)という大勢の方々であることを、わたし達日本人は認識する必要があるでしょう。

 

 国難は、震災だけではなく、防衛、外交、経済などあらゆる場面に横たわっており、わたし達日本国民は、上下こもごも、全ての分野にわたり、絆をより強くして事に当たらなければ、この難局を乗り切ることは難しいと言わねばなりません。

 

 しかしながら、TV、新聞、などのマスコミに目を向ければ、今や、連日の如く「森友学園騒動」に真っ逆さま、まさに「狂騒」の事態を演出しており、大所高所の議論はそっちのけ、このままでいいのかの素朴な疑問を持たざるを得ないのです。

 

 森友案件は、ベースはそんなに複雑なものではなく、関西の人であればよくわかるように、企業で言えば総務部マターであり、八方丸く収まっていたものが何かの手違い(無知な政治家の勇み足)で枠組みが崩れたということに尽きるのではないでしょうか。薮をつついて蛇が出てきたというべきでしょう。

 

 それを、東京のメディアが朝から晩まで、自らが理解できていない事の本質に迫ることは決してしようとはせず、政局と政争にからめて、無責任に周辺で一層騒ぎを大きくしているに過ぎません。

 

 それは、次の事実を知ればはっきりします。同じ国有財産です。

 

 (野田中央公園用地)平成22年、森友学園の隣地9492を近畿財務局は豊中市に142300万円で売却。しかし、さまざまな国の補助金が14262万円つけられ、実質の購入価格は、何と21243000ということになりました。

 

 (森友学園小学校用地)平成28年、野田中央公園の隣地8770を近畿財務局は95600万円と査定、地下埋設物撤去費用を約8億円と算定、森友学園に13400万円で売却しました。

 

 これらを比較すれば、①が正常とすれば②も正常、というよりも、見方によれば②の方が、面積も小さく価格も高すぎると考えても不思議ではありません。

 

 マスコミのニュースの取り上げ方は異様な感じがします。森友も豊洲の問題も、センセーショナリズムを排除し、もっと冷静に報道してもらいたいと思います。

 

 冷静さを欠いた報道はとかく偏向となりやすく、時には捏造に繋がることもあります。報道は、あくまでも事実を根底に、公平さと中立性を失わない立場で行うことが大事ではないでしょうか。

 

 捏造は悪。国益を大きく損壊させるような朝日新聞の従軍慰安婦記事捏造などは論外としても、テレビでも過去において捏造は頻繁に起きています。これも、イデオロギー偏重、視聴率至上主義、上から目線、倫理感の欠如、公感覚の喪失などに起因すると思われます。ここで、一つの例として、TBSの捏造をほんの一部振り返ります。

 

 平成元年(1989)坂本弁護士一家殺害前、坂本氏インタビュー未放送映像をオウムの早川・上祐・青山に見せ一家惨殺の引き金になる。

 

 平成6(1994)松本サリン事件で「サリンは農薬から簡単にできる」と報道し、第一通報者を犯人に仕立て上げる。

 

 平成14(2002)NEWS23」で、筑紫哲也が「拉致被害者の過失は“日本人”に生まれてきたこと」と驚くべき反日発言。

 

 平成15(2003)石原都知事「日韓併合を100%正当化するつもりはない」発言を「100%正当化する」と逆に捏造。

 

 平成18(2006)NEWS23」で、ハイド米下院国際関係委員長が「靖国神社に行くべきではないと強く思っている」と語ったと捏造。実際の発言は「行くべきでないとは思わない」と真逆だった。

 

 平成18(2006)安倍晋三氏のイメージダウンを狙い「イブニング・ファイブ」731部隊特集の冒頭、全く無関係の安倍氏の顔を3秒間も放映。

 

 平成24(2012)重ねて安倍晋三氏のイメージダウンを狙い、「朝ズバッ!」NHKアナウンサー痴漢事件で全く無関係の安倍晋三氏の顔をサブリミナルした。(サブリミナル手法とは、視聴者に分からないように映像をワンカット忍ばせ、潜在意識に自然に植え付けようとする悪魔の手法)

 

 あるはあるは、いくらでも捏造のデータが出てきます。それでも…。

 

 【各メディアへの信頼度100点満点)
    NHKテレビ   69.8(点)
 
   新聞       68.
 
   民放テレビ    59.
 
   ラジオ      57.
 
   インターネット  53.
 
   雑誌       44.
 

 2016年メディアに関する全国世論調査・新聞通信調査会)

 

 という具合に、いまだに日本人はメディアに高い信頼を寄せています。毎年すこしづつ信頼度は落ちていますが、わたし達はお人好しなんでしょうか、マスコミがあれだけ問題を露呈しても、結構高い数字であることに驚きを隠せません。

 

 今回の森友学園騒動を見ても、マスメディアは、周辺を含めた事実の確認を怠り、タブーには一切切り込まず、事を煽りに煽り、政争や政略にからめ、偏向報道にまっしぐら…これはまさに「狂騒」「狂奔」の姿を露呈していると言わねばならないのではないでしょうか。

 

 今、わが国は大変な岐路に立っています。そのことに静かに思いを馳せる報道、メディアを期待したいと思っている時、わが意を得たりの新聞論稿を目にしました。

 

 「最近の日本の政界やメディアを見ていて、異様に感じることがある。それは、国会でもメディアでも、国政の本質ではない目先の政争問題が大々的に扱われ、例えば北朝鮮の核・ミサイル問題などわが国の安全や主権の危機が、一過性の出来事のように軽く扱われていることだ。そのような対応の結果が、今の北朝鮮絡みの深刻な状況を生んだのではないか…」(3/28 袴田茂樹 新潟県立大教授 産経 正論欄より抜粋)

 

 もう、狂騒から目を覚ましませんか。

 

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年3月24日 (金)

“軍事アレルギー”…日本学術会議声明案に見る!

 578回目のブログです

 

 “深山には なべて木の芽の 春の世も 松を残して 積もる雪かな”
 
              三条西実隆
(室町~戦国時代・公家)

 

 この山深いところでは木の芽がふくらみ、春の訪れを見せているが、松には青葉を隠して雪が残っており、春の気配に取り残されているようだ…。

 

 いよいよ春も本番を迎えつつあり、気温も日々暖かくなってきています。それでも、上の和歌にあるように、頭に雪をかぶり、春を今か今かと待っている“松”の木の姿もあります。

 

 これが、松であるからこそ、趣があろうと言うもの。しかし、世の中には、待っても待っても、全く変化を見せない旧態依然、現実無視、頑迷固陋な人々がおり、これは風情を通り越して悪臭を漂わせる存在だと言えましょう。…その一例が、日本学術会議という摩訶不思議な組織です。

 

 日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24(1949)、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立。職務は、①科学に関する重要事項を審議しその実現を図ること。②科学に関する研究の連絡を図りその能率を向上させること。となっており、我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の科学者を内外に代表する機関です。

 

 この日本学術会議が物議を醸しています。

 

 学術会議、軍事研究禁止の方針継承へ 検討委が声明案

 

  安全保障と学術の関係について検討してきた日本学術会議の検討委員会が、軍事研究を禁じる従来方針を継承する新たな声明案をまとめていることがわかった。声明案は、軍事的な安全保障研究について「学術の健全な発展と緊張関係にある」とし、政府による研究者への介入が強まることへの懸念を打ち出す内容になっている。
           
2017/3/6 朝日新聞デジタル一部抜粋)

 

 この問題について考えてみましょう。

 

 日本学術会議は、昭和24(1949)の設立以来70年にもなろうとしていますが、一貫して軍事研究を拒否してきました。安全保障 ⇒ 防衛力 ⇒ 軍事力 ⇒ 戦争 ⇒ 大東亜戦争(太平洋戦争) ⇒『悪』という連想で、まさしく憲法9条教と同じメンタリティだと言わざるを得ません。世界が文明的な大変革の時代に突入しているにもかかわらず、何と70年間、金科玉条、不磨の大典、拝跪、一文字も変えない姿は、まるで異星人を思わせます。

 

 今、たった今、北朝鮮のミサイルが日本海に連続して着弾、中国がわが国の領土・領海・領空を連続的に侵犯している中で、学者が国民の生命と財産を守るための防衛庁からの研究委託を戦争の為と決めつけ拒否するなんて、まさに世界の笑いもの。普通の地球人とは思えない発想、GHQ・マッカーサーによる学者への洗脳(反戦・反日・左翼思想)70年間、まったくそのまま残っているという不思議さに驚きを隠せません。

 

 現代社会では、防衛用と民生用を純粋に区別することは不可能です。軍事技術から民生用に転用されたものを、一部ですが拾い上げてみましょう。

 

     ・インターネット
 
・パソコン
 
・IC(集積回路)
・光ファイバーケーブル

 
・携帯電話
 
・デジタルカメラ
 
・腕時計
 
・ティッシュペーパー
 
・缶詰
 
・電子レンジ
 
・テレビゲーム
 
・カーディガン
 
・トレンチコート
 
・GPS(グローバル・ポジショニング・システム)
・補償光学

 
・ロケット
 
・原子炉

 

 民生用と防衛用のどちらにも利用できる技術のことを、軍民両用技術「デュアル・ユース・テクノロジー」(dual-use- technology)と言いますが、現在では、防衛用と民生用との境目が益々薄れてきていることを認識しなければなりません。たとえば、下記を見れば納得いくでしょう。

 

     ・ロボット
 
    ・AI(人工知能)
 
    ・通信
 
    ・自動運転
 
    ・高機能複合材
 
    ・……

 

 防衛整備庁が学界に求めている研究テーマの例

 

     光学センサーの高感度化
 
レーザーシステム用光源の高性能化
 
再生エネルギー小型発電
 
高出力電池
 
音響・可視光以外の水中通信
 
サイバー攻撃自動対処
 
遠隔作業を円滑化する触覚・力覚
 
昆虫、小鳥サイズの小型飛行体
 
水中移動を高速化する流体抵抗低減
 
D造形による軽量で高耐熱性を持つ材料
 
 
3/17 日経ビジネスオンライン一部抜粋)

 

 これらの研究テーマを見れば、もはや、防衛軍事用とか民生用とかの区別が不可能なことは中学生でも容易に理解できるはずです。これらの最新技術は、防衛装備の高度化に欠くべからざるものであり、今、わが国を虎視眈々と狙っている周辺の独裁国からわが国を守る大きな要素だと言えるのではないでしょうか。そして、民生にも大きく貢献することは間違いなく、民間企業も口から手を出すほど待ち望んでいると思います。わが国は“科学立国”だということを絶対に忘れるべきではありません。

 

 世界各国は、今、官民一体、軍民一体となり、国益の追求にまっしぐら。悠長なこと、のんびりしたことを言ってはおれず「産・官・学・軍・報」はお互いに協力して、日本の進運に貢献すべきではないでしょうか。自衛隊を継子扱いにするのはもう止めましょう。

 

 それにしても、日本学術会議の姿勢は嘆かわしい限り。早速にも、法政大学や関西大学は防衛省からの研究委託を認めないそうですから、何をかいわんや。日本国の防衛に協力しない大学には、国からの援助である「私立大学補助金(平成27年度3174億円)を出すべきではなく、また、国公立大学は、当然、積極的に研究に参加すべきことは言うまでもありません。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年3月17日 (金)

“教育勅語”vs“反・教育勅語”…どちらが正しいか?

 577回目のブログです

 

 “晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿に 変わらざりけり”
 
               山岡鉄舟
(江戸無血開城の立役者)

 

 晴れている時の富士山は美しい。曇っている時は富士山の姿は見えないが、それも風情があると言うものだ。富士山は、どんなときであっても素晴らしい存在にかわりないのである…。

 

 つい先日、東京へ出向きました。新幹線の車中から、富士山が、空一面青色に染まっているなかに純白の雪帽子をかぶっている凛々しい姿を眺めていると、何か気分が爽快かつ壮大になり、巷におけるちまちましたことや不快な出来事など、瞬間ではあっても忘却の彼方へと追いやってしまいました。

 

 まさに、富士は不二、ふたつとない純粋な日本そのものを象徴しているのだなあ…、としみじみ実感した次第です。

 

 そんな中で、最近のマスコミを賑わしている大阪府豊中市の「私立小学校」建設が、不透明な国有財産払下げで問題になっている、いわゆる「森友学園」問題について考えてみたいと思います。

 

 今回の問題は、国有財産払下げへの疑義。誰が考えても、常識的に判断して、不透明かつ不公正だと思われます。

 

 国有・公有財産の払下げでは、明治以来たびたび事件となっており、有名な事件としては、開拓使官有物払下げ事件や北海道庁官有物払下げ事件などでは、格安の払下げとして世間から糾弾を浴びています。

 

 一方、本来は国有財産問題であるにもかかわらず、最近、テレビなどのマスコミは森友学園の教育方針について、朝から晩まで、ニュースやワイドショーなどのあらゆる場面で取り上げ、大いなる批判と非難を加えてきています。

 

 その、非難の的が何と“教育勅語”ですから、開いた口がふさがりません。教育勅語は明治23(1890)、明治天皇が発せられた315文字からなる勅語であり、日本人としてのあるべき精神の根本を簡明に述べられたものです。

 

 “朕(ちん)(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹()ツルコト深厚(しんこう)ナリ…”で始まる格調の高さは、声に出して読めば、説かれている内容も腹にすっきり納まろうというものであり、また、論語・孟子と同じように素読に適していると言えるのではないでしょうか。

 

 この古典ともいうべき歴史的遺産でもあり現代の社会においても充分に光り輝く教育勅語について、マスメディアは、森友学園が経営する「塚本幼稚園」の園児が教育勅語を暗唱する場面を繰り返し放映し、おちょくったり、冷笑したりして、アナクロニズム(時代錯誤)としての印象操作を行っています。

 

 わたしは、この現象をにがにがしく眺め、マスメディアはこれほど知性を欠いているのかと暗澹たる気持ちになります。批判や避難はあっていい。しかし、マスコミは教育勅語というものを概略説明すべきであるにも関わらず全く触れず、そして、内容さえ読んでいないことが問題なのです。

 

 それでは【教育勅語】の徳目(現代語訳)を記します。

 

  . 親に孝養をつくしましょう(孝行)
 
 2. 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
 
 3. 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
 
 4. 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
 
 5. 自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
 
 6. 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
 
 7. 勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
 
 8. 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
 
 9. 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
 
10. 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
 
11. 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
 
12. 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

 

 この道徳を身につければ、素晴らしい人間になることはまちがいなく、これを理想とする教育は時代錯誤でもなく、普遍的な真理そのものであると言っても決して間違いではないのではないでしょうか。

 

 その証拠として私流に【反・教育勅語】の徳目?を考えてみました。

 

  . 親には反抗し家庭では暴力をふるいましょう(不孝)
 
 2.
 兄妹・姉妹は互いに反目しあいましょう(敵対)
 
 3. 夫婦は反目し浮気をしあいましょう(夫婦の不和)
 
 4. 友人は信用せず裏切りましょう(友人の疑心)
 
 5. 自分の言動は抑制せず好き放題にしましょう(不遜)
 
 6. 広く愛の手をのべず、わが身を第一にしましょう(偏愛)
 
 7.
 勉学に励まず職業も身につける必要はありません(無学不習業)
 
 8.
 知識は不要、才能も伸ばす必要はありません(無知蒙昧)
 
 9. 人格は堕落してもかまいません(反人格)
 
10.
 反社会的活動に力を入れましょう(自己中心)
 
11. 秩序は乱してもかまわず、自由気ままに生きましょう(違法)
12. 勇気などは持たず、公のためになることはやめましょう

 
                (反正義・反勇気・反国家)

 

 いかがでしょうか。こんな「反・教育勅語」のどこを見習えばいいのか。家庭内暴力、家庭不和、友人間いじめ、殺人の多様化、慎みのない発言と暴言、自己中心主義、単なる知識、法律のかいくぐり、公よりも私、どれをとっても正常ではない徳目、いや徳目とは言えない項目です。

 

 森友学園問題には、マスコミが「倫理観のない社会」を理想的な社会にしようとして、煽りに煽っているとしか思えない狂騒が含まれているのが大きな問題です。

 

 マスコミ人は知性と精神が貧しすぎる。もし万が一、マスメディア人が知性と良識と常識を備えているとするならば、国有財産の払下げ問題にのみ限定した厳しい報道をすべきではないでしょうか。それこそが、マスメディア人の使命だと考えます。

 

 教育勅語は、終戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の日本弱体化政策により廃止させられましたが、世界に大きな影響を与え、米国では、レーガン大統領の時これをもとにした本The Book of Virtue(道徳読本)が出版され、すでに数千万部第二の聖書と言われています。まさしく、瞠目(どうもく・驚いたり感心したりして目をみはること)すべきことと言わねばなりません。

 

 教育勅語は素晴らしい勅語。アメリカの凄いのは、敵国・敗戦国日本からでも、良いものは素直に受け入れていることです。わが国のマスコミは今少し世界に目を向け、色々な情報を集め正しい判断を下し、自らを卑下する「反日の感覚」から『脱却』すべきだと考えます。

 

 わたし達日本人は、わが国の素晴らしい歴史に学び、もっと自信を持とうではありませんか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
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2017年3月10日 (金)

“真実のデータ”を…豊洲問題の驚愕すべき実態! 

 576回目のブログです

 

  “人間は真実を見なければならない。真実が人間を見ているからだ”
 
               チャーチル
(英国の政治家・18741965

 

 小ブログも、先週の3月3日(雛祭り)丸11年となりました。それにしても、毎週1回一度も欠かすことなく、われながらよく続けてきたもの。適当な時が来るまで続けようかなと思う今日この頃です。

 

 世界情勢はいよいよ緊迫感を増してきました。北朝鮮のミサイル実験と要人暗殺、トランプ大統領の積極的な政治姿勢、韓国の途方もない迷走、欧州の文明的な混迷、中国の飽くなき軍事力増強と経済不安など、世界の緊張は強まることはあっても弱まることはないように思えます。

 

 こんな時、わが国は、官も民も、こころをひとつにして対処しばければならないにもかかわらず、国会での議論は矮小なことばかりに焦点を当て、メディアもそれを煽る始末です。

 

 そのうちのひとつである「豊洲問題」を考えてみたいと思います。

 

 巨大都市・東京の台所を預かる築地市場が、健康上や耐震性において安全性に大いなる問題があり、青島都知事(平成711)の時から豊洲に移転する方向で検討を重ね、石原都知事の時に決定しました。

 

 ところが、昨年登場した小池新都知事は、地下空室(地下ピット)があり盛土が全面に無いこと、東京ガスとの契約に疑義、地下水の安全性に問題あり、ということを掲げて、豊洲移転の延期あるいは中止を視野にいれ、熱いバトルを繰り返しているのが今日の姿です。

 

 豊洲市場の地下水 最終調査は“都の指示で過去と違う手順”

 

豊洲市場の問題を審議する都議会の特別委員会において、豊洲市場の「地下水モニタリング調査」をめぐり、環境基準の79倍となるベンゼンなどが検出された9回目の調査を担当した業者が、都の指示により、過去8回とは違う手順で調査していたことを4日明らかにしました。都は、業者に対し過去とは違う手順で行うよう伝えたことを認めました。
             (3/4 NHK WEBNEWS

 

 杜撰(ずさん・物事がいいかげんで誤りが多いこと)極まりない、ありえない調査方法であり、驚きを隠せません。

 

 地下水のモニタリング調査は、環境省のガイドラインに基づきます。201ヶ所の井戸(5㎝)が設けられ、井戸にたまっている水を取り除く作業を3~5回繰り返し、その後時間を置き、1回から8回までの調査では翌日たまった地下水を採取して「試料」として検査。

 

 ところが、小池知事が再調査を命じて行った9回目調査のデータは、純粋な地下水以外が入っている可能性のある取り除くべき水を試料としたもの、あるいは取り除くべき水を取り除いた直後の水を試料とするなど、1回から8回までの調査方法と全く異なる方法でなされたのです。

 

 9回目の数値だけが異常に高かったのは、過去の調査に不正があったのか、あるいは、今回の調査がヤラセ分析だったのか、明確にする必要があります。また、どういうわけか、9回目の業者は、1回~8回までの調査した業者と異なっています。不審だらけと言わざるを得ません。

 

 これをどう見るべきか、偏っているかも知れませんが、わたしの見解を述べます。

 

 もしも、調査方法を変更したのが事実であるとすれば、豊洲問題は小池都知事・都庁サイドの「政治ショー」と言わねばなりません。絶対的権力を志向するために、事実やデータを作為的に操作し、パフォーマンスを演じようとするものであり、プロパガンダとも言えるものでしょう。

 

 科学的事実に基づかない、政略的、政治的パフォーマンスは、誠実さを欠く自己中心主義というものであり、小池都知事流の言葉で言えば“自己ファースト”になるのではないでしょうか。

 

 東京都については、世界のなかでも洗練された大都会というイメージですが、都政の実態は、都知事、都庁、都議会(自民・公明・共産・民進)、三すくみの伏魔殿と言えるようです。

 

 もう、いいかげんにしませんか。豊洲、築地の安全性を議論するに当たっての基礎は正当なるデータと科学的知識に基づき、次の2点を明らかにして、都民を説得するのが真の政治家というものです。

 

   豊洲と築地との徹底的な比較をおこなうこと。
   豊洲が優位ならば豊洲の安全宣言をおこなうこと。
 

 

  要するに「科学的知見」と「政治家の使命」が問われているのではないでしょうか。

 

 現在問題になっている豊洲の地下水は決して現実に使用するものではなく、健康上問題ではないことを説明すべきです。

 

 これまでも、マスコミは、地下空間や盛土や溜り水の問題をごちゃまぜにして大騒ぎしましたが、これは、都の豊洲市場推進部署が設計変更を広報しなかったための騒動に過ぎず、地下ピット(地下空間)などもある方が良いのは常識です。

 

 小池知事は「築地市場はコンクリートやアスファルトで覆われており、汚染の問題はない」と発言していますが、それならば、豊洲も同じことではないでしょうか。にもかかわらず、豊洲には「NO!」。この発言はおよそ科学的精神にほど遠い姿勢と言わざるを得ません。

 

 小池知事が当選以来、都議会の闇にメスを入れ、その権力をいかんなく発揮し、マスメディアをも手なずけ、やんやの喝さいを受けているのは、劇場型の手法を得意とする面目躍如たるものがあります。

 

 そういう意味で、政治的力量には目を見張るものがありますが、豊洲新市場は、都民のための喫緊を要する重要施設であり、小池知事の政治的野心(知事⇒首相)実現のための小道具にしてほしくなく、科学的見地からの堂々たる政治判断を早急に決すべきではないでしょうか。

 

 何でもかでも政治問題化するのではなく、落ち着くべき所へはそれなりに落ち着かせることが求められているように思います。

 

 豊洲騒動における科学的知性を欠いた国家社会のリーダーの言動を見るにつけ、科学技術の発展と複雑な経済事象をみせる現代においては、文科系の人は理科のセンスを、理科系の人は経済のセンスを併せ持つことが重要だということを教えられます。これを称して

“文ジニア”“理コノミスト”…。

 

 文科系の人+エンジニアセンス(理科系) =【文ジニア】
 理科系の人+エコノミストセンス(文科系)=【理コノミスト】

 

 みなさんは、文ジニアですか、理コノミストですか。それとも?

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年3月 3日 (金)

「移民“ノー”」…驚愕すべき欧州の世論調査!

 575回目のブログです

 

“春霞 たつやおそきと 山川の 岩間をくぐる 音聞ゆなり”
 
           和泉式部
(平安時代中期・後拾遺和歌集)

 

 春霞がたつのを今や遅しと待っていたように、谷川の水の岩の間をくぐるさわやかな音が聞こえるよ…。

 

 “春の鼓動”が聞こえてくる名歌として有名であり『和泉式部集』の巻頭を飾っています。和泉式部といえば、燃えるような恋の歌がすぐ頭に浮かんできますが、上掲の和歌のように、感性豊かに季節の移ろいに眼を向けた心静かな素晴らしい歌もたくさんあります。

 

 こんな春の情趣を心ゆくまでのんびりと感じたい。…それでこそ日本に生まれた甲斐があろうというものですが、世界はキナ臭くなってきており、それどころではない状況です。

 

 先日は、北朝鮮の最高指導者、金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄である金正男氏がマレーシアの空港で殺害。大方、金正恩委員長の指示と言われていますが、まだ動機や背後関係には謎が残されたままです。

 

 殺害方法は毒ガスであるVXガスと断定されたようです。北朝鮮は毒ガスはもとより核兵器及びその運搬手段も保持しており、金正恩個人の恣意的な独裁政治が凶暴性を発揮すれば、日本はどうなるのか、世界はどのようになるのか、今や、本気で恐怖心を懐かなければならないところに直面していると言わざるを得ません。

 

 ところが、わが国のマスメディアや一部の政治家は暢気なもので、スパイ防止法はもとより共謀罪にも強く反対。その真意は、国家・国民の防衛を金正恩朝鮮労働党委員長の「善意」に託そうとする日本国憲法万歳の旧態依然たる敗北者意識丸出しというところでしょうか。

 

 その他、世界は移民問題で大きく揺れています。トランプ米大統領が特定国の短期の移民制限と移民管理の厳格化を唱道してから、アメリカのリベラルは猛反発。つい先日の映画のアカデミー賞授賞式でも、特に、米大統領の移民政策への批判が相次いでいます。この移民問題は、アメリカではどのように収束していくのか見当がつきません。

 

 一方、トランプ大統領の移民政策に対しては、ヨーロッパの首脳、例えばドイツのメルケル首相やフランスのオランド大統領などが激しく非難していますが、欧州各国の国民はどのように考えているのかを見てみましょう。(27日世界有数のシンクタンクとして信頼度の高い英王立国際問題研究所が発表した調査結果より)

 

 【イスラム圏から、これ以上の移民流入を停止するべきか?】

 

           同意  不同意 どちらでもない
 
   ポーランド   71   9  19 (%)
 
   オーストリア  65  18  17
 
   ハンガリー   64  12  24
 
   ベルギー    64  15  21
 
   フランス    61  16  23
 
   ギリシャ    58  20  22
 
   ドイツ     53  19  28
 
   イタリー    51  23  26
 
   イギリス    47  23  30
 
   スペイン    41  32  26
 
    (平均)    (55) (20) (25)

 

 驚愕のデータ! じっくり目を凝らせてみてください。この10ヶ国の国民は、イスラム圏からこれ以上の移民流入を停止するべきかとの問に対して、明白に同意していることが判明しました。同意と不同意には圧倒的な差異があります。

 

 EU主要国の首脳はトランプ大統領の入国制限を批判、また、欧州メディアの大半が反入国制限の立場で報道していますが、これは、為政者とマスメディアの意識が共に国民と大幅に乖離していることを示しているのではないでしょうか。

 

 民主主義が国民の意思を尊重するということであるとすれば、EUの為政者も、メディアも、ともに“反民主主義者”であり、民主主義者を標榜することはできません。

 

 同じように、わが国のメディアが上掲の貴重なデータを取り上げようとしないのはなぜでしょう。日頃の自分らの上から目線の主張が国民の支持を得ていないことが明かになるのを恐れたとしか思えません。マスコミは真面目にやれと言いたい。

 

 移民の問題は、アメリカやヨーロッパだけにあるのではありません。わたし達が属するアジアのマレーシアで中国からの大移民が行われようとしているのです。(石平氏のチャイナウオッチ2/26より)

 

 計画の主導者は年商23,300億円を誇る中国の巨大な不動産企業「碧桂園」であり、習近平主席ら政府の支援を受け、巨大投資プロジェクト「森林都市計画」を推進しています。

 

 この計画は、中国国内で展開するのではなく、何とシンガポールに隣接するマレーシアのイスカンダル地区に「住宅30万戸」を建て「中国からの移民100万人」を定住させようとするもの。

 

 また、このような計画は、中国の国家戦略である「一帯一路戦略」に則ったものであると明言していますから、他の国にも進出してくるのは間違いないと思われます。

 

 マレーシアは、面積は約33万㎢(日本の約0.9倍)、人口約3,000万人。民族構成は、

マレー系(67)、中国系(25)、インド系(7%)であり、既に中華人とは上手く折り合っており、中華人が100万人や数百万人増加しても、何も問題は生じないとの認識でしょうが、将来への警戒は怠るべきではないと思います。マレーシアが将来中国に乗っ取られないことを祈るのみです。

 

 中国は、マレーシアで100万人の中国人移民をなしとげ、経済効果を上げ、他の諸国にもその例を数多く拡げ、いずれはアジア全体を包み込む計画(=実質乗っ取ること)ではないかと思われます。

 

 そう考えれば、中国が尖閣諸島や沖縄諸島を略取しようと企んでいることにも繋がります。沖縄も大いなる警戒が必要。

 

 それにしても、移民問題は難しい。しかし、事は大事、じっくりと日本の民族性と日本文明の観点から判断すべきではないでしょうか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
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2017年2月24日 (金)

“経済成長否定論”… 朝日のトンデモ論に反駁する!

 574回目のブログです

 

   “ある人が嘘を吐くということを考えてみれば、
 
   それは、その者が神に対しては大胆であり、
 
   人間に対しては卑怯である、
 
   ということにほかならない”
 
        フランシス・べーコン
(英国哲学者 「随筆集」)

 

 立春を過ぎたとはいうものの、気温は低く、時には雪も舞い散り、かなりの寒さを感じる今日この頃ですが、暖かい春が早く到来してほしいと願うばかりです。

 

 春と言えば、もうすぐ新入社員の季節。近年、企業は景気の上向きを背景に採用の意欲を高めており、2/20PRESIDENT Onlineによれば、大卒の内定率は121日時点で85.0%と、過去10年の最高を記録したそうです。学生にとって、あるいは親御さんにとっても、ニコニコ顔ではないでしょうか。学校を出ても就職口がないということほど悲しいことはありませんから。

 

 そして、131日公表された労働力調査によれば、12月の完全失業率は3.1%であり、ほぼ完全雇用の状態となっています。そしてこの3年間のデータをご覧ください。


   【完全失業率(年平均)
     平成26年(2014)  3.6(%)
 
    平成27年(2015)  3.
 
    平成28年(2016)  3.

 

 この3年間、マスメディアではいわゆるアベノミクス失敗論や日銀悪玉論が盛んに言われていますが、少なくとも雇用面で大きな成果を挙げてきていることは、上の表を見れば明白ではないでしょうか。

 

 こんななかで、メディアの王者を自負している()朝日新聞が、1月4日、なんと『経済成長否定論』を大々的に展開しています。まことに驚きを隠せません。

 

 朝日の主張のポイントは。

 

 ゼロ成長はそれほど悪なのか。失われた20年と言われたその間も、
わたしたちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない

 いまのような経済成長の歴史が始まったのは200年前にすぎない。

 GDPの統計がはじめて作られたのは、1930年代の大恐慌、
第2次世界大戦がきっかけだった。

 成長の鈍化はむしろ経済活動の『正常化』を意味しているのかも
しれない。

 

 これらについて、反駁したいと思います。

 

 ゼロ成長やマイナス成長は、それほど悪です。ゼロは成長ではなく停滞にすぎません。成長がないと豊かさ(=幸せの大きな要素) の恩恵を受けることができないからです。たとえば、経済成長しなければ失業率が上がる「オークンの法則」というものもあり、日本の場合成長率が1%下がると失業率は0.2%くらい上がると高橋洋一教授は指摘しています。失業率が高くなれば、自殺率や犯罪率や生活保護率を上げることになり、社会的にもマイナスばかりであることは容易に想像できるのではないでしょうか。

 

  ゼロ成長やマイナス成長を考えるにあたっては、高校や大学から社会人になろうとしても就職先がないという悲惨な社会を想像するだけの常識をもつべきだと思います。

 

  たしかに、朝日が憧れているかもしれない社会主義・全体主義の国であれば、自由のない強制労働・低賃金の労働者として完全雇用できるでしょう。しかし、そんな社会を、わたし達日本人は望んでいるのかどうか、答えは言わずもがなです。

 

  わが国の企業は、大も中も小も、それぞれ何とか昨年よりも業績を上げるべく切磋琢磨、競争に打ち勝つために血の滲むような懸命な努力を重ねているのです。それを、前年比ゼロでいい、業績は伸びなくてもいい、なんていうことは、酔っぱらいの発言だとしか思えません。そして、企業は、苦しくても、出来る限りの雇用を守ろうとしていることだけは理解しなければなりません。
 

 ②経済成長の歴史がわずか200年にすぎないと問題視していますが、わが日本は、近代国民国家にならんとした明治維新をなしとげ、明治元年から150年ですから、明治以来のものはすべて200年以内ということになります。200年が大したことでないと言うのは、明治・大正・昭和・平成の歩みを否定するのと同じこと。天下の朝日新聞もたかだか140年に過ぎず、200年を軽視するのは、自ら天に唾するようなものではないでしょうか。

 

 GDPの統計を批判していますが、それならば、経済指標について、下記のどれを選択すべきなのかを、具体的に教えてほしいと思います。批判や難癖をつけるだけならば、誰だってできますから。

 

  【経済指標】

   ・経済指標はそもそも不要
   「GDP」(Gross Domestic Product・国内総生産)
   
「GNP」(Gross National Product・国民総生産)
   
「GNI」(Gross National Income・国民総所得)
   
「GNH」(Gross National Happiness・国民総幸福度/ブータン)
   
「GNT」(Gross National Talent・国民総才能量)
 

  昭和45(1970)朝日新聞は「くたばれGNP」というタイトルの連載記事を掲載。そこでは、GNPがわたし達の豊かさといかに無縁な存在であるかが論じられています。石油ショックで日本経済が危うくなるとこのスローガンを消滅させました。これは、日本経済が成長しなければ日本が沈没するということがわかったからでしょう。

 

  しかし、数年前“「くたばれGDP」をもう一度”という記事が載せられるなど、朝日には、経済成長否定論者がしぶとく存在していることが窺われます。また、もしも経済指標が不要だとすれば、経済は成り行きにまかせることを意味しますが、それでいいのでしょうか。どう考えてもズレていると思います。

 

 成長の鈍化は経済活動の『正常化』だと言うに当たっては空いた口が塞がりません。子供が考えてもわかることです。もしも、朝日新聞が、販売部数が増えず、価格も上げられず、事業展開も上手くいかず、業績が横ばいか低下し、社員の給与も下がり、待遇も悪化する状態になったとして、それを正常化だと言えますか。普通の人ならば言えないでしょう。もしも言えるとしたならば、わたしにはその神経が理解できません。(それとも“反安倍”の意識が底に脈々と流れており、その気分が高じて支離滅裂の議論として噴出したのかも?…勝手な想像ですが。)

 

  これは、経済成長やGDPの増大と言うものを、わが身のこことして考えるのではなく、他人事(ひとごと)として、無責任に言挙げする風潮が社内に蔓延しているのではないかと推測せざるを得ません。

 

  かつて、清貧の思想がもてはやされましたが、これも同じこと。自らは豊かな生活環境に居りながら、食うや食わずの下々に清貧な生活をすすめるのは、ある意味で偽善というもの。

 

  もう少し豊かな心でもって事を論じて欲しいと念願するのみです。

 

 あまりにもひどい記事でしたので、すべてに反駁しました。朝日の記者として経済成長を論ずるにあたっては、まず、これを自らのこととして、また、自らが属する会社(朝日新聞社)のこととして考えてみることが肝要、そして、その後に、一般論を展開すべきではないでしょうか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

 

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2017年2月17日 (金)

“マスコミの嘘”… トランプ大統領の報道に見る!

 573回目のブログです

 

 “梅が枝に 来ゐる鶯 春かけて 鳴けどもいまだ 雪は降りつつ”
 
               詠み人知らず(古今和歌集)

 

 梅の枝に来てとまっている鶯が、春が来るのを待ち望んで一声鳴いているけれども、まだ春らしい様子もなく、雪がしきりに降り続いていることよ…。

 

 日本列島も、日本海側は大雪に見舞われ、鳥取県などは記録的な豪雪だと報道されています。もう、一刻も早い、青い空を背景にした梅と鶯の春の風景を望むとともに、鶯の澄み切った鳴き声を耳にしたいものです。

 

 日本の四季のはじめである「春」は穏やかで、生きとし生けるもの清新溌剌とした風情を醸しますが、マスメディアでは、人々を“嘘”で一定の方向へ導こうとする硬直したイデオロギーに溢れた“邪心”を露わにしています。

 

 その例を、トランプ大統領の「就任演説」および「7ヶ国入国禁止」の二つから見てみましょう。

 

 NHKが日本国民に隠した「トランプ大統領就任演説」の一部

 

 アメリカ第45代大統領に選ばれたドナルド・トランプ氏の就任演説(120)を報じたNHKは、その全訳に重要な一部の文章を割愛したのです。単に抜け落ちたというよりも軽視、無視、いや、それ以上に『隠蔽』したと言うべきでしょう。

 

 【原文】
We must protect our borders from the ravages of other countries making our products, stealing our companies, and destroying our jobs. Protection will lead to great prosperity and strength.
 I will fight for you with every breath in my body – and I will never, ever let you down.

【和訳】
 
ほかの国々が、われわれの製品を作り、われわれの企業を奪い取り、われわれの雇用を破壊するという略奪から、われわれの国を守らなければなりません。わたしは全力で皆さんのために戦います。

 

 と訳しました。しかし、よくよく見ると、
 Protection will lead to great prosperity and strength.
           (保護主義は繁栄と強さに結びつく。)」

 が省略されています。

 

 この最も重要なフレーズが隠蔽されたのです。なぜそうなったのかを推測すると「保護主義」という言葉は「悪」を意味するもの、即ち「保護主義=悪」だという政治的イデオロギー的固定観念によって削除したのではないでしょうか。そう考えるより他はなく、NHKは、真実の報道よりもイデオロギーを優先する政治的プロパガンダ機関だとも言えるでしょう。

 

 これは、どう考えても理不尽なことであり、視聴者からのクレーム続出であわてて訳文を追加。現在では、何と、原文と訳文をネット検索不可能としています。わたしはNHKに受信料を払っていますが、それにしても、ひどいものですね。

 

  一方的報道のトランプ大統領「入国制限命令」

 

 トランプ大統領は、1/27特定7ヶ国の国民の米国入国を90日間禁止する大統領令に署名。それに対して、世界的に反トランプ運動が盛んに。また、その正当性が米国の法廷で争われており、最終的には連邦裁判所で決着すると見られています。

 

 大統領令が署名されると直ちに、反トランプの米国マスコミ・CNNなどが、これはイスラム教徒(ムスリム)を排除するものと全世界に報道し、世界的に混乱を巻き起こしました。

 

 7ヶ国の入国制限命令がどのようなものかについて、冷静に見てみましょう。

 

 トランプ大統領が入国の制限をしたのは、オバマ大統領時代のセキュリティレビューに基づいているもので、その政策を継続したに過ぎず、入国禁止ではなく、期限を設けるとともに、入国審査を一段と厳しくするというものです。

 

 特定7ヶ国とは、イラン、イラク、リビア、ソマリア、スーダン、シリア、イエメン、であり、2015年オバマ政権と連邦議会で「懸念対象国」としてビザ制限の対象にした国々。どうして、オバマ大統領では良くて、トランプ大統領では駄目なのか、はなはだ疑問です。

 

 この大統領令は、日本や米国や世界でも、イスラム教徒全体を狙い撃ちしたとんでもない非人道的なものだと批判していますが、トランプ大統領は、そうではないと言明しました。 イスラム教徒の人口を見てみましょう。

 

   【該当7ヶ国】
    イラン    7,400(万人)
 
    イラク    3,200
    リビア     
600
    ソマリア    
900
    スーダン   
3,400
    シリア    
2,000
    イエメン   2,400
 

    (計)   19,900

 

   【参考】
    インドネシア  20,900(万人)
 
    インド     17,600
    パキスタン   1
6,700
    バングラデシュ 1
5,000
    ナイジェリア    
7,700
    エジプト      7,600

 

  該当7ヶ国1億9900万人を全世界のイスラム教徒16億人で割れば、12%となります。トランプ大統領の言う通り全ムスリムを対象としたものでないことは確かです。

 

 こうして見てくると、わが国のマスメディアが、トランプ大統領の「根拠なく7ヶ国からの入国を禁止した」と報道していることは事実に反しています。マスメディアは、もう少し、事実がどういうものかを歴史的に、また広範囲に分析し、それをベースに報道してほしいと思います。

 

 また、メディアは、トランプ大統領が「大統領令を乱発」していると強く非難していますが、それは本当でしょうか。調べればすぐわかること。優秀で頭がいいとされている報道記者はなぜ調べないのか合点がいきません。

 

 【大統領令の数】
           (総 数)    (年平均)
 
  F.ルーズベルト  3728(本)  302(本)
 
  ケネディ       214      73
 
  レーガン       381      51
 
  クリントン      364      46
 
  G..ブッシュ    291      36
 
  オバマ        276      35
 
  トランプ (1月)    7
 
           
(国立公文書記録管理局データ)

 

 このデータを見ても、報道がいかにねじ曲がっているかは明らかではないでしょうか。乱発などしていないではないですか。新聞は7割、テレビは9割、疑ってかかることが大切だと思います。

 

 さて、先日、日米首脳会談が開かれ、トランプ大統領と安倍首相が堂々と渡り合い、日米同盟の絆を強化することに同意しました。そしてゴルフを共に楽しみトップとしての人間関係をより深めたとみてよいと思います。満点外交と言うべきでしょう。

 

 それでも、わが国のメディアの中には、安倍首相がアメリカの移民および入国の問題に反対意見を言わなかったことをもって、安倍首相を激しく論難している朝日新聞などがあります。どうもサヨク系ノメディアは安倍首相とトランプ大統領が大嫌いのように見えて仕方ありません。

 

 しかし、ここでマスメディアに求めたいのは、トランプ大統領に対する真摯な姿勢です。トランプ大統領は、世界最強国の元首であるとともに、日米同盟の友邦の最高位にある方であることを認識し、いやしくも軽蔑したり、笑いものにしたりすることは厳しく戒め、それなりの敬意を払うべきではないでしょうか。それが、日本国民のリーダーであるべきメディアの矜持というものだと思います。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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