2017年5月26日 (金)

「堺」…刀鍛冶・利休・晶子を巡る!

 587回目のブログです

 

    【利休七則】

   茶は服のよきように点て(お茶は飲む人が飲みやすいように)
 
炭は湯の沸くように置き(炭火はお湯の沸く程度に心を配り)
 
花は野にあるように生け(花は野の花のごとく自然に生け)
 
夏は涼しく冬暖かに  (夏は涼しげに、冬は暖かい雰囲気に)
 
刻限は早めに     (時間に余裕をもって)
 
降らずとも傘の用意  (雨降らずとも雨具の用意をし)
 
相客に心せよ     (お客の心を心とせよ)

 利休七則は茶道の基本を示したもので、茶道のおもてなしの心を分かりやすく説いています。

 

 今回も、先週に続いての歴史・文化の散策となりました。先日、縁ある方のお誘いで、小宅からそんなに遠くない大阪市の南に位置する堺市を訪れました。久しぶりの近間への散策、時間もたっぷりあり、日ごろ目にすることのできない所へ足を運ぶという望外の幸運に恵まれた有意義な散策でした。拠点移動はバス。

 

 JR大阪駅・西梅田 ⇒ 水野鍛錬所 ⇒ さかい利晶の杜 ⇒ 昼食(梅の花) ⇒ インテックス大阪 ⇒ JR大阪駅・西梅田

 

 堺市は、大阪市の南に位置した人口84万人の政令指定都市であり、山梨・佐賀・福井・徳島・高知・島根・鳥取の各県を上回りますが、大阪市の衛星都市としての特徴を有してもいます。

 

 堺市には、旧石器・縄文・弥生時代の土器・石器・銅鐸・集落遺跡などが発掘。特に百舌鳥古墳群と呼ばれる古代文化遺産は圧巻です。

 仁徳天皇陵古墳
反正天皇陵古墳
履中天皇陵古墳
いたすけ古墳
御廟山古墳
ニホンザイ古墳
その他(永山・長塚・丸保山・竜佐山・収塚など多数)

 

 そして、堺は南北に貫く難波大道と東西に結ぶ竹内街道などの交通の要所となり、南北朝時代には勘合貿易で栄え、室町時代には、宣教師・フロイスが「東洋のベニス」と称する国際都市になり、安土桃山時代は自治都市としてその存在感が注目されます。

 

 このような歴史と文化を誇るだけに、堺市民は「堺」に対する愛着が極めて深く、先年の大阪都構想(大阪府+大阪市+堺市)には、市長自ら先頭に立って反対の姿勢を貫きました。

 

 何はともあれ、魅力ある都市であることに疑いをはさむ余地はないと思います。

 

 【水野鍛錬所】

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  明治5年(1872)創業。刀鍛冶として出発しましたが、現在5代目が鍛冶職人の道を引き継ぎ、料理包丁や銘刀の制作に携わっています。わたし達は5代目から刀や包丁の工程などの説明を受けましたが、ユーモアとウイットに富む、なかなかの話し上手で、従来職人のイメージを一変させました。

 

 5代目は、大阪府ではただ一人の刀鍛冶職人であり、その畏敬すべき職人が一本の料理包丁に技と叡知を注ぐのですから、性能、品質は折り紙付きではないでしょうか。

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 鍛冶場では、実際に鉄や鋼を鍛え上げる刀鍛冶の周囲は、注連縄(しめなわ)に紙垂(しで)が垂らされ、聖域とされているのを目にしました。凛とした空気。まさに神聖な鍛錬所であることを実感した次第です。

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(法隆寺・国宝五重塔九輪にある四方魔除け鎌・300年毎に架け替え)

 これらの光景は、つい先日、NHKテレビの人気教養番組「美の壺」で大きくとりあげられました。

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  わたしは、日本の職人中の職人である水野家5代目の、刀・包丁鍛冶の優れた職人魂に敬意を表し、料理包丁を1丁買い求めました。帰宅して早速使ってみましたが、切れ味は素人のわたしでさえ“抜群”の印象を持ったほどです。 

 【さかい利晶の杜】

 

 堺が生んだ二人の偉人、千利休と与謝野晶子。わびの美学を貫いた気高き天下一の茶人・千利休と、日本文学史に名を残す愛に生き真に生きた表現者・与謝野晶子の二人を顕彰した記念館です。

 

 千利休(大永2<1522>~天正19<1591>)は茶聖といわれ、千家茶道の始祖として知られています。堺の商家に生まれ、茶の湯の第一人者である武野紹鷗に学び、信長・秀吉の茶頭(さどう・茶の湯の師匠)となったが、晩年は秀吉に疎まれ切腹に追い込まれました。

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 しかし、現在日本の3大茶道流派は三千家の「表千家」「裏千家」「武者小路千家」と言われていますから、茶聖・千利休の偉大さが分かろうと言うものです。 

 1階が千利休茶の湯館として、千利休の歴史や復元した利休作茶室の展示、茶の湯体験施設など、楽しめる要素がいろいろあります。

 

 2階が与謝野晶子記念館。与謝野晶子(明治11<1878>~昭和17<1942>)の生家「駿河屋」は羊羹で有名な和菓子商であり、和洋折衷の建物を復元展示。それを見れば、彼女の豊かな感受性と好奇心旺盛な行動力は、生家における知的で優雅で裕福な環境に深く影響されたものだろうとの推測もあながち間違ってはいないように思われます。

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 記念館の中央には、出版された書物が円形に並べられていますが、どれも見事な装丁で、当時の一流画家たちの晶子への関心の高さを語っているようです。

 

 わたしの気に入った和歌を拾いましょう。

 

“海こひし 潮の遠鳴り かぞへつゝ 少女となりし 父母の家”
 
                (故郷・生家を偲んで)
 
 “和泉なる わがうぶすなの 大鳥の 宮居の杉の 青きひとむら”
 
                     (大鳥大社)
 
 “住之江や 和泉の街の 七まちの 鍛冶の音聞く 菜の花の路”
 
                    (水野鍛錬所)

 

 【食べどころ“梅の花”】

 

 ここで昼食、隣の食べどころに移動。梅の花は豆腐料理で有名。さかい利晶の杜との雰囲気のコラボはなかなか見事であり、味もよく、カロリーも低く、素晴らしい昼食でした。

 

 【インテックス大阪】

 

 ここでは、住宅関連製品の展示会があり、ズラッと見て回りました。それぞれのデザインが極めて洗練されてきていることと、気配りした技術の進歩があらゆるところに見受けられることに、新鮮な驚きを覚えました。世の中が、前向きに、確かな足で、急速に動いているとの実感を得ることが出来たのは予想外の喜びでした。

 

 今回は、主に堺市に触れたのですが、さすがに、歴史と文化の奥深い薫りにしびれました。特に鍛冶職人の真摯な熱情には圧倒され、日ごろの怠惰な姿に焼きを入れてもらったように感じたのは、ひとり私だけではないのではないでしょうか。

 

 みなさんには、近間であれ遠くであれ、歴史の散策をお薦めします。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年5月19日 (金)

「江戸吟行」…灘五郷の下り酒の地を巡る!

 586回目のブログです

 

“うちしめり あやめぞかをる 時鳥 鳴くや五月の 雨の夕暮れ”
 
藤原良経
(平安末期~鎌倉初期・新古今集仮名序作者)

 

 しっとりと湿って、軒に挿したあやめ(端午の節句の菖蒲のこと)の薫がする。ほととぎすの鳴く五月の雨が降る夕暮れ時よ…。

 

 四季を詠った和歌は数えきれないほどありますが、この歌は四季歌として美しい響きとしっとりとした情感を覚えさせてくれる名歌のひとつと言われています。

 

 先日、1拍2日で東京に出向きました。学生時代の気の置けないOBが20数名、東西から集まり、産業考古学的な考察歴史散策吟詠を兼ねた、洒落た「江戸吟行」に参加したものです。

 

 吟行ですから、漢詩を吟ずるか、和歌を朗詠するか、あるいは詩を歌うかしなければならないのですが、初日は、激しい雨でしたのでそれは取りやめとなり、産業考古学の立場からの江戸歴史散策と相成りました。

 

 (1日目)東京晴海集合 ⇒ 江戸クルーズ(2時間・隅田川―明石町/住吉神社/「江戸湊」など) ⇒ 明石町周辺散策(霊岸島・新川公園・河村瑞賢屋敷跡) ⇒ 日本橋駅(煕代勝覧図絵) ⇒ 懇親会 ⇒ ホテル

 

 (2日目)深川不動尊 ⇒ 富岡八幡宮 ⇒ 昼食 ⇒ 深川江戸資料館 ⇒ 清澄庭園 ⇔ 芭蕉像 ⇒ 芭蕉記念館 ⇒ 都営地下鉄森下駅解散

 

 初日は、生憎の雨。そぼ降る春雨であれば、新国劇の月形半平太にならって“春雨じゃ濡れて行こう”という余裕もあるのですが、かなりきつい雨でしたから、そこまでは至りません。

 

 とはいうものの、江戸クルーズ、貸し切りの船で隅田川をゆったりと遊覧する気分はなかなかのものです。高層ビルの林立、多くの美しい橋、川の両岸に植えられた緑豊かな樹木、古くに掘削され造られた運河、それに加えての墨田のゆったりとした流れ、…これらのすべてが、地上から見る景色とは格別に異なって見え、江戸・東京の人達が歴史の流れのなかで、大地に根を張り、海や川に恩恵を受けてきている様子が肌に実感できました。

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 クルーズ船では、東京産業考古学会のメンバーでもあるOBが28ページに及ぶ自作の解説書をもとに、わかりやすく、ユーモアも交え、該博な知識と豊かな教養を披瀝してくれました。そのうち、記憶に残る興味ある話を記したいと思います。

 

 日本酒の名産地である灘五郷(なだごごう/神戸市東灘区・灘区と西宮市)から、上等の酒が、東下りとして、樽廻船で新川河岸に送られており、その地が「江戸湊」と言われ、周辺には、関西の地名が数多く残っている。播州明石の漁師が移り住んだという「明石町」、大阪市西淀川区佃から33名の漁師が移り佃煮をつくった「佃」、大阪の佃にあった住吉神社の分霊を祀った「住吉神社」。東西の関係の深さは海の繋がりによるもの。

 

 江戸時代の食生活は魚と野菜。調味料は、砂糖・塩・酢・醤油・味噌の5つ。江戸日本橋には全国の最上品が集結した。

 

 酒も同じことであり灘五郷の品が珍重されたのも上方の酒は美味しかったことに尽きる。「下り酒」が最上の評価を受けた理由は、精米度を上げ寒造りで「灘の生一本」としての品質を保ったこと。それには、海運の発達が貢献しており、運搬日数が短期化するほど酒の腐敗を避けることができた。また、運搬日数が「短いことは価格を抑えることにもなったのである。

 

 雑貨全般を載せるのが菱垣廻船であり酒樽専用が樽廻船。江戸時代、最初はすべて菱垣廻船であったが、樽は重いため船底に積まれ、雑貨は上に載せられる。少なくない海難事故の時は雑貨を捨てて船を守る。しかし海難の損害は組合全体で均等負担となっていた。そこで、酒樽の荷主は酒樽だけだと重心が低くなり、リスクも低く、加えて、早く荷役ができ、酒の腐敗を避けることができると考えたため、樽廻船が始まったのである。(なかなか面白い話ですね)

 

 (樽廻船オリンピック)大阪や西宮の廻船問屋が、14艘、千石船を仕立て、松の内に「新番酒船」を催し、江戸への一番乗りを競った。帆や操船術の改良などもあり、3~4日で航海したと言うから驚き。(因みに、忠臣蔵でおなじみの早水藤左エ門と萱野三平は、江戸~赤穂を早籠で丸4日と14時間かけています)

 

 その他、月島や晴海の埋め立て工事の具体的な方法などについての解説も聞きましたが、興味は尽きることはありません。

 

また、今、話題になっている「豊洲市場」を水面から見上げました。豊洲問題は「安全」と「安心」の区別ができない政局第一主義の都知事のもとで混迷を極めています。この堂々たる建物がその存在を不当に無視されているため、降りしきる雨は理不尽な世の中を悲しんでいる涙のように見えました。

 

 2日目は、天候は回復し、爽やかな風を顔に浴びながら、いわゆる深川を中心とした江戸名所を散策しました。

 

 成田山深川不動堂(深川不動尊)

 

千葉県の成田山新勝寺の東京別院。元禄16年(703)の成田不動の出開帳を始まりとします。本堂の外壁には一面に梵字が散りばめてあり見上げるものを圧倒。中には不動明王や大日如来の天井画がありますが、わたしは、珍しい簡単な心願写経を奉納しました。

 

 富岡八幡宮 

  寛永4年(1627)創建。祭神は応神天皇で、古くから庶民に「深川の八幡様」として親しまれています。境内には「横綱力士碑」「大関力士碑」「強豪関脇力士碑」「巨人手形・足形碑」「巨人力士身長碑」などが建立されており相撲との関係が深いことを窺わせます。試みに、わたしは巨人力士の身長碑と比較してみましたが、月とスッポン、釣鐘に提灯、2m30cmの大男とは端から比べ物になりません。

 

  「伊能忠敬の銅像」江戸時代の測量家である伊能忠敬は、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、銅像が建立されたそうです。

 

  深川祭は有名であり、境内には日本一大きく豪華な神輿が置かれていました。

 

 さて、ここで昼食。門前茶屋で評判の「深川めし」を軽くビールでのどを潤しながらいただきました。なかなかの美味でした。

 

 深川江戸資料館

 

江戸時代の深川の街並みを実物大で展示。一見の価値があります。

 

 清澄庭園

 

  三菱財閥の創始者である岩崎彌太郎が造園したもの。約3万坪の

  広大さを誇り「大泉水」と日本全国から集めた「名石」は見事な

  ものです。“古池や かはず飛び込む 水の音”が刻まれた大きな

  芭蕉の石碑もあります。ゆったりとした気分になれる名園だと

  思います。

 

芭蕉像(芭蕉庵史跡展望庭園)

  隅田川の遊歩道沿いにある芭蕉像。隅田川を眺めていたであろう往時の穏やかな俳聖・芭蕉の姿が偲ばれます。

 

 芭蕉記念館

 

  芭蕉に関するあらゆる資料を展示。特に人気があるのは紀行文「おくの細道」に関する貴重な資料だと言われます。江戸から奥州、そして岐阜大垣まで2,400kmの壮大な旅。学生時代に読んだ冒頭の「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」を思い起しました。ゆっくり鑑賞すべき記念館です。

 

  それにしても、江東区の芭蕉への思い入れはすごいものがあります。案内図を見ると、江東区内に芭蕉に関連する句碑が21ヶ所もありますから。

 

 これで1泊2日の江戸吟行は無事終了。1日目9,000歩、2日目11,000歩、合計20,000歩の歴史散策兼ウォーキングであり、心地よい疲れともに教養をわずかでも高めることができたことに、大いに満足しています。

 

 みなさんにも、近間であれ、遠方であれ、歴史の散策をお薦めします。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年5月12日 (金)

「非核平和都市宣言」…意義ありor意義なし! 

 585回目のブログです
 

   “自らの安全を
自らの力によって守る意思を持たない場合
いかなる国家と言えども
独立と平和を期待することはできない”
 (マキャベリ・ルネッサンス期の政治思想家)

 

 いよいよ季節もかわり、空はあくまでもパステルの青さで覆われ、皐月はそれに鮮やかな色を添え、木々は若緑あふれる情趣豊かな初夏となり、肌に汗を滲ませる毎日が続いています。

 

 このような素晴らしき自然の恩恵にあずかっているわたし達ですが、世界や近隣諸国を俯瞰すれば、危機感あふれる情勢にあることを認識させられます。

 

 特に「核」「ミサイル」の挑発を続ける北朝鮮の若き独裁者の一挙手一投足は、わが国の安全を守るという観点からすれば、それを看過することは決して出来ず、じっと凝視しなければならない日々の連続です。

 

 そんな時、70年にわたる平和ぼけのなかで、地方自治体が掲げている『非核平和都市宣言』に着目し、それについて考えてみたいと思います。

 

 日本非核宣言自治体協議会は、昭和59(1984)設立。現在、1県・189市・7区・109町・17村の合計323の地方自治体が加盟しています。地方自治体の総数は1718791市・744町・183村)ですから、非核宣言をしている自治体の率は、およそ18.8%ということになります。

 

 さて、先日、わたしが住んでいる大阪府の茨木市(人口28万人・JR大阪駅まで12)

が「非核平和都市宣言」の大きな看板を掲げていることを知っていましたので、市役所に電話し、北朝鮮の核やミサイルの実験に抗議しているのかどうかを質問しました。

 

 茨木市は、核実験などが実施された時は、市議会の決議をもって、市長名で抗議文を送付しており、広報にも記されています。たとえば、昨年度は2回。

 

  平成28(2016)17
      「北朝鮮核実験に対する抗議文」
  平成28(2016)99
      「北朝鮮核実験に関する抗議文」

 

 抗議文を読みますと、宛先は『朝鮮民主主義人民共和国 国務委員会委員長 金 正恩 閣下』『国際連合 朝鮮民主主義人民共和国 代表部大使 慈 成男 閣下』となっています。

 

 平成21(2009)から平成28(2016)までを見れば、北朝鮮、ロシア、アメリカに抗議文を送付。この間、中国の名前がありませんが、これは核実験をしなかったのか、公表しなかったのかは詳らかではありません。因みに「非核平和都市宣言」関連の担当部署は、人権・男女共生課でした。

 

 それでは、非核平和都市宣言について吟味していきましょう。

 

  【非核平和都市宣言】
世界の平和と安全は全人類の願望であります にもかかわらず 核軍拡競争はとめどなく拡大しており 私どもは生存の危機に立たされています
 
日本は世界ではじめて広島・長崎に原爆の被災を受け 今もなお数十万の人びとがその後遺に苦しんでいます 再びその惨禍を繰り返させず 人類を滅亡から救うために 核兵器の使用を許してはなりません
 
私たちは太平洋戦争の苦しみの中から世界に誇るべき平和憲法を制定しました その精神に基づき 核兵器の廃絶を世界の人びとと共に強く主張し 「核兵器を作らず 持たず 持ち込ませず」という非核三原則の厳守を政府に求めます
 
更に市民に向けて平和のための諸施策を推進することを誓い ここに「非核平和都市」とすることを宣言します
 
     昭和59(1984)1217日  茨木市
 
(この宣言は 茨木市議会が決議し 議決されたものであります)

 

 これを読んでみると、言わんとすることは理解できるとしても、時代が変わっているのに古いままだなあ、絵空事、人が善い甘ちゃんだな、との思いを覆すことはできず、違和感を拭えません。

 

 「人類を滅亡から救うために核兵器の使用を許してはなりません」と高邁な言葉が目を引きます。しかし、地方自治体が、非核平和都市を宣言し核兵器実験などに抗議を、過去数十年にわたって繰り返してきましたが、ただの1国でも核を放棄した国はありません

 

 そう考えれば「非核平和都市宣言」そのものが、効果があるのかないのか、意義があるのかないのか、意味があるのかないのか、に対する答えは自ずから明らか。残念ながら、効果も意義も意味もなかったと言えるでしょう。

 

 「世界に誇るべき平和憲法を制定しました」という言葉がありますが、これは、先日の北朝鮮の日本に対する恫喝“日本列島が沈没しても後悔するな”を聞けば、厳しい現実の世界から遊離した文言と言わねばなりません。

 

  日本国憲法前文には≪平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。…≫と記されていますが、どこにそんなに優しく立派な国が存在しますか、あれば教えてほしいものです。中国や北朝鮮などのえげつない現実を直視すれば、日本国憲法そのものが全く間違った認識を示しており、まさしく『世界に恥ずかしい偽平和憲法』と言えるのではないでしょうか。

 

  わたし達は、過去70年、甘い世界観を刷り込まされ、ユデガエル理論そのままに軟弱な動物に成り下がってしまったような感があります。これを背筋のピンとした本来の日本人にしていくには、憲法の改正、その中でも、前文と9条の根本的な改正は避けて通れません

 

  先日、安倍自民党総裁(首相)が投げかけた憲法改正指針は、あくまでもタタキ台にして、必ずや国家の防衛と繁栄に真に役立つものにすべきだと考えます。

 

 「核兵器を作らず 持たず 持ち込ませず」という非核3原則で、はたして、わが国を守れるのかどうか、安全保障の専門家や政治家は真剣に検討し、答えを出す時機に来たのではないでしょうか。

 

 ただひとつ、茨木市の名誉のために言えば、核実験について全てに抗議している点については一応敬意を表したいと思います。効果はゼロだと思いますが、やらないよりはましでしょう。しかし、つけ加えて、ミサイル(誘導弾)発射についても抗議しなければ片落ちと言わねばなりません。

 

 地方自治体としては、本来は地方自治体のテーマではない「非核平和都市宣言」よりも、身近なこと、たとえば、学校教育の充実、偏向教育の是正、いじめの根絶など、いくらでもある課題を市民とともに掘り下げていくべきだと考えます。

 

 それにしても、近隣諸国(中・北・韓・露)の厳しさと、わが国のぬるい対処を見るにつけ、冒頭に掲げたマキャベリの箴言には、身につまされます。今一度、マキャベリの箴言に目を通してみてください。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年5月 5日 (金)

「幸福度」と「平和度」…日本の恵みを考える!

 584回目のブログです

 

 “春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり”
 
            道元(鎌倉初期・曹洞宗の開祖)

 

 (詞書:本来の面目を詠ず)自然は美しいものだ。春には野や山に美しい花が咲き、夏には時鳥がさえずり、秋には月を愛で、冬には雪が降った景色が美しい。季節の移りゆく情趣を味わい、心の支えとして自然と共に生きたいものだ…。

 

 上掲の和歌は、美しい日本の四季を、道元禅師が永平寺の夜空を眺めて詠われたものです。この四季の移り変わりを心から愛で、自然を愛することが道元禅師の言われる本来の面目というものであり、とりもなおさず、日本人の心性でもあります。

 

 5月になり躑躅(つつじ)皐月(サツキ)が咲き誇るようになり、まさに、道元の和歌にある通り、花は理屈抜きにして愛でたいもの。前々回のブログに書いたように、わが国は自然環境の重視に価値を置くことではダントツの世界第1位という調査結果を見ても、これからもこの感性を大切にしていきたいものです。

 

 さる320日、国際幸福デーに「世界幸福度報告書2017」(国連)が発表されました。幸福という概念は各国人さまざま、それを単純な数字で表すことには疑義もありますが、世界の155ヶ国を対象に、下記の6つの項目で数値化したものであり、ひとつの目安と言えるかも知れません。


  人口あたりのGDP
  社会的支援
  健康な平均寿命
  人生の選択をする自由
  性の平等性
  社会の腐敗度

 

 【世界幸福度ランキング】2017

 

    1位 ノルウェー      14位 アメリカ
 
   2位 デンマーク      16位 ドイツ
 
   3位 アイスランド     19位 イギリス
 
   4位 スイス        31位 フランス
 
   5位 フィンランド     49位 ロシア
 
   6位 オランダ       51位 日本
 
   7位 カナダ        56位 韓国
 
   8位 ニュージーランド   79位 中国
 
   9位 オーストラリア    97位 ブータン
 
  10位 スウェーデン    122位 インド

 

 何を基準にするかによって数値は著しく異なってくると考えられます。デンマークが2位で日本が51位。さらに、世界幸福デーを提唱したブータンが上位に入らず、97位とは、この数値そのものに問題があり、何か釈然としないものを感じます。(小ブログ97回「平成20年“G・N・H”を考えてみよう!」でブータン王国について述べていますのでご参考ください)

 

 そこで、他の指標を見てみる必要がありそうです。

 

 経済・平和研究所(Institute for Economics and Peace)が毎年調査し、戦争、紛争、犯罪、テロ、軍事費など22項目の指標を数値化した『世界平和度指数(2016年度)では、日本は上位の9位となっています。韓国のしつこい反日攻撃や中国の尖閣沖縄略取への強引な軍事行動がなければ、3位を維持できていました。(これも、小ブログ436回「日本の評価…各種世界ランキングに見る!」で触れていますのでご参考ください)

 

 BBCによる『世界に良い影響を与えている国ランキング』(2014年度)では日本は上位の5位となっており、世界で良い印象を持たれていることが分かります。

 

 わが国をどう見るかということについて、アンドロイド(人間酷似型ロボット)研究開発の世界的第1人者である大阪大学大学院基礎工学研究科の石黒浩教授は、「幸福度指数」もさることながら、もう一つの「世界平和度指数」を見ることも大切だと述べています。

 

 『世界平和度指数』では、日本は9位に対して、フランス46位、イギリス47位、アメリカ103位、中国120位、北朝鮮150位ですから、日本の高さが際立っています。

 

 日本はどのくらい暮らしやすいかについて、世界中の国々を回っている石黒教授の論稿を引用したいと思います。4/18 ダイヤモンド オンライン)

 

 「日本のように暮らしやすい国はほかにないと実感しています。これはもう奇跡的なレベルです。とくに何がいいかと言えば、バランス。公共サービスが中途半端なところで止まっているところが素晴らしいのです。」

 

 「幸福度ランキングで2位のデンマーク。公共サービスがすごく充実していますが、その背景にあるのは貧しさです。」

 

 「デンマークのように公共サービスが重たくなり過ぎてネガティブフィードバックが起こる状態になっているわけでもないし、逆に公共サービスが手薄過ぎて、死者が出るような状態でもなく、適度なところでバランスを取っている、日本は世界でも稀有な国なのです。世界中からあこがれられている国です。」

 

 「さらに国民性として真面目で誠実、差別が少なく、貧富の差が小さくて社会がフラットなので、相互扶助の精神が行きわたっている。そんな国だからこそ、僕は世界に先駆けて“日本こそ国民全員が家族になることができる国”だと考えています。」

 

 「日本のものづくり世界一は労働を苦役としない社会ゆえ」

 

 鋭い指摘に感動さえ覚えます。わが国は、適度のバランス感覚を持ち続けなければならないと思いますが、近年は、単純なレッテル貼りが流行る世の中になっている一面もあり、多少の不安感もなしとはしません。

 

 しかし、反日、反国家、反歴史を是とする風潮も、いわゆる反日サヨク・イデオロギストの信頼低下により、わが日本を正しく見つめ直そうとの空気がやっと出始めてきたことは喜ばしい事だと思います。

 

 ただ、ひとつ心配なのはわたし達日本人の労働観。労働観とは労働をするときの心構えですが、次の2つの見方があります。


    ① 苦役(Labor
    ② 仕事(Work

 

 石黒教授が述べているように、日本人は、いままでは労働を苦役とは見做さず仕事として見做し、仕事自体に価値を認めていました。しかし、昨今の働き方改革の議論は、政府も労働界も財界も、単なる労働時間だけに目を向けていますが、それでは、労働を苦役と規定していることになりはしないかとおそれます。

 

 冒頭に掲げた道元の和歌にあるように、わたし達は、わが国の歴史が営々と築き上げてきた、わが国の“恵み”である「美しい日本の四季」「バランスのとれた自立心」「苦役ではない価値ある労働観」などを、国民こぞって大切に守り続けていくべきではないでしょうか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年4月28日 (金)

「北核への対抗策」…これが喫緊の課題だ!

 583回目のブログです

 

花の色は 散らぬ間ばかり ふるさとに 常には松の 緑なりけり”
 
         藤原雅正
(平安中期・紫式部の祖父・後撰和歌集)

 

 花の色が素晴らしいのは散らない間だけのこと。この古い里で常に私を待っている松の緑こそが真に素晴らしいものである…。

 

 桜の花は完全に散り、柔らかい緑色の葉桜の美しさを見せ始めてきました。緑と言えば松。常に瑞々しく深い緑色を湛えている松こそは、人に例えれば、ひとりの堂々とした姿を彷彿とさせてくれます。

 

 今日、人と同じように、国も凛然とした佇まいを求められるようになってきたように感じざるを得ません。

 

 と言うのも、北朝鮮(正式には朝鮮民主主義人民共和国!)が、ミサイルや核の開発を通じて、日本国に恫喝と不法行為を重ねているのもかかわらず、わたし達日本人の「平和ボケ」が依然として続き、いたずらに時間が経過して行き、北への毅然とした対処策を講じないままにあるからに他なりません。

 

 はたして、このように、なるがままにまかせ、アメリカにおんぶに抱っこ、考えることさえ放棄した戦後の70年間、…これはまさしく「ユデガエルの70年」と言うべきではないでしょうか。

 

 「ゆでガエル理論」とは、ゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することの大切さ、難しさを戒めたたとえ話。カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出しますが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルはその温度変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちに茹であがって死んでしまうという話です。

 

 しかし、過去はそうであったとしても、わたし達は、このまま「日本」と言う歴史ある立派な国を幻の過去の国にしてしまうことは許されません。そのためには、わが国の防衛、安全保障について真面目に考えることが大切ではないでしょうか。

 

 北朝鮮「日本列島沈没しても後悔するな」などと威嚇

 

  北朝鮮は21日夜、アジア太平洋平和委員会の報道官声明を発表。アメリカのトランプ政権が、北朝鮮への対応で軍事的な選択肢も排除しない姿勢を示していることについて「水爆から大陸間弾道ミサイルまで、すべてを持つわれわれは、アメリカのいかなる挑発にも対応する準備がある」「われわれの首脳部を狙う敵対勢力は、南が灰となり、日本列島が沈没し、アメリカ本土に核が降り注いだとしても、後悔してはならない」と威嚇牽制しました。
            (422日 NHK)

 

 北朝鮮は、415が金日成の生誕日であり、平壌にて軍事パレード。党副委員長は「米国が挑発を仕掛ければ、即座に殲滅的攻撃を加え、核戦争には核攻撃で応じる」と述べました。

 

 425は北朝鮮の挑戦人民軍創建85周年記念日。米国、日本、韓国などの周辺国は北朝鮮による核実験などの挑発行為を警戒し、米海軍は原子力潜水艦「ミシガン」を韓国・釜山に入港浮上させ、北朝鮮に見せつけています。「ミシガン」はトマホーク巡航ミサイルを154発という凄まじい数を搭載した米海軍最大級の原潜ですから、その威圧感は半端ではありません。

 

 トランプ大統領は、対北朝鮮において8年間全く無為無策だった民主党のオバマ大統領とは全く異なり、保有する軍事力を最大限に威圧的に使用しているのは間違いないと思われます。

 

 では、わたし達日本人は、北朝鮮の核武装、北核に対してどのように対抗策を講じればよいのか、どういう姿勢を覚悟するのかについて、色々な考えを見てみましょう。

 

(A)世界の秩序と平和のために、日本が核ミサイル攻撃を受けても
 
甘んじて受ける

 

  憲法前文の趣旨から、外国からの攻撃はないと信じるとともに
   憲法9条にもとづき自衛隊を解散し、武力を放棄し、非戦・平和
   に徹する。万々一侵略されたら、白旗をあげ、あきらめる。
  自力だけでは防衛できず、現状のまま、アメリカに全面的に頼り
   北核に反撃してもらう。(敵基地先制攻撃は不可)
   万一防衛できなければ、あきらめて死を待つ。

 

(B)日本国民の安全保護のため、世界秩序の安定のために、日本が
 
核ミサイル攻撃を受けることを許さない。甘んじて受けない。

 

  核武装への道を早急にすすめる。
  非核3原則「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」を廃し
 
   「持ち込ませず」を削除。そのうえ、アメリカとの「核シェア」
 
   を行い、実質的には核保有国として臨む。
  ※いづれにしても、防衛予算の現行GDP比1.0%を修正し、
   1.5%へのアップを段階的に図る。

 

 朝鮮半島が、異常に緊迫した情勢にあり、わが国の安全は、場合によっては風前の灯と言えるかも知れません。わが国の周辺は、中国・ロシア・北朝鮮が核武装国家であり、中国・北朝鮮・韓国が永きに亘り徹底した反日国家であることを認識すれば、甘い対応、緩い対抗策ではどうにもならないでしょう。

 

 わたしは(B)の②と③が現実的に見て緊急な対抗策だと考えます。核を持つのが理想かも知れませんが、そうすれば、中国、アメリカ、ロシア、欧州まで敵にまわしてしまいます。であれば、ヨーロッパの核兵器を持たないベルギー、イタリア、ドイツ、オランダがアメリカと結んでいる仕組みにならって、わが国も、ニュークリア・シェアリング(核の共有)をはかるべきだと思います。

 

 「核シェア」(ニュークリア・シェアリング Nuclear Sharing)とは、日常的にアメリカの核を使って訓練を行い、一朝、有事の際には、そのアメリカの核を使って反撃できることを言います。

 

 これであれば、アメリカや欧州から文句は出ず、わが国は、アメリカの核兵器を利用することになり、中国の武力的威圧に対する抑止力となり、毅然と対峙できるのではないでしょうか。

 

 国政に携わる政治家には、周辺国からの脅威、特に北の核、中国の尖閣・沖縄侵略に対してどう対処すべきかについて、真剣に考えて欲しいもの。

 

 しかしながら、残念なことに、一部の政治家はとんでもない言動(言葉と行動)を繰り返しています。
 ・武藤貴也
(自民党・滋賀4区)未公開株金銭トラブル
 ・宮崎謙介
(自民党・京都3区)育児有給休暇不倫
 ・務台俊介
(自民党・長野2区)東北被災地おんぶ視察
 ・中川俊直
(自民党・広島4区)不倫セクハラ
 ・小西洋之
(民進党・千葉・参)「テロ準備罪成立したら国外亡命」
 ・今村雅弘
(自民党・比例九州)「東北大震災、東北の方で良かった」

 

 そのほか、あるはあるは。今、わが国が大変な事態のど真ん中にあるという意識が皆無であり、精神状態は緩みっぱなし、あまりにも低次元で言葉もありません。政治家の前に、人間であり、日本人であってほしいと切に願うところです。

 

 喝! もっと真面目になりませんか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年4月21日 (金)

「自然環境の重視」…素晴らしき日本人の価値観!

 582回目のブログです

 

 “見るままに 花も霞も なかりけり 春をおくるは 峰の松風”
 
      藤原良経
(平安末期~鎌倉初期・新古今集仮名序作者)

 

 みるみるうちに櫻の花も霞もなくなってしまい、峰を吹く松風のみが春を送っている…。

 

 ついこの間の満開を楽しんだばかりなのに既に散ってしまうとは、これは毎年のことではありますが、何と淡くて儚い盛りだなあと自然のあわれを感じざるを得ません。

 

 桜と言えば、韓国にもあり、今、その起源や原産地が韓国だと言う主張が喧しくなされています。世界の事物の始まりは韓国だという韓国起源説(ウリナラ伝説)が韓国内に広く流布していればこそ、桜も当然韓国の原産ということになるのでしょう。しかし、韓国では、桜をモチーフにした文学や料理、芸術は全く痕跡がなく軽んじられてきたことは疑いもありません。

 

 昭和20(1945)以前は、桜は日本の代表的な花と考えられ、朝鮮半島の各地に植えられ、それなりに観られていましたが、日韓合邦から解放されるや、逆に、日本の代表的な花であるがゆえに、韓国人の手により、伐採されてしまいました。戦後は在日の人々が韓国に桜の木を贈り、今や美しい花を咲かせ、韓国民の目を楽しませています。

 

 しかし、これが日本原産の花であるならば心から楽しむことが出来ず、韓国原産であれば大手を振って楽しめるという心情のようであり、その意味で、昨今、桜は韓国が原産だとの主張を強め、何としても桜を愛でることを正当化したいと考えているのではないでしょうか。

 

 いやはや、こんなひねくれた心情は理解に苦しみますが、韓国の中にもこのことに苦言を呈している人がいます。たとえばジャーナリストの崔碩栄氏などは、民族が違ったとしても、美しいものを見ては美しいと思い、それを愛でればいいではないか、「原産地」や「起源」よりも、その対象を認め、評価し、愛してきたのかということの方が、よほど重要な問題に思えてならない、と述べています。(4/13 WEDGE REPORTより)

 

 これは、歴史的な国民性、民族性によるものではないかと考えます。わたし達日本人は、世界中の花々の中で、原産地が自国であろうが他国であろうが、美しいものは美しいと評価し、純粋に愛でているのではないでしょうか。日本人は、古より自然を愛し、その中に奥ゆかしい「美」を感じ、それを和歌、俳句、絵画、小説、随筆、陶芸、その他のあらゆる芸術において崇高に表現してきました。

 

 ここで、わたし達日本人が、それほど意識していないことかもしれませんが、最も重視している価値観が「自然環境の価値」であるという世界的な調査結果がありますので見てみましょう。世界の異なる国の人々の社会文化的、道徳的、宗教的、政治的価値観を調査するための「世界価値観調査(World Values Survey)のデータです。

 

 【自然環境の価値の相対的重視度世界ランキング(60ヶ国中)

 

    1位 日本       1.71
 
   2位 オランダ     1.46
 
   3位 スウェーデン   1.39
 
   4位 ニュージーランド 1.36
 
   5位 スロベニア    1.35
 
   6位 台湾       1.34
 
   7位 ルーマニア    1.33
 
   8位 オーストラリア  1.31
 
   9位 スペイン     1.31
 
  10位 エストニア    1.30
 

   22位 中国       1.22
 
  25位 アメリカ     1.20
 
  26位 ドイツ      1.19
 
  34位 韓国       1.14
 
  39位 ロシア      1.12
 
  46位 インド      1.07
 
  60位 チュニジア    0.86
 
 
4/12 DIAMOND online 本川裕氏論稿より)

 

 これを見れば、日本人は、自然環境の価値を最も重視しており、2位のオランダを圧倒し、ダントツの1位にあることが分かるとともに、日本文明の特徴のひとつがこのことであるとすれば素晴らしいの一言につきます。

 

 さらに「自然は支配すべきものか、共存すべきものか」との設問に対して、日本は96.1%の人が「自然とは共存すべきだ」と答えており、これも世界でトップですから、自然環境に対する思いのほどが理解できるでしょう。

 

 このわたし達日本人の感性は、一朝一夕に持ち得たものではなく、縄文以来、日本列島での度重なる自然の災厄を、共に手を携えながら克服してきた経験の積み重ねを知恵として、永い歴史の中で育まれてきたものではないでしょうか。

 

 しかし、わたし達はそこまでの意識を明確にしているのかどうか、多発する自然環境の破壊などを耳にするにつけ、疑問なしとはしません。

 

 そうとすれば、現代に生きるわたし達は、今いちど、この問題を真剣に考え、先人が培ってきた麗しい歴史のバトンを次世代に引き継ぐ努力が必要ではないかと思います。

 

 大正11(1922)、天才物理学者のアインシュタイン博士が来日、わが日本の印象を次のように記しています。(伊勢雅臣氏論稿「来日したアインシュタインを感動させた神秘の国ニッポン」より)

 

 “日本では、自然と人間は、一体化しているように見えます。…

 

 この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じてあたえられたものと密接に結びついています。

 

 かわいらしいのは、小さな緑の島々や、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、そして人びとが使用しているあらゆる家具等々。

 

 …どの小さな個々の物にも、そこには意味と役割とがあります。そのうえ、礼儀正しい人びとの絵のように美しい笑顔、お辞儀、座っている姿にはただただ驚くばかりです。しかし、真似することはきません。”

 

 わが国の基本は「和をもって貴し」としてきました。自然と人間が一体化している姿こそがわが国に相応しいものであり、そのためには、日本の自然環境は、単なる物質ではなく、偉大なる生命そのものである考えるべきではないでしょうか。

 

 

 みなさんは自然環境についてどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年4月14日 (金)

「安全」か「安心」か…再び問う!

 581回目のブログです

 

    人間の意見なるものが
 
    いかに偽りに満ち
 
    いかに誤った判断でゆがめられているかは
 
    あきれ返るほどである
 
     (マキャベリ・
ルネッサンス期の政治思想家

 

 49日の日曜日は、桜も最後の観ごろと思い、近くの万博記念公園に赴き、満開をほんの少し過ぎた光景と、ひらひらと花びらの舞い散る落花の風情を楽しむことが出来、何となく心の落ち着きを覚えたところです。

 

 わが国では、花と言えば(正字では。淡い色の花びらが慎ましやかに誇っているのもごく短く、それであればこそ、儚くて繊細なもののあわれを感じてしまいます。まさに春は春、今年こそは穏やかな春が続いて欲しいと願うのみです。

 

 そうは言っても、国際社会は、そんな穏やかな風景とは大きく異なり、周辺のアジアだけではなく、世界のいたるところで、一触即発の危機にみまわれていることは連日のニュースで周知のことだと思います。

 

 ところが、わが国内では、相変わらずの森友学園問題を引きずるとともに、東京豊洲の問題がぐちゃぐちゃになったままに時は過ぎていき、空疎な議論があてどもなく流れている感があります。もう、いい加減決着をつけ、次のステップに進むべきでしょうし、もっと重要なことに目を向けることが肝要ではないでしょうか。

 

 ここで、再度、豊洲の問題を考えてみましょう。膠着状態にあるのは、何と言っても「科学的な考え方」を欠いた対応に尽きると考えています。そして、一言で言って「安全」と「安心」の言葉を神棚に祀りあげてしまい、論理と議論を封鎖してしまっていることにあります。

 

 「安全」・「安心」というキーワードは、同じ意味を持つものではなく、全く異なるものだとの認識が必要です。

 

 「安全」: 客観的事実(ロジック)   物理的 評価可能
 「安心」: 主観的感情(エモーション) 心理的 評価不可能

 

 どのような場面であっても、わたし達の生活のなかでは、安全かつ安心であればそれに越したことはありません。しかし、たとえ安全だという客観的なデータがあったとしても、自らの思い込み、メディアや政治家の扇動、あるいは風評や噂などによって、わたし達国民は不安な気持ちにさせられ、心理的に安心することができないこともあります。

 

 科学で決着でき得るものが「安全」であり、でき得ないものが「安心」です。本来ならば、安全であれば安心すればいいのですが、わたし達は、社会や政治への甘えと不信から不安を持ち続けることで自らを曖昧にしようとしているのかも知れません。

 

 1月の豊洲新市場の地下水モニタリング調査で、最大で環境基準値の79倍のベンゼンやシアンが検出。これまでも、盛り土問題や地下空間(地下ピット)問題もあり、メディアは大騒ぎし、都民は不安にかられていましたから、79倍という数字に一層驚いたものと思います。

 

 しかし、考えても見てください。豊洲市場の飲料水・清掃水は、この地下水を使用するのではなく、水道水を使用するのですから、盛り土も地下ピットも地下水も何ら関係なく、安全そのもの。また、わが国の水道水は、大気汚染の改善、化学物質汚染の防止、残留性有機汚染物質の製造使用抑制、水質の著しい改善などにより、今や最も安全な水と言われていることも認識しておかなければなりません。

 

 さらに、ここで問題とされた地下水の環境基準値は、大人が70年間、毎日2リットル飲み続けて健康を害する人が出るか出ないかという値であり、人間にも、生鮮食品にも全く問題はなく、何らの影響もありません。

 

 ここまで「安全」なデータが出た以上は、東京都の行政責任者である都知事は、得意の発信力、派手なパフォーマンスを駆使して、次のことを行うべきではないでしょうか。

 

 「客観的な安全性」をもとに“安全宣言”を発し、
  都民
(消費者・利用者)に「安心感」を与え、
  事業に関する情報を開示・説明する。

 

 ところが、324日、小池都知事は都庁内に「市場のあり方戦略本部」を立ち上げ、いまさらながら、市場の将来的なあり方などを協議し、築地への回帰か、豊洲への移転か、を決めたいとしていました。

 

 そして、つい先日「市場問題プロジェクトチーム」が築地再整備案(豊洲は解体し土地を売却)をぶち上げ「市場のあり方戦略本部」は都知事の意向をふまえ、その案も前向きに検討していくとしました。そして、築地市場の地下の汚染状態はこれから検査するようです。

 

 どうなっているのでしょうか。組織は屋上屋を重ね、今から、築地再整備を検討! そして、何と今から、築地の地下汚染度を測定!とは。

 

 この実態を見れば、豊洲・築地の問題は純粋な政治問題では決してなく、政略マターであり、政争そのものであり、次の都議会議員選挙がらみ、そして新たな利権争奪の次元に陥ったと見るべきかも知れません。

 

 小池都知事は、豊洲の客観的な事実(データ・論理)は理解できていると信じます。それでも、決断ができないのは主観的な感情(エモーション)が自らに湧き出てこないからとしか考えられません。

 

 脳科学の視点から見れば、脳に障害があり、ロジカル(論理的)な判断はできても、エモーション(感情)を感じられない患者は、決断そのものができないそうです。

 

 まさか。小池都知事ともあろう大物政治家が決断できないのは、おそらくできないのではなく、しないのであり、それは政略上からのやり口だと思いたいものです。政治家のほとんどは、もっぱら権力の増大を追及し、公よりも私、ですから。

 

 それにしても、客観的事実として「安全」ならば、都民のため、都のため、国のため、速やかに決断を下すべきではないでしょうか。それが「安心」にも繋がると考えます。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年4月 7日 (金)

“ギスギスした世相”…心に潤いを!

 580回目のブログです

 

 “謙虚な人は誰からも好かれる。
 
   それなのにどうして、謙虚な人になろうとしないのだろうか”
 
               トルストイ(ロシアの文豪)

 

 やっと穏やかな春となってきました。関西では今週末頃には桜も見ごろとなり、桜の名所には多くの人が“花見”と称して訪れ、目の保養を兼ね、飲んだり食べたりして、終日、和やかに、わいわいと語らうものと思われます。

 

 わが国の二大自然風物と言えば、間違いなく「富士山」「桜」ではないでしょうか。この二つを嫌いな人、好きでない人を聞いたことも見たこともありませんから。

 

 しかしながら、最近の世相には、穏やかな春の季節の雰囲気とは大きく違い、何か異質なものが見えて仕方ありません。西条八十の有名な詩「帽子」をもじってみます。

 

  母さん、あの“慎ましさ”は、どうしたんでせうね?
 
  ええ、これまでは電車の中でもよく見られたあのやりとりですよ。
 

  母さん、僕は、あの“謙虚さ”は好きでしたよ。
 
  そう、若者が老いた人に席を譲り、老人はそれに感謝する姿を。
 

  母さん、ほんとにあの“誠実さ”はどうなったでせう?
 
  その傍らに咲いていた百合の花はもう枯れたでせうね。そして、
    今夜あたりは、つやつや光った美しい言葉に、
 
  冷たい雪がつもっているでせう。
 
  その三文字を埋めるように、静かに、悲しく、寂しく。

慎み深さ、謙虚さ、誠実さは、今まではここかしこに、いたる所に見られた麗しい現象ですが、最近は心の潤いがすくなくなってきたのでしょうか、電車の中での乾いた心のやり取りを目にすることもあります。

 

 その最も適切な例として、先日、ネットに投稿されたエピソードを紹介しましょう。あまりにも出来過ぎているので、あるいは創作かなとの疑いもほんの少しありましたが、一応きちっとした欄ですので、真実のこととして引用します…。

 

 老人「席を譲るって習わなかった?」
 
       ⇒ 幼児の切り返しに凍りつく

 

  都営バスの車内で起きた出来事を、Twitterユーザーさんが報告。

 

  お年寄りが幼児に「お年寄りには席を譲ろうって習わなかった?」
と言ったという。
それを聞いた幼児は「習わなかった」と答えたようだ。
見かねたOLがお婆さんに席を譲ったのであった。

 

  これを見ていた幼児は・・・。
お婆さんに「人から親切にされたらありがとって言うって
 
習わなかった?」と言ったのである。
幼児の鋭すぎる指摘だ。

 

  これには、何も言えなくなってしまったお婆さん。
親切にされたら「ありがとう」と言う心を持ちたい。
          (2017.03.31 MAG2NEWSより)

 

 強烈なエピソード。幼児も幼児なら、お婆さんもお婆さんですが、幼児はまだおさなくこれから学んでいくことでしょうが、お婆さんは完全に一本取られてしまいました。

 

 しかし、これは一本取られたという話ではなく、このお婆さんが、日ごろ、感謝の言葉、ありがとうという言葉を、家族や近隣の方や世の中の人に掛けていないことを示しています。

 

 子供は親の背中を見て育つと言います。この幼児がお年寄りに席を譲らなかったのは、そのような大人の姿を見たことがなかったからではないでしょうか。

 

 今日では、政治家を見ても、マスコミを見ても、自らを謙虚な姿勢で発信するよりも、自分がいかに優れているかを、くりかえし繰り返し、つよく強く発信しようとする人ばかりのように思えてなりません。

 

 また、日本の歴史的な宝ともいうべき皇室のことを論ずる時でも、ガサツで無遠慮で慎み深さ、謙虚さ、誠実さを欠いた声高な人がマスコミをにぎわしていることが見受けられますが、これは極めて遺憾と言わざるを得ません。

 

 そして、他人の失敗には極めて厳しく、弱者には惻隠の情さえ示さない、酷薄の心と荒んだ精神の持ち主が増大しているように思います。

 

 これらの世相は、国家社会のリーダーが持つであろう「理想」「志」を喪失している社会を、鏡のように反映しているのではないかと考えています。マスコミや政治家がいまだに森友学園問題をわが国の最大のテーマとして劇場型パフォーマンスを演じているのは、その理想が低く、志が弱まっていることを証明しています。はたして、このままでいいのでしょうか。

 

 今、中国という覇権型共産党独裁国家、北朝鮮という核・ミサイル保有の個人独裁国家、韓国という基軸なき反日混迷国家、この3ヶ国が、わが国周辺で猛威を奮っており、まさしく未曽有の“危機”が立ちはだかっていることを認識しなければなりません。

 

 旧制大阪高等学校の全寮歌に“城南高し三層楼 籠もれる理想を誰か知る 美酒玉杯に耽りたる 偸安(とうあん)の世を低く見て 文を学び武をば練る 五百の健児君見ずや”という一節があります。

 

 このなかで使われている言葉に「偸安」という日ごろ目にしない漢字があり、この言葉の意味は…。

 

  【偸安とうあん)
目先の安楽をむさぼり、将来のことを考えないこと

 

 わが国、日本のリーダーには、ぜひとも、偸安(とうあん)の世に流されず、国家、国民のために力を尽くしていただきたいと願うばかりです。

 

 そうなれば、おのずから、上掲のような幼児やお婆さんはいなくなり、心の潤った穏やかで謙虚な世の中になるのではないでしょうか。

 

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年3月31日 (金)

“狂騒のマスコミ”…森友学園騒動に見る!

 579回目のブログです

 

     「松島」   釈 南山
 
   天下有山水(天下山水有り)
 
   各擅一方美(おのおの一方の美をほしいままにす)
 
   衆美帰松洲(衆美<
しゅうび>松洲<しょうしゅう>に帰す)
 
   天下無山水(天下山水無し)

 

 山水と言うに値する景勝地は至るところにあり、それぞれ、その地で美しい景観を誇っているであろう。しかし、それらのすべてをまとめたような素晴らしい景観を呈しているのがここ松島であり、松島の他に山水無し、と言っても決して過言ではないだろう…。

 

 松島は、東日本大震災のあとでも、その景観を美しく誇っているように思えます。しかし、それから6年も経っているにもかかわらず、被災地の復興は道半ば、避難されている方も、いまだに123千人(平成292月現在)という大勢の方々であることを、わたし達日本人は認識する必要があるでしょう。

 

 国難は、震災だけではなく、防衛、外交、経済などあらゆる場面に横たわっており、わたし達日本国民は、上下こもごも、全ての分野にわたり、絆をより強くして事に当たらなければ、この難局を乗り切ることは難しいと言わねばなりません。

 

 しかしながら、TV、新聞、などのマスコミに目を向ければ、今や、連日の如く「森友学園騒動」に真っ逆さま、まさに「狂騒」の事態を演出しており、大所高所の議論はそっちのけ、このままでいいのかの素朴な疑問を持たざるを得ないのです。

 

 森友案件は、ベースはそんなに複雑なものではなく、関西の人であればよくわかるように、企業で言えば総務部マターであり、八方丸く収まっていたものが何かの手違い(無知な政治家の勇み足)で枠組みが崩れたということに尽きるのではないでしょうか。薮をつついて蛇が出てきたというべきでしょう。

 

 それを、東京のメディアが朝から晩まで、自らが理解できていない事の本質に迫ることは決してしようとはせず、政局と政争にからめて、無責任に周辺で一層騒ぎを大きくしているに過ぎません。

 

 それは、次の事実を知ればはっきりします。同じ国有財産です。

 

 (野田中央公園用地)平成22年、森友学園の隣地9492を近畿財務局は豊中市に142300万円で売却。しかし、さまざまな国の補助金が14262万円つけられ、実質の購入価格は、何と21243000ということになりました。

 

 (森友学園小学校用地)平成28年、野田中央公園の隣地8770を近畿財務局は95600万円と査定、地下埋設物撤去費用を約8億円と算定、森友学園に13400万円で売却しました。

 

 これらを比較すれば、①が正常とすれば②も正常、というよりも、見方によれば②の方が、面積も小さく価格も高すぎると考えても不思議ではありません。

 

 マスコミのニュースの取り上げ方は異様な感じがします。森友も豊洲の問題も、センセーショナリズムを排除し、もっと冷静に報道してもらいたいと思います。

 

 冷静さを欠いた報道はとかく偏向となりやすく、時には捏造に繋がることもあります。報道は、あくまでも事実を根底に、公平さと中立性を失わない立場で行うことが大事ではないでしょうか。

 

 捏造は悪。国益を大きく損壊させるような朝日新聞の従軍慰安婦記事捏造などは論外としても、テレビでも過去において捏造は頻繁に起きています。これも、イデオロギー偏重、視聴率至上主義、上から目線、倫理感の欠如、公感覚の喪失などに起因すると思われます。ここで、一つの例として、TBSの捏造をほんの一部振り返ります。

 

 平成元年(1989)坂本弁護士一家殺害前、坂本氏インタビュー未放送映像をオウムの早川・上祐・青山に見せ一家惨殺の引き金になる。

 

 平成6(1994)松本サリン事件で「サリンは農薬から簡単にできる」と報道し、第一通報者を犯人に仕立て上げる。

 

 平成14(2002)NEWS23」で、筑紫哲也が「拉致被害者の過失は“日本人”に生まれてきたこと」と驚くべき反日発言。

 

 平成15(2003)石原都知事「日韓併合を100%正当化するつもりはない」発言を「100%正当化する」と逆に捏造。

 

 平成18(2006)NEWS23」で、ハイド米下院国際関係委員長が「靖国神社に行くべきではないと強く思っている」と語ったと捏造。実際の発言は「行くべきでないとは思わない」と真逆だった。

 

 平成18(2006)安倍晋三氏のイメージダウンを狙い「イブニング・ファイブ」731部隊特集の冒頭、全く無関係の安倍氏の顔を3秒間も放映。

 

 平成24(2012)重ねて安倍晋三氏のイメージダウンを狙い、「朝ズバッ!」NHKアナウンサー痴漢事件で全く無関係の安倍晋三氏の顔をサブリミナルした。(サブリミナル手法とは、視聴者に分からないように映像をワンカット忍ばせ、潜在意識に自然に植え付けようとする悪魔の手法)

 

 あるはあるは、いくらでも捏造のデータが出てきます。それでも…。

 

 【各メディアへの信頼度100点満点)
    NHKテレビ   69.8(点)
 
   新聞       68.
 
   民放テレビ    59.
 
   ラジオ      57.
 
   インターネット  53.
 
   雑誌       44.
 

 2016年メディアに関する全国世論調査・新聞通信調査会)

 

 という具合に、いまだに日本人はメディアに高い信頼を寄せています。毎年すこしづつ信頼度は落ちていますが、わたし達はお人好しなんでしょうか、マスコミがあれだけ問題を露呈しても、結構高い数字であることに驚きを隠せません。

 

 今回の森友学園騒動を見ても、マスメディアは、周辺を含めた事実の確認を怠り、タブーには一切切り込まず、事を煽りに煽り、政争や政略にからめ、偏向報道にまっしぐら…これはまさに「狂騒」「狂奔」の姿を露呈していると言わねばならないのではないでしょうか。

 

 今、わが国は大変な岐路に立っています。そのことに静かに思いを馳せる報道、メディアを期待したいと思っている時、わが意を得たりの新聞論稿を目にしました。

 

 「最近の日本の政界やメディアを見ていて、異様に感じることがある。それは、国会でもメディアでも、国政の本質ではない目先の政争問題が大々的に扱われ、例えば北朝鮮の核・ミサイル問題などわが国の安全や主権の危機が、一過性の出来事のように軽く扱われていることだ。そのような対応の結果が、今の北朝鮮絡みの深刻な状況を生んだのではないか…」(3/28 袴田茂樹 新潟県立大教授 産経 正論欄より抜粋)

 

 もう、狂騒から目を覚ましませんか。

 

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年3月24日 (金)

“軍事アレルギー”…日本学術会議声明案に見る!

 578回目のブログです

 

 “深山には なべて木の芽の 春の世も 松を残して 積もる雪かな”
 
              三条西実隆
(室町~戦国時代・公家)

 

 この山深いところでは木の芽がふくらみ、春の訪れを見せているが、松には青葉を隠して雪が残っており、春の気配に取り残されているようだ…。

 

 いよいよ春も本番を迎えつつあり、気温も日々暖かくなってきています。それでも、上の和歌にあるように、頭に雪をかぶり、春を今か今かと待っている“松”の木の姿もあります。

 

 これが、松であるからこそ、趣があろうと言うもの。しかし、世の中には、待っても待っても、全く変化を見せない旧態依然、現実無視、頑迷固陋な人々がおり、これは風情を通り越して悪臭を漂わせる存在だと言えましょう。…その一例が、日本学術会議という摩訶不思議な組織です。

 

 日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24(1949)、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立。職務は、①科学に関する重要事項を審議しその実現を図ること。②科学に関する研究の連絡を図りその能率を向上させること。となっており、我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の科学者を内外に代表する機関です。

 

 この日本学術会議が物議を醸しています。

 

 学術会議、軍事研究禁止の方針継承へ 検討委が声明案

 

  安全保障と学術の関係について検討してきた日本学術会議の検討委員会が、軍事研究を禁じる従来方針を継承する新たな声明案をまとめていることがわかった。声明案は、軍事的な安全保障研究について「学術の健全な発展と緊張関係にある」とし、政府による研究者への介入が強まることへの懸念を打ち出す内容になっている。
           
2017/3/6 朝日新聞デジタル一部抜粋)

 

 この問題について考えてみましょう。

 

 日本学術会議は、昭和24(1949)の設立以来70年にもなろうとしていますが、一貫して軍事研究を拒否してきました。安全保障 ⇒ 防衛力 ⇒ 軍事力 ⇒ 戦争 ⇒ 大東亜戦争(太平洋戦争) ⇒『悪』という連想で、まさしく憲法9条教と同じメンタリティだと言わざるを得ません。世界が文明的な大変革の時代に突入しているにもかかわらず、何と70年間、金科玉条、不磨の大典、拝跪、一文字も変えない姿は、まるで異星人を思わせます。

 

 今、たった今、北朝鮮のミサイルが日本海に連続して着弾、中国がわが国の領土・領海・領空を連続的に侵犯している中で、学者が国民の生命と財産を守るための防衛庁からの研究委託を戦争の為と決めつけ拒否するなんて、まさに世界の笑いもの。普通の地球人とは思えない発想、GHQ・マッカーサーによる学者への洗脳(反戦・反日・左翼思想)70年間、まったくそのまま残っているという不思議さに驚きを隠せません。

 

 現代社会では、防衛用と民生用を純粋に区別することは不可能です。軍事技術から民生用に転用されたものを、一部ですが拾い上げてみましょう。

 

     ・インターネット
 
・パソコン
 
・IC(集積回路)
・光ファイバーケーブル

 
・携帯電話
 
・デジタルカメラ
 
・腕時計
 
・ティッシュペーパー
 
・缶詰
 
・電子レンジ
 
・テレビゲーム
 
・カーディガン
 
・トレンチコート
 
・GPS(グローバル・ポジショニング・システム)
・補償光学

 
・ロケット
 
・原子炉

 

 民生用と防衛用のどちらにも利用できる技術のことを、軍民両用技術「デュアル・ユース・テクノロジー」(dual-use- technology)と言いますが、現在では、防衛用と民生用との境目が益々薄れてきていることを認識しなければなりません。たとえば、下記を見れば納得いくでしょう。

 

     ・ロボット
 
    ・AI(人工知能)
 
    ・通信
 
    ・自動運転
 
    ・高機能複合材
 
    ・……

 

 防衛整備庁が学界に求めている研究テーマの例

 

     光学センサーの高感度化
 
レーザーシステム用光源の高性能化
 
再生エネルギー小型発電
 
高出力電池
 
音響・可視光以外の水中通信
 
サイバー攻撃自動対処
 
遠隔作業を円滑化する触覚・力覚
 
昆虫、小鳥サイズの小型飛行体
 
水中移動を高速化する流体抵抗低減
 
D造形による軽量で高耐熱性を持つ材料
 
 
3/17 日経ビジネスオンライン一部抜粋)

 

 これらの研究テーマを見れば、もはや、防衛軍事用とか民生用とかの区別が不可能なことは中学生でも容易に理解できるはずです。これらの最新技術は、防衛装備の高度化に欠くべからざるものであり、今、わが国を虎視眈々と狙っている周辺の独裁国からわが国を守る大きな要素だと言えるのではないでしょうか。そして、民生にも大きく貢献することは間違いなく、民間企業も口から手を出すほど待ち望んでいると思います。わが国は“科学立国”だということを絶対に忘れるべきではありません。

 

 世界各国は、今、官民一体、軍民一体となり、国益の追求にまっしぐら。悠長なこと、のんびりしたことを言ってはおれず「産・官・学・軍・報」はお互いに協力して、日本の進運に貢献すべきではないでしょうか。自衛隊を継子扱いにするのはもう止めましょう。

 

 それにしても、日本学術会議の姿勢は嘆かわしい限り。早速にも、法政大学や関西大学は防衛省からの研究委託を認めないそうですから、何をかいわんや。日本国の防衛に協力しない大学には、国からの援助である「私立大学補助金(平成27年度3174億円)を出すべきではなく、また、国公立大学は、当然、積極的に研究に参加すべきことは言うまでもありません。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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