2017年10月20日 (金)

総選挙と杜甫の詩!

 608回目のブログです

    『春望』     杜甫

   国 破 山 河 在 (国破れて山河在り)
   城 春 草 木 深 (城春にして草木深し)
   感 時 花 濺 涙 (時に感じては花にも涙をそそぎ)
   恨 別 鳥 驚 心 (別れを恨んでは鳥にも心を驚かす)
   烽 火 連 三 月 (烽火三月
<サンゲツ>に連なり)
   家 書 抵 万 金 (家書万金にあたる)
   白 頭 掻 更 短 (白頭掻けば更に短く)
   渾 欲 不 勝 簪 (すべて簪
<シン>に勝へざらんと欲す)

 

 戦争によって首都が破壊されても、自然の山や川は昔のままかわらずにあり、荒廃した城内にも春がきて草や木が深々と生い茂っている。この戦乱の時代を思うと美しい花をみても涙が落ち、家族との別れを悲しんでは、鳥の鳴き声を聞いても心が痛む。戦火は何ヶ月も続いており、家族からの手紙は万金と同じぐらい貴重だ。白髪の頭を掻くと髪はますます短くなって、冠をとめるためのかんざしも挿せそうにないほどである…。

 

 「春望」は杜甫のもっとも有名な詩のひとつです。杜甫712-770年、中国盛唐の詩人であり、中国では最高位の詩人として、李白の「詩仙」に対して「詩聖」と呼ばれており、杜甫の漢詩はわが国でも愛唱されています。

 

 「国破山河在」(国破れて山河在り)は、杜甫としても苦渋に満ちた内面を文学的に見事に表現し、永い歴史の風雪に耐えた古典として、わたしたち現代人にも深い感動を覚えさせているのではないでしょうか。

 

 わが国は、国際的な戦いとしては、白村江の戦い、元寇、文禄・慶長の役、大東亜戦争などがありますが、国が破れるということは極めて悲惨でもあり、どのような事態においても、国を守ることは最も大切なことと言わねばなりません。

 

 さて、昨今、わが国を取りまく国際情勢で最も注目しなければならないのが「北朝鮮問題」であることに異議をはさむ人はいないでしょう。数年前から、緊迫の度合いが急速に増してきており、今や、米国に届くICBM、核兵器(原水爆)、細菌兵器、サイバーテロ、などあらゆる軍備が最高レベルに達しようとしていることは間違いありません。

 

 これを成り行きに任せて野放しにするのか、それとも、軍事的手段を講じてでも一定の歯止めを効かせようとするのかが問われているのです。

 

 わが国にとっては、北朝鮮は隣国、同民族の韓国も隣国。第2次朝鮮動乱(朝鮮戦争)がいつ生じてもおかしくない段階に来ているとすれば、それを「危機のクライマックス」(有事)として捉え、いざという時国民がまとまることが必至とならざるを得ないのではないでしょうか。

 

 そのためにあるのが今回の総選挙です。マスコミは、この総選挙を大義なき選挙として罵詈雑言を浴びせていますが、その一例を大前研一氏の論稿から引いてみましょう。(PRESIDENT10/16)

 

 「総選挙に表われた安倍首相の“卑怯な本性”」「これぐらい卑怯な解散は憲政史上初めて」「経済重視の仕事人内閣と嘯いた」「安倍一強体制で蔓延ってきたのが“忖度政治”である」
 

 「“僕難突破”の冒頭解散」「“政治主導”“官邸主導”と言えば聞こえはいいがイエスマンで幹部官僚を固めた。その歪んだ忖度政治が森友・加計の問題だ」「アベクロバズーカで国債を乱発、100兆円規模の予算を組んで赤字を垂れ流し」
 

 「“何とかチルドレン”のお粗末な行状にはうんざり」「憲法9条に第3項を書き足すようなその場しのぎの“加憲”や“改憲”ではなく“創憲”だ」

 

 いやはや、えげつない言葉の連発。卑怯な本性・卑怯・嘯く・蔓延る・国難突破⇒僕難突破・忖度政治・乱発・垂れ流し・行状・その場しのぎ。…まさに、オヤジギャグを含む感情的発言の連発ですから、大前研一氏の品性を問いたいと思います。僕難突破」を初めて目にしたときは全くその意味が解らずプレジデント誌の誤植かと思ったのですが、何とオヤジギャグ。これで時事評論とは、何とも痛々しい現象です。

 

 大前研一氏は上から目線で安倍首相を誹謗中傷していますが、安倍首相の内心の権力的な目論見はどうであれ、国際情勢の緊迫度から言えば、これほど大義ある選挙は戦後初めて言っても言い過ぎではないと考えます。

 

 来月にはトランプ米大統領が来日し、急迫する東アジア情勢で極めて重要な極秘の話し合いがなされるはずです。そして、国民の生命と財産と名誉を守らなければならない安倍首相は、北朝鮮の姿勢如何によっては、年末から来年にかけて生じるかも知れない超厳しい局面を想定して事態に対処しなければなりません。これは戦後70年、カエルの楽園を満喫してきた時代から「歴史的な転換点」を迎えたことを示しています。

 

 そう考えれば、権力ある政治家が解散権を最高度に有効活用しようとするのは当然であり、やって当たり前ではないのでしょうか。イタリアの政治思想家マキャベリは「必要に迫られた際に、大胆で果敢であることは思慮に富むことと同じと言ってよい。国家の指導者たるものは、必要に迫られてやむを得ず行ったことでも、自ら進んで選択した結果であるかのように思わせることが重要である」と述べています。

 

 はっきり言って、今回の総選挙(衆議院議員選挙)政権選択選挙であり、安倍首相の信任選挙でもあります。安倍首相にこの緊迫した国際政治を任すのが是か、あるいはそれ以外の政治家に任すべきかの選択です。

 

 昨今のマスコミ、マスメディアの乱れ方は、恬として恥じない捏造と印象操作が頻繁に行われていることを鑑みれば、やはり異状、異様としか思えません。

 

 わたしは、ニュースにおいては、地上波テレビは9割、新聞は7割、雑誌は6割、ネットも6割、ウソだと思い、真実かどうかの判断にはひと呼吸を置くことにしています。しばらく前のブログでも書きましたが「世はフェイクニュースばかりなり」であり、フェイクニュースには、捏造、情報操作(印象操作)誤報、があることを知っておきたいものです。

 

 今回から18歳以上に選挙権があります。特別な理由がない限り、棄権すべきではなく、自分で考え、自分で行動し、価値ある『1票』を投じようではありませんか。

 

 それにしても、杜甫の漢詩「春望」は身に沁みます。国を破ることのない真に勇気ある選良(真のエリート・代議士)が選ばれなければなりません。

 

 10月22日(日曜日)は投開票日であり、深夜には当落、政党分布が決まります。戦後最も重要な選挙の結果がどう出るか、冷静に見守りたいと思います。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年10月13日 (金)

総選挙と芭蕉の句!

 607回目のブログです

 

    “おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな”
 
          芭蕉(江戸前期・俳聖)

 

 有名な長良川の鵜飼。鵜飼は月のない闇夜に、舳先(へさき)に赤々とした篝火(かがりび)を焚き、鵜匠が12羽の鵜を手綱でさばき鮎を獲りながら、何艘も川上から川下へ流れ下ります。その姿を目の前に見た見物客の興奮は冷めやらず、最高潮に達しますが、やがて、鵜飼舟は川下に去り、闇の彼方に消えていきます。まさに水上の幻想世界ともいうべきでしょうか。

 

 芭蕉の句は、歓楽の後のたまらなく悲しい気分をあらわしたものと思いましたが、もっと深い意味があるようです。芭蕉の有名なこの句には前段がありますので、それを読んでみましょう。

 

 【原文】
 
「岐阜の庄、長良川の鵜飼とて、世にことごとしう言ひののしる。まことや、その興の人の語り伝ふるにたがはず、淺智短才の筆にも言葉にも尽すべきにあらず。『こころ知れらん人に見せばや』など言ひて、闇路に帰る、この身の名残惜しさをいかにせむ。」

 

 【現代文】
「岐阜の長良川で行われる鵜飼は、世間で大変な評判になっている。実際に見ると、おもしろさは、まことに世間で言われているとおりであり、智慧が浅く学問のない私などはとても書き表せないほどだ。『風情を理解できる人に見せたいものだ』などと口にしながら闇路を帰った。この名残惜しい気持をどうしたらよいかわからない。」

 

 キーワードは“闇路に帰る”。この句は、単に歓楽の後の哀情の深さを表わしたのではなく、篝火のもとでの興奮冷めやらぬ遊興により命が高揚したとしても、その一時の幻想が消え去れば、鬼の待ついつもの地獄へ向かって帰らねばならない悲しみを詠んだものとも言われています。

 

 さて、10月10日、総選挙(衆議院議員の全員を選ぶために行われる選挙のこと)の公示がなされ、いよいよ国政選挙の火ぶたが切られました。10月22日投票、議席数は465議席、過半数は233議席。立候補者はそれぞれ、政党に属していようが、無所属であろうが、これから2週間死に物狂いで選挙戦を戦っていくものと思います。

 

 例によって、今回も、希望の党を筆頭に「改革」「改革」の言葉の連呼となっていますが、改革という言葉に世間は飽きと白い目と不信を持っているのではないでしょうか。

 

 翻って見ますと「改革」のスタートは平成5(1993)小沢一郎氏の新生党からであり、自民党と官僚政治の打倒のために、二大政党、小選挙区制、政治主導の構想を掲げました。次に平成13(2001)小泉首相は、劇場型政治を演出し、新自由主義にもとづく徹底した構造改革を。その後民主党政権はマニフェスト選挙で政策選択選挙を。そして、おおさか維新の会は大阪市議会・大阪府議会の既得権改革を。…というように連綿と続いてきました。

 

 この25年間「改革」を叫ばない政治はなかったと言えますが、果たして真の改革がどれほど実現したのでしょうか。多数の国民は、全体的に考えて改革というものの実態が実の少ない存在になっていること知ってきたのではないかと思います。

 

 今回の総選挙でも、改革を標榜しない政党はありません。そして、台風の目である小池代表が率いる希望の党などは、従来手法である「劇場型政治」「ポピュリズム」(人気主義)を前面に押し出していますが、果たしてどの程度成果を得ることができるか注目したいと思います。

 

 大半のマスコミは「大義なき選挙」と位置づけていましたが、総選挙は基本的には政権選択選挙であり、常に政権選択という大義を有しています。今回の選挙を分かりやすく言えば、安倍政権の内外諸政策について○×をつけるものです。

 

 【北朝鮮危機】
朝鮮民主主義人民共和国
(北朝鮮)とアメリカ合衆国(アメリカ)との緊張関係が、今年末から来年にかけて、いよいよ極限に達しようとする時、わが国の外交の難しさは過去に較べることのできない程の危機のクライマックスを迎えます。この舵取りをできる日本国の首相には、トランプ米大統領やプーチン露大統領やメルケル独首相といつでも話ができる安倍晋三首相が相応しいのか、あるいは他の政治家の誰が良いのかを、具体的に選ぶことが最も重要なポイントとなります。

 

 【日本経済】
10
2日の日銀短観を見れば、製造業大企業の好調、特に利益と雇用の好調が目立ちます。数字で見てみましょう。

 

     ≪経常利益≫
 
平成29年(2017)上期  前年同期比23.1%UP
 
平成28年(2016)下期  前年同期比33.1%UP
 
 ≪経常利益率≫
 
平成29年度(2017)計画 7.47%
 
平成18年度(2006)   6.76%
(リーマンショック直前)
 
平成 元年度(1989)   5.75%(バブル景気ピーク)

 

  これを見ると、現状の日本経済は間違いなく好調に推移しているように見えます。いわゆるアベノミクスと称される安倍政権の経済政策は雇用の大幅改善、大企業の収益増加として成果が出てきていますが、中小企業問題、大胆な成長戦略、労働者所得の向上、労働分配率、消費水準、などは未だしの感はぬぐえません。

 

  国内問題は、政治家の姿勢のこともありますが、何と言っても経済の活性化による生活水準の向上にあります。アベノミクスを推進する安倍政権の経済政策について○×の判定を下し、×であるならばどの政党の経済政策が良いのかを判断することが第二の重要なポイントです。

 

 憲法改正】

  現行の憲法では、わが国は、この厳しい国際環境の中で生きのびて行けないのではないかと思います。のんびり構える時間も余裕もないのが実態でしょう。憲法9条でわが国を守るのか、綜合的な安全保障政策で守るのかが、今、問われており、憲法問題が第三のポイントです。

 

 今度の総選挙でのポイントは、上記の3点に絞られます。政治家には、わたし達国民が納得して選ぶことができるよう、劇場やポピュリズムから離れ正々堂々とおのれの主張を戦わせていただきたいとのぞみます。

 

 今回の選挙が、花火や鵜飼のような一時の高揚感に惑わされ、夢や幻を見るだけで、芭蕉の言う“おもしろうて やがてかなしき ………”とならぬよう、自分で考え、自分で行動する人になりたいものです。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年10月 6日 (金)

ふわふわ言葉と具体的ビジョン…狂騒の政局に思う!

 606回目のブログです

 

 “をちこちに わかれすみても 國を思ふ
 
人のこころぞ ひとつなりける
 
   (明治天皇御製・明治43年)

 

 あちこちに別々に住んでいても、国を思う人の心はひとつである…。

 

 今、狂騒状態を演じている政局の真っただ中にいる政治家に心で読んでほしい明治天皇の御製です。毎日報道される政治ニュースは、国内政局が圧倒的に多く、それも、政党の離合集散、利害得失ばかりが強調されていますが、どの政党であっても、どの立場であっても、少なくとも「国を思う」心だけはひとつであってほしいとねがうものです。

 

 今回の衆議院議員選挙は1010日に公示、1022日に投票、議席の数は10減り465議席、過半数は233議席となっています。

 

 現在は野党であっても、かつては政権を担ったほどの大政党である「民進党」が異様な分裂劇を演じ、以下の4つに分解することになりました。①保守政党である希望の党へ合流、②立憲民主党を結成しリベラルサヨク政党として、③無所属として立候補、④民進党(参議院議員のみ)のまま。

 

 マスコミで報じられる政党の離合集散は、日替わりどころか朝・昼・晩でころころ変わっており、多少白け気味ですが、ことは政治家の身分を決めることであり、当事者にとっては生死に準ずるものとして、まずは生きること、すなわち「当選」することが「大義」なんだなと思う次第です。

 

 今回の台風の目は、小池都知事が率いる「希望の党」であり、小池都知事(党代表)の一挙手一投足にすべてのメディア、国民の関心が寄せられています。

 

 小池代表の発言を見てみましょう。「希望の党」結党時に示した政策理念は、希望の政治・希望の社会・希望の経済・希望を守る環境・憲法改正という「希望」をキーワードにしたものであり、しがらみのない政治、ダイバーシティ(多様性)社会の確立、憲法改正・希望あふれる日本の礎などをあげています。

 

 小池代表は、ふわっとした言葉、ソフトな言葉、意味不明な言葉、カタカナ語などを多用したキャッチフレーズで新鮮なイメージを演出することに長けています。経歴もテレビキャスターあがりですから、容易にマスコミを手玉に取っており、さすがに、上手いものだと唸らされます。どのような言葉かあげてみましょう。

 

・「改革保守」
・「日本をリセットする」
・「しがらみのない政治」

 

 改革保守とはあまりにも意味不明で抽象的すぎます。また「リセット」と「保守」は言葉そのものが矛盾しています。辞書をひもとくと、「リセット」は、すべてを元に戻すこと、最初からやり直すこと、状況を切り替えるためにいったんすべてを断ち切ることとあり、「保守」は、古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し急激な改革に反対することとあります。ふたつの言葉は相いれないもの。しがらみのない政治は人格高潔な人にのみ為しうることであり、そんな政治家は八百屋で魚を求める類い言えるのではないでしょうか。

 

 昨今は、政党や政治家は、すべて「改革」「改革」の言葉を大声でわめきますが、しっかりした政党を目指すのであれば「抽象的なキャッチコピー」ではなく「具体的なビジョン」を示し、具体的な政策を議論してほしいと思います。

 

 小池代表は、過去、軍事上、外交上、核武装の選択肢は十分ある(平成15)尖閣諸島の実効支配を明確にするため「構築物」を作ることが先決(平成22)永住外国人の地方参政権付与には絶対に反対(ある意思を持った人間たちが移り住み、基地反対など妙な条例でも決議されたらひとたまりもない)(平成22)原発賛成(平成26)。と明快に発言していますが、今日現在、核武装はブログの記録からは消去し、原発は180度方針を変え反対としています。

 

 それにしても、小池代表の突破力は見事なものがありますね。どのような選挙結果になるかは分かりませんが、憲法観と安保政策に関しては、現在の発言は過去の発言と同一、一切ぶれておらず、保守政治家としては出色であろうと考えています。

 

 次に、自民党の衆議院選公約のポイントを見ていきます。北朝鮮への対応、憲法改正など六つの重点項目を上げていますが、その内の二つに掲げてある言葉をごらんください。

 

  ・「生産性革命」を実現し、国民の所得を増やす。
・「人づくり革命」を断行。保育・教育無償化実現。

 

 生産性革命、人づくり革命の両方に“革命”という用語がありますね。自民党は保守政党を任じてきたにもかかわらず、本来忌避すべき「革命」という言葉を安易に使っています。名は体を表す、言は体を表すとも言いますから、もはや、自民党には真の保守的精神が希薄化してきたのでしょう。政治思想における用語の意味することさえ学んでいないとすれば、真に危惧すべきことと言わねばなりません。

 

 「革命」とは、辞書によれば、被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること、フランス革命・ロシア革命など とあります。そんな言葉を選ぶこと自体、自民党が志において堕落してきているのではないでしょうか。

 

 今の時代、世界は混沌としてきており、何が生じてもおかしくないと言われます。そうであるならば、わたし達国民のリーダーはひとしく真の教養人として世界の変動に対処してほしいとねがうものです。

 

 論語に「子曰、君子和而不同、小人同而不和」(君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず)という有名な箴言があります。意味は「先生はいわれた、君子は人と調和するが雷同はしない。小人は雷同するが調和はしない」…ある碩学のお話しによれば、論語に言う君子とは真の教養人のことであり、小人は単なる知識人のことだそうです。

 

 とすれば、今回の政党、グループ再編にあたって、君子は和して同ぜずの教養人は誰なのか、小人は同じて和せずの小人は何人いるのかに関心を向けてもいいのではないかと思います。 君子>小人、or 小人>君子、or 君子≒小人、はたして、実態はこのいずれでしょうか。できれば、君子>>>>>小人、であってほしいとは思いますが……。

 

 ところで、最近マスコミで流行っている政治用語に「リベラル」があります。リベラルの語源はLiberal、自由のこと。英和辞典を引くと、①気前のよい、大まかな、もの惜しみしない、けちけちしない、②寛大な、度量の大きい、おうような、開放的な、③たくさんな、豊富な、④字義にとらわれない、自由な、偏見のない ⑤紳士にふさわしい、⑥自由主義の などが記されています。

 

 わが国では、冷戦終焉後に「保守vs革新」における革新の化けの皮が剥がされ、いつの間にか「保守vsリベラル」となり、リベラルの意味を不問のまま、特にサヨクメディアを中心に曖昧に使い続けられてきました。

 

 しかし、実際の自称リベラル政党の行動体質として、上掲の英和辞典の①~⑥までのひとつでもあるでしょうか。「絶対に9条を変えるな!」「安保法制は許さない!」「安倍はゆるさない!」の看板を掲げての政治行動を見れば、それはリベラルの真逆であることが分かります。彼らは、リベラルではなく、左翼なのです。

 

 狂騒の中での議論からは有益な結論は出ないでしょう。色々な立場はあるにしても、空疎な言葉ではなく、実のある言葉を用い、明治天皇の御製にある「国を思ふ」心で真剣な議論をしてほしいと心から願うものです。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年9月29日 (金)

トランプ大統領の“国連演説”を読む!

 605回目のブログです

 

 “祖国の存亡が かかっているような場合は、
 
いかなる手段も その目的にとって有効ならば、正当化される。”
 
      (マキャベリ/伊ルネッサンス期の政治思想家)

 

 いよいよ、衆議院議員総選挙が行われることになりました。大半のマスメディアは、大義のない選挙だと非難していましたが、そんなことはありません。衆議院議員選挙は政権選択の選挙でもありますから、それだけでも大義があります。

 

加えて、大東亜戦争・太平洋戦争以後はじめてというべき祖国の存亡がかかっている国際情勢でもありますから、政権の信任を問うことも時機を得たものと考えられます。来年になれば、もっと緊迫化し、何が起きるか想像さえできない事態となり、早めに選挙を経ておくことは、極めて妥当なことであり、危機の回避のためにも望ましいと思います。

 

 ただし、選挙結果が政治の不安定化をもたらすとすれば、それは国民の選択ということで甘受しなければならないでしょう。

 

 こんな国際情勢の真っただ中において、9月19日、トランプ米大統領が国連総会で初めて演説をしました。トランプ大統領は、現下の国際情勢と国連に関して、例によって、率直に述べ、またまた世界の関心を呼び起こしましたので、その一部を具体的に見ていきたいと思います。

 

『それぞれの国家の首脳である皆さんは、常にあなた方の国の国益を最優先するだろうし、またそうすべきである。アメリカ合衆国大統領として、私は全く同様に、アメリカを最優先するであろう。』

 

 大統領は、国際社会とはアメリカの国益を最優先に置きながら関わっていくことを明言したものであり、いわゆる“America First”です。

 

『われわれは、日本のわずか13歳の少女が、北朝鮮のスパイに日本語を教えさせるため、母国の海岸から拉致されたことを知っている。』
 
We know it kidnapped a sweet 13-year-old Japanese girl from a beach in her own country to enslave her as a language tutor for North Korea's spies.

 

 大統領は、米大学生が余命わずか数日という状態で帰国し死亡したこと、兄・金正男氏を毒物により暗殺したことに加えて、拉致被害者の「横田めぐみさん」に言及し、北朝鮮を厳しく非難しました。

 

今日、思いを馳せねばならないのは、北朝鮮に拉致された方々の身の上です。横田めぐみさんが新潟で拉致されたのが昭和52(1977)40年間、故郷の街と自然に触れることなく北朝鮮にとどめ置かれたまま、軟禁状態にあるのは、悲惨極まりない悲劇そのもの。

 

 拉致は、主権侵害であり人権蹂躙でもあります。拉致被害者の一刻も早い帰国こそ、最優先されねばなりませんが、政府はこの13年間手をこまねいたまま何らの実績も残していないのです。それに加えて、国民の関心も薄れに薄れていっている今日、トランプ大統領のこの明確な発言に対し、わたし達日本国民は深甚の謝意を示すべきではないでしょうか。

 

『アメリカは大きな力とともに忍耐力も持ち合わせているが、もし自国、または同盟国を防御せざるを得なくなれば、北朝鮮を完全に壊滅させる以外の選択肢はなくなるだろう。』

 

 “…to totally destroy North Korea.”北朝鮮を壊滅するという厳しい言葉を使ったため、会場ではざわめきの声が聞かれたとのこと。アメリカ大統領の本気度がどこまであるのかは分かりませんが、深刻に捉えておくことが大切だと思います。この後、大統領は金正恩をロケットマンと揶揄していますが、同じ罵倒言葉でも、トランプ大統領は「陽、金委員長は「陰」だと思います。それにしても、激しい言葉の応酬に目を離せません。

 

『国連は、結果ではなく過程や官僚主義に気をとられている。』

 

『この組織の高邁な目的を破壊しようとする国が、まさにその目的のための機関をハイジャックした。 例えば論外な人権状況にある複数の国が国連人権委員会に席を持っていて、これが国連の大きな問題の原因になっている。』

 

 トランプ大統領の指摘するように、人権蹂躙国が人権委員会のメンバーになっているのは、とんだお笑い草。国連が結果を出さず、人権委員会という形だけを守るのは、まさしく官僚主義そのものであり、無責任極まりないと言えるでしょう。

 

 人権委員会は、現在は「国連人権理事会」に改組され、世界の各地域に理事国が配分されています。しかし、この理事国に、共産党独裁政権として、民主活動家を逮捕し、客観報道記事を書く新聞記者を摘発し、チベットやウイグルの少数民族を徹底的に弾圧する人権蹂躙国として悪名高い中華人民共和国(中国)が鎮座、睨みを効かしているのですから、戯画そのもの。

 

国連が官僚主義に陥っており結果を出していないと指摘するトランプ大統領の発言はまさに当を得たものと言わねばなりません。

 

中国には「国連人権理事会」理事国の資格は全くありません!

 

『アメリカは、国連の193の加盟国のうちの1つである。だが予算全体の22%を負担している。』

 

アメリカのトランプ大統領の嘆きもわかりますね。22%も負担しているのですから、もっと自国の主張を理解してほしいと願っているのでしょう。国連分担金の上位を見てみます。

 

 2017年度の国連分担金】
①アメリカ  22.0(%)
②日本     9.
③中国     7.
④ドイツ    6.
⑤フランス   4.
⑥イギリス   4.
⑦ブラジル   3.
⑧イタリア   3.
⑨ロシア    3.
⑩カナダ    2.
   (外務省データ)

 

 同じことは、わが日本でも言えます。第2位、9.7%の負担ですから、トランプ大統領に倣って、もっと厳しい発言をしてもいいのではないでしょうか。それだけの気迫勇気を出し、北朝鮮や韓国や中国に屈しない外交を望みたいものです。

 

 それにしても、トランプ米大統領の国連演説は迫力があったと思います。演説はこうでなければ様になりません。ひるがえって、わが国は国連に翻弄され過ぎているように思えてなりません。平和・人権大国である日本は、近隣諸国からの歴史捏造や人権抑圧のいいがかりを排除し、国連を正しく主導していく気迫を持ち、大暴れしてもらいたいものです。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年9月22日 (金)

「罵倒語のオンパレード」…北朝鮮メディアを読む!

 604回目のブログです

 

 “曇りなく 千歳に澄める 水の面に 宿れる月の 影ものどけし”
 
                 紫式部(新古今和歌集)

 

 千年の長きにわたって澄みわたっている池の水面に、曇りもなく明るく輝いている月の光、この美しい風情には穏やかな永遠の安らぎが感じられるものだ…。

 

 台風一過、秋の趣がいっそう色濃く感じられるようになってきました。紫式部のような世界超一流の女流文藝作家にかかれば、この穏やかな四季の風情を、五・七・五・七・七の和歌の調べのなかで、美しい言葉を自在に綾なし、自然体で見事に表現しています。

 

 わが国には、美しい言葉、品のある言葉、風格のある言葉、重厚な言葉、あるいは軽みある言葉を中心として、自らの思いを表現することを専らにしてきた歴史があります。ところが、近年、マスメディアから流れてくる語句には汚く荒っぽい、品位を欠く言葉(たとえば『保育園落ちた。日本死ね!』)が流行語として溢れる風潮になっているように思えます。

 

 わたし達は、今、もう少し言葉に注意を払い、エキセントリックで、ヒステリー的な、荒っぽい言葉を避け、穏やかな言葉を発するようにすべきだと思います。もしも、そうしなければ、あの北朝鮮の言葉づかいと同じようなものになっていくおそれがあるのではないでしょうか。その観点から、北朝鮮の発する言葉を子細に見ていきましょう。

 

 まず、最も印象の深いのは、テレビで重大放送を行う朝鮮中央放送委員会のアナウンサーである「リ・チュンヒ女史」です。彼女は、民族主義を発揮する意図を込め、暖色系のチマチョゴリ姿で登場。そして、その特異な話しぶりの大仰さにはほとんどの日本人は驚かされているのではないでしょうか。

 

 リ・チュンヒ女史は、報道内容によって言葉づかいや抑揚を変えているそうです。(Wikipediaより)

 

  ・金正日や金正恩に関する報道では、荘厳、丁重な語調で
金正日や金正恩への慈悲の念を表現する際は声を震わせる
国民への喚起・統制に関する報道では絶叫調
アメリカ、韓国、日本についての報道では強い語調で
敵国を非難する声明には威圧的な語調で

 

 北朝鮮のテレビ画面を見ても、朝鮮語は皆目分かりませんが、彼女の独特の抑揚には、またか、とは思いつつも目を見張らされます。さすがに、平壌演劇映画大学俳優科を卒業後、国立劇団で女優を経験してきただけのことはあります。

 

 それにしても、独裁国家・朝鮮民主主義人民共和国における報道の有り様は、お隣の中華人民共和国と同じように、大いなる違和感を懐かないわけにはいきません。北朝鮮のえぐい言葉の乱発は、逆に、北への信頼感を失わせているのではないでしょうか。

 

 次に、新聞を見てみましょう。北朝鮮のミサイル発射と水爆実験をふまえて国連は912日「対朝鮮制裁決議」を議決しましたが、それに対しての「朝鮮アジア太平洋平和委員会代弁人声明」を引用します。

 

 『我が軍隊と人民の敵撃滅の気概を
 
      米国と追随勢力ははっきり見るべきだ』

 

  …米国の制裁策動に便乗して軽率に振舞った日本の島国夷に対する指弾の声も激しく出ている。

 

  千年来のであるウェノムのざまを見るほど目に火がつくようだ、わが人民に千秋にすすげない罪を犯しておきながらも謝罪をまともにせず、米国の「制裁」の笛に踊りながら憎らしく振る舞う奸悪チョッパリらをそのまま放っておけない、日本列島の上空を飛び越えるわれわれの大陸間弾道ロケットを見ながらもいまだ気を確かに持てず、意地悪く振る舞う日本のやつらにはっきり気概を示すべきだ、取るに足りない日本列島の4島をチュチェの核爆弾で海の中に押し込むべきだ、日本はこれ以上われわれの近くに置く存在ではない、これがわが軍隊と人民の激昂した声である。
      (9/13 朝鮮中央通信 日本語版から一部抜粋)

 

 「島国夷」「ウェノム」「チョッパリ」は日本人に対する侮蔑語です。いやあ、とにかく最大限の脅迫、恐喝、侮蔑語のオンパレード

 

 …千年来の敵・奸悪・気を確かに持てず・日本のやつら・取るに足りない日本列島4島・核爆弾で海の中へ・日本は朝鮮の近くに置く存在ではない …。

 よくもまあ、これだけの言葉を並べたもので、ある意味で感心しますが、何と幼稚な言語ばかりでしょう。もっと高邁で格調高い言語でわが日本国と日本人を侮蔑できなかったのでしょうか。

 

 北朝鮮は、正式には「朝鮮民主主義人民共和国」ですが、自国を“共和国”とか“朝鮮”とも言っています。朝鮮半島を代表するのは北だと思い込んでいるのでしょう。北朝鮮が、自らを大きくみせるために、朝鮮と言ったり、幼稚な言語を使ったりすることに何となく憐れみを感じてしまいますが、これは私だけの感想でしょうか。

 

 彼らは、今、何を考えているのか全く不明。アメリカに対しても、脅迫、侮蔑語のオンパレードです。

 

 …横暴・卑劣・テロ犯罪・米国を狂犬のようにこん棒で叩き殺す・米国はわが人民を殺戮し、いびっている不倶戴天の敵・そのまま生かしておくことのできないオオカミの群れ・白昼強盗の群れ・米帝侵略者・米国の地を焦土化しよう、暗黒世界に作ろう・恨みを晴らそう…。

 

 こんな汚い言葉を使う人や民族や国家は、それだけ汚い存在だとみられても仕方がありません。本来、人間も国家も、美しいもの、大きなもの、清らかなもの、豊かなもの、歴史のあるものに憧れ、自らもそうありたいと願っているのではないでしょうか。

 

 そうであるとするならば、汚い言葉、罵倒する言葉を発することは慎重に避けなければなりません。北朝鮮がほんの少しでも尊敬される国になろうとするのであれば、汚い言葉や罵倒する言葉を使わないように自制すべきだと考えます。

 

 それとも、民族全般がそういう言葉を使う体質に染まってしまっているのでしょうか。たとえそうであったとしても、自戒と教育によって、より高い人格、いや、いや、普通の人間になる努力を重ねるべきではないでしょうか。

 

 同じことはわが国にも言えます。北朝鮮国営メディア(テレビ・新聞)の歪で異様な言葉づかいを反面教師として、そのような汚い言葉を断固として排除し、日本人らしい穏やかで美しく率直な言葉づかいが溢れる良き社会をつくりたいものです。現時点において、半島に学ぶべきものはないと考えるべきでしょう。

 

 小ブログは、3回連続で北朝鮮問題に触れましたが、悪しからずご了解ください。しばらくは触れないようにします。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年9月15日 (金)

北朝鮮の核・ミサイル開発…日本の援助に大疑問!

 603回目のブログです

 

 “世の中は 七たび変へん ぬば玉の 墨絵に描ける 小野の白雪”
 
                 良寛
(江戸後期の僧侶・歌人)

 

 世の中に対する態度を七度変えてみようではないか。墨で雪の野原の白鷺を描くことができるように、不可能に見えたものも可能になるものだよ…。

 

 連日のように、北朝鮮のミサイルや核の問題が、テレビ、新聞、雑誌、ネットで取り上げられ、大きく騒がれていますが、国民の間には、今一つ緊張感が乏しいように見受けられます。

 

 それは、とりもなおさず、戦後70年間、直接的な戦争を避けることができた平和が続いてきており、今後も永遠に続いて欲しいとの淡い願望が頭の中に満ちていることによるものと思います。

 

 しかし、国際情勢、北の情勢の厳しさは、もう従来の物差しで判断できる段階を通り越しているのではないでしょうか。わたし達は、この段に及んでも、北の核開発は、オバマ米大統領が悪い、中国やロシア・旧ソ連が甘やかしてきたからだと、専ら他国の所為にして、わが国の姿勢を反省しようとはしていません。

 

 国を守ること、国防、防衛、安全保障は、自らが自らを守る姿勢を明確にすることが基本であり、同盟や支援はそれに加勢、助成することに過ぎません。しかしながら、何と、わが国は、自らを守るどころか、永年にわたり、敵対する北朝鮮にものすごく手厚い援助を施してきているのです。それらが直接的、間接的に「北の核開発の資金」になったことは間違いなく、そのことを深刻な問題として認識していないのが大きな問題ではないでいでしょうか。

 

 北朝鮮への手厚い援助は、全政党、主として自民党が継続してきていることは紛れもない事実ですが、どういうわけかマスコミは真相をほとんど報道していません。わが国の暗い闇のひとつと言うべきかも知れません。北朝鮮問題への素朴な疑問点を挙げてみますから、今一度、皆さんもお考えください。

 

 現在、北朝鮮のスパイ活動は下火になっていると思われがちですが、決してそうではないことに留意が必要でしょう。情報収集、謀略工作はもとより、核・ミサイルなどの大量破壊兵器や先端兵器のための技術や部品を盗みだすこと工作員の重要な任務であることは疑えません。輸入ルートは、民生として合法的に、香港マカオなど第3国経由で、秋葉原などで購入し密輸、不審船に積み込み密輸、などが考えられます。
今の今まで、ほとんど野放し状態ではないでしょうか。…これらを厳重に取り締まらないことは、即ち北の核開発を間接的に支援していることを意味しています。

 

 かつて、朝銀(朝銀信用組合)に対して、何と13,600億円もの公的資金(日本国の税金)が救済資金として投入されたことを思いだしてください。平成9(1997)「朝銀大阪」が破綻、平成11(1999)全国的に朝銀関係が破綻、そして平成12(2000)新生の「朝銀近畿」も破綻するという異常な事態で、朝銀関係の救済に13,600億円もの莫大な税金が当てられたのです。

 

  しかし、朝銀は独立した金融機関ではなく、工作機関でもある「朝鮮総連」が人事権を握る下部機関です。従って、よくよく考えてみれば、このうちの何割かの膨大な資金が金正日委員長のミサイル・核の開発資金になったことは間違いありません。

 

  今も、なぜこのような不明朗な資金救済をしたのか、また、どこにどう流れていったのかは暗~い闇のままです(何故なのかマスメディアも一切詳細を報じません)…救済の先鞭をつけたのは古いタイプの元自民党大物政治家N氏と言われていますが、わが日本を爆撃する核・ミサイルの開発に日本の税金を差し上げる行為は、戯画そのもの、これこそ売国行為といわれても言い返せないのではないでしょうか。

 

  かつての朝銀の本国への送金が、今、ミサイルと核兵器になって、日本国民の生命と財産を脅かしていることを、自民党政治家、野党政治家、および国民も深刻な問題として認識しなければなりません。

 

  一時の心地よい宥和と施し、誤った謝罪と利権、公よりも私、こんな政治家はまっぴらごめんであり、政治家は愛国心あっての政治家であり、真の愛国心を発揮してほしいものです。

 

 10年前を思いだしてみてください。東京都千代田区にある朝鮮総連本部(北朝鮮の拠点)が競売に付され、総連本部は新住所に移転しなければならず、そうなっているとばかり思っていたはずです。

 

  ところが、元公安調査庁長官・緒方重威氏や元日弁連会長・土屋公献氏の暗躍などにより、紆余曲折を経て、今も元のビルに泰然と居残っているという、実に摩訶不思議な現象が生じています。

 

  日弁連会長公安調査庁長官が北朝鮮の協力者とは、わが国はどうなっているのでしょうか。国家を支える枢要な人物が、破壊活動防止法の適用さえ考えられている北朝鮮に与するとは、何かあったと思わざるを得ません。

 

  このように北朝鮮を優遇、支援することが、ひいては北の核・ミサイルの開発に力を貸していることに留意すべきではないでしょうか。
 

 ④都道府県が各種学校として認可している朝鮮学校に対して、以前はかなりの自治体が「朝鮮学校補助金」を支出していました。ミサイルや核、そして教育内容(独裁擁護・反日)に鑑みて、日本国民の世論の支出批判もあり、今日ではかなり少なくなってきていますが、それでも、北海道・群馬県・長野県・静岡県・愛知県・兵庫県・神戸市・福岡県などが、平成29年度(2017)も支給中です。

 

  過去に支給していた自治体も、中止・見合わせ・見送りをしたところが多く、核・ミサイルで度重なる脅迫を受けても、補助金を支給する感覚と思想はわたし達の理解をはるかに超えます。

 

 あの北朝鮮が1兆円もの軍事予算をかけて核・ミサイルの開発を継続できる背景には、わが国の巨大産業であるパチンコ業界からの資金援助があると言われていますが、パチンコ業界の深い闇をあばこうとする政治家、官僚、警察、マスメディアはいません。不思議ですね。どうしてなのでしょう。

 

 最後に。北朝鮮の拉致犯を放免せよと署名活動し、北の拉致容疑者親族の団体に6,250万円も献金する政治家が、史上最悪の首相とよばれながら日本国の総理を務めた異様さに、あらためて愕然とする思いです。

 

  政治家ならば、北に拉致された日本人を今すぐ返せと熱く叫び、その実行を具体化していくのが使命ではないでしょうか。(この点では安倍首相も無策にして成果上げ得ず)

 

 それにしても、北朝鮮、あるいは朝鮮半島にまつわる不透明極まりない現象がいろいろあり過ぎます。ここにおいて、北のミサイルや核の開発を促進させたのは、まさしく「日本」なんだということをあらためて認識し、国家意識の乏しい政治家・マスメディア・文化人・学者・経営者などを厳しく批判し、日本の防衛に真剣な思いをめぐらすべきだと考えます。

 

 今、日本を守る“強い意志”“勇気”が求められています。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年9月 1日 (金)

世は“フェイクニュース”ばかりなり! 

 601回目のブログです

 

“夕まぐれ 荻ふく風の 身にしめば 秋きにけりと おどろかれぬる”
 
斎院中務(平安中期・女官)

 

 薄暗い夕方、荻の葉がさやさやと音を立てており、その荻に吹く風をわが身に感じた時、もう秋がきたのだなあと驚かされることだ…。

 

 朝晩はやっと涼しくなってきました。上掲の和歌に描かれた、夕方のさやかな風に秋を感ずるという女性の繊細な感性に、平安時代の豊かな文化、文藝を垣間見ることができます。

 

 このように、文化は自然で伸びやかであることを理想としますが、現実社会で文化の一端を担っているであろうマスメディアの世界では、アメリカでも日本でもその真逆の道を歩んでいることに何とは言えない違和感を覚えざるを得ません。

 

 先週のブログでは、吉田兼好の徒然草から“世は虚言ばかりなり”とい言葉をタイトルにしましたが、虚言は「そらごと」「きょげん」であり、たった今の言葉に置きかえれば「フェイク」、すなわち“世はフェイクニュースばかりなり!”となります。

 

 それでは、フェイクニュースの具体例をあげていきましょう。フェイクニュース」という言葉を鋭く発し世界に広めたのはアメリカの大統領選の時のトランプさんでした。トランプ氏は就任式のまえの記者会見でCNN、ニューヨークタイムズなどのニュースを偽ニュースとして名指しで非難。にもかかわらず、フェイクニュースは陸続と切れ間なく出てきますから、アメリカのマスメディアには誠実さが全くゼロだと断言できます。アメリカのマスメディアに信用を置くことは禁物ではないでしょうか。

 

 具体例として。米ABCニュースは、2009年のオバマ大統領の就任式には180万人が集まったが、2016年のトランプ大統領の就任式の参加者は2560万人と報じたのです。その写真(午前121分時点)をご覧ください。

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2016年トランプ大統領 2009年オバマ大統領

 これを見れば、トランプ大統領を祝福する参加者がオバマ大統領の時にくらべて圧倒的に少なく、トランプ大統領はアメリカ国民から支持されていない雰囲気を醸し出しています。

 

 しかし、これは為にする真っ赤なフェイクでした。トランプ大統領の写真は、12時1分の就任式時点ではなく、午前8時頃の写真であると指摘するネットニュースが流れたのです。

 

 トランプ大統領は150万人位だろうと述べていますが、実際の就任式時点での写真をごらんください。オバマ大統領の時と変わらないように見えます。

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  トランプ大統領就任演説
    (12時20分)

 

 驚き以外の何ものでもなく、マスメディアが偽ニュースを真実のニュースとして流したのは間違いありません。自己の主張と利権の確保のためには、ウソのニュースも平気で流す生きた事例です。

 

 これはアメリカだけの話ではありません。わが国も同じだという例を示しましょう。

 

 【フェイクニュース】
① 捏造
② 情報操作(印象操作)
③ 誤報

 

 8/25加計学園の獣医学部新設計画を審議している文科省審議会は答申を保留しました。政界で加計学園問題が政略的に扱われたために冷却期間を置いたものと考えられます。加計学園の獣医学部新設については、本来は、52年間新設の申請さえ認めないという利権異常構造にメスを入れる真摯な議論が重要であるにもかかわらず、その議論は一切行われず、矮小なことにのみ関心が注がれています。

 

 この問題はマスコミと連動していることに注目しなければなりません。先月、国会休会中の審議で、前川喜平/前文科省事務次官・加戸守行/前愛媛県知事・原英史/国家戦略特区ワーキンググループ委員が参考人に呼ばれ意見を述べました。獣医学部新設反対は前川氏、獣医学部新設賛成は加戸氏・原氏ですが、マスコミでの取り上げられ方は、異常、異様、を通り越して不気味になるほどであり、これは、マスコミの中心部において陰湿極まりないそら恐ろしいマグマがとぐろを巻いていることを示しているのではないでしょうか。

 

 【テレビでの3氏の報道時間】直接引用時間』
   前川喜平  2時間33分46秒 (94.8%)
   加戸守行      6分 1秒 ( 3.7%)
 
   原 英史      2分35秒 ( 1.5%)
 
     (平和学研究所調査)

 

 これは、加計学園問題を扱った東京キー局(NHK・日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京・フジテレビ)番組のなかで、3氏の意見を直接引用した時間を合計したもの。前川氏は「正しい行政が政権によってゆがめられた。52年間の規制は正しかった」加戸氏は「歪められた行政がこのたび正されたのだ」原氏は「規制改革のプロセスに一点の曇りもない」と主張しました。

 

 これを見て、読者の皆さんはどう思われますか。52年間新規参入を認めない文科省の主張を94.8%も垂れ流し、他の2名の主張はほんのわずかしか報道しないテレビメディアの姿勢は、歪、不公正、悪質極まりない所業ではないでしょうか。ここまでくれば、まさにフェイクニュースであり、情報操作、印象操作そのものであることは間違いありません。

 

 テレビメディアは、もちろん自己主張すべきではありますが、少なくとも、3人の参考人の発言と意見については、公平にならべ、それぞれに真摯な論評を加えるべきです。それが「電波特権」として、国民の財産をほぼゼロに近い金額(キー局合計わずか年間39億円!)で寡占させていただいているテレビメディアのせめてもの最低限の矜持ではないでしょうか。

 

 大変心の荒んだ時代になりました。その先頭を走るのが、NHKや民放、新聞、雑誌であり、彼らは、フェイクニュースはネットにあり、自分たちが報道しているニュースは健全であるという奢った意識をもっているのです。

 

 一方、ネットに接する人は、ネットにフェイク情報がかなりあることは良く理解しており、ネット情報をそのまま100%信ずる人などはおりません。

 

 ところで、フェイクニュースに関して、下記の本が出版されています。

 

   書 名 『信じてはいけない
 
民主主義を壊すフェイクニュースの正体』
 

   著 者 平 和博(朝日新聞IT専門記者) 

出版社 朝日新聞出版(2017/6/13出版)

 

 あの朝日新聞の記者が、自社系列の出版社から、こんなタイトルの本を出版するなんて、悪い冗談としか思えません。朝日は、従軍慰安婦問題、靖国問題、教科書問題、吉田調書事件、珊瑚傷つけ問題、などなど、日本が誇るフェイクニュースメーカーのトップメーカーではありませんか。この本には一切の反省の言葉や新しい見解はないのですから、自社のフェイクニュースも他人事なのでしょう。人間性の欠片も感じられず、難しいことかも知れませんが、朝日の人達には、早く普通の正常な精神に立ち返られることを祈って止みません…。

 

 わたし達は、公正を装うマスメディアの情報が、いかに事実を無視し、捏造や印象操作によって歪められているかということを認識しなければならないのではないでしょうか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年8月25日 (金)

「世は嘘言ばかりなり」… 徒然草に見る現代世相!

 600回目のブログです

 

 “つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、
心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ”
 
            (吉田兼好「徒然草」序段)
(現代語訳)
することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、一日中、硯に向かって、心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけていると
(思わず熱中して)異常なほど狂ったような気持ちになるものだ…。

 

 『徒然草』は、今から約700年前、鎌倉時代末期に吉田兼好(兼好法師・卜部兼好)が書いた随筆であり、清少納言の『枕草子』鴨長明の『方丈記』と合わせて、日本三大随筆と言われます。

 

 今年も、いよいよ暑い盛りを過ぎ、秋の気配を感じさせようとしています。しかしこの夏において、多発する雷や竜巻、大粒の雹(ひょう)、8月の連日の雨、集中豪雨、迷走する台風など、何か異常気象の現象が続発していることが気にかかります。

 

 この異常と思われる気象は、宇宙と地球の「自然の現象」であり、避けられないものであるかも知れませんが、歴史的にみれば、人間社会において、政治・まつりごとが上手くいかない時に起きる現象であるという側面もあります。

 

 そういう観点から見て、現状の政治は十分にその機能を果しているのかどうか、いささか覚束ないのではないかと思うのはひとり私だけではないと思います。

 

 今や世界を俯瞰してものごとを判断していかねばならないことは常識中の常識となっており、明日を読めない激動する世界情勢のなかで、政治を司る人々やその周辺の人々は“世界のなかの日本”を強く意識し、わが国の進路を確かなものにしていく見識と勇気が求められます。

 

 【現在の重大な課題】
  ・北朝鮮の核ミサイルの脅威
  ・北朝鮮の日本人拉致
  ・中国の脅威(尖閣/沖縄・反日)
  ・韓国の不条理(反日・約束不履行・竹島占領・北との親和)
  ・ロシアの北方領土占領
  ・働き方改革
  ・移民と出入国管理

  ・デフレ脱却 

  ・教育改革(教科書・高等教育・文科省)
  ・その他

 

 これだけの極めて重大な課題があるにもかかわらず、相変わらず「森友」「加計」「豊洲/築地」という政略・政争的議論のみしている姿は異様以外のなにものでもありません。

 

 特に、北朝鮮の対米・対日一触即発の危機が生じているにもかかわらず、わが国の政治家やマスコミがこれを真実の危機と捉えたようには全く見えません。これを危機と言わずして、何を危機と言うのでしょうか。1発かまされたら、その時“あぶないかなあ…”と考えればいいと言うのでしょうか。

 

 700年前の兼好法師は、世相を眺め、硯の前で“あやしうこそものぐるほしけれ”(異常なほど狂ったような気持ちになるもの)との感懐を持ちましたが、現代もそっくりではないでしょうか。第73段に、世は嘘言ばかりなりとのエッセーが記されており、700年前と現代があまりにも相似していることに驚きを隠せません。700年経っても感じさせる瑞々しい感性だからこそ、真の古典だと言えるのでしょう。

 

【徒然草73段】

 

(原文)世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがて又定まりぬ。

 

(現代語訳)世に語り伝える事は、本当のことはつまらないからであろうか、多くは皆虚言である。実際より大げさに人は物を言い作る上に、まして、年月過ぎて、場所も隔たっているのだから、言いたいままに語り作って、筆にも書きとどめてしまえば、すぐに又それが定説になってしまう。

 

(原文)道々の物の上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくに言へども、道知れる人は更に信もおこさず、音に聞くと見る時とは、何事もかはるものなり。

 

(現代語訳)それぞれの専門の道に達した達人の技なども、道理を知らない人でその道を知らない人は、やたらに神のように言うけども、道を知っている人はまったく信じる気も起こさない。評判に聞くと実際に見るとは、何事も違うものである。

 

(原文)かつあらはるるをも顧みず、口にまかせて言ひ散らすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又、我も誠しからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人のそらごとにはあらず。

 

(現代語訳)一方ではすぐ嘘とばれるのを顧みず、口に任せて言い散らすのは、すぐに根拠の無い話とわかる。又、自分も本当らしくないとは思いながら、人が言うままに、鼻のあたりをひくひくさせて言うのは、その人自身から出た虚言ではない。

 

(原文)げにげにしく、ところどころうちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづまあはせて語るそらごとは、おそろしき事なり。

 

(現代語訳)いかにも本当っぽく、所々話をぼかして、よく知らないふりをして、そうはいっても、つじつまは合わせて語る虚言は(いかにも本物っぽく信じやすいので)恐ろしいことである。

 

(原文)我がため面目あるやうに言はれぬそらごとは、人いたくあらがはず。皆人の興ずる虚言は、ひとり「さもなかりしものを」と言はんも詮なくて、聞きゐたるほどに、証人にさへなされて、いとど定まりぬべし。

 

(現代語訳)自分にとって面目の立つように言われた虚言は、人は大きくは抵抗しない。皆人が面白がっている虚言は、一人「そうではないようだが」と言っても仕方ないので、黙って聴いているうちに証人にさえされてしまい、いよいよ嘘が事実のようになってしまうのだろう。

 

(原文)とにもかくにも、そらごと多き世なり。ただ、常にある、めづらしからぬ事のままに心得たらん、よろづ違(たが)ふべからず。下(しも)ざまの人の物語は、耳おどろく事のみあり。よき人は怪しき事を語らず。

 

(現代語訳)とにもかくにも、虚言が多い世の中である。ただ、常にある、めづらしくも無い事のままに心得れば、万事間違えることは無い。下々の人の語る物語は、耳おどろくような面白い話ばかりである。まともな人は怪しい事を語らない。

 

(原文)かくはいへど、仏神(ぶつじん)の奇特(きどく)、権者(ごんじゃ)の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方はまことしくあひしらひて、偏(ひとへ)に信ぜず、また疑ひ嘲るべからず。

 

(現代語訳)そうはいっても、聖人伝・高僧伝などはそうむやみに疑うべきものではない。こういう話は世俗の虚言を心の底から信じるのもばからしいし「ありえない」など言っても仕方ないことなので、大方は本当のこととして受け取っておいて、熱心に信じてはならないし、また疑い嘲ってもいけない。

 

 “とにもかくにも、虚言(そらごと)多き世なり”と吉田兼好は世の中を喝破していますが、よくよく見れば、これはまさしく現在の世相でもあります。国会の審議、議論を聞いても、いかに虚言、そらごとが多く、それをもとにした“口論”ばかりですから、わが国に迫りくる危機に対しては、全くと言うほど不感症、鈍感になっていると言えるのかも知れません。

 

 もう少し真摯な姿勢での政治と、虚言(そらごと)多きマスメディアの少しでも事実(The Facts)・真実に基づいた報道を望みたいものです。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年8月18日 (金)

「酒蔵めぐり」①…蔵元・藤居本家!

 599回目のブログです

 

 “淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ”
 
                柿本人麻呂(歌聖・万葉集)

 

 琵琶湖(近江の湖)の夕暮れ時に波の上で群れて飛んでいる千鳥よ、お前が鳴くと、心もしんみりとして、昔のことが思い出されるよ…。

 

 万葉集でも秀逸な歌にあげられる人麻呂の近江の湖を詠ったリズミカルな調べ、…思わず声に出して読みたくなります。

 

 古より、琵琶湖は近江の海と呼ばれ、その美しき景色や豊かな風物を、歌聖・人麻呂や俳聖・芭蕉など、多くの歌人、俳人が歌や俳句にしてきました。

 

 豊かさと言えば、何はともあれ、近江米、そして近江牛。近江の真ん中には日本最大の水瓶である琵琶湖が鎮座しており、鈴鹿山系がもたらす清らかで美味しい水にめぐまれた穀倉地帯や勤勉で仕事熱心な民俗が豊かさの背景にあることは間違いないでしょう。

 

 いままで、近江、琵琶湖周辺と言えば、蒲生氏郷の日野市(日野祭り)、近江八幡市、近江神社(天智天皇)、多賀大社の名所旧跡を訪ねたことがあります。

 

 今回は、生まれて初めて、本格的な酒蔵めぐりに参加しました。総人数は6名、田舎の高校OB連中ですので気の置けない人達ばかりです。

 

 大阪茨木駅 ⇒ 京都駅 ⇒ JR稲枝駅(集合) (送迎バス) ⇒ 蔵元・藤居本家 ⇒ (送迎バス) ⇒JR稲枝駅(解散) ⇒大阪茨木駅

 

 【蔵元・藤居本家】は、滋賀県愛知郡愛荘町にあり、JR琵琶湖線稲枝駅からバスで10分です。創業は天保2年(1831)ですから180年を超える老舗。現在、七代目の蔵元が引き継いでいます。

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 8月13日、日曜日、お盆の最中ではありましたが『旭日縁日』という催しが行われ、試飲(無料と有料)利き酒コンテスト、酒蔵見学、バンド演奏、庭園での飲食歓談、など楽しいイベントが盛りだくさんありました。

 滋賀県には何と50の酒蔵があり、これは滋賀県が豊かな近江米の産地でもあることを示しています。それにしても、こんなに多くの酒蔵があるとは想像外です。

 藤居本家のお酒は、大吟醸・吟醸・純米など、お米の銘柄は、滋賀渡船六号・志賀短稈渡船・山田錦・吟吹雪・玉栄、銘柄は「旭日」「渡船」「稲力」「山田錦」など多彩さを誇っています。

 

 「旭日」という力強い銘柄があるので、それなりの蔵元だと思っていましたが、想像通り、宮中で行われる新嘗祭(にいなめさい)の御神酒(白酒)を献上する栄誉ある酒蔵であることを知りました。(新嘗祭は宮中祭祀のひとつ。1123日に、天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇に勧められ、また、自らもこれを食されて、その年の収穫に感謝される大祭)

 

 やはり、歴史のあるものは風格があります。藤居本家の建物を概観しても、樹齢700年のけやき丸柱や梁が縦横にめぐらされ、そのスケールの大きさにため息あるのみ。天井も極め付きの高さを誇り、見る目を圧倒させ、NHK朝の連続テレビ小説「甘辛しゃん」のロケに使われたというのも納得します。
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 試飲は500円でグラスを受け取り各種銘柄のお酒を飲み放題。とは言っても、味わいながら飲んでいくと、ついつい欲が出て有料の最高級のお酒を飲んでみたくなります。しかし、それも超安価、たったの300/1杯、申し訳ないお値段です。

 

 利き酒コンテストは、5銘柄のお酒を利き酒して、対面にあるお酒の番号と合すものですが、正解者は数人あるのみ、わたし達はみごとに全員ハズレ。残念。

 

 『酒蔵見学』は当主(7代目・藤居鐡也氏)みずから案内していただきました。

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 前もって幹事から注意事項の申し渡し。酒蔵見学の時は、前日から
  納豆を食べないこと、強い匂いの香水も禁止。とのことですが、
  初めての経験であり、納得しました。おそらく命よりも大切な
  麹菌に悪さをするのでしょう。幹事に感謝。
 

 酒造りの場所は、試飲販売コーナーとは別棟の酒蔵。11月から3月までが仕込み。最初のところで全員お水を飲みましたが、非常に口当たりが柔らかく美味しい水でした。当主にどこからの水ですかと質問しましたら、鈴鹿山系を源とする100年の伏流水とのこと、道理で美味しいはずです。

 

 稲穂が展示してあり、近年復活した酒米「渡船」の穂に触らせていただきました。長さ160cmあり、通常の食用米よりもはるかに高いため栽培も難しく、農家の熱のこもった努力により復活したとのことです。

 

 酒蔵は夏にも、冬にも適温を保てるように建物に色々な工夫が凝らしてあるようで、真夏であるにもかかわらず、わたし達も結構涼しく感じました。

 

 さいごに話された当主の言葉が特に耳に残りました。

 

「優れた文化を持つ地には麗しい酒が育つと言います。近江には、自然の恵みに育まれた文化と歴史と伝統があります。」

 

「世界で、国の名前で呼ばれるお酒は“日本酒”のみです。春夏秋冬、ぜひとも日本酒を味わってほしい。」

 

 素晴らしい酒蔵の案内でした。それにしても、世界で国の名前で呼ばれるお酒は“日本酒”だけだということは全く知らず、お酒大好きながら、無知を晒してきたと恥じています。これからは、じっくりと“日本酒”を味わいたいと思う心境になった今回の酒蔵めぐりでした。

 

 酒蔵見学のあと、2時間ぐらい広大な中庭でお酒を嗜みながら会話を楽しみ、帰路へと向かいました。
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充実した一日であり、天の神、地の神、お酒の神に感謝。

 

 みなさんにも酒蔵めぐりをお薦めします。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年8月11日 (金)

「太陽光発電」の功と罪!

 598回目のブログです

 

 “槍が岳 そのいただきの 岩にすがり 天の真中に 立ちたり我は”
 
          窪田空穂
(明治10年~昭和42年・国文学者)

 

 詞書きに「槍が岳の絶頂に立つと、我らは世界の荘厳さを身に近く感じられるのに対してただ眼を見張り、息を呑むのみであった」とあり、北アルプスに聳える3,180mの槍ヶ岳に立った時の感動の高さを「天」の真中と表現しているところに、この短歌が秀歌と言われるゆえんかも知れません。

 

 登山家(アルピニスト)と言えば、まず野口健氏が頭に浮かびます。野口さんは、7大陸最高峰最年少登頂の世界記録を達成、富士山の清掃登山、戦没者遺骨収集、地球温暖化問題など、幅広いジャンルで活躍されていますが、その清々しい魂の行動に対し、深く敬意を表したいと思います。

 

 その野口健氏が、7/27産経新聞【直球&曲球】において『八ケ岳のいたるところにソーラーパネルが…自然を破壊してまで必要か、再生可能エネルギー』というコラムを書いています。一部を抜粋しましょう。

 

 八ケ岳。苔の森から岩の稜線まで実にさまざまな表情をもっている。山麓の田園風景は雄大で美しい。しかし、最近、気がつくと至る所に敷き詰められているソーラーパネル。いつも通っていた牧草地もソーラーパネルで埋まっていた。

 

 再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT/ Feed-in Tariff)導入後稼働した設備の約9割が太陽光発電

 

 驚かされたのが伊豆高原メガソーラーパーク発電計画だ。大室山近くの山腹の森林を大伐採しソーラーパネルを12万枚並べるという。敷地面積は約105ヘクタール。東京ドーム20個分である。

 

 山を削り日本各地で森林伐採し、美しい景観を壊してまでメガソーラーは本当に必要なのだろうか

 

 再生エネルギーの9割を占める太陽光発電について、その功罪、特に罪過について考えてみたいと思います。

 

 再エネ固定価格買取制度は一種のカルテル。東京電力福島第1原発事故を受けて、再生エネルギーの普及を促そうと、あの菅首相の時政治決定、平成24(2012)に運用開始したものです。

 

 平成29(2017)3月、電力中央研究所は「固定価格買取制度(FIT)による買取総額・賦課金総額の見通し(2017)を発表。

 

           2030年)     2050年)
   累積買取総額   59兆円   94兆円
   累積賦課金額   44兆円   69兆円

 

               (2016)   (2030)
   単年度買取総額  2.3兆円  4.7兆円
   単年度賦課金額  1.8兆円  3.6兆円

 

 何と、2050年には累積買取総額94兆円。もう少しで100兆円に届かんとする数字であり、累積賦課金額も69兆円という途方もない金額が推定されています。

 

 また、買取金も、賦課金も、2030年には、昨年(2016)実績のほぼ倍の数字となるようで驚きを隠せません。

 

 この制度での買取価格は、火力発電や原子力発電より高く、その分は電気料金に「再生可能エネルギー発電促進賦課金」という名で上乗せされています。買い取り総額が膨張すれば、国民の実質負担分(賦課金)の増大につながることになり、大きな問題と言えるでしょう。

 

 泥縄式に、政治的・政略的・政商的にすすめてきた再生エネルギーの有り方について、長期見通しで示された国民負担の枠内に抑えるのか、上まわっても良いとするのか、早期に結論を出す時が来たのではないでしょうか。

 

 この問題については、ドイツ在住の川口マーン恵美女史の貴重な情報と論稿をもとに、再エネ先進国ドイツの実態を参考にしたいと思います。

 

 『ドイツの高価なエネルギー迷路何十億ユーロもの助成金を得たドイツの“グリーン”電気は、環境保護にとっては実質効果ゼロで、電気代を危険なまでに高騰させる。」デュッセルドルフ大学教授/ドイツ独占委員会元委員長/ユスティス・ハウカップ氏・大手紙「フランクフルター・アルゲマイネ」論稿)

 

 ドイツの電気代は、EU平均の50%増。フランスの2倍である。

 

 ドイツが日本と違うところは、ほぼ2000社の大企業は、国際競争力の保持のためという名目で、賦課金の負担を免除、あるいは軽減されていることだ。だから、これら2000の企業は電気代の恩恵を被っており、調子がいい。

 

 しかし、賦課金免除の利益に与れない中小企業は不公平感を強めている。国外脱出も始まっていると言われる。

 

 今年の1月、連邦会計検査院も、ドイツ政府のエネルギー政策の不備を厳しく指摘した。

 

 要するに、ドイツの「エネルギー転換」が大失敗であり、実は環境のためにもなっていなかったことが明かになったことを示しています。

 

 ドイツがエネルギー転換を早急に見直そうとしている今、わが国は、ドイツのケツを追い回すのではなく、先回りする決断が肝要ではないでしょうか。このまま行けば、国民負担は激増するばかり、国民経済にとって大きなマイナスであり、国力を低下させるのみです。

 

 そもそも、採算を度外視して固定価格で例外なく買い取るというのは計画経済の仕組みであり、歪んだ経済システムであることを認識しなければなりません。

 

 野口健さんが指摘するように、大規模太陽光発電の開発に伴う山林伐採や災害時の太陽光パネルの大規模な破損事故など、景観や防災への影響を考慮した厳しい法規制を早急にすすめるべきではないでしょうか。

 

 また、大規模太陽光発電を手掛ける外国企業(中国・ドイツ)に国民の負担金(賦課金)、すなわち実質的な我々の税金が流れることに違和感を覚えます。これも再検討すべき点です。

 

 さいごに、川口マーン恵美女史の提言を記します。

  『一歩先を行くドイツの改革を参考に、日本も適正な再エネ発電量を見極め、一刻も早く制度改革を実施したほうがよい。それが、国民にとっても、国家経済にとっても、エネルギー安全保障にとっても、何よりも大切だと思う。』

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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