2017年9月22日 (金)

「罵倒語のオンパレード」…北朝鮮メディアを読む!

 604回目のブログです

 

 “曇りなく 千歳に澄める 水の面に 宿れる月の 影ものどけし”
 
                 紫式部(新古今和歌集)

 

 千年の長きにわたって澄みわたっている池の水面に、曇りもなく明るく輝いている月の光、この美しい風情には穏やかな永遠の安らぎが感じられるものだ…。

 

 台風一過、秋の趣がいっそう色濃く感じられるようになってきました。紫式部のような世界超一流の女流文藝作家にかかれば、この穏やかな四季の風情を、五・七・五・七・七の和歌の調べのなかで、美しい言葉を自在に綾なし、自然体で見事に表現しています。

 

 わが国には、美しい言葉、品のある言葉、風格のある言葉、重厚な言葉、あるいは軽みある言葉を中心として、自らの思いを表現することを専らにしてきた歴史があります。ところが、近年、マスメディアから流れてくる語句には汚く荒っぽい、品位を欠く言葉(たとえば『保育園落ちた。日本死ね!』)が流行語として溢れる風潮になっているように思えます。

 

 わたし達は、今、もう少し言葉に注意を払い、エキセントリックで、ヒステリー的な、荒っぽい言葉を避け、穏やかな言葉を発するようにすべきだと思います。もしも、そうしなければ、あの北朝鮮の言葉づかいと同じようなものになっていくおそれがあるのではないでしょうか。その観点から、北朝鮮の発する言葉を子細に見ていきましょう。

 

 まず、最も印象の深いのは、テレビで重大放送を行う朝鮮中央放送委員会のアナウンサーである「リ・チュンヒ女史」です。彼女は、民族主義を発揮する意図を込め、暖色系のチマチョゴリ姿で登場。そして、その特異な話しぶりの大仰さにはほとんどの日本人は驚かされているのではないでしょうか。

 

 リ・チュンヒ女史は、報道内容によって言葉づかいや抑揚を変えているそうです。(Wikipediaより)

 

  ・金正日や金正恩に関する報道では、荘厳、丁重な語調で
金正日や金正恩への慈悲の念を表現する際は声を震わせる
国民への喚起・統制に関する報道では絶叫調
アメリカ、韓国、日本についての報道では強い語調で
敵国を非難する声明には威圧的な語調で

 

 北朝鮮のテレビ画面を見ても、朝鮮語は皆目分かりませんが、彼女の独特の抑揚には、またか、とは思いつつも目を見張らされます。さすがに、平壌演劇映画大学俳優科を卒業後、国立劇団で女優を経験してきただけのことはあります。

 

 それにしても、独裁国家・朝鮮民主主義人民共和国における報道の有り様は、お隣の中華人民共和国と同じように、大いなる違和感を懐かないわけにはいきません。北朝鮮のえぐい言葉の乱発は、逆に、北への信頼感を失わせているのではないでしょうか。

 

 次に、新聞を見てみましょう。北朝鮮のミサイル発射と水爆実験をふまえて国連は912日「対朝鮮制裁決議」を議決しましたが、それに対しての「朝鮮アジア太平洋平和委員会代弁人声明」を引用します。

 

 『我が軍隊と人民の敵撃滅の気概を
 
      米国と追随勢力ははっきり見るべきだ』

 

  …米国の制裁策動に便乗して軽率に振舞った日本の島国夷に対する指弾の声も激しく出ている。

 

  千年来のであるウェノムのざまを見るほど目に火がつくようだ、わが人民に千秋にすすげない罪を犯しておきながらも謝罪をまともにせず、米国の「制裁」の笛に踊りながら憎らしく振る舞う奸悪チョッパリらをそのまま放っておけない、日本列島の上空を飛び越えるわれわれの大陸間弾道ロケットを見ながらもいまだ気を確かに持てず、意地悪く振る舞う日本のやつらにはっきり気概を示すべきだ、取るに足りない日本列島の4島をチュチェの核爆弾で海の中に押し込むべきだ、日本はこれ以上われわれの近くに置く存在ではない、これがわが軍隊と人民の激昂した声である。
      (9/13 朝鮮中央通信 日本語版から一部抜粋)

 

 「島国夷」「ウェノム」「チョッパリ」は日本人に対する侮蔑語です。いやあ、とにかく最大限の脅迫、恐喝、侮蔑語のオンパレード

 

 …千年来の敵・奸悪・気を確かに持てず・日本のやつら・取るに足りない日本列島4島・核爆弾で海の中へ・日本は朝鮮の近くに置く存在ではない …。

 よくもまあ、これだけの言葉を並べたもので、ある意味で感心しますが、何と幼稚な言語ばかりでしょう。もっと高邁で格調高い言語でわが日本国と日本人を侮蔑できなかったのでしょうか。

 

 北朝鮮は、正式には「朝鮮民主主義人民共和国」ですが、自国を“共和国”とか“朝鮮”とも言っています。朝鮮半島を代表するのは北だと思い込んでいるのでしょう。北朝鮮が、自らを大きくみせるために、朝鮮と言ったり、幼稚な言語を使ったりすることに何となく憐れみを感じてしまいますが、これは私だけの感想でしょうか。

 

 彼らは、今、何を考えているのか全く不明。アメリカに対しても、脅迫、侮蔑語のオンパレードです。

 

 …横暴・卑劣・テロ犯罪・米国を狂犬のようにこん棒で叩き殺す・米国はわが人民を殺戮し、いびっている不倶戴天の敵・そのまま生かしておくことのできないオオカミの群れ・白昼強盗の群れ・米帝侵略者・米国の地を焦土化しよう、暗黒世界に作ろう・恨みを晴らそう…。

 

 こんな汚い言葉を使う人や民族や国家は、それだけ汚い存在だとみられても仕方がありません。本来、人間も国家も、美しいもの、大きなもの、清らかなもの、豊かなもの、歴史のあるものに憧れ、自らもそうありたいと願っているのではないでしょうか。

 

 そうであるとするならば、汚い言葉、罵倒する言葉を発することは慎重に避けなければなりません。北朝鮮がほんの少しでも尊敬される国になろうとするのであれば、汚い言葉や罵倒する言葉を使わないように自制すべきだと考えます。

 

 それとも、民族全般がそういう言葉を使う体質に染まってしまっているのでしょうか。たとえそうであったとしても、自戒と教育によって、より高い人格、いや、いや、普通の人間になる努力を重ねるべきではないでしょうか。

 

 同じことはわが国にも言えます。北朝鮮国営メディア(テレビ・新聞)の歪で異様な言葉づかいを反面教師として、そのような汚い言葉を断固として排除し、日本人らしい穏やかで美しく率直な言葉づかいが溢れる良き社会をつくりたいものです。現時点において、半島に学ぶべきものはないと考えるべきでしょう。

 

 小ブログは、3回連続で北朝鮮問題に触れましたが、悪しからずご了解ください。しばらくは触れないようにします。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年9月15日 (金)

北朝鮮の核・ミサイル開発…日本の援助に大疑問!

 603回目のブログです

 

 “世の中は 七たび変へん ぬば玉の 墨絵に描ける 小野の白雪”
 
                 良寛
(江戸後期の僧侶・歌人)

 

 世の中に対する態度を七度変えてみようではないか。墨で雪の野原の白鷺を描くことができるように、不可能に見えたものも可能になるものだよ…。

 

 連日のように、北朝鮮のミサイルや核の問題が、テレビ、新聞、雑誌、ネットで取り上げられ、大きく騒がれていますが、国民の間には、今一つ緊張感が乏しいように見受けられます。

 

 それは、とりもなおさず、戦後70年間、直接的な戦争を避けることができた平和が続いてきており、今後も永遠に続いて欲しいとの淡い願望が頭の中に満ちていることによるものと思います。

 

 しかし、国際情勢、北の情勢の厳しさは、もう従来の物差しで判断できる段階を通り越しているのではないでしょうか。わたし達は、この段に及んでも、北の核開発は、オバマ米大統領が悪い、中国やロシア・旧ソ連が甘やかしてきたからだと、専ら他国の所為にして、わが国の姿勢を反省しようとはしていません。

 

 国を守ること、国防、防衛、安全保障は、自らが自らを守る姿勢を明確にすることが基本であり、同盟や支援はそれに加勢、助成することに過ぎません。しかしながら、何と、わが国は、自らを守るどころか、永年にわたり、敵対する北朝鮮にものすごく手厚い援助を施してきているのです。それらが直接的、間接的に「北の核開発の資金」になったことは間違いなく、そのことを深刻な問題として認識していないのが大きな問題ではないでいでしょうか。

 

 北朝鮮への手厚い援助は、全政党、主として自民党が継続してきていることは紛れもない事実ですが、どういうわけかマスコミは真相をほとんど報道していません。わが国の暗い闇のひとつと言うべきかも知れません。北朝鮮問題への素朴な疑問点を挙げてみますから、今一度、皆さんもお考えください。

 

 現在、北朝鮮のスパイ活動は下火になっていると思われがちですが、決してそうではないことに留意が必要でしょう。情報収集、謀略工作はもとより、核・ミサイルなどの大量破壊兵器や先端兵器のための技術や部品を盗みだすこと工作員の重要な任務であることは疑えません。輸入ルートは、民生として合法的に、香港マカオなど第3国経由で、秋葉原などで購入し密輸、不審船に積み込み密輸、などが考えられます。
今の今まで、ほとんど野放し状態ではないでしょうか。…これらを厳重に取り締まらないことは、即ち北の核開発を間接的に支援していることを意味しています。

 

 かつて、朝銀(朝銀信用組合)に対して、何と13,600億円もの公的資金(日本国の税金)が救済資金として投入されたことを思いだしてください。平成9(1997)「朝銀大阪」が破綻、平成11(1999)全国的に朝銀関係が破綻、そして平成12(2000)新生の「朝銀近畿」も破綻するという異常な事態で、朝銀関係の救済に13,600億円もの莫大な税金が当てられたのです。

 

  しかし、朝銀は独立した金融機関ではなく、工作機関でもある「朝鮮総連」が人事権を握る下部機関です。従って、よくよく考えてみれば、このうちの何割かの膨大な資金が金正日委員長のミサイル・核の開発資金になったことは間違いありません。

 

  今も、なぜこのような不明朗な資金救済をしたのか、また、どこにどう流れていったのかは暗~い闇のままです(何故なのかマスメディアも一切詳細を報じません)…救済の先鞭をつけたのは古いタイプの元自民党大物政治家N氏と言われていますが、わが日本を爆撃する核・ミサイルの開発に日本の税金を差し上げる行為は、戯画そのもの、これこそ売国行為といわれても言い返せないのではないでしょうか。

 

  かつての朝銀の本国への送金が、今、ミサイルと核兵器になって、日本国民の生命と財産を脅かしていることを、自民党政治家、野党政治家、および国民も深刻な問題として認識しなければなりません。

 

  一時の心地よい宥和と施し、誤った謝罪と利権、公よりも私、こんな政治家はまっぴらごめんであり、政治家は愛国心あっての政治家であり、真の愛国心を発揮してほしいものです。

 

 10年前を思いだしてみてください。東京都千代田区にある朝鮮総連本部(北朝鮮の拠点)が競売に付され、総連本部は新住所に移転しなければならず、そうなっているとばかり思っていたはずです。

 

  ところが、元公安調査庁長官・緒方重威氏や元日弁連会長・土屋公献氏の暗躍などにより、紆余曲折を経て、今も元のビルに泰然と居残っているという、実に摩訶不思議な現象が生じています。

 

  日弁連会長公安調査庁長官が北朝鮮の協力者とは、わが国はどうなっているのでしょうか。国家を支える枢要な人物が、破壊活動防止法の適用さえ考えられている北朝鮮に与するとは、何かあったと思わざるを得ません。

 

  このように北朝鮮を優遇、支援することが、ひいては北の核・ミサイルの開発に力を貸していることに留意すべきではないでしょうか。
 

 ④都道府県が各種学校として認可している朝鮮学校に対して、以前はかなりの自治体が「朝鮮学校補助金」を支出していました。ミサイルや核、そして教育内容(独裁擁護・反日)に鑑みて、日本国民の世論の支出批判もあり、今日ではかなり少なくなってきていますが、それでも、北海道・群馬県・長野県・静岡県・愛知県・兵庫県・神戸市・福岡県などが、平成29年度(2017)も支給中です。

 

  過去に支給していた自治体も、中止・見合わせ・見送りをしたところが多く、核・ミサイルで度重なる脅迫を受けても、補助金を支給する感覚と思想はわたし達の理解をはるかに超えます。

 

 あの北朝鮮が1兆円もの軍事予算をかけて核・ミサイルの開発を継続できる背景には、わが国の巨大産業であるパチンコ業界からの資金援助があると言われていますが、パチンコ業界の深い闇をあばこうとする政治家、官僚、警察、マスメディアはいません。不思議ですね。どうしてなのでしょう。

 

 最後に。北朝鮮の拉致犯を放免せよと署名活動し、北の拉致容疑者親族の団体に6,250万円も献金する政治家が、史上最悪の首相とよばれながら日本国の総理を務めた異様さに、あらためて愕然とする思いです。

 

  政治家ならば、北に拉致された日本人を今すぐ返せと熱く叫び、その実行を具体化していくのが使命ではないでしょうか。(この点では安倍首相も無策にして成果上げ得ず)

 

 それにしても、北朝鮮、あるいは朝鮮半島にまつわる不透明極まりない現象がいろいろあり過ぎます。ここにおいて、北のミサイルや核の開発を促進させたのは、まさしく「日本」なんだということをあらためて認識し、国家意識の乏しい政治家・マスメディア・文化人・学者・経営者などを厳しく批判し、日本の防衛に真剣な思いをめぐらすべきだと考えます。

 

 今、日本を守る“強い意志”“勇気”が求められています。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年9月 1日 (金)

世は“フェイクニュース”ばかりなり! 

 601回目のブログです

 

“夕まぐれ 荻ふく風の 身にしめば 秋きにけりと おどろかれぬる”
 
斎院中務(平安中期・女官)

 

 薄暗い夕方、荻の葉がさやさやと音を立てており、その荻に吹く風をわが身に感じた時、もう秋がきたのだなあと驚かされることだ…。

 

 朝晩はやっと涼しくなってきました。上掲の和歌に描かれた、夕方のさやかな風に秋を感ずるという女性の繊細な感性に、平安時代の豊かな文化、文藝を垣間見ることができます。

 

 このように、文化は自然で伸びやかであることを理想としますが、現実社会で文化の一端を担っているであろうマスメディアの世界では、アメリカでも日本でもその真逆の道を歩んでいることに何とは言えない違和感を覚えざるを得ません。

 

 先週のブログでは、吉田兼好の徒然草から“世は虚言ばかりなり”とい言葉をタイトルにしましたが、虚言は「そらごと」「きょげん」であり、たった今の言葉に置きかえれば「フェイク」、すなわち“世はフェイクニュースばかりなり!”となります。

 

 それでは、フェイクニュースの具体例をあげていきましょう。フェイクニュース」という言葉を鋭く発し世界に広めたのはアメリカの大統領選の時のトランプさんでした。トランプ氏は就任式のまえの記者会見でCNN、ニューヨークタイムズなどのニュースを偽ニュースとして名指しで非難。にもかかわらず、フェイクニュースは陸続と切れ間なく出てきますから、アメリカのマスメディアには誠実さが全くゼロだと断言できます。アメリカのマスメディアに信用を置くことは禁物ではないでしょうか。

 

 具体例として。米ABCニュースは、2009年のオバマ大統領の就任式には180万人が集まったが、2016年のトランプ大統領の就任式の参加者は2560万人と報じたのです。その写真(午前121分時点)をご覧ください。

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2016年トランプ大統領 2009年オバマ大統領

 これを見れば、トランプ大統領を祝福する参加者がオバマ大統領の時にくらべて圧倒的に少なく、トランプ大統領はアメリカ国民から支持されていない雰囲気を醸し出しています。

 

 しかし、これは為にする真っ赤なフェイクでした。トランプ大統領の写真は、12時1分の就任式時点ではなく、午前8時頃の写真であると指摘するネットニュースが流れたのです。

 

 トランプ大統領は150万人位だろうと述べていますが、実際の就任式時点での写真をごらんください。オバマ大統領の時と変わらないように見えます。

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  トランプ大統領就任演説
    (12時20分)

 

 驚き以外の何ものでもなく、マスメディアが偽ニュースを真実のニュースとして流したのは間違いありません。自己の主張と利権の確保のためには、ウソのニュースも平気で流す生きた事例です。

 

 これはアメリカだけの話ではありません。わが国も同じだという例を示しましょう。

 

 【フェイクニュース】
① 捏造
② 情報操作(印象操作)
③ 誤報

 

 8/25加計学園の獣医学部新設計画を審議している文科省審議会は答申を保留しました。政界で加計学園問題が政略的に扱われたために冷却期間を置いたものと考えられます。加計学園の獣医学部新設については、本来は、52年間新設の申請さえ認めないという利権異常構造にメスを入れる真摯な議論が重要であるにもかかわらず、その議論は一切行われず、矮小なことにのみ関心が注がれています。

 

 この問題はマスコミと連動していることに注目しなければなりません。先月、国会休会中の審議で、前川喜平/前文科省事務次官・加戸守行/前愛媛県知事・原英史/国家戦略特区ワーキンググループ委員が参考人に呼ばれ意見を述べました。獣医学部新設反対は前川氏、獣医学部新設賛成は加戸氏・原氏ですが、マスコミでの取り上げられ方は、異常、異様、を通り越して不気味になるほどであり、これは、マスコミの中心部において陰湿極まりないそら恐ろしいマグマがとぐろを巻いていることを示しているのではないでしょうか。

 

 【テレビでの3氏の報道時間】直接引用時間』
   前川喜平  2時間33分46秒 (94.8%)
   加戸守行      6分 1秒 ( 3.7%)
 
   原 英史      2分35秒 ( 1.5%)
 
     (平和学研究所調査)

 

 これは、加計学園問題を扱った東京キー局(NHK・日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京・フジテレビ)番組のなかで、3氏の意見を直接引用した時間を合計したもの。前川氏は「正しい行政が政権によってゆがめられた。52年間の規制は正しかった」加戸氏は「歪められた行政がこのたび正されたのだ」原氏は「規制改革のプロセスに一点の曇りもない」と主張しました。

 

 これを見て、読者の皆さんはどう思われますか。52年間新規参入を認めない文科省の主張を94.8%も垂れ流し、他の2名の主張はほんのわずかしか報道しないテレビメディアの姿勢は、歪、不公正、悪質極まりない所業ではないでしょうか。ここまでくれば、まさにフェイクニュースであり、情報操作、印象操作そのものであることは間違いありません。

 

 テレビメディアは、もちろん自己主張すべきではありますが、少なくとも、3人の参考人の発言と意見については、公平にならべ、それぞれに真摯な論評を加えるべきです。それが「電波特権」として、国民の財産をほぼゼロに近い金額(キー局合計わずか年間39億円!)で寡占させていただいているテレビメディアのせめてもの最低限の矜持ではないでしょうか。

 

 大変心の荒んだ時代になりました。その先頭を走るのが、NHKや民放、新聞、雑誌であり、彼らは、フェイクニュースはネットにあり、自分たちが報道しているニュースは健全であるという奢った意識をもっているのです。

 

 一方、ネットに接する人は、ネットにフェイク情報がかなりあることは良く理解しており、ネット情報をそのまま100%信ずる人などはおりません。

 

 ところで、フェイクニュースに関して、下記の本が出版されています。

 

   書 名 『信じてはいけない
 
民主主義を壊すフェイクニュースの正体』
 

   著 者 平 和博(朝日新聞IT専門記者) 

出版社 朝日新聞出版(2017/6/13出版)

 

 あの朝日新聞の記者が、自社系列の出版社から、こんなタイトルの本を出版するなんて、悪い冗談としか思えません。朝日は、従軍慰安婦問題、靖国問題、教科書問題、吉田調書事件、珊瑚傷つけ問題、などなど、日本が誇るフェイクニュースメーカーのトップメーカーではありませんか。この本には一切の反省の言葉や新しい見解はないのですから、自社のフェイクニュースも他人事なのでしょう。人間性の欠片も感じられず、難しいことかも知れませんが、朝日の人達には、早く普通の正常な精神に立ち返られることを祈って止みません…。

 

 わたし達は、公正を装うマスメディアの情報が、いかに事実を無視し、捏造や印象操作によって歪められているかということを認識しなければならないのではないでしょうか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年8月25日 (金)

「世は嘘言ばかりなり」… 徒然草に見る現代世相!

 600回目のブログです

 

 “つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、
心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ”
 
            (吉田兼好「徒然草」序段)
(現代語訳)
することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、一日中、硯に向かって、心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけていると
(思わず熱中して)異常なほど狂ったような気持ちになるものだ…。

 

 『徒然草』は、今から約700年前、鎌倉時代末期に吉田兼好(兼好法師・卜部兼好)が書いた随筆であり、清少納言の『枕草子』鴨長明の『方丈記』と合わせて、日本三大随筆と言われます。

 

 今年も、いよいよ暑い盛りを過ぎ、秋の気配を感じさせようとしています。しかしこの夏において、多発する雷や竜巻、大粒の雹(ひょう)、8月の連日の雨、集中豪雨、迷走する台風など、何か異常気象の現象が続発していることが気にかかります。

 

 この異常と思われる気象は、宇宙と地球の「自然の現象」であり、避けられないものであるかも知れませんが、歴史的にみれば、人間社会において、政治・まつりごとが上手くいかない時に起きる現象であるという側面もあります。

 

 そういう観点から見て、現状の政治は十分にその機能を果しているのかどうか、いささか覚束ないのではないかと思うのはひとり私だけではないと思います。

 

 今や世界を俯瞰してものごとを判断していかねばならないことは常識中の常識となっており、明日を読めない激動する世界情勢のなかで、政治を司る人々やその周辺の人々は“世界のなかの日本”を強く意識し、わが国の進路を確かなものにしていく見識と勇気が求められます。

 

 【現在の重大な課題】
  ・北朝鮮の核ミサイルの脅威
  ・北朝鮮の日本人拉致
  ・中国の脅威(尖閣/沖縄・反日)
  ・韓国の不条理(反日・約束不履行・竹島占領・北との親和)
  ・ロシアの北方領土占領
  ・働き方改革
  ・移民と出入国管理

  ・デフレ脱却 

  ・教育改革(教科書・高等教育・文科省)
  ・その他

 

 これだけの極めて重大な課題があるにもかかわらず、相変わらず「森友」「加計」「豊洲/築地」という政略・政争的議論のみしている姿は異様以外のなにものでもありません。

 

 特に、北朝鮮の対米・対日一触即発の危機が生じているにもかかわらず、わが国の政治家やマスコミがこれを真実の危機と捉えたようには全く見えません。これを危機と言わずして、何を危機と言うのでしょうか。1発かまされたら、その時“あぶないかなあ…”と考えればいいと言うのでしょうか。

 

 700年前の兼好法師は、世相を眺め、硯の前で“あやしうこそものぐるほしけれ”(異常なほど狂ったような気持ちになるもの)との感懐を持ちましたが、現代もそっくりではないでしょうか。第73段に、世は嘘言ばかりなりとのエッセーが記されており、700年前と現代があまりにも相似していることに驚きを隠せません。700年経っても感じさせる瑞々しい感性だからこそ、真の古典だと言えるのでしょう。

 

【徒然草73段】

 

(原文)世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがて又定まりぬ。

 

(現代語訳)世に語り伝える事は、本当のことはつまらないからであろうか、多くは皆虚言である。実際より大げさに人は物を言い作る上に、まして、年月過ぎて、場所も隔たっているのだから、言いたいままに語り作って、筆にも書きとどめてしまえば、すぐに又それが定説になってしまう。

 

(原文)道々の物の上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくに言へども、道知れる人は更に信もおこさず、音に聞くと見る時とは、何事もかはるものなり。

 

(現代語訳)それぞれの専門の道に達した達人の技なども、道理を知らない人でその道を知らない人は、やたらに神のように言うけども、道を知っている人はまったく信じる気も起こさない。評判に聞くと実際に見るとは、何事も違うものである。

 

(原文)かつあらはるるをも顧みず、口にまかせて言ひ散らすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又、我も誠しからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人のそらごとにはあらず。

 

(現代語訳)一方ではすぐ嘘とばれるのを顧みず、口に任せて言い散らすのは、すぐに根拠の無い話とわかる。又、自分も本当らしくないとは思いながら、人が言うままに、鼻のあたりをひくひくさせて言うのは、その人自身から出た虚言ではない。

 

(原文)げにげにしく、ところどころうちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづまあはせて語るそらごとは、おそろしき事なり。

 

(現代語訳)いかにも本当っぽく、所々話をぼかして、よく知らないふりをして、そうはいっても、つじつまは合わせて語る虚言は(いかにも本物っぽく信じやすいので)恐ろしいことである。

 

(原文)我がため面目あるやうに言はれぬそらごとは、人いたくあらがはず。皆人の興ずる虚言は、ひとり「さもなかりしものを」と言はんも詮なくて、聞きゐたるほどに、証人にさへなされて、いとど定まりぬべし。

 

(現代語訳)自分にとって面目の立つように言われた虚言は、人は大きくは抵抗しない。皆人が面白がっている虚言は、一人「そうではないようだが」と言っても仕方ないので、黙って聴いているうちに証人にさえされてしまい、いよいよ嘘が事実のようになってしまうのだろう。

 

(原文)とにもかくにも、そらごと多き世なり。ただ、常にある、めづらしからぬ事のままに心得たらん、よろづ違(たが)ふべからず。下(しも)ざまの人の物語は、耳おどろく事のみあり。よき人は怪しき事を語らず。

 

(現代語訳)とにもかくにも、虚言が多い世の中である。ただ、常にある、めづらしくも無い事のままに心得れば、万事間違えることは無い。下々の人の語る物語は、耳おどろくような面白い話ばかりである。まともな人は怪しい事を語らない。

 

(原文)かくはいへど、仏神(ぶつじん)の奇特(きどく)、権者(ごんじゃ)の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方はまことしくあひしらひて、偏(ひとへ)に信ぜず、また疑ひ嘲るべからず。

 

(現代語訳)そうはいっても、聖人伝・高僧伝などはそうむやみに疑うべきものではない。こういう話は世俗の虚言を心の底から信じるのもばからしいし「ありえない」など言っても仕方ないことなので、大方は本当のこととして受け取っておいて、熱心に信じてはならないし、また疑い嘲ってもいけない。

 

 “とにもかくにも、虚言(そらごと)多き世なり”と吉田兼好は世の中を喝破していますが、よくよく見れば、これはまさしく現在の世相でもあります。国会の審議、議論を聞いても、いかに虚言、そらごとが多く、それをもとにした“口論”ばかりですから、わが国に迫りくる危機に対しては、全くと言うほど不感症、鈍感になっていると言えるのかも知れません。

 

 もう少し真摯な姿勢での政治と、虚言(そらごと)多きマスメディアの少しでも事実(The Facts)・真実に基づいた報道を望みたいものです。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年8月18日 (金)

「酒蔵めぐり」①…蔵元・藤居本家!

 599回目のブログです

 

 “淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ”
 
                柿本人麻呂(歌聖・万葉集)

 

 琵琶湖(近江の湖)の夕暮れ時に波の上で群れて飛んでいる千鳥よ、お前が鳴くと、心もしんみりとして、昔のことが思い出されるよ…。

 

 万葉集でも秀逸な歌にあげられる人麻呂の近江の湖を詠ったリズミカルな調べ、…思わず声に出して読みたくなります。

 

 古より、琵琶湖は近江の海と呼ばれ、その美しき景色や豊かな風物を、歌聖・人麻呂や俳聖・芭蕉など、多くの歌人、俳人が歌や俳句にしてきました。

 

 豊かさと言えば、何はともあれ、近江米、そして近江牛。近江の真ん中には日本最大の水瓶である琵琶湖が鎮座しており、鈴鹿山系がもたらす清らかで美味しい水にめぐまれた穀倉地帯や勤勉で仕事熱心な民俗が豊かさの背景にあることは間違いないでしょう。

 

 いままで、近江、琵琶湖周辺と言えば、蒲生氏郷の日野市(日野祭り)、近江八幡市、近江神社(天智天皇)、多賀大社の名所旧跡を訪ねたことがあります。

 

 今回は、生まれて初めて、本格的な酒蔵めぐりに参加しました。総人数は6名、田舎の高校OB連中ですので気の置けない人達ばかりです。

 

 大阪茨木駅 ⇒ 京都駅 ⇒ JR稲枝駅(集合) (送迎バス) ⇒ 蔵元・藤居本家 ⇒ (送迎バス) ⇒JR稲枝駅(解散) ⇒大阪茨木駅

 

 【蔵元・藤居本家】は、滋賀県愛知郡愛荘町にあり、JR琵琶湖線稲枝駅からバスで10分です。創業は天保2年(1831)ですから180年を超える老舗。現在、七代目の蔵元が引き継いでいます。

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 8月13日、日曜日、お盆の最中ではありましたが『旭日縁日』という催しが行われ、試飲(無料と有料)利き酒コンテスト、酒蔵見学、バンド演奏、庭園での飲食歓談、など楽しいイベントが盛りだくさんありました。

 滋賀県には何と50の酒蔵があり、これは滋賀県が豊かな近江米の産地でもあることを示しています。それにしても、こんなに多くの酒蔵があるとは想像外です。

 藤居本家のお酒は、大吟醸・吟醸・純米など、お米の銘柄は、滋賀渡船六号・志賀短稈渡船・山田錦・吟吹雪・玉栄、銘柄は「旭日」「渡船」「稲力」「山田錦」など多彩さを誇っています。

 

 「旭日」という力強い銘柄があるので、それなりの蔵元だと思っていましたが、想像通り、宮中で行われる新嘗祭(にいなめさい)の御神酒(白酒)を献上する栄誉ある酒蔵であることを知りました。(新嘗祭は宮中祭祀のひとつ。1123日に、天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇に勧められ、また、自らもこれを食されて、その年の収穫に感謝される大祭)

 

 やはり、歴史のあるものは風格があります。藤居本家の建物を概観しても、樹齢700年のけやき丸柱や梁が縦横にめぐらされ、そのスケールの大きさにため息あるのみ。天井も極め付きの高さを誇り、見る目を圧倒させ、NHK朝の連続テレビ小説「甘辛しゃん」のロケに使われたというのも納得します。
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 試飲は500円でグラスを受け取り各種銘柄のお酒を飲み放題。とは言っても、味わいながら飲んでいくと、ついつい欲が出て有料の最高級のお酒を飲んでみたくなります。しかし、それも超安価、たったの300/1杯、申し訳ないお値段です。

 

 利き酒コンテストは、5銘柄のお酒を利き酒して、対面にあるお酒の番号と合すものですが、正解者は数人あるのみ、わたし達はみごとに全員ハズレ。残念。

 

 『酒蔵見学』は当主(7代目・藤居鐡也氏)みずから案内していただきました。

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 前もって幹事から注意事項の申し渡し。酒蔵見学の時は、前日から
  納豆を食べないこと、強い匂いの香水も禁止。とのことですが、
  初めての経験であり、納得しました。おそらく命よりも大切な
  麹菌に悪さをするのでしょう。幹事に感謝。
 

 酒造りの場所は、試飲販売コーナーとは別棟の酒蔵。11月から3月までが仕込み。最初のところで全員お水を飲みましたが、非常に口当たりが柔らかく美味しい水でした。当主にどこからの水ですかと質問しましたら、鈴鹿山系を源とする100年の伏流水とのこと、道理で美味しいはずです。

 

 稲穂が展示してあり、近年復活した酒米「渡船」の穂に触らせていただきました。長さ160cmあり、通常の食用米よりもはるかに高いため栽培も難しく、農家の熱のこもった努力により復活したとのことです。

 

 酒蔵は夏にも、冬にも適温を保てるように建物に色々な工夫が凝らしてあるようで、真夏であるにもかかわらず、わたし達も結構涼しく感じました。

 

 さいごに話された当主の言葉が特に耳に残りました。

 

「優れた文化を持つ地には麗しい酒が育つと言います。近江には、自然の恵みに育まれた文化と歴史と伝統があります。」

 

「世界で、国の名前で呼ばれるお酒は“日本酒”のみです。春夏秋冬、ぜひとも日本酒を味わってほしい。」

 

 素晴らしい酒蔵の案内でした。それにしても、世界で国の名前で呼ばれるお酒は“日本酒”だけだということは全く知らず、お酒大好きながら、無知を晒してきたと恥じています。これからは、じっくりと“日本酒”を味わいたいと思う心境になった今回の酒蔵めぐりでした。

 

 酒蔵見学のあと、2時間ぐらい広大な中庭でお酒を嗜みながら会話を楽しみ、帰路へと向かいました。
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充実した一日であり、天の神、地の神、お酒の神に感謝。

 

 みなさんにも酒蔵めぐりをお薦めします。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年8月11日 (金)

「太陽光発電」の功と罪!

 598回目のブログです

 

 “槍が岳 そのいただきの 岩にすがり 天の真中に 立ちたり我は”
 
          窪田空穂
(明治10年~昭和42年・国文学者)

 

 詞書きに「槍が岳の絶頂に立つと、我らは世界の荘厳さを身に近く感じられるのに対してただ眼を見張り、息を呑むのみであった」とあり、北アルプスに聳える3,180mの槍ヶ岳に立った時の感動の高さを「天」の真中と表現しているところに、この短歌が秀歌と言われるゆえんかも知れません。

 

 登山家(アルピニスト)と言えば、まず野口健氏が頭に浮かびます。野口さんは、7大陸最高峰最年少登頂の世界記録を達成、富士山の清掃登山、戦没者遺骨収集、地球温暖化問題など、幅広いジャンルで活躍されていますが、その清々しい魂の行動に対し、深く敬意を表したいと思います。

 

 その野口健氏が、7/27産経新聞【直球&曲球】において『八ケ岳のいたるところにソーラーパネルが…自然を破壊してまで必要か、再生可能エネルギー』というコラムを書いています。一部を抜粋しましょう。

 

 八ケ岳。苔の森から岩の稜線まで実にさまざまな表情をもっている。山麓の田園風景は雄大で美しい。しかし、最近、気がつくと至る所に敷き詰められているソーラーパネル。いつも通っていた牧草地もソーラーパネルで埋まっていた。

 

 再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT/ Feed-in Tariff)導入後稼働した設備の約9割が太陽光発電

 

 驚かされたのが伊豆高原メガソーラーパーク発電計画だ。大室山近くの山腹の森林を大伐採しソーラーパネルを12万枚並べるという。敷地面積は約105ヘクタール。東京ドーム20個分である。

 

 山を削り日本各地で森林伐採し、美しい景観を壊してまでメガソーラーは本当に必要なのだろうか

 

 再生エネルギーの9割を占める太陽光発電について、その功罪、特に罪過について考えてみたいと思います。

 

 再エネ固定価格買取制度は一種のカルテル。東京電力福島第1原発事故を受けて、再生エネルギーの普及を促そうと、あの菅首相の時政治決定、平成24(2012)に運用開始したものです。

 

 平成29(2017)3月、電力中央研究所は「固定価格買取制度(FIT)による買取総額・賦課金総額の見通し(2017)を発表。

 

           2030年)     2050年)
   累積買取総額   59兆円   94兆円
   累積賦課金額   44兆円   69兆円

 

               (2016)   (2030)
   単年度買取総額  2.3兆円  4.7兆円
   単年度賦課金額  1.8兆円  3.6兆円

 

 何と、2050年には累積買取総額94兆円。もう少しで100兆円に届かんとする数字であり、累積賦課金額も69兆円という途方もない金額が推定されています。

 

 また、買取金も、賦課金も、2030年には、昨年(2016)実績のほぼ倍の数字となるようで驚きを隠せません。

 

 この制度での買取価格は、火力発電や原子力発電より高く、その分は電気料金に「再生可能エネルギー発電促進賦課金」という名で上乗せされています。買い取り総額が膨張すれば、国民の実質負担分(賦課金)の増大につながることになり、大きな問題と言えるでしょう。

 

 泥縄式に、政治的・政略的・政商的にすすめてきた再生エネルギーの有り方について、長期見通しで示された国民負担の枠内に抑えるのか、上まわっても良いとするのか、早期に結論を出す時が来たのではないでしょうか。

 

 この問題については、ドイツ在住の川口マーン恵美女史の貴重な情報と論稿をもとに、再エネ先進国ドイツの実態を参考にしたいと思います。

 

 『ドイツの高価なエネルギー迷路何十億ユーロもの助成金を得たドイツの“グリーン”電気は、環境保護にとっては実質効果ゼロで、電気代を危険なまでに高騰させる。」デュッセルドルフ大学教授/ドイツ独占委員会元委員長/ユスティス・ハウカップ氏・大手紙「フランクフルター・アルゲマイネ」論稿)

 

 ドイツの電気代は、EU平均の50%増。フランスの2倍である。

 

 ドイツが日本と違うところは、ほぼ2000社の大企業は、国際競争力の保持のためという名目で、賦課金の負担を免除、あるいは軽減されていることだ。だから、これら2000の企業は電気代の恩恵を被っており、調子がいい。

 

 しかし、賦課金免除の利益に与れない中小企業は不公平感を強めている。国外脱出も始まっていると言われる。

 

 今年の1月、連邦会計検査院も、ドイツ政府のエネルギー政策の不備を厳しく指摘した。

 

 要するに、ドイツの「エネルギー転換」が大失敗であり、実は環境のためにもなっていなかったことが明かになったことを示しています。

 

 ドイツがエネルギー転換を早急に見直そうとしている今、わが国は、ドイツのケツを追い回すのではなく、先回りする決断が肝要ではないでしょうか。このまま行けば、国民負担は激増するばかり、国民経済にとって大きなマイナスであり、国力を低下させるのみです。

 

 そもそも、採算を度外視して固定価格で例外なく買い取るというのは計画経済の仕組みであり、歪んだ経済システムであることを認識しなければなりません。

 

 野口健さんが指摘するように、大規模太陽光発電の開発に伴う山林伐採や災害時の太陽光パネルの大規模な破損事故など、景観や防災への影響を考慮した厳しい法規制を早急にすすめるべきではないでしょうか。

 

 また、大規模太陽光発電を手掛ける外国企業(中国・ドイツ)に国民の負担金(賦課金)、すなわち実質的な我々の税金が流れることに違和感を覚えます。これも再検討すべき点です。

 

 さいごに、川口マーン恵美女史の提言を記します。

  『一歩先を行くドイツの改革を参考に、日本も適正な再エネ発電量を見極め、一刻も早く制度改革を実施したほうがよい。それが、国民にとっても、国家経済にとっても、エネルギー安全保障にとっても、何よりも大切だと思う。』

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年8月 4日 (金)

「北朝鮮ICBM発射」… 平和ぼけ日本はどうする!

 597回目のブログです

 

  “馬は足 扇はかな目 船は舵 人は心を 用いこそすれ”
 
           細川幽斎(戦国~江戸/武将)

 

 皆それぞれ大切なものがあり、それが無ければ値打ちがなくなるもの。馬に例えれば足であり、扇に置いては要(かなめ)、舟で言えば舵がなければ何の用もたさない。人も全く同じであり真心がなければ人として生きてはいけないのだ…。

 

 細川幽斎は熊本細川藩の祖。戦国から江戸初期を駆け抜けた武将に相応しい道歌です。政治や社会が混乱する時、最後に頼りとするのは「真心」だと喝破しているところに、当時の最高の教養人の心意気を読むことができます。

 

 現代に戻って、わが国の実態を眺めてみますと、何となく、張り詰めた雰囲気が感じられず、微温的、ぬるま湯的、無感動、無感応、すなわち、緊張感のない空気に覆われているような気がしてなりません。

 

 森友(学園・財務省・大阪府・首相) 問題、加計(学園・文科省・獣医師会・今治市・首相)問題、豊洲(小池知事・科学)問題、いずれも的外れな議論の応酬ばかりであり、本質的な問題点を掘り下げることはできていません。要するに、200%、政争に利用しただけ、利用されただけの話です。

 

 喧しいこの議論の過程において、細川幽斎の言う「真心」が一瞬でも垣間見えたことがあるでしょうか。その心を有しない政治家とメディアが手に手を取り合い、政治劇場において、延々とパフォーマンス劇を演じ、国民を楽しませようとしたのが真実というものだと思います。

 

 しかし、世界は、近隣は、とんでもない『時』を迎えていることに注目しなければなりません。もう「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿では対処できないことは自明ではないでしょうか。

 

  北朝鮮、ICBM発射 飛行時間・高度は最高に

 

  日本政府は29日未明、北朝鮮が28日午後1142分ごろ弾道ミサイルを発射し、日本海の日本の排他的経済水域(EEZ)に落下したとみられると発表した。ミサイルの飛行時間、高度はともに過去最高。日米両政府は大陸間弾道ミサイル(ICBM)だとの見解を示した。北朝鮮の朝鮮中央通信は、ICBM「火星14」の2回目の試験発射に成功したと伝えた。

            (2017/7/29 日経新聞一部抜粋)

 

 ICBM(intercontinental ballistic missile/大陸間弾道弾)は、射程が5,500km以上の弾道ミサイルと定義されますが、米国国防省は、今回の北朝鮮の発射したミサイルについてアメリカ本土を攻撃できる大陸間弾道弾と断定しました。

 

 北朝鮮は、今後ICBMの更なる精度を上げることに注力するとともに、念願の本格的な核実験を繰り返し、名実ともに、有力な核保有国としてその存在感を高めるに違いありません。

 

 ここまで北朝鮮をのさばらせたのは、中・露・韓の支援と米国の優柔不断的宥和政策にあったと言わざるを得ません。アメリカも苦慮していると思われますが、アメリカ在住のジャーナリスト・古森義久氏は著名な米国外交評論家・クラウトハマー氏の意見を紹介しています。(2017/1/11JBプレス)

 

 【北朝鮮の核武装を阻止する5つの措置】
   ①ミサイル打ち上げ施設に先制攻撃をかける
 
  ②北朝鮮の実験用ICBMを撃墜する
 
  ③米軍の戦術核兵器を韓国に再配備する
 
  ④中国が北朝鮮に経済的圧力をかける
 
  ⑤日本の核武装を許容して中国を動かす
   
   (2017/1/5 ワシントン・ポスト)

 

 ①は戦争への可能性が高く韓国に打撃を与える。②は迎撃したとしても、反撃として戦争に踏み切る可能性がある。③は北との交渉材料にはなっても核開発を止めることはできない。④トランプ大統領は中国に対して貿易面で強い圧力をかけてはいるが、習近平主席はのらりくらり、北を追い詰めることはできそうにもない。⑤は中国にとって日本の核武装は最も忌避したいことであり、そうしないために、北に対して本格的な圧力をかけるに違いない。…と考えられます。

 

 米国にとって眼前に迫る深刻な危機に対する上記5つの政策はいずれも悩ましいことに違いなく、アメリカは、いよいよ、日本の核武装を許容することの議論に入らざるを得ない局面に至ったと認識しているように思えます。

 

 わたし達は、北朝鮮のICBM・核兵器の開発・実験、というよりも今や、実戦に向けた運用訓練に対して、どのように考えるべきかを記します。

 

 わが国は永く非核政策をとっており、国民の反核感情から判断すれば、現実的には核武装のオプションはなかなか難しいと考えられます。現在、憲法九条の部分的改正でさえ、困難を極めているのですから。それでも、一度は核武装を俎上に載せ「国民的な議論」をすべきではないでしょうか。その先鞭は、政治家とメディアが担うべきです。

 

 北朝鮮の先端的軍事力であるICBM、核兵器、生物兵器などについてのわが国の危機感がほとんど感じられないことに大きな危惧を覚えます。政府としても、国民と共に危機を認識するために、特別声明を発すべきだと考えます。

 

 マスメディアも深刻な懸念と危機感を持つべきです。それにもかかわらず、北朝鮮の主張を取り上げるのみ。たとえば、TBS系列情報ワイド番組(平日10:2513:55)は、年中、連日のように北朝鮮のことを取り上げますが、それも単に垂れ流し。宥和的迎合的な報道に終始しており、北朝鮮シンパが社内で力をもっているような雰囲気。まるで北朝鮮のプロパガンダかと思えるほどです。

 

  戦前、ソ連コミンテルンのスパイだった朝日新聞記者の尾崎秀実が、裏から、反日姿勢、日本攪乱の先頭に立ったのと同じような雰囲気が、TBS東京放送にもあるのではないかと考えてしまいます。

 

  メディアは、もっと「日本の立場」にたって、北朝鮮に怒りの声をあげるべきです。そして、わが国の生存のために取るべき政策を論じる場を設けなければ、どこに、ジャーナリズムとしての存在価値があると言えるでしょうか。

 

 わたし達日本国民は「日米安全保障条約」によって永年の“いわゆる平和”を保ってきました。ほとんど全てを米国に頼りながら。しかし、次の米国要人の発言をお読みください。

 

  北朝鮮「ICBM保有で日米同盟弱まる」米WSJ編集長

 

  米紙ウォールストリート・ジャーナルのジェラルド・ベーカー編集局長は、北朝鮮がICBMを保有した場合「サンフランシスコが核兵器で壊滅させられるかもしれないのに、米国が日本や韓国を防衛する見込みはまずない。同盟の力は弱まり、日韓は非常に脆弱になる」と懸念を示した。さらに「この半年間で、米国が北朝鮮に先制攻撃をする可能性は高まった」とも語った。
         (2017/5/22 朝日新聞デジタル一部抜粋)

 

  「北のICBMの登場により、日米安保の存在価値が大幅に低減する」とのアメリカの政権中枢に近い要人の発言にとてつもない緊張を覚えます。今一度、日米安全保障条約について、真剣に考える時が来たのではないでしょうか。

 

 平和ぼけ日本!

 

 北朝鮮のICBMが、わが国民に突き付けてきたことの意味するものは、わたし達が、過去の歴史に学び、感応力、感受性をとり戻し、真剣に日本の安全保障、日本の防衛を考えなければならないことではないでしょうか。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年7月28日 (金)

「中共・中国=ナチス・ドイツ」…劉暁波氏死去で英BBC論評!

 596回目のブログです

 

   “戦いを交えるに当たっては、
 
   その唯一の目的が、
 
   平和にあることを忘れてはならない”
 
        (シェイクスピア)

 

 梅雨も明け、暑さもますます厳しくなっていますが、それに加えて世の中を暑苦しくしているのは、政争そのものと言ってよい「加計学園獣医学部新設問題」をめぐる与野党の喧騒です。議論を聞いても、まことに枝葉末節のことばかりで、本質的なことについて全く議論していないことが問題ではないでしょうか。

 

 そもそもの根本的な問題は、文科省が永年に亘って、獣医学部新設の申請書を受け取り拒否していたことであり、その理由が「既得利権」の保持にあったということに過ぎません。それに加えて、青少年の教育に真剣に取り組まねばならない文部科学省事務次官が、連日の如く夜な夜な怪しげなところに足を運んでいたという驚愕の事実。人は言動で判断されます。実質的に「教育」行政のトップである次官の「動」に信用がまったく置けないとすれば、その「言」にも全く信を置けないのは、理の当然と言わざるを得ません。

 

 毎日のように、テレビ、新聞、雑誌などで加計学園問題を騒ぎまくっていますが、もういい加減にして、わが国を取りまく厳しい環境への対応策を真摯に議論してもらいたいものです。

 

 地方行政の最高位にある東京都政についても同じことが言えるでしょう。小池都知事は、721日豊洲市場の無害化を撤回し、来年の春~秋には開場したいと述べましたが、それも、シラッと。これまでの豊洲・築地の大騒ぎ、豊洲移転のちゃぶ台をひっくり返したのは小池都知事その人。都議会議員選挙の勝利を目指し「小池劇場」を大仰に演出するために、豊洲をそのツールに利用しただけに過ぎないことがこれで明白になりました。

 

 もう、いいかげんに嘘の2乗・3乗である「劇場政治」「熱狂政治」「情緒政治」「パフォーマンス政治」「パンとサーカス型政治」は止めにしませんか。

 

 そんなことよりも、もっと重大なことに目を向けましょう。

 

 ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏が死去 批判に中国反発

 

  中国政府を批判し有罪となり、服役中にノーベル平和賞を受賞した作家で人権活動家の劉暁波氏が13日、肝臓がんのため中国遼寧省瀋陽の病院で亡くなった。61歳だった。国外での治療を認めなかった中国政府に対して、国際的な批判が高まっているが、中国政府はこれに反発している。
      (2017/07/14 BBC<
英国放送協会>一部抜粋)

 

 劉暁波氏は1955(昭和30)吉林省生まれ。1988年北京師範大学博士号取得。ノルウエーのオスロ大学、アメリカのハワイ大学、コロンビア大学で中国文学・中国哲学・中国現代政治を教える。

 

 1986年末、天安門事件の3年前「民主化運動」が全国に広がる。これを胡耀邦総書記は容認するも、19894月急死。中国の民主化を支持した総書記・胡耀邦さんの追悼集会が天安門広場で催され、その数が何と10万人を超える事態となってきました。

 

 これに恐怖を覚えた鄧小平は「民主化運動」の弾圧と鎮圧に乗り出す。この動きに対し、劉暁波氏は素早く反応し、1989427日帰国し、民主化運動の指導的役割を担いました。

 

 1989517日、民主化のシンボル・ゴルバチョフが中国を訪問した際の天安門広場に100万人、中国全土で1000万人が民主化デモに参加。いよいよ、520日、北京に戒厳令が発令。天安門広場に戦車や装甲車が突入、凄まじい弾圧、殺戮が加えられ、数千人が死亡、数万人が負傷したと言われています。わたし達は、戦車の進路の前に立ちはだかる勇敢な市民の動画や写真で、その緊迫した雰囲気を感ずることができます。

 

 劉暁波氏は、198966日の投獄から2017713日の死亡までに、何回も「反革命罪」「国家政権転覆扇動罪」で、投獄、釈放を繰り返しています。

 

 2008年、釈放時に、民主化を求めて零八憲章』を起草、仲間の有識者と一緒にインターネットで発表しました。(例によってサイトは当局によって即座に閉鎖)憲章の主な項目は次の通りです。

 

  ・憲法改正    ・立法と民主化(直接選挙)
・三権分立    ・公民教育

・司法の独立   ・財産保護
・人権保障    ・税制改革
・公職選挙    ・社会保障
・結社の自由   ・環境保護
・集会の自由   ・連邦共和制度(香港・マカオの自由)
・言論の自由   ・正義(名誉回復
)
・宗教の自由   ・公器公用(人民解放軍を党から国軍に
)
         ・都市と地方の平等

 

 201010月、劉暁波氏は、不屈の姿勢での民主化・人権促進への貢献でノーベル平和賞を受賞しました。しかし、彼は死の直前まで獄中にいたのです。中華人民共和国は劉暁波氏に対して徹底して弾圧しました。

 

 それについて、BBCはナチス・ドイツと対比しています。

 

 カール・フォン・オシエツキーを知らない人もいるだろうが、中国政府にとっては特に居心地の悪い比較対象だ。フォン・オシエツキーは1935年、ナチス・ドイツの強制収容所にいながらにしてノーベル平和賞を受賞した平和主義者だった。アドルフ・ヒトラーは、家族が代理人として授賞式に出席するのを許さなかった

 

 劉氏はノーベル平和賞に選ばれた時、国家政権転覆扇動の罪で服役中だった。中国政府は、妻が代理として式典に出席することを認めず、それどころか妻・劉霞氏を自宅軟禁にした。オスロで開かれた2010年の平和賞授賞式で、劉氏の代わりに壇上に上がったのは、空の椅子だった。そしてそれを機に、21世紀の中国と1930年代のドイツが比較されるようになったのだ。

 

 厳しい検閲という点でも、劉氏とフォン・オシエツキー氏の状況は似通っている。ナチス・ドイツは1935年の平和賞受賞について、国内での言及を一切禁止した。劉氏の受賞に対する中国の姿勢も同じだ。中国政府はしばらく「空の椅子」という単語での検索をも禁じたほどだ。中国国内では徹底した検閲体制のために国民はほとんど何も知らされていなかった。自分たちの国で、ノーベル平和賞受賞者が死につつあったというのに。

 

  劉氏の投獄から死亡に至るまで、政府は彼の記憶を消し去ろうと一生懸命だった。家族や友人たちがなかなか面会できないように、自宅から約600キロ離れた刑務所に収容した。妻の劉霞さんが置かれた自宅軟禁はあまりにも抑圧的で、彼女は次第に体と健康を害されていった。

 

  ノルウェーに対する中国の懲罰行動は苛烈で、今やノルウェー政府は中国の人権状況や劉氏のノーベル賞について言及を避けるほどだ。

 

 BBCの報道をみると、ノーベル平和賞受賞者への対処に関しては、ナチス・ドイツと中共・中国とはまったく同一であり、同じメンタリティにあると言わざるを得ません。

 

 中国(中華人民共和国)では、劉暁波さんのことは、報道規制のためにほとんど知られていないと言われています。酷い国ですが、かの国を持ち上げるわが国大半のメディアも酷いメディアであり、異常、異様だとも言えるでしょう。

 

 「習近平」は、癌に侵された劉暁波氏を外国で治療させることを禁じたり、劉暁波氏の遺骨を夫人の意向などは完全無視して散骨を命じたり、まさに、人権無視、人道から乖離、人倫の道を外れたナチスと瓜ふたつと言われても反論できますまい。

 しかし、世界の指導者も情けない。安倍首相(日本)・トランプ大統領(アメリカ)・メイ首相(イギリス)・マクロン大統領(フランス)・メルケル首相(ドイツ)…、だ~れも、誰も、中国の習近平主席を批判していないのですから。彼らは、わが国の安倍首相を含めて「人権」「人道」「人倫」を語る資格はありません。

 

 そして、ついでに。いつも人権、人権という言葉を口の端に上らせる日本弁護士連合会も同罪。こんな時、中国共産党政府に一遍の抗議も声明も出していないのですから、まったく「ご都合主義人権屋」と言わざるを得ません。

 

 出るはため息ばかりなり。もう少し何とかしたいものです。

 

 それにしても、BBC(英国放送協会/British Broadcasting Corporation/イギリスの公共放送)の勇気ある報道と論評には大いなる敬意を表したいと思います。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年7月21日 (金)

“拉致コンサート”…凛然たる五嶋龍氏・臆病な大学人!

 595回目のブログです

 

   “ふと思ふ
 
   ふるさとにいて 日毎聴きし 雀の鳴くを
 
   三年聴かざり”
 
      石川啄木(歌集「一握の砂」)

 

 ふと思う。自然豊かな故郷にいた頃には、毎日のように雀の鳴き声を耳にしていたが、故郷を遠く離れてからもう三年、雀の鳴き声を耳にしていない…。

 

 石川啄木の望郷の念がしみじみと表れている人口に膾炙した有名な和歌です。啄木が故郷を離れてから3年経っただけでこんな切ない思いを懐いているのは、それが人間として、日本人としての自然な感情だからと言えるでしょう。

 

 「ふるさと」は遠きにあればあるほど、また、年月が経てば経つほど、望郷の思いは強くなるものです。まだ3年間かと見るか、もう3年もと見るか、東北に育った啄木は、3年でも永い時間のように感じたのではないでしょうか。

 

 ひるがえって今日、思いを馳せねばならないのは、北朝鮮に拉致された方々の身の上です。横田めぐみさん(当時13歳)が新潟で拉致されたのが昭和52年(1977)、今年で何と40年…40年間、故郷の街と自然に触れることなく北朝鮮にとどめ置かれたまま、軟禁状態にあるのは、悲惨な悲劇であり、めぐみさんの心は如何ばかりかと思わざるを得ません。

 

 拉致は、主権侵害であり、人権蹂躙でもあります。拉致被害者の一刻も早い帰国こそ、最優先されねばなりませんが、政府は、この13年間、手をこまねいたまま、何らの実績も残していないのです。

 

 それに加えて、国民の関心も、薄れに薄れていっているのは間違いなく、次の新聞ニュースをご覧ください。

 

 拉致問題 薄れる関心…バイオリニストの五嶋龍氏が啓発訴え

  大学生とコンサート「政治色強い」「怖い」と二の足の大学も

 

  世界的に活躍するバイオリニストの五嶋龍氏(29)が大学の交響楽団と8~9月に全国4カ所で、チャリティーコンサート『プロジェクトR 拉致被害者を忘れない』を開く。拉致問題への若い世代の意識を高め、風化させないことを目指した企画だが、多くの大学が「政治色が強い」として共演を見合わせたという。小泉純一郎元首相の訪朝から15年たち、世論の拉致問題への関心は残念ながら薄れつつある。
          (2017.7.14 産経ニュース一部抜粋)

 

 五嶋龍氏は世界的なバイオリニスト、ハーバード大学物理学科卒業の英才。大学の楽団との共演は五嶋氏の発案です。
     プロジェクトの『R』 …「拉致」
 
                 「リメンバー」
 
                 「龍」

 

 米国生まれの五嶋龍氏は、横田めぐみさんの話をするときは拉致被害者の家族を思い涙を流す母(節さん)の姿を見て育ちました。

 

 五嶋氏は「昨年、川崎市でめぐみさんの母、早紀江さんにお会いし、話を伺い、怒りを感じました。親子が互いの生死さえわからぬ地獄に、置かれ続けている。それが時間にもみ消され、忘れられようとしている。こんな不公平で不正義なことがあるのか。ナンセンスだと思った」「僕はあなたの気持ちの5%10%も分からないかもしれない。だけどは感じる。だから、動きます」と早紀江さんに伝えたそうです。(6/1産経ニュース)

 

 早速の具体的行動がチャリティコンサート。素晴らしき精神と行動力に敬意を払います。まさに、五嶋龍氏は真の日本人と言わねばなりません。あらためて頭をガツンと叩かれた気持ちです。

 

  ところで、大学の反応はどうだったでしょうか。
  五嶋氏のフェイスブックで呼びかけに40校が関心を示す
  打合せに18校が集まる
  最終的に4校との共演となる
     ・大阪大学 交響楽団
 
    ・関西学院大学 ∥
 
    ・宮城教育大学 ∥
 
    ・交響楽団はやぶさ(全国医療系大学学生)

 

 コンサートの目的が拉致問題の啓発だと知ると「政治色が強い」「怖い」との理由で、ほとんどの大学が手を引いたそうです。決まった後でもOBが「拉致問題に関わって大丈夫か」と懸念する声があるといいます。

 

 五嶋龍氏の勇気ある行動に較べ、大学人の臆病さは極まっていると言わざるを得ません。そもそも、北朝鮮の拉致は、人権侵害であり、主権侵害でもあります。人権と主権を主張しない人間が大学人とはあきれてモノが言えません。

 

 大学人は、何を学んできたのか。私利私欲ばかりではなく、公のために一肌脱ぐとか、力を貸すとか、支援するとか、エリートならば普通の日本人が考えることに一歩踏み込むべきではないでしょうか。

 

 どうも、わが国の大半を占めるリベラルやサヨクは、拉致は朝日友好(ちょうにち/アサヒではない/朝鮮と日本)に刺さったトゲであり、大きく騒ぐテーマではないと言います。このような考えは、わが国の思考が徐々に大陸化・半島化してきていることを示すものであり、人間性を失った人々が増えていることに繋がっています。

 

 その最たる組織が日本弁護士会ではないでしょうか。日本弁護士会は事あるごとに市民の人権を強調しますが、北の拉致に対しては、永い歴史のなかで、わずか1回(平成14<2002>会長談話)触れただけに過ぎません。

 

 朝鮮学校への補助金支給などでは何度も声明をだし、実質的に北朝鮮を支援しているにもかかわらず、拉致では1度だけとは。やはり、サヨク思想によるとしか考えられません。自由民主国家・日本よりも、共産主義、社会主義、全体主義、独裁主義の方に心が惹かれているのでしょう。

 

 こんな人たちに人権を語ってほしくありません。

 

 わたし達は、今一度、北朝鮮による拉致問題を真剣に考え直し、与野党すべての政治家に、解決への強い要請をすべきではないでしょうか。

 

 バイオリニスト・五嶋龍氏の気高い思想と凛然たる姿勢に対しあついエールをおくります。
 

あわせて、大阪大学・関西学院大学・宮城教育大学の各交響楽団および交響楽団はやぶさにも、非難と雑音と臆病をはねのけた勇気ある姿勢に対してあついエールをおくりたいと思います。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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2017年7月14日 (金)

“緊急事態条項”…憲法改正白熱討論で考える!

 594回目のブログです

 

“奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと 人に知らせん”
 
      後鳥羽院(
新古今集・平安末期~鎌倉初期・第82代天皇

 奥山の草木の茂り合っている下も踏み分けて、本来、道のある世であると、天下の人に知らせよう…。

 

 正しい道が行われなくなった世の中を正し“道ある国家”(道義国家)が存することを天下の民にあまねく明らかにしたいものだとの強い御意思の歌、すなわち「ますらをぶり」の素晴らしき述志の御製ではないでしょうか。

 

 時代が乱れてくると、正しい道が何であるか、何が本質的な問題なのかということを遠くに置いたまま、些末で刹那的、パフォーマンス的な議論ばかりが横行しがちです。今日もまた、そのような時代になってきたと思わざるを得ません。

 

 そんなことをつらつら考えながら、つい先日、興味を引く討論会に参加してきました。

 

       兵庫県弁護士会憲法市民集会
 
   日本国憲法施行70周年全国アクションプログラム
 

     憲法改正で白熱討論!緊急事態条項」

 

   反対派:永井幸寿氏(弁護士・日弁連災害復興委元委員長)
   賛成派:奥村文男氏(大阪国際大学名誉教授・憲法学者)

 

 いよいよ憲法改正が具体的に検討されようとするタイミングでの反対、賛成の議論を盛り上げることは、それはそれで、大いに価値のあることであり、参加者が300名以上もあったことから、難しいテーマではありながら、関心を呼んだものだと思います。

 

 まず最初に、司会者が会場参加者に対して、注意事項として、会場からの発言・ブーイング・鳴り物・プラカード掲示などを厳禁する旨の発言があり、緊張した雰囲気を醸し出していました。

 

 そのこともあってか、司会者は、反対、賛成の両論者に対して、公平・フェアーな進行を心掛けており、その誠に見事な司会振りに感心しました。

 

 というのも、日本弁護士会は、安全保障関連法案(集団的自衛権など)、テロ等準備罪法案(共謀罪)、憲法改正など、政府与党の重要法案に対しては全て反対の立場を明確に表明しており、公平な司会進行が危ぶまれていたためです。

 

 しかし、その不安は杞憂に終わり、真摯な討論となりました。反対、賛成の両氏は、自らの心情を熱く、また分かりやすく語りかけましたので、わたし達参加者は両論の考え方、思想の違いをそれなりに認識できたように思えます。

 

 「緊急事態条項」とは、有事(戦争・武力衝突・内乱・テロ)や大規模自然災害発生の際、国民の生命・財産を守るために、国家が非常措置を取り得る権限を定めた条項を言います。

 

 それでは、両論の骨子を記しましょう。

 

 「緊急事態条項」反対派(永井弁護士)

 

 緊急事態条項を憲法に設ける必要はない。緊急事態は、現行の法律(災害対策基本法・原子力災害対策特別措置法など)のもとで、準備を怠りさえしなければよい。

 

 自然災害については、被害者に近い市町村が対応するのが効果的であり、国が主導権を持てば現場にそぐわず、国は後方支援に徹するだけでよい。

 

 国や政府は、国家緊急権を必ず濫用するようになるのだ。ナチスはワイマール憲法の国家緊急権を使い独裁権を取得したし、戦前の日本は緊急勅令や戒厳令という国家緊急権を濫用した。現在の日本は議員内閣制であり、国会の多数派が内閣を形成するので、国会ならびに裁判所は政府を抑制することはできない。政府が一旦権力を握れば、それは戻らない。

 

 災害をダシに憲法を変えてはいけない。憲法は人権を守るためにある。

 

 「緊急事態条項」賛成派(奥村名誉教授)

 

 国民の生命・財産等を有事、大規模自然災害等から守るという憲法の基本原則に則り、緊急事態条項を憲法に設けるべきである。

 

 緊急事態に対して個別の法律のみでの対処では不十分、不完全である。憲法に「緊急事態条項」を規定し「緊急事態基本法」で行政への権限付与、立法府による行政のチェック機能を定め「個別法」で具体的に対処するという三層が望ましい。

 

 緊急事態における人権の制約については、国際人権規約B-第4条や現憲法の公共の福祉により認められているが、緊急事態ではこれを明確にした方がよい。

 

 反対、賛成、どちらも分かりやすく説明していただきましたので、私の理解の範囲で、問題点を指摘したいと思います。

 

 まず、最初に、反対派の永い弁護士は国家、政府に対してものすごい不信感を持っているように感じられました。どんな非常事態であったとしても、政府が大きな権力を持てば、濫用につぐ濫用を重ね、やがてはナチスのような存在になるので、決して付与すべきではないと主張。

 

 政府が日本国民の代表者だという認識を持たず、逆に、政府(権力)は国民・人権の敵であるとの認識を持っているということは、何か、アナーキーなにおいも感じました。

 

  【アナーキズム】
無政府主義。一切の権威、特に国家の権威を否定して個人の
自由を重視し、その自由な個人の合意のみを基礎にする社会を
目指そうとする政治思想

 

 しかし、良く考えれば、わが国は、選挙を基本とした民主主義国家であり、政府権力は「敵」ではなく「代表者」ではないのでしょうか。何と言っても、政府は、わたし達国民が合法的な選挙によって選んだ議員がつくったものですから。

 

 また、反対派の永井弁護士は、日本国民・特に政府権力者に対して基本的に信頼を置いていませんが、日弁連が最も敬意を捧げる「日本国憲法」の「前文」には、

 

 「~日本国民は~平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
 
         われらの安全と生存を保持しようと決意した」

 

と書かれており、諸外国に対しては絶大な信頼を寄せています。日本は全く信頼できず、諸外国は全面的に信頼する。これは、まさしく、自虐・反日の思想ではないでしょうか。

 

 賛成派の奥村名誉教授はさすがに憲法学者、綜合的に精緻な理論をすすめ、憲法を正常に戻したいとの熱い心に触れたように思います。

 

 それにしても、討論、対論はお互いを理解することに役立ちます。兵庫県弁護士会の見事な対応と両講師の論述姿勢に真摯な心を感じたところです。

 

 なかなか実り多い討論会でした。

 

 みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 

次回は
時事エッセー
です。

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